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いつものように少し歪んだ視界にホッと安堵のため息を吐き出した。
中学を卒業してからずっとこれで顔を隠して来たから、少しでも離れていると不安でならない。
「うん。ありがとう」
「どうして、そんなヤツと仲良くするんだよ」
燐音と詠斗の様子を見てたまらず京介がそう聞いていた。
その顔は赤く染まり、目には涙が滲んでいる。
ずっとずっと憧れていた人に裏切られた。
そんな悲痛な気持ちが伝わってきて燐音の胸がチクリと傷んだ。
「そんなヤツじゃない。燐音は俺の友達だ」
「でも、中学時代から詠斗は人気者で、こんな根暗と友達になるようなヤツじゃなかっただろ!? 女子からも男子からもすごくモテて、告白だって沢山されてきたじゃないか!」
根暗と言われて燐音の体がビクリと跳ねた。
それは自分で望んでいた姿だったけれど、いざその言葉を投げかけられると想像異常の痛みを伴った。
だけどそれ以上いに中学時代の詠斗のことを聞かされたことがショックだった。
詠斗がモテていたことなんて見ればわかるはずなのにと、自分がおかしくなる。
「燐音が根暗だと?」
そのとき、詠斗がゆらりと京介に視線を向けた。
その目は見たものすべてを凍りつかせてしまうような冷たさがあった。
「だ、だって……」
京介がゴクリと唾を飲み込んで後ずさりをする。
だけど背中に机があたってすぐに立ち止まってしまった。
「燐音は俺の友たちだ。俺がそう望んだから一緒にいるんだ。お前らにとやかく言われる筋合いはない!」
詠斗の声が教室の中に響き渡る。
京介と克也が黙り込み、重苦しい空気が4人の間に立ち込めた。
それを破ったのは詠斗だった。
詠斗は燐音の右手を強く握りしめると大股で教室を出た。
詠斗に握りしめられている手が熱を帯びて熱くて、燐音の心臓はまだドクドクを跳ね始めたのだった。
☆☆☆
人のいない渡り廊下まで移動してきたとき、詠斗はようやく足を止めた。
「あいつら中学の同級生なんだ。本当にごめん」
燐音に背を向けて謝りながらも、その手はまだしっかりと握りしめられている。
「ぼ、僕は大丈夫だよ。誰だって、こんなヤツ根暗だと思うだろうし」
そう言った瞬間詠斗が勢いよく振り向いた。
なぜかその顔は今にも泣き出してしまいそうに見えて、燐音のほうが戸惑ってしまった。
詠斗は握りしめたままの手に力を込めて燐音を引き寄せると「燐音は根暗なんかじゃねぇよ」と囁いたのだった。
予期せぬ同室が始まって一週間が経過していたけれど、まだ詠斗の部屋の修理は終わっていないようだった。
このあたりは古い民家が多くて業者がすべて出払っているという。
その間に何度か雨が降る日があったため詠斗の元も部屋は被害が拡大してしまったらしい。
先生からその説明を受けて詠斗と燐音は部屋の確認をしに行ってみたところ、言われていた通りの惨状になっていた。
床にはビルーシートが張られていて、天井の一部は雨のせいで黒ずんでいる。
穴が開いている様子はないが、そこから雨漏りしているようだった。
「これじゃもうしばらく部屋は使えないな」
そう言った詠斗はなんだか嬉しそうな顔をしていたけれど、燐音は見て見ぬ振りをした。
そしてその日はもうひとつ大きな出来事があった。
「えー。それでは来週の親睦会についての説明をする」
6時間目はロングホームルームになっていたのでなにをするのだろうかと思えば、担任の先生からそんなことを言われた。
入学してすぐの時期に親睦会があることは知っていたけれど、色々とあってすっかり失念していたのだ。
「親睦会の内容はプリントに書いてあるから各自読んでおくように」
そう言われてついさっき配られたばかりのプリントを見ると、1泊2日で近くの山を登山するという。
近くといえど行き帰りはバスなので、まぁまぁの距離がある。
「泊まりって」
せっかくいい感じに逆高校デビューを果たしたと思っていたのに、また困難な壁が立ちはだかってきてしまった。
泊まりとなるとどうしても気が緩むタイミングが出てきて、素顔を晒してしまうかもしれない。
なにより怖いのが、誰かと同室になったときのことだ。
素顔がバレてしまう可能性が格段に増えてしまう。
そんな不安がふつふつと湧き上がってきたタイミングで「部屋はふたりひと部屋だからなぁ」という先生の無情な声が聞こえてきた。
寮では必死の思いで一人部屋にしてもらったのに、ひょんなことからふたり部屋になってしまうし、親睦会でもふたり一部屋と決まっているみたいだ。
それならもういっそにこと親睦会は休んでしまおうかと本気で考える。
当日になって熱を出せば先生だって文句は言わないはずだ。
ただ、寮の先生をうまくごまかすことができるかどうか……。
1人で悶々を考えを巡らせていたとき、先生が割り箸を取り出してそれを片手で持てるほどの箱に入れた。
「予め箸の先に色をつけてあるから、同じ色を引いた者同士でペアになってもらう」
よりによって部屋決めがくじ引きだなんて!
あいうえお順で一番前の席の生徒から順番に割り箸を取っていくことになってしまい、燐音の番はすぐに回ってきた。
まぁいいか。
ここで誰とペアになったとしても、当日休んでしまえばなにも心配はいらない。
そう割り切って燐音は箱に入っている割り箸を一本選んで引き抜いた。
割り箸の先には赤色のマジックで塗られていて先に引いたふたりとは別の色だということがわかった。
ひとまず彼らとは同室にならなくて良さそうだ。
けれどくじ引きはまだまだ続く。
燐音が席に座った後も次々と生徒たちが割り箸を引いていき、その度に何色があたったのかヒヤヒヤしながら確認した。
だけどなかなか赤色は出ないようだ。
そして詠斗の番になったとき燐音は自然と目を更のようにしてその姿を見つめていた。
もし詠斗が他の誰かと同室なったら嫌だ……なんて気持ちが湧いてきたところで左右に首を振ってその気持をかき消した。
別に、詠斗が誰と同室になろうが自分には関係ないはずだ。
むしろ親睦会でまでいつもの調子で絡んで来られたらさすがに疲れてしまうし。そもそも行かない予定だし!
と、自分の思考回路に混乱しつつつも視線は詠斗が選んだ箸に釘付けになった。
詠斗が一気に箸を引き抜いたと同時にそこに青色が塗られているのが見えて心の中がスッと冷たくなってしまった。
詠斗と同じ青色を引いたクラスメートが喜んでいる。
一緒になれなかった……。
燐音は自分の箸をジッと見つめたあと、机に突っ伏したのだった。
☆☆☆
詠斗と同じ部屋になれなかったから落ち込んでいるわけじゃないと自分に言い聞かせた次の休憩時間、燐音と同じ赤色を引いたクラスメートが近づいてきた。
背が低くて色黒の彼の名前は残念だけれど覚えていない。
「なぁ、ちょっと」
と、自分から近づいてきたわりになんだか嫌そうな顔をしている。
「な、なに?」
「俺、お前と同じ部屋になったんだけどさ、間山くんが変えてくれって言うから、部屋交換したから」
そう言って彼が見せてきたのは青色の割り箸だった。
「え!?」
突然のことで思考が追いつかずに目を丸くして彼を見つめる。
彼は何度も説明するのがめんどくさいのか、ちょっと短気なのか、チッと舌打ちをして「だから、親睦会の時にお前と同室になるのは俺じゃねぇから」
ダンッと燐音の机を叩いて言う。
燐音はコクコクと何度も頷いた。
「う、うん。わかった」
ようやく納得した様子に燐音に彼はまたチッと舌打ちをして教室を出ていってしまった。
それから燐音は帰る準備をしていた詠斗へと近づいた。
帰る場所はどうせ同じなのだけれど、どうしても今伝えたかった。
「あのさ、部屋のことなんだけど」
「ん? あぁ、悪い。勝手に変えてもらった」
詠斗はいたずらっ子みたいに舌を出してそう言うと、燐音に赤い色のついた割り箸を見せてきた。
「それって、僕のため?」
「なぁに言ってんだよ。このクラス35人で割り切れないから、青色の割り箸だけ3本入ってたんだよ。同じ部屋の広さで3人部屋になるんだってさ。それが嫌で変えてもらったんだ」
それは本当だろうか?
さっきの彼はそんなこと一言も言っていなかったけれど。
そう思ったけれどあえて黙っておいた。
「……ありがとう」
ボソッと言った言葉はちゃんと詠斗に届いていて「なに言ってんだよ。帰ろうぜ」と、肩を叩かれたのだった。