* * *

 ルナはひたすら走った。

 ハルには婚約者がいる。その事実から逃れたくて。

 なのに、走り疲れて気がつくと、そこはハルとよく会っていた病院だった。

(僕……どうしてここに)

 ハルのことを考えていたからだろうか。

 どんなに逃げようとしても、ハルの存在からは逃げられないようだった。

 逃げても、変わらなかった。

 ハルに婚約者がいることも、自分が悪魔だということも。

 ……自分は、ハルと一緒に居るべきではないのかもしれない。

 人間の婚約者が居るのなら、その人と幸せになるべきだ。

(……別れるべきなんだ。ハルとは)

 頭では分かっていたが、受け入れることはできなかった。

 ハルの笑顔が、脳裏に浮かぶ。

 この笑顔の傍にいたかった。

(どうしたらいいのか、もう分からないや)

 ルナは力無く笑った。

「ルナ……?」

 病院の自動ドアが開き、ハルがルナを見つけて駆け寄ってくる。涼介のお見舞いが終わったようだった。

 ハルはルナの元に駆け寄ると、眩しいくらいの笑顔を見せた。

「やっぱりルナだ!今日は部活だから来ないと思ってたよ」

「ハル……」

「会えて嬉しいよ」

 ハルはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔を見て、ルナは何も言えなくなる。

「どうかしたの?」

 ルナの不自然な様子を見て、ハルは首を傾げる。

「何かあった?」

 ルナは咄嗟にハルから目を逸らした。

「……何でもないよ」

「嘘だね。目が合わないもの。ルナ、嘘つくの下手だよね」

 ハルはそう言って、また笑った。

 どうやら、ハルには誤魔化せないようだった。

「……君の、婚約者に会ったんだ」

 ルナはか細い声でそう伝えた。

 すると、ハルの表情が固まる。

「え……?」

「ソラさんって言って、グレーの髪をしてた人」

 ハルの表情から、笑顔が消えた。

「会ったんだ……ソラに……」

「……うん」

「どうして……どうしてルナとソラが……!」

 ハルは混乱して息を乱す。

 そんなハルに、ルナは静かに告げた。

「……ハル。僕達、別れた方がいいんじゃないかな」

「え……どうして?ボクのこと嫌いになった?」
 
 まだ混乱しているハルはルナに慌てて尋ねた。

「ううん。僕はハルのことが好きだよ。でも、僕じゃハルのことを幸せにできない……」

「そ、そんなこと……」

「婚約者がいるなら、その人に幸せにして貰うべきだよ」

 震える声でそう言うと、ルナはハルに向かって背を向けた。   

「……さよなら、ハル」

「ルナ!待って……!」

 ルナはハルの制止も聞かずに走り去ってしまった。

 ハルはその場に立ち尽くした。

 ルナと別れるなんて、考えたくもなかった。

 でも、それ以上にショックな……信じがたいことがあった。

 ソラがルナに会った。

 先日の父との電話が思い返される。

『お前の婚約者を人間界に遣わせた……その悪魔を探し出して、様子を見てもらおうと思ってな』

 この話が本当なら、ソラはハルの命を狙う悪魔のもとに訪れた、ということになる。

 つまり……ルナは、自分を殺そうとしている悪魔だ。

(こんなの……信じたくない……)

 ハルはその場にへたり込んだ。

「……おや、こんな所に居たのですか?」

 ハルが顔を上げると、そこにはソラの姿があった。

「探しましたよ」

「……どうしてボクを?」

「婚約者ですから」

 そう言って微笑むソラを、ハルは睨んだ。

「婚約なんて、お父様が勝手に決めたことだ。ボクの意思じゃない」

「おや、それは悲しい」

 そう言いつつも、ソラの顔は笑顔のままだった。

「……ボクは独占欲が強い人は苦手なんだ」

「独占欲が強い……僕がですか?」

「みんなそう噂してる。……ボクとの婚約だって、大天使の娘であるボクと結婚して権力を強めたいからだろ?」

「おやおや……バレていましたか」

 すると、ソラはハルの頬に触れて微笑んだ。

しかし、その笑顔に、ルナのような温かさは感じない。

「……婚約した以上、あなたは僕のものです。あんな悪魔にかまけてないで、早く修行を終えなさい。そして僕と結婚するのです」

「……いやだ。君とは結婚しない」

 ハルはソラの手を払いのけた。

「これはこれは……手厳しい」

 ソラは困ったように笑った。

「では、こうしましょう。あなたのお誕生日……3月1日まで待ってあげます。それまでは誰とどう付き合おうが、あなたの勝手です。ですが……その日になったら僕と共に天界に帰って貰います。それまでには涼介君の病気も完治するでしょうし」

 ソラはそう言うと高笑いした。

「最終的に僕の物になればいいのです!」

 ハルは唇を噛みしめた。

(……ボクはソラとは一緒にならない。ボクが好きなのはルナなんだ。それに、ルナは絶対にボクを殺さない……)

 ハルは胸に手を当て、ルナへの気持ちを確かめる。

 ルナが好きだ。ルナの笑顔を考えるだけで、胸がぽかぽかと温かくなる。

 ルナが好きだ。ルナとの別れを想像するだけで、胸がズキズキと痛む。

──神様……もう一度ボクにチャンスを下さい。

 ハルは心の中でそう強く祈った。