ルナとハルが空に飛び去ってから、10年が経つ。

 まだ少し寒い春の日のこと。21歳になった白神涼介は、この辺りで1番大きな屋敷、藤堂邸を訪れていた。

「……じゃあ、姉は天使だったんですね」

大きなリビングの、大きなソファに座った涼介は、姉と仲の良かった少年の弟……長い黒髪をポニーテールにした青年、ヨルと向かい合っていた。

「信じてくれるんだね。意外だな」

「だって、もしそうなら僕の病気が治ったことも説明がつきますから」

「……そっか」

 涼介の返答に、ヨルは優しく微笑んだ。   

『涼介、母さん、2人で手を取り合って、どうか元気でね。ずっと見守っているから』

 ……10年前、姉は1通のメッセージを残して失踪した。母が心配して捜索願を出したが見つからず、捜索も打ち切りになってしまったのだった。

 それでも涼介達は、姉の残したメッセージを頼りに、家族2人で力を合わせて過ごしてきた。

 でも、涼介はずっと気がかりだったのだ。姉はどこに行ってしまったのか。

 ヨルが話してくれた事の顛末は、あまりにも現実離れしていたが、不思議と腑に落ちた。

(そうか……姉さんは天使だったんだ)

 納得した様子の涼介を見て、ヨルは優しい声で尋ねる。

「すっきりした?」

「はい。すごく……」

「そう。良かった」

 ヨルの優しい笑い方は、どこかルナに似ていた。

──やっぱり、この人はルナの弟なんだ。

 そう考えていた時だった。

「父ちゃん!」

 黒髪の短髪の少年が、ヨルの背中に抱きついた。

「お、晴樹!どうした?」

「母ちゃんがお菓子焼いてくれた!そこのお兄ちゃんの分も!」

「そっか。じゃあ、持ってきてくれる?」

「はーい!」

 良い返事をして、晴樹は向こうへ駆けていった。

「息子さんですか?」

「うん。血は繋がってないけどね。3年前に、施設から引き取ったんだ」

「そうなんですか……」

「でも、本当の家族だよ。オレ達」

 そう言ってヨルは笑った。

 思えば、姉もそうだった。

 自分が4歳の時に施設からやって来て、本当の家族のように可愛がってくれた。血は繋がっていなくても、きっと本当の家族になれる。涼介は心の中で微笑んだ。

「父ちゃん、持ってきたよ!」

 しばらくして、クッキーが山のように乗った皿を持った晴樹が戻ってきた。

「晴樹、お手伝いして偉いな」

「うん!」

 晴樹の頭を撫でるヨルは、本当に晴樹の父親のようだった。

「お話、どんなかんじですか?」

 その後ろから、優しい目をした上品な女性がケーキを持って現れた。

「うん。今終わったよ、菫さん」

「では、お茶にいたしましょうか。……涼介君、もう少しゆっくりしていって下さいね」

 菫はそう言って微笑むと、お茶を取りに戻っていった。

 ……しかし、山のようなクッキーに、ワンホールのケーキ。どう考えても4人では食べきれない量だった。

「……いつもこんなに多いんですか?」

「いや、今日はお客さんが来るからね」

「お客さん……?」

「ヨル様、花里様がおいでになりました」

「分かった。通して」

 すると、テレビで連日取り上げられているプロサッカープレイヤーが現れた。

「花里景太選手……!」

「ヨル、久しぶり。……と、君は?」

「白神涼介君。ハルさんの弟だって」

 ヨルに紹介されて涼介は慌てて頭を下げた。

「ああ、ハルの……そっか。よろしくな」

 景太から握手の手を差し出された。

(花里選手と握手……!)

 テレビの中の有名人と握手……とあって、緊張で涼介の手が震えた。姉はこんなにすごい人と知り合いだったのか。

「よ、よろしくお願いします!」

 涼介が景太の手を両手で包むと、景太はその手をがっちりと握ってニカッと笑った。

「ヨル君、晴樹君、こんにちは」

 景太の後ろから、髪の長い綺麗な女性が、娘を連れて入ってきた。

「あら、君は……」

「涼介君。ハルの弟だって」

「ハルさんの……花里百合です。よろしくね、涼介君」

「は、はい!」

「ママ、はる君の所行ってもいい?」

 百合の娘が彼女の手を引いた。

「うん、いいよ。留美奈、晴樹君に迷惑かけないでね」

「うん!」

 留美奈はにっこりと笑って晴樹の所へ駆けていった。

「お茶が入りましたわ」

 菫がポットとティーカップを持って戻ってきた。

 ……賑やかな子ども達。幸せそうな夫婦。穏やかな時間。

 もしかしたら、この平和な時間の中に、姉もいたのかもしれない。

 ……姉は幸せだったのだろうか。そして今、姉は幸せなのだろうか。

 そう思ったら、聞かずにはいれなかった。

「……あの!」

 涼介の声に、その場に居た大人達全員が注目した。

「姉さんは……白神ハルは、幸せだと思いますか……?」

 すると、全員が微笑んで頷いた。

「好きな人と一緒。これ以上の幸せは、きっとないよ」

 ヨルが優しく答えた。

「今、2人がどうしてるのか分からないけど……どこを飛んでいても、どんな状況でも、2人はきっと幸せだよ。だって、大事な人と一緒なんだから」

 ヨルの言葉を聞き、涼介の顔が綻ぶ。

──そうだ、大好きなルナと一緒なんだ。だから、何があっても……姉さんは、寂しくなんてないんだから。

 きっと今も、2人で手を繋ぎながら、どこかの空を飛んでいるんだろう。

「……はい、きっとそうですね!」

 涼介は、ヨルに向かって明るい笑顔で頷いた。