あの事故が起きても起きなくても、気がつけばひとりぼっちが日常になっていた。
 生まれた時から近所には未弦がいて、私たちはまるで姉妹のように寄り添って寝ていた。未弦が5歳になる頃、母さんがバイオリンの講師をしていたこともあって、未弦はバイオリンを習い始めた。
 そして、後に弓彩が生まれた。3歳の時、私はそのかわいさに惚れ込み、この笑顔をずっと見ていたいと思った。
「この子のもう一人のお姉ちゃんになる!」
 そして心の底から決意したけれど、恥ずかしくて本音は言えず、家が近いからとだけ言っていた。
 弓彩もバイオリンを習い始め、すぐに上達していった。私はそのスピードに追いつけないと諦め、一人で過ごすことが増えた。母さんは未弦と弓彩のバイオリンレッスンにかかりきりで、私と話すことも少なくなっていった。
 未弦は学校でも有名になり、多くの友達ができたが、それでも彼女は私に話しかけてきて、弓彩も甘えてきた。家族と一緒にコンクールや演奏会にも足を運んでいた。父さんとおばあちゃんと一緒に行くと、毎回のように父さんは「未弦と弓彩、そして私と母の4人で写真を撮ろう」と誘ってくる。でも、私はただの幼馴染でしかなく、家族の中に一人だけ部外者が混ざっているようで、いつも気まずくて仕方なかった。
 そんなある日、父さんの本音を知ることになった。私が中学2年の秋、紅葉が始まる頃のことだった。父の仕事の都合で、私は未弦とは離れて、海を挟んだ隣の県の中学校に通っていた。周囲は無人駅ばかりの寂れた田舎町で、学校でも家でも私はいつもひとりだった。いじめられることはなかったけれど、バカにされたり孤立したりすることが繰り返しで、そんな中、唯一近くにいてくれたのは、一緒に暮らしていたおばあちゃんだけだった。彼女が私の心の支えだった。
 弟が生まれるという報告を受けたのは、学校の帰り道で両親に偶然出会った時。母さんは楽しそうに弟の名前を考え始めていたが、私はその時初めて母さんが妊娠していることを知った。ただ母のふくらんだお腹を見つめるしかできなかった。
「今日が10月10日だから、十唱ってどうだ?」と父さんが提案した。
「何それ、適当すぎでしょ。せっかくの子どもなんだから、ちゃんと考えなさいよ」
 母さんは茶化しながら父さんの背中を軽く叩いていた。
「わかった、わかった。そのうちちゃんと考え直すよ」
 それに父さんはへらへら笑いながら謝っていたが、全然本気ではない様子だった。きっとこれからもその調子で、バカさを突き通すつもりなんだろう。
 ちなみに、私の名前は母さんがつけてくれたらしいけれど、その意味はまだ教えてもらっていない。もしあの父さんに名前をつけられていたら、きっと私はバカみたいな名前になっていただろう。