前のページを表示する
服や荷物を入れておくクローゼットは一応別であるし、備え付けの机と小さな本棚もある。
これだけあれば文句なく過ごすことができる。
なによりも燐音にとってはひとり部屋というところが重要なのだから。
部屋の狭さなどほとんど関係なかった。
隠して自分だけの城を手に入れた気持ちになり、さっそく実家に送ってもらった自分も荷物を開封した。
ダンボール1つ分にまとめられて荷物はほとんどが着替えと、お気に入りの本で埋められている。
それらをひとつひとつ丁寧に片付けていってもクローゼットや本棚がいっぱいになることはなかった。
改めて自分に必要なものがごくわずかだということに気が付かされる。
ちょっと悲しい気がするけれど、趣味を増やせば人脈が増える。
それをうとましいと感じていた燐音には、ちょうどいい量だった。
そうしてひとり部屋が完成した、そのときだった。
コンコンとノック音が聞こえてきて燐音は飛び跳ねるようにして驚いた。
こんな自分に誰が何の用事だろう?
誰も用事なんてないはずだ。
そう思いながらも相手が寮の先生かもしれないと考えると、無視しているわけにもいかない。
「は、はい……」
立ち上がってドアへ向かい、そっと開いてみるとそこには思っていた通り寮の先生が立っていた。
寮を取り仕切っている先生は柔道部の顧問も兼任しているらしくて、その体は服の上からでもわかるほど筋肉質だ。
この人に逆らったら簡単に張り倒されてしまうだろう。
「な、なんですか?」
「おう霞、悪いけどしばらくの間こいつも一緒の部屋にしてやってくれねぇか?」
先生らしくないくだけた口調でそう言った後ろから、1人の男子生徒が顔を出した。
「よ! 霞」
ニカッと笑って見える眩しい白い歯に、明るい髪色。
それはまさしく今日同じクラスになったばかりの日向詠斗だったのだ。
燐音は目をまんまるに見開いてそれから口をパクパクさせた。
「な、な、なんで」
ようやくそれだけ言うと先生が申し訳無さそうに眉を下げて「実はこいつの部屋が雨漏りしててなぁ。ちょっと修理が必要になったんだ。だから、修理が終わるまでの間だけだ」と、説明した。
聞くところによれば1年生はみんな寮の3階を使っているようで、そこで雨漏りが発生。
今日はよく晴れているけれど昨日は1日雨が振ったことで、部屋が水浸しなのだそうだ。
「俺の部屋畳でさ、畳がぐっしょり水吸ってとてもじゃないけど寝れないんだよ」
「……ってことは、畳も入れ替えるまで部屋に戻れないってこと?」
勇気を出して詠斗へそう質問すると、詠斗は渋面を作って「そうなんだよぉ」と何度も頷いてみせた。
雨漏りを修理するだけでなく、畳の入れ替えも必要だとなるとそう簡単にはいかなさそうだ。
燐音は詠斗と先生の顔を交互に見つめた。
せっかく手に入れたひとりだけの城。
先生に懇願して、教師用の休憩室を特別に使わせてもらえることになったのだ。
それが、こんなにも早く崩れ去っていくなんて嫌だ。
それも相手は大人気キラキラ男子だなんて!
喉元まで出かかった言葉が出てくることはなく代わりに「わかりました」とぼそぼそ呟いていたのだった。
「うわぁ、この部屋狭いなぁ」
詠斗は部屋に入るやいなや笑いながらそう言った。
嫌なら今すぐ出ていってもらって構わないのだけれど、もちろん燐音がそんなことを言えるわけがない。
「ひとり部屋だから」
と、暗い声色で返事をすることが精一杯だ。
すでに部屋着に着替えている詠斗は有名スポーツブランドのシャツとハーフパンツ姿で、それだけでもなんだかすごく絵になっている。
ハーフパンツから伸びている足はスラリと真っ直ぐで長く、ほどよく筋肉がついていて美しい。
思わずマジマジと見てしまいそうになり、燐音は慌てて視線をそらせた。
「お、お前の荷物は?」
黙っていると余計なことを考えてしまいそうなので、そう聞くと詠斗は「必要な分だけ持ってきた」と、紙袋を見せてきた。
中には教科書とちょっとした着替えが入っているみたいだ。
他の荷物は前の部屋のクローゼットが無事だったので、置いてきたという。
必要になればまた取りに戻るみたいだ。
「とにかく、しばらくの間よろしくな」
自分の荷物をクローゼットと間場所に突っ込んでから、詠斗が燐音に手を差し出した。
燐音は条件反射のように詠斗の手を握りしめる。
その手は少しゴツゴツしていて手のひらには豆の感触があった。
本気でバスケをしてきたせいか、詠斗のようにプニプニした柔らかさは感じられない。
なんというか、男って感じだ。
詠斗に男を感じた瞬間、燐音は手を引っ込めていた。
目をそらし床に視線を落して「よろしく」と、くぐもった声で答えたのだった。
☆☆☆
まさかこんなことになるなんて。
なんのためにひとり部屋にしてもらったのかわからなくなる。
雨漏りの修理って、一体いつまでかかるんだ?
いつまでこいつはこの部屋にいるんだ?
ぐるぐるとそんなことを考えながら、今日配られたばかりの教科書に視線を落とす。
内容は全く頭に入ってきていないし、習っていない箇所なのでどれだけ読み込んだって理解はできない。
でもこうしていないと視界の隅っこに横で本を読んでいる詠斗の姿が映って、気になって仕方ないのだ。
「なぁ燐音、この漫画すっげぇ面白くってさ」
一冊読み終えた詠斗が顔を上げて声をかけてくる。
「燐音!?」
突然の呼び捨てに驚き、声が裏返ってしまう。
「あ、悪い。呼び捨て嫌なんだっけ?」
「い、いや、別に……」
しどろもどろになって顔をそむける。
「じゃ、俺のことも詠斗って呼んでよ」
そう言われても出会ったばかりでこんなにキラキラしたヤツのことをいきなり呼び捨てにするのは難しい。
燐音は顔を伏せて黙り込んでしまった。
「部屋貸してもらうんだからさ、俺には遠慮しなくていいよ。漫画、貸してやるしさ」
ポンッと背中を叩かれて思わず視線を上げてしまう。
どうしてこいつはこんなにも距離感が近いんだろう。
今の僕は髪の毛がボサボサで前髪とメガネで顔が隠れていて、かなりキモイはずなのに。
そしてそれは教室でクラスメートたちの反応を見て、成功しているはずなのに。
キラキラとしたその姿に、目を離せなかった。
☆☆☆
それから数時間後、またドアがノックされたかと思うとこちらの返事も待たずにドアが開かれていた。
顔をのぞかせたのは濡れた髪の毛に肩にタオルをかけた生徒で、手には『入浴中』と書かれたプラスチックの札が持たれていた。
「次、お前らの番だから」
チラリと狭い室内を見ただけで特に表情も変えず燐音に札を手渡すと、さっさと行ってしまった。
「よっし、風呂か」
振り向くと詠斗はすでにタオルと下着の準備をしている。
「ぼ、僕は後からでいいから」
燐音はそう言って詠斗に札を差し出した。
「後からって言ってもひと部屋15分ずつだから、一緒に入らないと時間がなくなるぞ?」
「じゃ、じゃあ、君が10分使ってよ。僕は5分でいいから」
本当は登校初日で体はクタクタだったから、ちゃんと湯船に浸かりたかった。
だけど別々に入浴するのなら、そんなことも言っていられない。
今日はザッとシャワーを浴びただけで終わりになりそうだ。
「なんでだよ? 裸になるのが嫌なのか?」
「まぁ、そんなところ」
燐音はそう言うと、札を詠斗に押し付けた。
詠斗はしぶしぶと言った様子でそれを受け取ると「じゃ、先に行ってくる」と、部屋を出ていった。
ひとり部屋に残された燐音はホッとため息を吐き出してそのまま座り込んだ。
まさか初日からふたり部屋になってしまうなんて思っていなくてかなり心の方もかなり疲れてしまった。
少し横になるとすぐに眠気が襲ってきて、気がつけばそのまま眠ってしまっていた。
「……い、おい。起きろよ風呂に行く時間がなくなるぞ?」
体を揺さぶられて目を開けると目の前に後方級イケメン顔がいて飛び起きた。
「なっなっ」
と、わけのわからない言葉を口走りながら尻をついた状態で後ずさりをする。
途中でメガネを外していたことに気がついて、慌ててかけた。
「なんだよその反応。顔真っ赤だぞ?」
詠斗が不思議そうに首をかしげている。
その拍子に濡れ髪からしずくが滴り落ちて頬を濡らした。
「な、なんでもない!」
燐音は着替えの下着とタオルをひっつかむと、詠斗から『入浴中』の札を奪い取り、大慌てで部屋を出たのだった。