そう考えると胸の奥がチクリと痛む。
「そ、そうだ。詠斗の好きな飲物を教えてやるよ」
京介の言葉に「飲み物?」と聞き返す。
「あぁ。詠斗が好きな飲物はさぁ……」
☆☆☆
燐音は京介に教えてもらったパックのジュースを持ってひとりで自分の席に座っていた詠斗に近づいた。
「可愛い飲み物が好きなんだね」
そう言って差し出したのはいちごみるくだった。
これが詠斗の一番好きな飲物だと聞いた時、以外すぎてちょっと笑ってしまった。
「なんで知ってるんだ?」
詠斗は驚きながらもジュースを受け取り、すぐにストローを突き刺して飲み始めた。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲む姿はとても美味しそうに見えた。
「友達に教えてもらった」
燐音の言葉に詠斗は一瞬驚いたように動きを止め、それから「そうか」と、嬉しそうに微笑んだ。
「本当は僕のことすごく心配してたんだよね? 友達ができないんじゃないかって」
「だって燐音は友達を作るつもりもなかっただろ。でもそれってたぶん、悲しいことじゃないのかなって思ってた」
ひとりでいると決めた燐音を好きになってからどうしてもほっておけなくなった。
せめて自分だけでもと、ずっと一緒にいることを決めた。
「最初に友達になることを約束したのも、僕のため?」
「それはまぁ、どうせ同じ部屋になったんだし、友達になる他ないだろうなぁと思ってさ」
それがこんな関係になるとは、あのときには思ってもいなかったのかもしれない。
詠斗がそっと手を伸ばして燐音のメガネに触れた。
燐音は咄嗟にその手を振り払おうとしたけれど、グッと拳を握りしめて我慢した。
「これも、もう必要なくなる日が近いんじゃないか?」
少しだけメガネに触れた指先が、そのままスッと下ろされた。
「その場合、僕たちの関係は終わり?」
「そんなわけないだろ。俺たちはもう友達以上の関係なんだから」
それを聞いて安心した。
燐音が根暗キャラをやめたら、最初に秘密の関係も消滅してしまうと懸念していたのだ。
でも、その心配は杞憂だったみたいだ。
「燐音がどんな姿だろうと関係ない。ずっとずっと、愛してる」
それは燐音にだけ聞こえるように囁かれた甘い言葉だった。
燐音と詠斗が付き合っているかもしれないという噂は、きっとそうなのだろうという確信に変わり、それはだんだんと受け入れられて行っていた。
「なんか、いいのかな」
学校までの短い距離を歩きながら燐音はつぶやく。
隣には当然のように詠斗が歩いていた。
「なにが?」
「こんなに幸せで」
ふたりの関係を嫌う生徒も中にはいたけれど、おおかた好印象を受ける反応が多くて、逆に戸惑ってしまう。
暗い高校生活を望んでいたはずなのに、今の燐音は真逆の立場にいた。
「別にいいだろ」
詠斗が燐音の手を力強く握りしめてくる。
朝からスキンシップが多くて燐音の心臓は高鳴りっぱなしだ。
「でも感謝するとすれば、今はあいつらにかな」
詠斗がそう言って前を歩く二人組みを見つめた。
京介と克也のふたりだ。
ふたりはなんとなくいい雰囲気になっているようで、燐音たちと同じように手を繋いで歩いている。
「あのふたりに?」
燐音が聞き返すと「俺たちの悪い噂を否定して回ってくれてたんだ。偶然見かけた」と、詠斗は答えた。
詠斗が言うには、『ゲイ』だの『キモイ』だのという言葉が聞こえてきたときに、京介と克也のふたりが噂を立てて笑っていた生徒に激怒していたという。
人の恋愛に口出しするな。
誰が誰を好きでも、お前には関係ないはずだと。
その主張は同じような相手を好きになった生徒や、かなわない恋をしている生徒の心に刺さった。
「だからみんな好意的になったのか」
納得して何度もうなづく。
「いい友達を持ったな」
詠斗にそう言われて、燐音は誇らしい気持ちになったのだった。
☆☆☆
事件が起こったのはそんな日の休憩時間だった。
トイレに行こうと席を立った燐音に、走ってきたクラスメートがぶつかってきたのだ。
「あ、ごめん!」
そのクラスメートは悪気がなく、ただ急いで教室を出ようとしたところで横から出てきた燐音とぶつかってしまっただけだった。
その衝撃で燐音のメガネが落下し、衝撃でレンズにヒビが入ってしまったのだ。
「うわぁ、本当にごめん!」
メガネを拾い上げたクラスメートが青い顔をして謝罪する。
燐音からすれば偽物のレンズが割れただけなのでなんの支障もないし、もともと百均で購入したおもちゃだったので気にするものでもなかった。
「大丈夫だよ、気にしないで」
そう言って割れたメガネを受け取った瞬間、クラスメートと視線がぶつかった。
そのときクラスメートが大きく目を見開いたかと思うと、頬を赤く染めて燐音から逃げるように教室を出ていってしまったのだ。
前髪を長く伸ばしているからはっきりと顔をみられたワケじゃないと思うけれど、あの反応はまずいかもしれない。
割れたメガネをかけて燐音は考え込む。
もし自分が可愛いということが知れ渡ったら、また嫌な思いをするかもしれない。
昔の黒歴史が蘇ってきて慌てて左右に首をふって記憶をかき消した。
「燐音、大丈夫か?」
詠斗が心配して声をかけてくるので、燐音は笑顔を浮かべた。
「ちょっとレンズにヒビが入っただけだから、大丈夫だよ」
でもこれをかけていると視界が悪くて危ないかもしれない。
今日はメガネなしで過ごすしかなさそうだった。
☆☆☆
長い前髪で顔を隠して、うつむいて廊下を歩く。
そうしていると普段より視野が狭くなって移動教室へ到着するまでに何人もの生徒とぶつかってしまった。
「ふぅ。やっとたどり着いた」
移動教室に到着してホッと息を吐き出した時、苦笑いを浮かべた京介と克也のふたりが近づいてきた。
「メガネ、壊れたんだって?」
「そうなんだ」
燐音はズボンのポケットに入れていた伊達メガネを取り出して見せた。
レンズの中央に縦に走っているヒビ。
「あちゃぁ、これじゃ使えねぇなぁ」
京介がレンズをまじまじと見つめて言った。
「今日新しいのを買いにいくよ。どうせ百均のおもちゃだし」
割れたのがレンズだけだったのが奇跡の品物だ。
「やっぱり、メガネかけるのか?」
克也に聞かれて燐音は頷いた。
「今のままじゃ視界が悪いから」
「そうじゃなくて……もう少し自信を持ってみたらどうだよ?」
「え?」
その言葉に驚いてまばたきを繰り返す。
まさかこのふたりに励まされるなんて思ってもいなかった。
「まぁ、お前の場合は顔を隠さなきゃいけない深刻な理由があるのはわかる。でも、なにかあったら俺たちもいるしさ」
と、言ってから「俺達じゃ信用ならねぇか」と、克也はポリポリ頭をかいた。
「でも、とにかく俺たちのことも頼っていいからさ」
京介が横から言葉を続けた。
詠斗と同じように燐音のことを守ってくれるということらしい。
「ふたりのことはもう友達だと思ってるよ。でも、どうしてそんなに気にかけてくれるの?」
聞くと、ふたりはそっと手を握り合わせた。
指を絡ませる恋人繋だ。
「じ、実は俺たちも付き合い始めたんだ。詠斗と燐音のおかげで」
顔を赤くして告白する京介に克也は嬉しそうに笑っている。