「コーヒーを入れるからそこ座ってて」

 俺がそう言うとドロシーは、

「大丈夫、私がやるわ」

 と、ケトルでお湯を沸かし始める。その仕草には、いつもの気遣いが感じられた。

 俺はまだ食べられそうな料理を火魔法でいくつか温めなおし、お皿に並べる。ただ、そうしながらも、言葉にならない思いが胸の中で渦巻いていた。

 二人は黙々と朝食を食べる。沈黙が重く、部屋に満ちていく。

 何か言葉にしようと思うが、何を並べても空虚な言葉になりそうな気がして上手く話せない。

 ドロシーが静かに切り出した。

「こ、このテーブルにね、可愛いテーブルクロスかけたら……どうかな?」

 その言葉に、俺は胸が締め付けられる。未来への希望を語るドロシーに、残酷な現実を告げなければならないことが、より一層苦しく感じられた。

 ふぅ……。

 俺は大きく息をつくと、覚悟を決めた。

「実はね……ドロシー……。このお店、(たた)もうと思っているんだ」

「えっ!?」

 目を真ん丸に見開いて仰天するドロシー。彼女にとっては青天の霹靂である。俺は彼女の顔を見続けられず、うつむきながら続けた。

「俺、武闘会終わったらきっと【おたずね者】にされちゃうんだ。だからもう店は続けられない」

 俺はそう言って静かに顔を上げ、ドロシーを見つめた。

「う、うそ……」

 呆然(ぼうぜん)とするドロシー。その声は、受け入れられない信じがたい現実への魂の悲鳴のようだった。

 俺は静かに首を振る。

 ドロシーは涙を浮かべ、叫ぶ。

「なんで!? なんでユータが追い出されちゃうの!?」

 その声には、怒りと悲しみが混ざり合っていた。

 俺は目をつぶり、大きく息を吐く。

「平民の活躍を王国は許さないんだ。勇者は貴族の力の象徴。それを平民が倒せばどんなことをしてでも潰しにくる……」

 その一言一言に、重い現実が込められていた。

 嫌な沈黙が流れる。

「じゃ……、どうする……の?」

 ドロシーの声は震えていた。その言葉には、不安が滲んでいる。

「別の街でまた商売を続けようかと、お金なら十分あるし」

「私……、私はどうなるの?」

 引きつった笑顔のドロシー。透き通るようなブラウンの瞳には涙がたまっていく。その姿は、心を引き裂くほど愛おしく、同時に痛ましかった。

「ゴメン……、ドロシーの今後については院長に一緒に相談に行こう」

 その言葉が、決定的な溝を生む――――。

 バン!

 ドロシーが激しくテーブルを叩く。その音は、二人の関係に入った亀裂そのものだった。

「嫌よ! せっかくお店の運営にも慣れてきたところなのよ! 帳簿も付けられるようになったのに! これから……なのに……うっうっうっ……」

 テーブルに泣き崩れるドロシー。

「お金については心配しないで、ちゃんとお給料は払い続けるから……」

 俺の言葉は、空しく響いた。

「お金の話なんてしてないわ! 私もつれて行ってよ、その新たな街へ」

 ドロシーの叫びは、純粋な願いそのものである。しかし、その願いを叶えることができない現実が、俺の心を締め付けた。

「いや、ドロシー……。俺のそばにいると危険なんだよ。何があるかわからないんだ。また(さら)われたらどうするんだ?」

 その言葉は、愛する人を守りたいという気持ちから出たものだった。しかし、それはドロシーには受け入れられない。

 ドロシーがピタッと動かなくなった。

 そして、低い声で言う。

「……。分かった。私が邪魔になったのね? 昨晩、みんなで何か企んだんでしょ?」

 その声には、深い絶望が滲んでいた。

「な、何を言うんだ! 邪魔になんてなる訳ないじゃないか」

 俺は必死に取り繕う。しかし、もはやドロシーの心には届かなかった。

「じゃぁ、なんで捨てるのよぉ! 私のこと『一番大切』だったんじゃないの!?」

 もうドロシーは涙でぐちゃぐちゃになっていた。その姿は、俺の心を引き裂いていく。

「す、捨てるつもりなんかじゃないよ」

 俺は必死に言葉を搾り出す。

「私をクビにしていなくなる、そういうのを『捨てる』って言うのよ!」

 ドロシーはエプロンをいきなり脱いで俺に投げつけると、俺をにらみつけた――――。

「嘘つき!」

 涙を散らしながら、ドロシーは店を飛び出して行ってしまった。

「ま、待って……」

 俺の言葉は、もはや空虚な響きでしかない。

 その背中を見送ることしかできない俺の胸には、言葉にならない後悔と痛みが広がっていく。大切な人を守ろうとした行動が、逆に深く傷つけてしまったという現実。その重みが、俺の心を押しつぶしていった。

「ドロシー……」

 俺は深い後悔と痛みに苛まれる。その場に立ち尽くし、どうすることもできずに頭を抱えた。