僕がかわいいってことは秘密にしてください

本題を思い出した燐音は顔をあげた。
「これから百均に付き合ってくれない? 新しいメガネを買いたい」

「やっぱり、まだメガネは必要か?」
「まぁ、一応? なんか、僕の一部みたいになってたから、ないと落ち着かないっていうか」

今はもうそれほどメガネに頼っているわけじゃないことをアピールするためにそう言った。
本当は言葉よりもずっと頼っているのだけれど。

「そっか。それなら行くか」
詠斗はそう言って立ち上がり、自然と燐音の手を握りしめたのだった。
☆☆☆

こうして放課後ふたりで出歩くのってもしかして初めてじゃないか?
燐音がそう気が付いたのは学校近くにあるショップングモールに到着したあとだった。

学校が終わってすぐの時間帯ということで、店内には制服姿が多く見られた。
「なぁんか、これってデートみたいだな?」

手を繋いで歩きながらそう言われて、自分と同じ気持ちでいたのだと気がつく。
「そ、そうだね。なんか照れくさい」

学校から外に出ただけなのに落ち着かない気持ちになってくる。
だけど、嫌じゃない。

「どうせだからもっとデートっぽいことするか」
詠斗はそう言うと燐音の腕を引いて強引に歩き出した。

その先にあるのはゲームセンターで、今の時間帯は学生が何人か遊んでいるだけだった。
「ゲーセンでなにするの?」

「デートと言えばプリクラに決まってるだろ」
ずんずん歩いてゲームセンターの奥にあるプリクラコーナーへと向かう。

そこには何台もの機械が並んでいて、燐音にはなにがなんだかさっぱりわからない。
詠斗もプリクラには詳しくないようで、しばらく悩んだ末に「なんでもいっか」と、一番手前の機械の中に入っていった。
中は思いの外広くてふたりで撮影する分には十分すぎるほどスペースがある。

コインを投入し、背景などを適当に選んで撮影タイムに突入すると、画面上でポーズ指定してくれるので悩むことなくハートマークを作ったり、ポーズを決めたりすることができた。

そして最後の1枚になったとき。
《ほっぺにチュー》

と機械音声に言われて「な、なんだよそれ」と、燐音は苦笑いを浮かべる。
さすがにそれは撮影できないから普通にピースサインをしようとした、そのときだった。

詠斗に体を引き寄せられたかと思うと、頬にではなく唇にキスされていたのだ。
角度を変えた濃密なキスが繰り広げられて、酸欠状態になったとき、ようやく唇が離された。

「なにし……っ」
よりによってプリクラを撮っているときにキスしてくるなんて!

燐音の顔は耳まで真っ赤に染まり、口元を両手でおおう。
「記念写真だよ。誰にも見せないから、安心して」

いたずらっ子のように笑う詠斗はキスプリクラを大切に財布の中にしまったのだった。
ふたりで秘密のプリクラを撮影したあと、百均へ行ってお目当てのメガネを購入した。
でも、今回は赤縁メガネで一見ちょっとおしゃれな感じだ。

これだと顔の雰囲気が変わってしまうけれど、詠斗が選んでくれたから断ることができなかった。
「あれ? そのメガネいいじゃん」

メガネを新調した翌日には、さっそく京介と克也が声をかけてきた。
「へ、変じゃないかな?」

「すっげぇ似合ってる。それだとそんなに陰キャじゃないように見えるし、いいんじゃね?」
と、京介が絶賛してくれたのでなんだか嬉しくなる。

「京介ってメガネ好き? それなら俺もかけようかなぁ」
「はぁ? 克也はそのままでも十分可愛いっつの」

あっという間に燐音の存在など忘れてふたりの世界に入り込んでしまった。
付き合い始めたばかりのカップルは熱々で、ふたりの関係を知らない生徒は今やいなくなっていた。
でも、ふたりの堂々とした態度を見て文句を言う生徒もいないから、本当に羨ましいと感じる。
そして次の水曜日。

前回放課後デートをしたのがよほど楽しかったのか、詠斗は少し遠回りをして帰ろうと燐音に提案してきた。
燐音もそれを快諾して、ふたりで寮とは別方向へと歩き出す。

「いい天気だなぁ」
詠斗が大きく伸びをしてつぶやく。

もうすぐ夏が訪れる爽やかな熱気がふたりを包み込んでいる。
夏休みにはなにをしようか。

詠斗は実家に帰ったりするのかな。
少し気が早いけれどそんなことを考えて、公園へと足を踏み入れたときだった。

ミャア。
と、公園を囲むように植えられている木々の茂みの奥から鳴き声が聞こえてきて、同時に立ち止まった。

声がシた方へ歩み寄ってみれば、長い草がカサカサと揺れてその奥から小さくて真っ白な猫が姿を見せた。
猫の首には赤くて細い首輪がつけられていて、猫が歩くたびにチリンチリンと小さな鈴の音が鳴った。
「猫だぁ……!」

燐音が思わず頬を赤らめて膝を折り、猫においでおいでと手招きをする。
「猫が好きなのか?」

「うん! 実家でも白い猫を飼ってるんだよ」
ニコニコと微笑んで肯定しながらも視線はずっと子猫へ向けられている。

産まれてどれくらいなのか、猫は歩き方がまだたどたどしい。
だけど人に慣れている様子で、すぐに燐音に近づいてきた。
「か~わいい」

子猫の背中に触れてふわふわとした毛並みを確かめながら燐音の表情は緩みっぱなしだ。

「首輪をつけてるけど、飼い主はどこにいるんだろうな?」
詠斗がキョロキョロと公園内を見回してみても、それらしい人の姿は見えない。

「う~ん、毛に汚れがついてるし、もしかしたら迷子かもしれないよね?」
触れてみたときの毛並みはすごく良かったから、普段は家の中で飼われていたのかもしれない。

それが、飼い主が窓を開けてたタイミングで逃げ出した可能性がある。
燐音の家の飼い猫も外に出かけるのが大好きな猫で、1日中戻ってこなくて心配したことが何度もあった。

「この子は小さいから自力で家に帰れなくなったのかもしれないし……」
燐音が手の中に子猫を抱きしめてつぶやく。

腕の中で子猫は小刻みに震えていた。
「それなら警察に届けておくか」

「うん。そうすれば飼い主さんも安心だと思う」
燐音は子猫を抱っこしたまま立ち上がり、詠斗と共に近くの交番へと向かったのだった。

そこにいたおまわりさんは丁寧に接してくれたけれど、飼い主さんが現れるまでに保護しておくことは難しいということだった。

「どうしよう。また公園に戻すわけにはいかないし」
燐音が子猫をギュッと抱きしめると、子猫は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。

ずっと抱っこしているから燐音にはすっかり慣れてきたみたいだ。
燐音としても子猫を離し難いのだろう、なにかを期待するような瞳を詠斗へ向けている。

詠斗は苦笑いを浮かべて「わかったよ。飼い主が現れるまで寮で飼うことにしよう。ただし、バレないように気をつけないとな」と、言ったのだった。
☆☆☆

かくしてふたりの部屋に真っ白な子猫がやってきた。

子猫はまず温めたミルクを飲まされて、その後ひざ掛け毛布にくるまれて丸くなると、スースーと寝息を立て始めた。

「お腹へってたんだね。ミルク全部飲んじゃった」
こっそり食堂から拝借してきた小皿に入れたミルクは空っぽになっている。

「これだけじゃ足りないだろうから、ちゃんとした餌も買ってこないといけないな」
「それならコンビニに行かなきゃね」

そんな会話をするふたりの視線は眠っている子猫に釘付けだ。
こんなに小さくて可愛い生き物が近くにいることで、すっかり癒やされている。

「猫のおやつとかいいかもね。CMでやってる」
「あぁ。人気みたいだなぁ」

「でも。その前にちょっと毛が汚れてるから、洗ってあげようか」
「洗う? どこで?」

詠斗がそう質問したタイミングで、部屋のドアがノックされた。
咄嗟に燐音が背中で子猫を隠し、詠斗が立ち上がってドアを開いた。
「次、風呂の番な」
いつものように入浴中の札を受け取り、詠斗がドアを閉めた。

そして振り返る。
燐音はコクリ、と頷いたのだった。