僕がかわいいってことは秘密にしてください

「う、うん。わかった」
ようやく納得した様子に燐音に彼はまたチッと舌打ちをして教室を出ていってしまった。

それから燐音は帰る準備をしていた詠斗へと近づいた。
帰る場所はどうせ同じなのだけれど、どうしても今伝えたかった。

「あのさ、部屋のことなんだけど」
「ん? あぁ、悪い。勝手に変えてもらった」

詠斗はいたずらっ子みたいに舌を出してそう言うと、燐音に赤い色のついた割り箸を見せてきた。
「それって、僕のため?」

「なぁに言ってんだよ。このクラス35人で割り切れないから、青色の割り箸だけ3本入ってたんだよ。同じ部屋の広さで3人部屋になるんだってさ。それが嫌で変えてもらったんだ」

それは本当だろうか?
さっきの彼はそんなこと一言も言っていなかったけれど。

そう思ったけれどあえて黙っておいた。
「……ありがとう」

ボソッと言った言葉はちゃんと詠斗に届いていて「なに言ってんだよ。帰ろうぜ」と、肩を叩かれたのだった。
☆☆☆

詠斗と共に校舎から出るとすでに部活動にせいを出している声があちこちから聞こえてくる。
「詠斗はバスケ部に入部するんだろ? もう、入部届を出した?」

「あぁ、出したよ。でも1年生の活動は親睦会が終わってからだって言われた」
詠斗はそう言ってバスケットボールを持つ素振りをして見せた。

軽くジャンプして、両手でシュートを決める動きだ。
エアーでやってみせただけなのにすごくキレイな動きで、思わず見とれてしまう。

詠斗が本格的にバスケを始めたら、今よりももっともっと人気が出そうだ。
そう考えた瞬間胸の奥がモヤモヤした。

この気持はなんだろうと思って自分の胸に手を当てる。
「そういや燐音は何部に入るつもり?」

「僕はどこにも入らないよ」
「は? なんで?」

「部活動に興味がないし、放課後は早く帰りたいんだ」
そう答えると詠斗は珍しそうな表情を浮かべて「へぇ」と短く頷いただけだった。

誰も彼もが青春を謳歌できるわけじゃない。
部活とか恋愛とかそういうのに無縁で過ごす生徒だっている。
特に自分みたいな人間はそうなんだ。

なににも向いていないのだと、自分でよくわかっている。
「でもまぁ、それもありだよな」

思いがけず前向きな言葉を聞いて燐音は驚いて詠斗を見た。

「部活だけが学校生活じゃないしさ、真っ直ぐ帰って漫画読んだりゲームしたりするのもありだよなぁ」

「う、うん」
そんなふうに肯定してもらえるとは思っていなくてたじろいでしまう。

もしかして嫌味として言っているのだろうかと詠斗の顔を覗き込んで見たけれど、その表情は至って真剣そのもので、更に驚いてしまった。

「いいんじゃないか? 自分の好きなようにすごせば」
そう言う詠斗はキラキラと輝いていて眩しすぎて燐音には直視することができなかったのだった。
あれよあれよと時間が過ぎていって、気がつけば親睦会が翌日に迫ってきていた。
前日の今日、燐音と詠斗はそれぞれ泊まるための準備を部屋で進めていた。

「タオルとかは宿泊施設にあるよな? あとあドライヤーとかか?」
小さめの旅行かばんには着替えを入れればもうパンパンだ。

その中にドライヤーまで詰め込もうと、詠斗は必死だ。
「ドライヤーも施設に備え付けのものがあるって聞いたよ」

燐音は歯ブラシと歯磨き粉をカバンに突っ込みながら答えた。
コップは施設にあるものを使わせてもらうつもりだ。

「そっか。じゃあいらないか」
と、ドライヤーは諦めて髪につけるワックスや手鏡を準備しはじめる。

その反面燐音は身の回りで最低限必要なものだけ入れると準備は早々に終わってしまった。
そして呆れ顔で詠斗を見つめる。

「手鏡なんて入れてるから荷物が増えるんじゃないか?」
「でも、手鏡くらい必要だろ」

「鏡くらいは施設にあるだろうし、登山をするんだから鏡なんて持ち歩かないと思うけど」
燐音に言われて詠斗は顎に手を当てて考え込んでしまった。
そんなに真剣に悩むことだとも思えないけれど、詠斗にとって鏡を持ち歩くかどうかは本気で悩むべきことなんだろう。

「寝癖とかついてたら恥ずかしいだろ。やっぱり持っていこう」
そう言って手鏡をカバンに入れたことでチャックが閉まらなくなってしまっている。

燐音は呆れたため息を吐き出して詠斗を見つめた。

「わかった。それなら寝癖がついてたら僕が教えてあげるよ。それなら、その鏡は必要ないだろ?」
そう言うと詠斗の表情がパッと輝いた。
「本当か?」

と、キラキラとした瞳が燐音に向けられて、一瞬ドキッとしてしまう。
「そ、そのくらいのことで喜ぶなよ」

燐音は詠斗から視線を外して、ぶっきらぼうに言ったのだった。
そして翌日の朝、まだ少し早い時間帯に1年A組の生徒たちは校門に集まってきていた。

バスはすでに到着していて、座る順番は部屋順だと決まっていた。
つまり、行き帰りもずっと詠斗と燐音は隣同士ということだ。

「燐音は窓際がいい? 通路側がいい?」
バスに乗る前にそんな気配りまでされて燐音は「どっちでもいいよ」と、返事をした。
結局詠斗が通路側に座って、燐音は窓側の席に座ることになった。

少し大きめのバスのようでリクライニングを倒しても後ろに支障がでないのがありがたかった。
グラウンドへ視線を向けると他のクラスの1年生たちも自分たちのバスが到着するのを待っているのが見える。

いつもより高い位置から見ているので、なんとなく不思議な気分になってくる。
それから先生に簡単な説明を受けてバスは動き出した。

動き出す瞬間になんとなく「うおぉ」と声が出てしまったのは燐音だけじゃない。
これから1時間30分もバス旅が始まる。

そう思ってチラリと横を確認してみると、詠斗は腕組みをして目を閉じていた。
寝るのが早くないかと突っ込んでしまいそうになったが、その寝顔があまりにもキレイで見とれてしまう。

本当はこのバス移動の時間にも詠斗といろいろ会話できるはずだと楽しみにしていたんだけれど……普段はその寝顔をマジマジと見ることはできないので、これはこれでいいかもしれない。
なんて、胸の中で思って少し頬が赤く染まった。

不参加にしようと思っていた親睦会も詠斗のおかげでこうして参加できることになったし、本当に感謝してもしきれない。

ぼーっと横顔を見つめているとバスが大きく揺れて詠斗の体がこちらへ倒れてきた。
規則正しい寝息を立てている詠斗の頭が、燐音の肩に乗る。

シャンプーの香りに心臓がドクドクを跳ねる中、燐音も詠斗の頭に自分の頭を乗せて目を閉じたのだった。
☆☆☆

バスの中で詠斗と会話する時間はほとんどなかったものの、幸せな時間を過ごすことができた。
ふたりが目を覚ましたときにバスは施設のすぐそばまで来ていて、その灰色の建物に互いに目を見買わせた。

外から見る限り建物には窓がなくて、まるで牢獄みたいだったからだ。
「すっげー施設」

詠斗が外観だけで疲弊した声を漏らす。
「だね。でも入ってみたら以外と心地いいかもしれないし」

と、燐音がフォローを入れるけれど本心からの言葉じゃなかった。
梅雨時期じゃなくてよかった。

これで雨が振っていたら建物内は湿気がすごいはずだ。
そうしてバスは駐車場に停車したのだった。

バスを下りて順番に並んで待っていると、続々と他のクラスのバスも駐車場に入ってきた。
大型バスが何代も止まると駐車場はすぐにいっぱいだ。

そして施設のグラウンドにA組からD組までの生徒が並ぶと、グラウンドもいっぱいになってしまった。

「これから各自の部屋に荷物を運んでもらう。鍵はドアについているから、鍵を閉めたらグラウンドに集合するように」

先生に言われて生徒たちがゾロゾロと移動を開始する。
長時間の移動でみんな疲れているみたいで、動きは怠慢だ。
その反面燐音と詠斗のふたりはぐっすり眠っていたので体力が温存されていた。
一番先に建物内に入ると、その薄暗さに逆にテンションが上がってくる。

「本当にひとつも窓がないな」
灰色の廊下を進みながら詠斗が言う。

廊下の所々に換気扇がついているけれど、窓がないので全体的に閉塞感をすごく感じる。
それから自分たちの部屋番号を見つけて入ってみると、そこはリノリウムの床に二段ベッドが置かれていた。

「すっげぇ! 俺二段ベッドなんて初めてだな」
詠斗が喜んで上も下も覗き込んで確認している。

ただ、部屋にもやっぱり窓がなくて壁の上の方に換気扇がつけられているだけだった。
燐音は壁に近づいて色が違っている部分を指先でなでた。

「なにしてるんだ?」
すぐ後ろに詠斗がやってきて顔を寄せてくるので、とっさに身を離した。

眠っている詠斗とはあんなに近くにいられたのに、起きているとどうしても強く意識してしまって恥ずかしくなる。