「兄貴ってさ、不思議なくらい優しいんだよ。一緒に暮らし始めて、何かと世話を焼いてくれてさ。ある日、思い切って父さんが二股かけてたのになんでって問いかけたんだ。そしたら、あっさりそれがどうした?って返してきたんだよ。理由を聞いたら、父さんは父さん。お前はお前だってさ。あの一言で、僕の中の何かが一気に吹っ切れたんだよな」
 泉平くんは自慢げに言った。まるで「うちはうち、よそはよそ」みたいで、思わず「母さんか!」とツッコミたくなる。きっと、物事にあまりこだわらない性格なのだろう。奏翔は私にも「楓音は楓音だ」と言ってくれた。人殺しに加え耳がおかしいからってそれがどうした、と。奏翔らしいといえばそうだ。
「でも、兄貴は昨日早退したんだ。家に帰ったら、カッターで首を斬ろうとしてた兄貴がいて、慌てて止めて取り上げたんだ。たぶん、楓音さんから取り上げたカッターだと思う。ごめんって、それだけしか言わなくて、動機は何も話してくれなかった。今日だって、ずっと部屋にこもってるし、定期演奏会への出演も自ら辞退しようとしてる。相当つらいんだろうな……。僕の前ではいつも作り笑いを見せてくるけど、そんなの、バレバレだよ」
 が、泉平くんは表情を曇らせて重たい言葉を話してきた。関係の短い私でも大事になっていることは理解する。ピアノがあんなにも大好きな奏翔がせっかくの晴れ舞台を辞退しようとしているなんてとんだ話だ。
「今の兄貴をどうやって立ち直らせるか、ずっと悩んでた。でも、結局僕にはこれしかないんだよな。迷ってる暇なんて、もうないんだ」
 クリアファイルから1枚の紙を取り出し、泉平くんは言った。その紙には五線譜があるが、まだ音符がひとつも書かれていない。どうやら彼は奏翔に曲を作り、それで立ち直させようとしているらしい。
「定期演奏会はあさってなのよ。練習だってあるんだし、作れるの?それにさ、話を聞くぐらいでいんじゃない?」
 三羽先輩は心配するように言った。練習がどれだけきついかは私にはまだわからないが、ハードスケジュールなのはわかる。
「それが僕じゃ兄貴と話せないんだよ。だから楓音さん」
 真剣な眼差しをして泉平くんは私を呼んだ。いきなり話の矛先が向けられ「はい?」と声が強張る。
「僕と一緒に曲を作ってくれないか?」
「え?」