克也が馬乗りになって京介が両腕を拘束するともう身動きが取れなくなる。
「やめろよ!」
必死で叫んで暴れてもふたりともびくともしない。
馬乗りになっている克也が、燐音の長い前髪をかきあげた。
クッキリとした大きな目に整った顔。
きめ細やかですべすべとした肌が露出する。
「おい、お前男はありだろ?」
克也が京介に聞く。
京介は当然だという様子で何度も頷いて喉を鳴らす。
克也の両手が燐音の体操着を乱暴に引き裂いた。
「ひっ」
悲鳴が喉の奥に張り付き、全身から血の気が引いた。
目の前が真っ白になってパニックをおこしかけたその時だった。
「なにしてんだ!!」
そんな怒鳴り声が聞こえてきて克也が手を止めた。
上から勢いよく走ってきた詠斗がそのままの勢いで克也の頬を殴り飛ばした。
克也は横に転がり、京介が慌てて立ち上がった。
拘束がとけても燐音はすぐに動くことができず、呆然としてその様子を見つめていた。
詠斗が逃げようとした京介の胸ぐらを掴んで引き寄せ、その頬を思いっきり殴りつけたのだ。
詠斗に一発ずつ殴られたふたりはグッタリとして倒れてしまった。
「燐音、大丈夫か?」
まだ座り込んだままの燐音を助け起こして詠斗が聞く。
燐音は何度もまばたきをして「あ、あぁ」と、呆然としたまま答えた。
こんなことって現実にあるんだ。
まるで夢でも見ているようだった。
「どうして、ここに?」
落ち着いてきて破れた体操着の前をネームバッヂで止めながら燐音は詠斗に聞いた。
京介と克也のふたりはまだ地面で伸びている。
「1度は頂上まで行ったんだ。でも先に歩いてたはずの京介と克也の姿がなくて、なんとなく嫌な予感がしたんだ。あいつら、なんからからないけど燐音を敵視してたし。それで戻ってみたら途中で燐音の悲鳴が聞こえてきてさ……めっちゃ慌てた」
「頂上まで行ったのに僕のために戻ってきてくれたの?」
「あぁ。でも頂上はもうすぐそこだ」
曲がりくねっている山道では頂上が見えないけれど、もう目と鼻の先まで来ていたみたいだ。
「そっか。あの、ありがとう。2度も助けてくれて」
「別に普通だろ。友達が危険な目に遭ってたんだから」
そう言われて嬉しい反面『友達』という言葉にズキリと胸が痛むのを感じた。
詠斗にとっては自分は特別な存在じゃなくて、ただの友達だ。
特別な存在になりたいと思っていれば、秘密を守る約束の時にそう言えばよかたのだから。
そうすれば燐音は断ることはできなかった。
「どうする? 下山するか?」
「ううん。頂上まで登るよ」
詠斗が見た景色を自分も見たい。
そう思い、燐音はまた歩き出したのだった。
低い山のてっぺんから見る景色は大したものじゃなかったかもしれない。
だけど燐音にとってそれは忘れられない光景となった。
詠斗と並んで見た街はとても美してくため息が出たほどだ。
みんなで下山している途中に京介と克也を見つけるかと思ったが、ふたりは途中で目が覚めたようで先に下山して部屋に引きこもっていた。
自分たちがしたことがバレれば学校にはいられなくなるから、逃げたのだと詠斗はひどく怒っていた。
「ほんっとあいつらどうなってんだろうな」
部屋に戻ってからの詠斗もご立腹で、ずっと腹を立てている。
「きっと詠斗のことが好きなんだよ」
それは最初にふたりに絡まれたときから思っていたことだった。
京介と克也は中学時代からずっと詠斗を見てきたようだし、それが恋心になっていてもおかしくはなかった。
「はぁ? だったらあんな嫌がらせみたいなことしないだろ」
詠斗の近くにいる燐音を疎ましく感じている。
そのことに詠斗はまだ気がついていないみたいだ。
以外と鈍感なのかもしれないと、モテモテルームメイトの顔をしげしげと見つめる。
「ほんっとこの施設に窓があったらあいつら突き落としてやるのに」
その言葉にドキリとする。
いくらなんでもそれは言い過ぎじゃないだろうか。
それに、この施設には笑えない過去がある。
「窓から突き落とすっていうのはちょっと笑えないかな」
引きつった表情で燐音が言うと、詠斗がなにかを思い出したように「あっ」と小さく呟いた。
「どうかした?」
もしかしてまたなにか怖い話でも思い出したんだろうかと、ハラハラしてしまう。
けれど詠斗は罰が悪そうに頭をかくと「ごめん、幽霊の話は嘘なんだ」と言ったのだ。
え?
嘘?
燐音は大きな目を更に大きく見開い詠斗を見つめる。
「この施設に窓がないのは、台風が何度も直撃して窓ガラスが割れたからなんだってさ」
「台風……? じゃあ、なんであんな話を?」
「悪い。燐音の怖がる顔が見たくて」
そう言っていたずらっ子みたいに笑う詠斗に燐音の顔がカーっと赤く染まっていく。
「なんだよそれ! 冗談とか、冗談になってないからな!」
両手を上げて何度何度も詠斗を叩く。
「悪かったって。ちゃんと嘘だって説明したんだから、許してくれよ」
「許さない! 本当に怖かったんだからな! 山で1人でいたときにガサガサ音がして……!」
そこまで言って、そのときの光景をまざまざと思い出してしまった。
クマか幽霊か。
そして京介たちが取った行動も。
「こわ……かったんだからな……」
急に弱々しい声になった燐音が詠斗の胸に飛び込んだ。
カタカタと小刻みに震えている体に気がついて詠斗がハッと息を飲む。
「ごめん。怖がらせて本当にごめんな」
それは自分がついた幽霊の嘘が原因ではないとわかっていたけれど、燐音の体を強く強く抱きしめた。
そして右手で優しく頭を撫でる。
燐音は体の震えが止まるまで、詠斗から離れなかったのだった。
☆☆☆
夕方になると施設に隣接している体育館に集められていた。
そこに京介と克也の姿はなかったが、燐音も詠斗も探そうとは思わなかった。
「なぁ、あれ見ろよ」
「なんかいつにも増してキモくねぇ?」
そんな声が燐音に向けてかけられる。
燐音は今他の生徒たち5人で前に出て立っていて、親睦会のシオリに書かれていた文言を呟いているところだった。
みんな仲良く。
ピンチを切り抜けて。
楽しく健やかに。
とか、そういうやつだ。
5人一組になって覚えたそれは、今日この場所で発表されることになっていた。
そんな燐音は前髪とメガネで顔を隠し、更にうつむき加減になって破れた体操着をそのまま来ていた。
もちろん体操着のトップスはハーフパンツの中にインしている。
その姿はみている誰もを恐れさせた。
「ピンチを……切り抜く」
ボソボソと聞き取れない声で呟けばあちこちから悲鳴が上がった。
ちょっとやりすぎな気もするけれど、燐音は今必死だった。
京介と克也にまで自分の顔がバレてしまった今、地味で目立たない高校生活が危険にさらされている。
こうなったらいっそ嫌われて敬遠されたほうがいいと考えたのだ。
その思惑通り、今生徒たちの前に立った燐音の姿は異様さを醸し出していた。
「えぇ~、はい、ありがとうございました」
担任の先生もなんと言っていいのかわからない様子で燐音から視線を外し、次のグループを指名したのだった。
☆☆☆
うまく行った。
そう思って部屋に戻ってきたとき、先に戻ってきていた詠斗が立ちはだかった。
「なぁ、ああいうのもうやめないか?」
「え?」
突然の言葉に思考回路が追いつかずに首をかしげて聞き返す。
「さっきみたいにわざと根暗を演じることだよ」
「やめるって、それはできないよ」
燐音は左右に首を振った。
これは自分が穏やかな高校生活を手に入れるための手段なんだ。
それは詠斗だって十分に理解しているはず。
今日みたいなトラブルだって、これから先あるかもしれない。
「でも、あんなのやっぱりおかしいだろ。燐音は本当はすごく可愛くて性格だって根暗じゃないはずだ」
「そんなの関係ないよ。本当の僕なんて必要ない」
「なんでそんなこと言うんだよ」
詠斗の顔が悲痛に歪む。
今にも泣き出してしまいそうに見えて、燐音は戸惑った。
どうして詠斗が泣きそうな顔をしているんだろう。