幼馴染という特別感のある関係に、女子生徒に人気な燐音の容姿だけが好きだったのだ。
翌日教室へ入った時、燐音はそれを思い知らされた。
教室へ入った瞬間に感じるクラスメートからの視線。
そしてクスクスと笑い声。
一緒にグラビア雑誌を見た友達が挨拶をする前に黒板を指差した。
燐音が黒板を見た瞬間、肩にかけていたカバンがドサリと音を立てて床に落ちた。
《霞燐音はゲイ! 男好きだから多数の女子生徒からの告白を拒絶!》
そんな文字がでかでかと書かれていて、文字の真ん中には男と体を重ねている燐音の絵が描かれていたのだ。
『燐音、お前ってゲイだから女子と付き合わなかったのか?』
友達からの言葉が引き金になって燐音はすぐに黒板消しを握りしめた。
必死になってラクガキを消しているその姿は、自分がゲイだと認めているようなものだった。
燐音がラクガキを消している間にクラスメートたちのざわめきはどんどん大きくなっていった。
『本当にゲイなんじゃない?』
『やだぁ、ショック』
『俺あいつの顔ならOKだけどな』
『お前もゲイかよ! 近づくんじゃねぇ!』
あちこちから笑い声が聞こえてくるけれど、燐音を手伝って隣に立つ生徒は1人もいなかったのだった。
それからの中学生活は最悪だった。
好きな人と目が会えばそれだけで吐く真似をされるようになった。
明里のとの関係は当然切れてしまい、一緒に帰る人がいなくなった。
一緒にグラビア雑誌を見る友達もいなくなり、ゲイだという噂が広まったことで燐音に告白してくる女子生徒もいなくなった。
誰とも会話せずに1日が終わることも増えて、ただただ孤独で暗い時間だけが過ぎていった。
だから、燐音は地元から離れた全寮制の高校を受験したのだ。
心機一転やり直すため。
そのためには今までのように目立ってはいけなかった。
前髪を伸ばし、伊達メガネを購入し、わざと寝癖を直さないまま登校した。
みんな燐音の素顔を知らない。
みんな燐音の中身を知らない。
それでいい。
そのままでいい。
孤独でいることはすでに慣れていたし、ゲイだとバレて嫌がらせを受けるよりもよほど気楽だった。
だけど……詠斗と出会ってしまったのだ。
中学時代の話を終えたときにはすでに外は真っ暗になっていた。
子猫はいつの間にかひざ掛けの中に戻って寝息を立てている。
燐音は何度も何度も涙を拭い、その跡が頬に残っていた。
「そっか、そんなことがあったんだな」
「でも、詠斗は違うんだろ? ちゃんと女に恋することができる。それなら、今からでも引き返して……!」
途中まで叫んだ言葉はキスによって止められた。
涙をながしていたせいでしょっぱいそれは、けれどとても優しかった。
「引き返す? どうやって?」
唇を離した詠斗が真剣な表情で質問してくる。
その質問に燐音の心臓がドクッと跳ねた。
詠斗を引き返すためにはこの関係を終わらせるしかない。
「まさか別れるつもりか?」
「……っ」
返事ができなかった。
1度知ってしまった喜びやぬくもりはそう簡単に手放すことはできない。
相手のためだとわかっているのに、肯定することができない。
「言っとくけど俺は、最初からそんなものは覚悟の上だ」
詠斗が燐音を強く強く抱きしめた。
過去の辛い出来事まで全部ひとまとめにして温められているような感覚だ。
「これから先の困難だってわかってる。一筋縄じゃいかない恋愛だってことも。それでも、俺は燐音が好きなんだ」
「どうして僕のことをそんなに?」
「最初は見た目だけだった。でも一緒にいる内に燐音の中身も見え始めて、やっぱりすっげー好きだって思って……もう、離れられねぇんだよ」
少し身を離した詠斗は今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。
好きで好きで好きすぎて、どいうしようもない。
そんな感情が燐音の胸に入り込んでくる。
それに感化されて燐音もまた涙が滲んできた。
「本当に僕でいいの? 後悔しない?」
「するわけないだろ」
「僕ってめんどくさいかもしれないよ?」
「そんなのもう知ってる」
「それに、それに……っ」
「もう、黙って」
☆☆☆
互いの気持ちを伝えあった翌日、警察から燐音に電話があって子猫の親が見つかったと報告を受けた。
ふたりで飼い主の元へ連れていくと、そこには小学生くらいの女の子が待っていて、泣きながら子猫を抱きしめていた。
「白ちゃん! よかった、よかったぁ!」
ギュッと抱きしめた子猫も嬉しそうにミャアと泣く。
まるで犬みたいな名前だけれど、白は無事に飼い主のもとへ帰れたことになる。
そして詠斗と手を繋いで男子寮へ戻ったときだった。
「おぉ、ちょうど今作業が終わったところだよ」
と、男子寮の先生が声をかけてきた。
作業ってなんだろうと詠斗と視線を見交わせたとき、階段から作業着姿の男性が折りてきた。
「これでも雨漏りはしないと思います。それに畳も真新しいものになっています」
「助かったよ、ありがとう」
作業員と先生の会話に燐音と詠斗が同時に目を見開いた。
ついに詠斗の部屋の修復が終わってしまったらしい。
つまり、部屋に戻らないといけないのだ。
「4畳の部屋でふたりは狭かっただろ? 時間がかかって悪かったな」
「いえ、先生、あの……」
詠斗がなにかいいかけるけれど、先生はまるで聞いていない。
忙しそうにバタバタと足音を立ってて行ってしまった。
その後ろ姿を見つめてふたりはギュッと手を握りあったのだった。
☆☆☆
「まぁ、寮の中でも教室でも一緒にいられるしさ」
部屋を出る準備を進めながら詠斗が言う。
「うん……」
燐音はさっきから上の空だ。
せっかく詠斗と心の距離が近くなったのに、今度は体の距離が離れてしまう。
そう思うとやっぱり少しさみしかった。
「そんな顔すんなって。じゃ、俺はもう行くから」
少ない荷物はすぐにまとめ終わってしまい、詠斗は立ち上がった。
ドアの前に立つ詠斗に近づいて、燐音はそっと背伸びをする。
そして初めて自分からチュッと小さなキスをした。
詠斗が驚いた表情で燐音を見つめて、それから「それじゃ」と、短く言って部屋を出たのだった。
バタンと音を立てて湿られたドアの前で燐音はずるずると座り込む。
「勇気を出してキスをしたのに、あまりにあっさりしてないか?」
抱きしめられたり、詠斗からキスされることを期待していた燐音はそう呟いて小さく笑ったのだった。
☆☆☆
4畳ってこんなに広かったっけ。
夜になって一人分の布団をひくと部屋の中がやけに広く感じられた。
自分以外の呼吸音がなにも聞こえない部屋。
寝返りを打てばすぐ目の前に詠斗の寝顔があったのに、今はもうない。
最初は嫌だったし混乱したのに、今となっては詠斗のことが恋しくて仕方ない。
子猫もいなくなってしまってこんなに寂しくて悲しい気持ちになるとは思っていなかった。
もともとひとりを望んでいたというのに。
詠斗のせいですっかり弱くなってしまった燐音は布団に足を絡ませてギュッと抱きしめた。
「うぅ~、寂しいよ詠斗」
思わず声に出してつぶやく。
と、その時だった。
突然部屋のドアが開いたかと思うと廊下の光が差し込んできた。
眩しくてそこに誰が立っているのかわからない。
目を細めてみると詠斗が「ただいま」と白い歯をのぞかせて笑った。
「詠斗!?」