切々と語るドロシー。

「ユータのいないこの一か月、地獄だったわ。コーヒーいれても自分しか飲む人がいないの。笑い合う人もいないし、一緒に夢を語る人もいない……。私もう、こんな生活耐えられない!」

 ドロシーはその身を投げるようにしがみついてきた。

 温かく柔らかい香りにふわっと包まれる――――。

 その香りは、改めて俺の記憶の奥底に眠っていた幸せな日々を呼び覚ました。

「ドロシー……」

 俺は小刻みに震えるドロシーの頭を優しくなでる。そこにはずっと心から欲していた温かさがあった。

「俺だって一緒だったよ。一番大切なドロシーがいない生活なんてまるで色を失った世界だったよ」

 心の奥底から言葉が自然と出てきた。

「ならつれてってよぉぉぉ! うわぁぁぁん!」

 ドロシーの魂の叫びが響き渡る――――。

 俺は目をつぶり、ドロシーの柔らかな体温をじっと感じていた。

「ユータ……、連れて行ってあげて」

 院長が温かいまなざしで俺を見る。その目には、二人を思う深い愛情が宿っていた。

「いや、でも、新居は部屋は一つしかないし、女の子泊められるような環境じゃないですよ」

 俺の言葉は、弱々しい最後の抵抗でしかなかった。

「結婚すればいいわ」

 院長の目が優しく輝いた。その瞳には、長い人生の荒波を乗り越えてきた者だけが持つ、深い叡智(えいち)と温かさが滲んでいた。

「け、結婚!? 俺まだ十六歳ですよ!?」

 思わず声が裏返る。心臓が早鐘を打ち、頬が熱くなるのを感じた。

「商売上手で最強の男はもう子供なんかじゃないわ。それにあなた……、本当は十六歳なんかじゃないでしょ?」

 院長は斜に構えて鋭い目で俺を射抜く。その眼差しは、まるで俺の魂の奥底まで見通しているかのようだった。

 俺は苦笑いしながらごまかす。

「結婚については、ドロシーの意見も聞かないと……」

「バカねっ! まず、あなたがどうしたいか言いなさい! 結婚したいの? したくないの?」

 院長はバン! とテーブルを叩いた。その鋭い音が俺の心臓を直撃する。

 いきなり人生の一大決断を迫られる俺……。額に冷や汗が滲む。

 俺は目をつぶった――――。

 頭の中で、これまでのドロシーとの思い出が駆け巡っていく。

 暴漢から助けた時、一緒に剣を磨いた時、サンゴ礁の海を巡った時――――。

 ドロシーと共に歩む人生、それは俺にとって夢のような人生だ。危険を分かっても『ついて行きたい』と言ってくれるドロシー、正直俺には過ぎた女性だ。そのドロシーの覚悟に俺はどう応えるか……。

 俺はドロシーをそっと引き離し、涙で溢れている綺麗なブラウンの瞳を見つめた。

 ヒックヒックと小刻みに揺れるドロシー。

 愛おしい……。その感情が、胸の奥深くから湧き上がってくる。

 その瞬間、俺の心に天啓のような決断が下りた。それは、まるで長い間探していたパズルの最後のピースがぴたりとはまったかのような、そんな感覚だった。

「俺はドロシーを命がけで守る。必死に守る。でも……、それでも守り切れないことがあるかもしれない……」

 俺は丁寧に誠実に言葉を紡ぐ。

「覚悟はできてる、十分だわ」

 ドロシーは固い決意を込めた声で答える。その瞳には、揺るぎない信頼と勇気が宿っていた。まるで、どんな嵐が来ようとも、二人で乗り越えていけるという確信が見えるようだった。

 その瞬間、危険も不安も、全てを飲み込むほどの強い想いが俺の中に湧き上がる――――。

 それは、かつて経験したことのない、強烈な衝撃だった。

 俺は深く息を吐き、ドロシーをまっすぐに見ると静かに口を開いた。

「ドロシー、心から愛しています……。僕には……、あなたしかいません。結婚してください」

 自然と涙が湧いてきてしまう。

 目を大きく見開くドロシー――――。

 直後、ドロシーは目にいっぱい涙を浮かべ、俺に飛びついてきた。ギュッと力強く抱きしめてくるその腕には、長い間抑えていた感情の全てが込められていた。その温もりが、俺の全身に広がっていく。

「お願い……します」

 震える声で答えるドロシー。それはまるで祈りのように部屋に響いた。

 二人とも涙をポロポロとこぼし、お互いをきつく抱きしめる。その抱擁は、これからの人生を共に歩む誓いそのものだった。二人の鼓動が一つになったようにすら感じる。

 院長はもらい涙をハンカチで拭いながら、まるで母親のように愛情あふれる笑顔でうなずいた。

 窓から差し込む陽光が、三人を優しく包み込む。その光は、新たな人生の幕開けを祝福しているかのようだった。部屋の空気が、希望に満ちた温かさで満たされていく。

 こんなにも愛おしい人が俺を頼ってくれている。もう悩むことなど無いのだ。レヴィアは『大切なことは心で決めよ』と言っていたが、その通りだった。今、俺の心にも暖かな光が広がっていく――――。

 その光は、これから二人で歩んでいく道を照らす、希望の光だった。未来への不安はあるけれど、それ以上に、ドロシーと共に歩んでいく喜びと期待で胸が満たされていた。