あ、これは夢だ、と思った。見覚えのある公園にいたから。
 けれど、私が今まで何をして、どうしてこの公園を、あの公園だ、と思ったのかは分からない。ブランコ、滑り台、砂場と屋根のついたベンチがあるだけの小さな公園。見覚えがあるようで、てんで馴染みもないような変な感じ。
 不意に腰に衝撃があった。見ると、小さな男の子が私の腰に腕を回している。見たところ小学一、二年生だろうか。少年は私を見上げると、ひ、と悲鳴を上げて離れた。なかなか失礼な子だ。
 小刻みに震え、じわりじわりと後ずさる。その姿は今にでも熊に飛びかかられそうな怯えぶり。私はため息をついた。
「あのね、君がぶつかってきたんだからね。私がぶつかったって勘違いしてる?」
「ご、ご、ごめんなさ……」
 泣き出しそうな顔が更に崩れそうで慌ててしまう。
「あーごめんごめん、私が悪かった。えっと……」
 慎重に考えながら、出来るだけゆっくりと屈み、少年と同じ目線になってみる。大きな目が私を映し出し、マッシュルームカットの頭のせいで女の子に見えなくもない。
「私は歩咲。君の名前は?」
「……つき」
「つきか、お詫びと言っちゃなんだけど、お姉ちゃんと遊ぼっか」
「いいの?」
「うん、いいよ。君の好きな遊びをしよう」
 さっきまで怯えていたのに私の提案に、わあい、と両手を上げた。ひとまず胸を撫で下ろす。子どもは素直だな、と微笑ましくなった。
 つきの言うままに、ブランコを押してあげたり、滑り台を一緒に滑って、泥団子を作ってぶつけ合って、ベンチで彼の知る歌を歌った。一通り遊んだだろうが、つきは疲れ知らずで次は追いかけっこをしようと走り出した。
 ところが転んでしまう。慌てて駆け寄ると大声で泣き始めた。膝を擦りむいたらしく、私はつい、ため息をついてしまう。
 すると、つきは泣くのをやめたかと思うと私を凝視し、無理やり笑顔を向けた。
「え、えへ、僕……いい子だから……。怒らないで」
 その豹変ぶりに、驚きを隠せない。それまで泣いていたのに、無理やり作った笑顔が次第に自然になっていく。 私は思わず両手で彼の頬を寄せた。目を見開いて私を見る大きな目に近付いた。
「泣け」
「え、で、でも」
「いいから。痛かったんでしょ。泣いていいよ」
 私の言葉を合図に、彼の目からぼろぼろと涙が零れてくる。堰き止めていたのがなくなったかのように止まらず、彼自身も驚いていたようだが、やがて気持ちが追いついたのか、嗚咽を漏らし始めた。
 私は彼を抱きしめた。何故か、そうしたくなった。守りたい。そんな思いから動いた身体が、泣き声を受け止めた。
 やがて泣き止んだ彼を洗い場に連れて行き、擦りむいた膝を洗わせ、ベンチに腰掛ける。彼を膝に乗せようとしたが顔を赤くして嫌がったため、並んで座った。
「……お母さん、迎えに来ないかも」
「どうして?」
 ぽつりと呟いた言葉に首を傾げる。つきは泣きそうな姿を隠すように、体育座りをして膝と腕の間に顔を隠した。
「僕が泣いてばかりいるから……」
「お母さんは、泣いてると嫌って言ったの?」
「言ってないけど……泣いてると、お母さん、つまんなさそうな顔してる」
「心配してるんじゃない?」
「……してたらいいな」
 無理に笑いかけてきて、あ、と私は思い当たる節があった。
 父や、蒼菜が私に言った言葉とよく似ていた。彼らからは母の暴言などはしつけているように見えていた。同じように、いや、それよりも酷く、私は、子どもだから、と軽くあしらってしまったのだ。
 思わず彼の頭に触れた。固まったが、すぐに嬉しそうに目を細めてくれ、続けて撫でてみた。子どもらしい気持ちのいいふわふわの髪。
「された本人が一番分かるよね、そういうの。真下で見てるんだもん、傍で見てる人達はなかなか分かってくれないよね」 丸い目でジッと私を見つめてくる。
 何故だろう。この子と初めて会った気がしない。すると彼が小さな口を開けた。
「お姉ちゃんも?」
 どきりと、した。何を思っているのか分からなかった瞳は、見透かしているのだと気付いた。
 私は観念して頷いた。
「お姉ちゃんも」
「じゃあ僕たち一緒だ……」
 ふふ、と力無く笑う。私も同じように笑ってみせるが、ふと、目の端に何かが映る。
 視線をやると、公園の向こう、もわもわとしたグレーの空間が広がっている。そこに人がいた。その人は座り込んでいて、つい、誰だろう、と立ち上がって見に行こうとすると、少年が私の手を掴んだ。
「ここで、ずっと一緒にいようよ。迎えに来るまで」
「迎え? ……むかえか……」
 誰が、迎えに来てくれるんだっけ。
 再び腰をかけ、首を傾げた。満面の笑みを向けてきている。その笑顔を見ていると、そうだな、と納得出来た。私は頷いて彼の手を握り返した。
「ここでお話でもしてよっか。ちょうど、雨も降ってきたし」
 そう言うと嬉しそうに頷いてくれる。
 私たちはたくさんの話をした。学校でのこと、最近流行っている音楽や、テレビ番組、子どもならではの悩みや、私の年齢ならではの悩み。なんてものは思い付かないから、思わず、私の悩みを話していた。
「え、お姉ちゃん、恋が分からないのっ?」
「そんな大声で……。君はわかるの?」
「好き! これが恋じゃないの?」
 今の子はませているらしい、と思ったが、単純明快な答えはいかにも子どもらしくて、私は苦笑いを零した。
「でも、友達にも好きって思わない?」
「思うけどまた違うよ」
 つきは微笑んで、両手を胸に当てて目をつぶった。優しい気持ちがそこにはあるのだと伝わってくる。「可愛い、守りたい。約束したい。僕は恋をしたらそう思うな」
「ふうん?」
「キラキラして見える。そんな男の子、いない?」
 問われて、いた、と即答できてしまう。なのに思い出せない。彼の言った気持ちも身に覚えがあるのに。誰だっけ。
 ズキリと、頭が痛んだ。押さえると「別のお話をしよっか」と提案される。ズキズキと痛む頭で、ゆっくりと頷いた。
「僕もね、大好きな友達がいるんだ。幼なじみなんだけど可愛い顔をして、偉そうなんだよ。けどいつも僕の前に立って、守ってくれるから、その子のおかげで友達も出来たんだよ。でもね」
 少年はつらつらと話し始めたあと、区切りをつけ、立ち上がった。
 しとしとと降り続ける雨を見上げ、続ける。
「僕のこと嫌いな子が多いんだ。みんな笑ってくれるから、盛り上げてみたんだけど、それがムカつくみたいで。その子たちのせいで、せっかく出来た友達も友達じゃなくなっちゃった。だからね」
 振り向いた少年の顔は痛ましい笑みを浮かべていた。私は胸が締め付けられる思いに駆られてしまう。
「誰かを好きになりたくないんだ。好きになると、いつも別れが来るから」
 彼の言葉は、私の中にもあるよく似た気持ちを思い出させた。だから、私も、と呟く。
「私も……。嫌われるの、怖いから……」
 少年は私に近付いてくると顔を覗き込んできて、優しく頬に手を添えてきた。同じだね。そう囁き、続ける。
「でもここなら嫌われることも、別れが来ることもないよ。だって僕しかいないから」
「……そうだね。すごく素敵」
 ずっと別れもなくて、嫌われることもなくて、一人じゃないのなら。こんなに居心地のいい場所があるのなら、それでいいのかもしれない。私は目をつぶった。
 本当に?
 誰かが、頭の中で問いかけてくる。「お願いだから、現実で生きて」
 ……花乃子? 花乃子の声が頭の中で響く。顔が浮かぶ。必死の形相で、そんなことを口にしている。
「……さんだけじゃなくて、私も見て」
 誰? 誰のことを言ったのだろう。尚も訴えかけてくる。
「蒼菜ちゃんを見て。教室を見て。世界を見て。歩咲が疲れてしまったのは分かるけど、歩咲が捨てたくなるほど、この世界は歩咲を嫌ってないよ」
 何を、言っているのだろう。教室なんて、クラスメイトたちはみんな私を嫌って……いや、違う。違うじゃないか。
 神崎さんや葉月くん、真咲くん、それに他のみんなも、楽しくて優しい人たちで、仲良くなってくれた人たちで、そうだ、学校へ行くのが楽しみになっていたじゃないか。
「お姉ちゃんだけなの」
 今度は、蒼菜の声が響く。嬉しそうな顔で、そうだ、青い空、海に浸かりながら、そんな話をした。
「蒼菜に強い感情を向けてくれるの。友達も、お父さんも、お母さんも、みんな優しくしてくれる。でもそれってきっとどうでもいいから出来ることでしょ?」
 蒼菜は誰からも好かれて、両親の愛を一心に受けて、私はそんなあなたが疎ましくて、羨ましかった。彼女がいると私はあの家に必要ないって突きつけられる。
「お姉ちゃんは違う、それが良い気持ちじゃないとしても、蒼菜には暖かく感じられたよ。だからお姉ちゃんはあの家に必要だよ」
 なのにあなたが、そんなことを言うから。そうだ……私、家に帰るのも、ちょっと苦痛じゃなくなったんだ。
 あれ、この後を思い出せない。どう帰ったか、どう遊んだか……。でも、凄く楽しかったような気がする。
「お姉ちゃん?」
 つきに呼びかけられ、目を開けると雫が頬を伝う。雨かと思って触れようとして、先に小さな手が触れてきた。
「泣いてるの?」
 言われて初めて気付く。ぽろぽろと泣いていた。でも、どうして。 ふと公園の入口よりも向こうを見ると、さっきよりも近くに、その人はいた。うずくまって泣いていて、あの人誰だろう、と思うのに、胸が暖かくなる。呼びたくなる。
 なのに、名前を思い出せない。
 小さな手が私の手の甲へ重ねてきた。視線をやると、オレンジと黄色の石が交互に並んだブレスレットが目につく。こんなのしてたっけ。
 その瞬間、頭の中を暖かな風が駆け抜け、はたまた足の先からさぶいぼが迫ってくるような感覚に襲われる。
「大丈夫。全部忘れて、遊ぼう?」
 少年の声が遠のき、彼の姿が一回り大きくなった誰かと重なる。
「星村も同じ学年だったらよかったのにな」
 誰? 誰だろう。でも、本当は、私もそう思う。あの時、そう思った。
「少なくとも俺の周りにはおにぎりを十個も平らげる子いないよ」
 うるさいな。伝説みたいに何回も言わないでよ。馬鹿。
「恋しなくてもさ、誰か、頼れる人作って」
 何で、そんな……。そんな悲しいことを言うんだろう。
 彼の顔がやがてクリアになってくる。口元がうっすら見えてきた。
「現実でも星村にはそういう人が出来てほしい。そういう場所が出来て欲しい」
 やめて。そんなことを言わないで。
「俺を好きにならないで」
 あのね、もち……っくん。
「所詮、ここは夢の中だからさ……。だけど、俺を好きにならない星村が現実で生きてる。それだけで、苦しいくらい心強いから」
 ……っづきくん。本当はね。
「歩咲」
 名前を呼ばれた時のことを思い出す。ああ、と唸って両手で顔を覆った。悲しくて、嬉しくて、感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
「びっくりした?」
「ま、まあ。名前、覚えてたんだ」
「そりゃ毎日会ってる人の名前くらい、さすがに覚えるよ。俺は?」
「え、一声……くん」
「何だ、星村も覚えてるじゃん」
 もう考えなくても、分かる。いつも頭の中にいた人。嫌でも惹かれてしまった人。ああ、思い出した。望月くん。望月、一声くん。
 あのね、望月くん。私、初めて会った時から、きっとあなたのこと好きだったんだよ。 あの日、私は学校の屋上から飛び降りようとした。もう死んでしまえって身を投げようとした。担任教師にそれが見つかってしまって、翌日、親が呼び出され、父が来てくれた。教師に叱られ、父に叱られ、でもそんなことはどうでもよかった。
 職員室に呼ばれた道中で見かけた望月一声の姿が、酷く煌めいて見えた。
 私が欲しかった生活を送っていそう。それが第一印象。
 同時に、一目惚れした。話したかった。私のしょうもなかった人生に、光が差すような感覚。
 彼と、青春がしたい。そう強く願った。
 何で気が付かなかったのだろう。夢の中の内容は、彼の記憶が反映されたものじゃない。
 私が、彼としたかったこと。彼と青春を送っていただけ。
 顔を上げる。パキッと音が鳴る。空間に亀裂が入り、少年は、切なそうに笑っていた。
「思い出したんだね」
 私はこくりと頷く。
「じゃあお別れだね」
 私は、もう一度頷くと、公園の向こうで泣きじゃくった人を見つめた。
「助けてあげて」
 そう言うと彼が私の後ろに回り、背中を押してきた。更に音が鳴る。パキパキと気持ちのいい音を鳴らして空間に亀裂が入っていく。
 振り向いて、私は手を振った。
「君ももう待たなくていいんだよ。一人で帰るなり」
 私の言葉を遮って、うん、と笑顔を返してきた。
「もう一緒に帰ってくれる人を見つけたから」
 そう聞こえたのと同時に、空間がついに割れた。大きな音を立てて、ガラスの破片が舞う。足元には公園だった残骸が散らばって、少年はもういなかった。
 グレーの空間が広がっている。私は、望月くんに近付いて行った。
「望月くん」
「来ないで」
 張り上げられた声に、私は、首を横に振った。望月くんは立ち上がると私から後ずさった。その顔は酷く、せっかく顔がいいのに、ぐちゃぐちゃになっていた。
 なのに、煌めいて見えるなんて。「情けないだろ。迎えに来たつもりだったのに、ここに来たら、やっぱりこの場所にいたくなったんだ。弱いんだよ、俺」
 私は頭を振る。望月くんは続けた。
「俺は行けないよ。行きたくない。俺は、星村のように生きられない」
「生きられるよ」
 歩み寄る。彼が後ずさるスピードよりも、早く。
「大丈夫」
 手を伸ばす。望月くんは頭を振ると、座り込んで顔を隠した。駆け寄ると小さな声でなにか呟いている。更に耳をすませば、微かだが聞こえてきた。
「死にたいって思ったんだ」
 その声は震えていた。彼を、抱きしめてみる。大きな身体なのに、小さく感じられた。
「ずっと、死にたくて、死にたくて、でも死ねるわけなくて、寝てしまえば気が楽で……。そんな時、星村に出会った」
 力を込めてみる。この思いが伝わって欲しくて。
「私が死んだってどうでもいいくせにって、どうせ忘れるくせにって、お父さんと先生に叫んでいた言葉が、俺の言葉そのもので……。でも、俺は、誰にもそんなこと、叫べなくて。こんな気持ち、悲しむだろうから、太郎にも言えなくて……。それを言ってのけた、君の姿が……俺にはかっこよく見えた」
 涙声で、一生懸命に話してくれるから、私は彼を離して顔を覗き込んでみた。目に涙をいっぱい溜めている。初めて、人の涙を綺麗だと思った。
「私もそうだったよ。死にたくてたまらない時にあなたに出会った。あなたに出会えて、私の生活は、青春に変わっていったんだよ、でもそこに……大事な人がいなくて。……いて、ほしくて」
 もう一度、彼を抱き締める。心臓がバクバクと音を立てているのが分かる。
「望月くん。私、あなたが好き」
 望月くんの身体が揺れる。私は続けた。
「ごめんね。本当はずっとずっと好きだったんだと思う。最初は、それこそ憧れだったんだろうけど、今は……あなたの傍にいる。傍にいて欲しい。明日も会いたいし、一週間後も、一ヶ月後も、一年後も、それからもずっと、いたいよ。そんな約束をしたい」
 どきどきする。目を覚ましている時だったら、きっと私の顔は熱いだろう。どきどきして、胸が痛くて、でもふわふわする気持ちよさ。
 少年の言葉を借りるなら、私はもうとっくにこれを恋と呼べる。「私を望月くんの生活に入れて。望月くんの人生に混ざりたい。あなたが恋と認めてくれないならそれでもいい。でも、一人で生きられないなら、一緒に生きようよ」
 ああ、ずっと言いたかった言葉。彼の居場所に私がいなくてもいいなんて、本当はそんなこと思っていなかった。私がいたい。その場所に、いれてほしい。
 望月くんは、私から離れると潤んだ目で見つめ返してきた。グズグズと鼻を啜って、情けなく笑った。
「俺はほんと駄目だな……。こんなつもりじゃなかったんだ」
「うん」
「もっと、颯爽と、かっこよく……。君を失いたくないって伝えに来たはずなのに」
「そうなんだ」
 嬉しくて、笑みが零れてしまう。望月くんは指で涙を拭った。
「俺は弱いし、疑り深いとこもあって、子どもっぽいと思うし、重いんだ、まだ恋と呼ぶには、怖くて……それでも、いい?」
 おずおずと聞かれ、全く、とため息混じりに返した。その口元は自然と緩んだまま。
「いいに決まってんじゃん」
 望月くんも釣られて笑ってくれた。この顔が、私は大好きだ。
 徐々にもわもわとしていた空間がクリアになって、壁と床が浮かんでくる。私たちは辺りを見回してから、顔を見合わせた。
「一緒に帰ろう。星村」
「うん」
 彼の提案に私は頷いて、壁に手をかざした。
 すると亀裂が入り、いとも簡単に割れ、私たちの周りから、それから天井、床と崩れていく。私たちは手を繋いだ。
 たった一人の人として出会えたから特別なんだと思っていた。けれど、もうこの場所はなくたっていい。望月くんといられるなら、どこでだって。
 私たちの大切だった夢の場所の崩壊を見届けた。 目を覚ますと、白い天井が視界に入った。横を向くと望月くんがベッドに肘をついて、私と同じように、寝ぼけた目で微笑みかけてきた。
「おはよう」
「おはよう……。え、私……ここ、病院?」
「第一声がそれか? まあ、そりゃそうだよな」
 それから望月くんが医者を呼んでくれて、説明を受けた。私は家族との旅行中、交通事故に遭い、命に別状はないもののここ三日起きなかったらしい。幸い車も猛スピードで走っていなかったことが功を奏したようで、運が良かったねえ、と間延びした声で言われた。
 それから親に連絡してくれ、望月くんが私のスマートフォンから花乃子や神崎さんたちに目を覚ましたことを伝えてくれた。鳴り止まない通知は心配の声と比例していて、嬉しくて笑ってしまった。
 両親が来る間、私たちは話をすることにした。と言っても、話したいことは山ほどあるのに、何から話していいのか分からずに、辺りに視線を走らせた。
 個室らしく、棚には大きなカバンが置かれている。私の着替えなどが入っているのだろう。頭に触れると包帯が巻かれていて、ズキズキと痛みを思い出す。
「親御さんがさ」
 ぽつりと、望月くんが口にした。私は彼に視線を向けた。
「泣いてたよ、星村のお父さんも、お母さんも。当たり前なんだけどさ、蒼菜ちゃんも泣きじゃくってて。今、たまたま席を外してるけど、いつも長時間ここにいるんだ」
「へえ。そりゃ意外だね」
「うん……。もう一度話し合ってもいいのかもしれないな」
「……どうだろ。望月くんは、どうしてここに?」
 彼は窓の外に視線を向けると、しばらくして、恥ずかしいけどさ、と私に照れたような笑みを返してきた。
「呼ばれたような気がしたから来た……なんて、言ったら笑うか?」
「私に? ……ううん、私も。……私も、望月くんに呼ばれた気がする。だからまたあそこで会えたのかも」
 私も頬が綻んだ。きっと、彼と同じ顔をしている。
 最初は、私の夢に彼が入ってきたのだと思う。それから彼の夢に私が入っていって、彼が拒絶をしたから、私は入れなくなった。 でも今日の夢は、きっとお互いがお互いを求めたからこそ生まれた奇跡。これを魔法と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。
 でも、だからこそ、もう魔法は起きない。
 あの場所は壊れてしまって、あの場所を、もう求めることはないだろう。
 望月くんは私の手に触れると、真摯に見つめてきた。私も見つめ返す。
 煌めいて見える。ただのニットを着ているだけなのに、やけに華やかに映る。
「明日も来るよ。明後日も来る」
「……来れる時だけでいいよ」
「うん。……全く、そうだな」
 呆れて返す私に、望月くんも脱力したように頬を緩ませて、だから、と続けた。
「退院したら、いっぱい話をしよう。したかったことも、そうでもないことも、二人でやっていこう」
「そうだね。すごく素敵」
 目をつぶる。本音だった。胸が踊り、早く退院したい気持ちでいっぱいになる。同時に、これが恋か、と気持ちよくなった。この気持ちを恋と呼べなかったのは自信がなかったから。もう、呼べるようになったことがこんなにも心地よい。
 すると、両親と蒼菜が病室に入ってきた。三人は私の顔を見て、嬉しいような、安心したような顔で駆け寄ってきてくれた。
 それから謝罪をされた。これまでのこと、別居の件のこと。別居は見送ろうという話になった。父はともかく母は私のことを許せるのか問うと、蒼菜が「こんなことになって、お姉ちゃんが生まれた時のことを思い出したんだって」と教えてくれた。母は恥ずかしそうに蒼菜を窘めたあと続けた。
「あんたが生まれた時、この小さな愛しい子を守っていこうって決めたのにね、ぼろぼろのあんたの顔を見て、失うことが怖くなって、やっと思い出したの。この子の歩く未来が明るく咲き誇りますようにって願いを込めて名前を付けたんだよ。どうして忘れてたんだろうね……」
 母はそう言うと涙ぐんでいて、父はもう一度私に謝罪をしてくれた。 県内の病院に移れるよう両親が手続きをしてくれている中、病室に私と、蒼菜、望月くんだけになって、彼女が肘で小突いてきた。
「全く、お姉ちゃんやっぱり一声くん狙いだったんじゃん。このこの」
「うるさい」
 顔が熱くなる。つい睨みつけると、いや、と望月くんが遮った。
「俺がお姉ちゃん狙いだったんだよ」
「ひええ」
 私も、そして何故か蒼菜も情けない声が出てしまった。何でだ、と蒼菜を見てしまうと、ぺろ、と舌を出してくる。
「さ、俺は帰るよ」
「あ、じゃあ一声くん、一緒に帰る?」
 蒼菜の提案に、望月くんは首を横に振って病室の入口に立つと手を振った。
「ううん。挨拶はちゃんとしたいしまた今度。じゃあ、また明日、星村」
 さらりと凄いことを言って去っていく。私が頬の緩みと、体温の上昇を抑えられないでいると、蒼菜に再び肘で小突かれた。
 後から蒼菜に聞いた話だが、望月くんは格好をつけてあんなことを言っていたが、私が交通事故に遭ったことを花乃子に伝えてくれ、花乃子が屋詰さんに、そして望月くんの耳にも入ったらしく駆け付けてくれたとのこと。
 ただ半分正解とも言える、私の病室についた望月くんは激しい眠気に襲われたようだから。ちょうど、望月くんが傷付いたあの日、私も襲われた眠気と同じものを。
 それから転院し、毎日望月くんは来てくれたし、花乃子と屋詰さんも、神崎さんもグループを率いて、クラスメイトたちも来てくれた。やがて年が明け、退院を迎え、冬の寒さが厳しい一月の中旬、私は花乃子と始業式へ向かっていた。
「クリスマスの奇跡だね」
 花乃子があっけらかんと言ってのけた言葉に、私は納得して頷いた。「そういえばそうかも。クリスマスだったわ」
「それに、それが役立ったのかも」
 それ、と指された手首には望月くんがくれたブレスレット。私は首を傾げた。
「これが? 何で?」
「切符? みたいな。私、前に歩咲と望月さんが似てるって話したでしょ。太郎さんも、二人に共通点が無くなったから夢で会わなくなったのかもって言ってた。でも、繋がってるものがある。それが、そのブレスレット。繋げてくれたのかも、二人を。夢の場所に」
「ふうん? これがねえ」
 私は腕を上げ、ブレスレットをしげしげと見つめた。太陽光に晒されて、てらりと光る。花乃子の言うことは、まさか、と笑い飛ばせるものなのに、そういう気にはならなかった。本当にそうな気がしたから。
「ま、わかんないけどね。精神的な問題かもしれないし」
 そう補足してくれて、私たちは別れた。
 校門をくぐるまでに何人かのクラスメイトに挨拶をされ、心配をされ、元気そうだからと絡まれた。やがて校門にたどり着くと、望月くんの姿を見つける。
 心臓が、大きく高鳴った。ぶわりと体温が上がり、寒いはずなのに、身体が熱い。頬が綻んで、マフラーで口元を隠した。
「おはよう、星村」
「おはよう……」
「話しかけないでって言わないの?」
「もう言わないって分かってくるくせに。馬鹿」
 望月くんの笑い声が上がる。私はじとりと、あくまで普通を装って彼に視線を向ける。
 やっぱり、煌めいて見える。かっこよくて、逞しく見えて、それでいて優しそうで可愛くて。鼓動が高鳴る。苦しい。前よりもずっと望月くんが好きになっている。
 案の定、接点のなかった私たちが絡んでいることで見る人たちがいた。けれどもう私たちは、というより、私は、そのことに引け目を感じなくなっていた。
 私は肩で彼に突進した。驚いたように私を見た望月くんに笑いかける。
「世界中の誰も知らない場所も良かったけどさ、やっぱり、ありきたりな、みんながいるこの場所で、青春できる方がずっと良いね」
 望月くんはぱちくりと瞬きをすると、嬉しそうに、そうだな、と微笑んだ。彼の笑顔がお日様と重なった。