僕がかわいいってことは秘密にしてください

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この顔がバレないように高校生活では孤立した生活をしようとしていたのに、なんでこんなことに……!?

よりによってクラス1の人気者にバレるなんて!
今までにないスピードで着替えをした燐音は自分の部屋へとダッシュした。

もし万が一、詠斗がすでにこのことを他の生徒にしゃべっていたらと思うと、気が気ではない。
バンッと大きな音を立ててドアを開けると、まだ赤い顔をした詠斗が部屋の真ん中であぐらをかいて座っていた。

「お、おう。戻ったか」
と言いながらも視線をさまよい、たどたどしい。

そんな詠斗に大股一歩で近づいて「なにか見た?」と質問した。
至近距離の燐音に詠斗の方が戸惑った表情になりながらも「風呂に女がいた」と、返答した。

その瞬間燐音は『入浴中』の札を手から落して両膝をつき、両手で頭を抱えた。
やっぱり見られていたんだ。

バッチリ見られていたんだぁ!
「それを誰かに言った!?」

「い、いや、まだ誰にも」
「まだってことは誰かに言うつもりだった!?」

ガバッと顔を起こして燐音が叫ぶように聞く。
詠斗はぶるぶると左右に首を振って「別にそんなつもりはないけど……もしかして黙っててほしいのか?」
「そう! 秘密にしてほしいんだ!」
すがるような視線で言うと、詠斗がなにかを納得したように「へぇ」と呟いた。

「まぁ確かに、男子校でその顔じゃ色々と大変か」
なにかを察したように自分の顎先に指を当ててつぶやく。

男子校だからという理由だけで隠しているわけではなかったけえれど、あながち間違いではないので修正はしないでおいた。

「わかった。燐音が可愛いことは誰にも言わないって約束する」
そう言われた瞬間全身から力が抜けて大きく息を吐き出した。

「よかったぁ……!」
「でも、その代わり」

次の瞬間、詠斗が不敵な笑みを浮かべたのを燐音は見逃さなかった。
安心したのもつかの間、真顔に戻ってジッと詠斗の次の言葉を待つ。

秘密を守る代わりになにかをしてくれ。
そう言われるのだろうと覚悟を決める。

初めて会ったばかりの詠斗がなにを要求してくるのかは、想像できなくて恐怖心が沸き起こってきた。
到底無理な要求だったらどうしよう。
もともと秘密にするつもりなどなかったらどうしよう。
予感は嫌な方へと流れていきシャワーで汗を流したばかりだというのに、冷や汗が吹き出してきた。

「俺の友達になってくれないか?」
「へ?」
予想外の言葉に燐音はキョトンとしてしまう。

「だから、俺の友達になってよ。いいだろ?」
「そ、それは、いいけど……」

でも待てよ?
相手はすでに人気者だとわかっている詠斗だ。

一緒にいることで無駄に注目を浴びてしまうんじゃないか?
そんな不安が胸によぎった。

けれどそんな不安は詠斗には全然通じていないようでニカッと笑って白い歯を見せると「じゃ、よろしく!」とまた手を差し出してきた。

燐音は、今度はその手を握りかどうか迷った。
この手を握り返してしまうと計画していた霞のような高校生活を送ることは不可能なんじゃないかと思った。

でも……。
目の前の詠斗を見ているとだんだんとそんな気持ちが薄れていく。

秘密を守ってくれなければ困るし、断ったら余計に注目されてしまう。
燐音は覚悟を決めて詠斗の手を握り返したのだった。
翌日の朝、目が覚めた時すぐ隣に重なり合ううようにして敷かれた布団には詠斗の寝顔があった。
たった4畳しかない部屋にはテーブルと本棚があり、そこに二組の布団を引けばもう足の踏み場はなかった。

こんな距離感で眠ることができるか不安だったけれど、昨日は入学式で思った以上に疲れていたようで、気がつけば眠りについていた。

隣で寝息を立てている詠斗もそうだったようだ。
テーブルの上にある置き時計を確認してみると朝7時を過ぎたところだ。

寮の朝食は朝7時から7時半までに食べないといけないので、そろそろ行かなきゃいけない。
でも……と、燐音は隣で眠る詠斗を見つめる。

長いまつげに切れながらの目。
規則正しく呼吸する胸が布団の下で上下に揺れている。

同じ部屋にいるのだから、ほっといて1人で食事に行くわけにはいかないだろう。
こういうとき、普通なら寝ている相手を起こして誘っていくはずだ。

「え、詠斗」
慣れない名前呼びで最初からつっかえてしまった。
声もあまりに小さくて、眠っている人を起こすような効果はない。

仕方なく燐音は詠斗の肩に触れて揺さぶった。
手の下には自分のものではない、ガッッチリとした肩の感触がある。
バスケで鍛え上げられたその肉体は燐音が思っている以上に男らしいみたいだ。
「詠斗。朝ごはんの時間だけど、一緒に行く?」

さっきよりも少し大きな声で言うと、詠斗の長いまつげが揺れた。
もう少しで起きそうだ。

「なぁ、詠斗」
そう呼んだとき、大きな目がパチリを開いた。

「あぁ、燐音か……おはよう」
布団の中で大きく伸びをして大あくびをする燐音。

上半身を起こすと明るい色の髪の毛が右へ左へピンピン跳ねていて思わずクスリと笑ってしまった。

自然と右手が伸びてその髪の毛にふれる。
すわりとした手触りを感じて我に返った。

すぐに手を引っ込め立ち上がる。
「早く食堂に行こう」

そう言って部屋を出ながらも自分の顔が耳まで真っ赤になっていることに気がついているのだった。
☆☆☆

寮の朝食は基本和食で、食欲旺盛な男子生徒たちはみんなお代わりをシていた。

その反面食の細い燐音はいっぱい食べるだけで精一杯で、お代わりを口にかきこんでいる詠斗を置いて先に部屋に戻ってきていた。

今日から普通授業になるので教科書と筆記用具を次々に真新しいカバンに詰めていく。
そのときふとノートに自分の名前を書いていないことに気がついた。

教科書はまぁいいとして、ノートは提出することがあるからちゃんと書いておかないといけない。
そう思ってネームペンを取り出したとき、ドアが開いてようやく詠斗が戻ってきた。

かなりお腹が膨れたようで、その顔は満足そうに微笑んでいる。
「燐音ってあんまり食べないんだな? あんな量で足りるのか?」

「平気だよ。僕はあまり運動しないし」
「ふぅん?」

それでも詠斗は不思議そうな表情を顔に貼り付けたままで、突然上着を脱ぎ始めた。
「なっ!? 急になに!?」

慌てて両手で目元を覆う燐音に「なにって、制服に着替えるんだけど?」とキョトンとした顔になる詠斗。
そうだった。
自分は一足先に着替えを済ませていたから、詠斗の着替えのことをすっかり失念していた。
「じゃ、じゃあ僕は外に出てるから」

そう言って立ち上がった時、上半身裸の詠斗がドアの前に立ちふさがった。
思っていた通りしっかりと腹筋が浮き出している。

その肉代美に心臓がドクドクと高鳴り始める。
「それよりさ、もしかしてそのボサボサ頭のまま学校に行く気?」

「え……あ、そうだけど?」
燐音の髪の毛は昨日乾かさないまま寝て整えてもいない。

詠斗は朝食の前に丁寧にブラッシングしていたから、もう寝癖は直っていた。
「それじゃダメじゃん。昨日からずっと気になってたんだよなぁ。はい、そこ座って」

詠斗に強引にテーブルの前に座らされて、目の前に鏡が置かれる。
そして寝癖直しやヘアセットの道具が整えられた。

「ぼ、僕はこれでいいんだよ」
「ダメだって。いくら顔を隠したいって言っても寝癖は違うだろ?」

「いいんだってば! そんなことより、早く制服に着替えないと時間がなくなるよ!?」
人の髪の毛をペタペタと触ってくる詠斗に反発するが、詠斗はやめようとしない。
その手が触れる度に心臓が跳ねて今にも止まってしまいそうだというのに、本人は全然気がついていない。

「本当に、もういいからっ!」
勢いよく立ち上がって逃げようと中腰になったところを詠斗が後ろから羽交い締めにしてきた。

「逃げようとしてたのバレバレ」
ふたりで畳に転がって詠斗が大笑いする。

両腕が背中から腹部へかけて回されて詠斗と自分の体臭が混ざり合う。
同じシャンプーの匂い。

同じボディーソープの匂い。
男子校に備え付けられていたものを使ったのだから当然のことだったけれど、そのどれもに燐音の体温は上昇していく。

「冗談はよせって! 離れろよ!」
じたばたともがくけれど詠斗の力に適うわけがない。

組み敷かれてしまえばそのまま動けなくなってしまう。
だけどその前に心臓が破裂してしまいそうだった。

燐音が勢いよく体をひねると詠斗の両腕に力が弱まった。
そのすきを見計らい、燐音は詠斗の体を突き飛ばす。
詠斗がたたまれた布団に倒れ込み、呆然として視線を向けてくる。
「そ、そんな本気にならなくても……」

そう言われても謝る気にはなれなかった。
人の気持も知らずに!

燐音は真っ赤に染まる顔をうつむかせて乱暴に自分のカバンを掴むと、大股で部屋を出たのだった。