「……行くぞ。って、何か変かな?」
 肩をすくめてひとつため息をついた奏翔がこちらを向き、首を傾げた。それに対して笑いを抑えながら「ううん、仲がいいんだね」と返す。もし十唱が生きていたなら、私もこんなくだらないケンカを家でしていたのかもしれない。
「兄弟なんてケンカばっかだぞ。ひとりでいた時よりかは楽しいけど」
 階段に向かいながら奏翔は気恥ずかしそうに頰を赤らめて言った。私の手を引いてくれていてもう片方の手には私の泊まり用の荷物を持ってくれている。こうしていると結婚前の挨拶に来ている恋人みたいだ。  
「へー」
「それはそうと、楓音は教室戻ったら未弦先輩以外にも友達作れよ」
 階段を上がり始めると奏翔が話題を変えてきた。それに「んー、考えとく」と曖昧に返す。新しいクラスがどんなのかなんていきなり入るから孤立はするだろうけど未弦がいればなんとかなるだろう。それより今は明日の定期演奏会だ。
「ここ、俺の部屋」
 階段を上り終えるとすぐのドアを開け、奏翔が言った。部屋に足を踏み入れると、黒いアップライトピアノ、茶色のごく普通の勉強机、クローゼット、そしてふかふかそうな灰色のベッドが目に入る。その下の床には、もちろん私用に用意された敷布団が敷かれている。窓のカーテンも灰色で、全体的にどこか暗い印象を与える部屋だ。
 とはいえ、私の部屋も同じくらい暗かった。渋い紫色のカーテンとベッド、料理の本や参考書が並ぶ本棚、クローゼット、そしてごく普通の茶色い勉強机。ひょっとすると、私と奏翔は似た者同士なのかもしれない。
 彼の部屋の数冊の楽譜がきちんと整頓されている本棚の上には、1枚の写真立てが置かれている。そこには、切れ長の眉に鋭い目つきをした、いかにも柄が悪そうな男性が黒縁のメガネをかけて写っていた。どこかで見たことがあるようなないような、でも奏翔と心なしか似ている気がする。