「あ、それはオヤジだよ」
 写真立てをじっと見ていると、奏翔がピアノの椅子に座りながら言った。それからまた口を開く。
「1週間前に刑務所から脱走して、トラックを盗んだらしい。それがパンクして、そのまま崖から落ちて死亡――つまり、墜落事故ってわけだ。盗みなんてクズのすることだが、パンクして墜落とはな……ざまぁみろって感じだな」
 そう言いながら、奏翔は呆れたように笑った。確かに、学生時代に学年トップの成績を誇りながら、吹奏楽部でドラムを叩いていたとは思えないほどのクズさだ。それなのに、なぜ部屋にその写真が飾ってあるのだろう。奏翔も、彼に叩かれたり、パシリに使われたりしたと言っていたのに。一生見たくもない顔に違いないのに。
「まぁ、それでも俺のオヤジなことに変わりはない。母さんだって、オヤジのドラムの腕前に惚れて付き合ったぐらいだからな」
 私の思考を呼んだかのように奏翔は語った。彼らしいといえば彼らしいなと思う。それから彼は少し遠い目をした。
「だけどさ、1回ぐらい俺の名前を呼んでほしかったな。いつもお前だし。母さんだって、いつもあんただ。楽采は兄貴って、そんなにかっこよくもないのに呼んでくるし、他の人たちはみんな名字で呼んでくる」
 苦笑いを浮かべながら奏翔は言った。確かにさっきも奏翔の母さんは彼のことをあんたと呼んでいた。まるで名前で呼ぶことを避けているかのように。
 でも、泉平くんが兄貴と呼ぶ気持ちはわかる気がする。本人は過小評価しているけれど、充分かっこよくて優しいし、元カノのひとりやふたりいたっておかしくない。
「だからもし、好きな人ができたらそいつに呼び捨てを強制させようって思ってたんだ。それが俺にとっては憧れだったから」
 私の方へまっすぐな眼差しを向けて、奏翔は言った。私にとって、呼び捨てで呼ぶ人は奏翔の他には未弦と父さん、母さんくらいしかいない。それ以外の人は、名字か名前にさん付けをするのが普通だ。くだらないことのように思えるけれど、奏翔にとっては特別なことらしい。