僕がかわいいってことは秘密にしてください

質問する声が震えないように必死に我慢した。
詠斗が目を大きく見開いたかと思うと、気まずそうに視線を伏せた。

その仕草だけで質問の答えはわかってしまったけれど、燐音は詠斗の言葉を待った。
「たぶん、両方大丈夫なんだと思う」

おずおずと答えたそれは燐音を気遣った答えだった。
「僕以外の男を付き合った経験は?」

「……ない」
左右にゆるく首を振って答える詠斗に燐音は大きく息を吐き出した。

きっとそうだと思っていた。
詠斗をこちらの道へと引きずりこんでしまったのは、自分なのだという直感があったから。

燐音の心臓は早鐘を打ちはじめて呼吸が乱れてくる。
だけど悟られないように笑顔を作り続けた。

「そっか。じゃあ、中学までは女の子と?」
「何人かとは付き合った。でも結局長続きはしなかったんだ」
詠斗は早くこの話題を切り上げたいようで、燐音から視線をそらして軽い口調でそう言った。

過去の恋愛なんてなにも関係ないという雰囲気を肌から感じられる。
「僕とは、どうして?」

「どうしてって……燐音は可愛いし、顔を見た瞬間ドキドキした。なんていうか、こいつしかいないって思ったんだよ」

「前にも言ってくれたよね。出会ってすぐ好きになったって」
「そうだよ。ほとんど一目惚れだった」

そう言われて、お風呂以外ではずしたことのない伊達メガネを外した。
前髪をかきあげて顔をあらわにすると、詠斗がまばたきを繰り返した。

「燐音。すごく可愛いよ」
腰に腕を回されて抱き寄せられる。

でも、残念だけれど今はそんな甘い雰囲気になれそうになかった。
「僕の顔がこんなんじゃなかったら、詠斗は僕のことを好きにはならなかった?」

「そんなこと……」
否定しようとする詠斗の顔を真剣に見つめた。
一目惚れとは相手の外見しか知らないのに好きになることだ。
燐音の外見が別のものであれば、恋愛対象になっていなかったかもしれない。

「どうしてそんな質問するんだよ?」
途中で燐音が言わんとすることの意味を理解したようで、詠斗が顔をしかめた。

「聞いてほしい話しがあるんだ。僕の、中学時代の話を……」
燐音の初恋は中学2年生のころだった。

少し遅いくらいだけれど、それまでに燐音はまわりの男子と自分は違うのかもしれないと感じることが沢山あって、恋愛にたいして消極的になっていたところがあった。

『燐音! これ見てみろよ!』
教室で友人がこっそりグラビアアイドルの雑誌を広げて、燐音を手招きした。

燐音は興味のあるふりをして近づき、小さな生地の水着を着ている女の子の写真を見て『すっげー!』と笑う。

女の子の格好はほとんど裸同然で確かにすごいものだったけれど、少しも心が動かされることはなかった。

小学校高学年くらいから、こういうことが頻繁に起こりはじめた。
他の男子生徒が興奮するものに興奮できない。

胸がざわつくようなこともなければ、体がカッと熱くなるようなこともない。
燐音が胸を高鳴らせて体が熱くなるのは、決まって男性タレントや男性アイドルを見たときだった。

最初はそれが同性に対する憧れだと思っていた。
目が離せなくなるのも、胸がドキドキして止まらないのも。
『僕、この芸能人のことすごく好きなんだ。ドキドキする』

テレビに出演した男性芸能人を指差して素直な感想を伝えたとき、隣にいた友人が怪訝そうな顔をした。

『ドキドキする? それって恋じゃねぇ?』
その友人だって本気で言ったわけじゃなかったと思う。

だけど恋と言われて体に電撃が走る感覚がした。
これが恋。

そうなのかもしれない。
だけど相手は男性芸能人だ。

男性芸能人に恋をするということは……僕の恋愛対象は男性ということ?
そう気が付いた後に自分が友人とどんな会話を交わしたのか覚えていない。

たぶん『恋なんかじゃない』と笑いながら否定してやりすごしたんだと思う。
だけどその日から燐音は自分が同性ばかりを目で追いかけていることに気が付いた。

学校の行き帰りでも、教室内でも。
それは可愛いどこかに女の子がいないか常に意識している同級生の男子たちと同じ行為なのではないかと気が付いた。

『燐音、今日も一緒に帰ろう』
その頃は同じクラスに近所の女の子がいて、俗に言う幼馴染というやつだった。

家が近いから中学に上がってからもその関係が途絶えることなく続いている。
『うん』

幼馴染の名前は明里と言って、その名前の通り明るくてみんなを照らし出すような女の子だった。

背は小さくて丸っこい顔に大きな目がついている。
子供の頃はなんとも思わなかったけれど、最近では随分と可愛くなったと思う。

時々メークもしているようで、まぶたに青い色が乗ったり唇に薄いピンク色が乗ったりする。

明里はメークをしているときには自信がつくみたいで、背筋をピンッと飛ばして歩いていた。

『お前ら付き合ってんの?』
『そんなんじゃないってば』
クラスメートと明里のこんなやりとりは日常茶飯事だった。
ふたりでいると茶化されて、冷やかされる。
そんなとき明里はいつも頬を赤く染めて少しだけ嬉しそうな顔をした。

だけどこの日の燐音はそれに気がつくこと無く、クラス内から出ていく1人の男子生徒を目で追いかけた。

その生徒はクラスで1番背が高く、運動神経抜群で友人の多い生徒だった。
最近、妙に彼のことが気になっていた。

初めて芸能人に恋したときとは比にながらいくらい心臓がドキドキして、会えた日は嬉しくて、会えなかった日は落ち込んでしまう。

彼が教室にいるかいないかで、燐音の気持ちが左右されるようになっていた。
『ちょっと燐音、なにぼーっとしてるの?』

明里に声をかけられてハッと我に返り、慌てて笑顔を作る。
明里はずっと近くにいるから、絶対にバレちゃいけない存在だった。

『いや、なんでもないよ』
燐音はすぐにそう答えて、明里とふたりで教室を出たのだった。
☆☆☆

誰かを好きになっても告白することはない。
そんなこと、できるはずがなかった。

芸能人に恋したときにはすぐに諦めがついて割り切ることができたけれど、現実の世界で、しかも同じクラスの相手を好きになるとそう簡単に割り切ることができずにいた。

毎日彼のことを目で追いかけて探してしまう。
一瞬でも視線がぶつかれば心臓が大きく跳ねて、破裂してしまいそうになる。

家に帰っても、お風呂に入っている時も、眠る前も彼のことをずっと考えてしまう。
こんなに苦しいことが恋なのだと、中学2年生で知った。

『好きです、付き合ってください!』
こんな苦しい恋を沢山の人がしているらしい。

燐音はその可愛らしい容姿からよく女子生徒に呼び出されて、告白をされた。
今日の相手は3年生の小柄な先輩で、申し訳ないけれど見たこともない人だった。

先輩の方は校舎内で燐音のことを初めてみた瞬間から好きになって、こそこそと教室や昇降口まで見に来ていたようだ。

顔を真赤に染めて告白してくる先輩は可愛かった。
きっと、他の男子生徒に告白していたらその恋は実ったんじゃないかと思うほどに。
こんな人が自分の恋人だったら、燐音だって自慢して回りたくなりそうだった。

だけど、付き合うことはできなかった。
『ごめんなさい』
燐音は深くうなだれるように頭を下げて断った。

それしか自分にできることはなかったから。

先輩は大きな目に涙をためて『そっか。そうだよね。霞くん、モテるもんね』と、必死に笑顔になって、そして『じゃ、バイバイ』と手を振って歩き出した。

1人で告白する勇気がなかったのだろう。
先輩を追いかけるようにしてふたりの女子生徒が物陰から姿を現して、先輩を真ん中にして歩き出した。

先輩は途中で涙腺が崩壊してしまったようで、小さな鳴き声がここにまで聞こえてきた。
友人に背中を擦られながら歩くその姿はすごく小さく見えたのだった。

きっと、形だけでもカップルになることはできる。

そうすれば、本気で好きになることもできるかもしれない。
そんな風に考えたこともあった。