奏翔は終始、ピアノを弾く手が止まったり、譜面を間違えたりしていたが、私が初めて弾く曲もあったので、スピードとしてはちょうどよかった。
 しばらくふたりで練習をしていると、突然、パチっと音がして部屋が暗くなった。いきなりのことに体が強張り、奏翔の学ランの裾を掴んだ。停電だろうか。でも、外で雷が鳴っているわけでもない。
「あ、悪い。いつもの癖で」
 ブレーカーが落ちたのかと思っていると、電気はすぐにつき、後から泉平くんの声が聞こえた。
「ノックしても声をかけても俺が気づけなかったからさ、ある日いじわるでわざと消されたんだ。でも逆にその方が気づきやすくて、続けてもらうように俺がお願いしたんだよ」
 怖がる私を安心させるように、奏翔は柔らかく微笑みながら説明してくれた。確かに、びっくりするけれど、気づきやすいアクションだ。
「ということで、夕食できてるから降りてこいよ」
 泉平くんは話に区切りをつけるように言い、階段を降りていった。その後を追うように、私と奏翔も降りていく。すると、香ばしい匂いが鼻をかすめた。
「作りすぎちゃったわ。どうしようかしら」
「沙湊さん、息子が初めて人を連れてきたってだけで張り切りすぎよ」
「そういう和樂さんだって、初めて萌響ちゃんが来たとき張り切りすぎてたじゃない」
 居間に入ると、沙湊さんと和樂さんがキッチンでくだらない言い合いをしていた。そのすぐ横で、泉平くんは「また騒がしくしてる」と呆れながらも出来上がった料理をちゃぶ台に運んでいる。ピアノの鍵盤が描かれた寿司飯に音符入りの茶碗蒸し、五線譜をイメージして盛られたエビやさつまいもなどの天ぷらにほうれん草のおひたし、冷ややっこまで。ピアニストの沙湊さんらしくはありながらおばあちゃんの料理を思い出させるような和食の数々は、その量の多さと彩りの豊かさに息を呑むほどで、ちゃぶ台には載りきらず、小皿が周囲に散らばっていた。
「……愛されてるね」
 不覚にもその言葉が漏れてしまった。奏翔が小さい頃に鬼のような指導をしていた母親が作る料理だとはとても思えなかった。