「ちょ、俺が救世主!?」~転生商人のおかしな快進撃~

 俺は瀬崎(せざき)(ゆたか)。憧れの大学には滑り込みで入学したものの、折からの不景気で就活に失敗。夢と希望を胸に抱いて上京した俺は、いつしかアルバイトをしながらのギリギリの暮らしに転落してしまっていた。

 遊びまわる金もなく、ゲームばかりの毎日。それも無課金。プレイ時間と技で何とか食らいついていくような(みじ)めなプレイスタイルだった。必死になった分、ゲームシステムの隙をつくような技にかけては自信はあるのだが、そんなスキルも現実世界では全く金にはならない。皮肉なものだ。

 カップラーメンや菓子パンを詰め込んで朝までゲーム、そして金が尽きたら親に泣きついて嘘を重ねて仕送りしてもらう。

 狭いワンルームで、モニターの青白い光に照らされる生活。友人との付き合いも徐々に減り、気がつけば完全な独居生活(どっきょせいかつ)。こんな暮らしがいつまでも続くわけがない――――そう思いながらも、現実から目を背け続けていた。

 そしてある日、ついに不摂生がたたり、ゲームのイベント周回中に運命が牙を剥いた。

「うっ」

 いきなり襲ってきた強烈な胸の痛み。まるで鉄槌(てっつい)で胸を打ち抜かれたかのような激痛。

「ぐぉぉぉ!」

 俺は椅子から転げ落ち、床の上でのたうち回った。苦しくて苦しくて、冷や汗がだらだらと流れてくる。マズい――――頭の中が真っ白になる。

(きゅ、救急車……呼ばなきゃ……ス、スマホ……)

 しかし、あまりに苦しくてスマホを操作できない。指先が思うように動かないのだ。

(ぐぅ……死ぬ……死んじゃうよぉ……)

 目の前が真っ暗になり、急速に意識が失われていく。最後の瞬間、脳裏に浮かんだのは、両親の顔。そして、かつて抱いていた大きな夢。

(え、これで終わり……? そ、そんなぁ……)

 これが現世での最後の記憶である。二十三年間の人生が、走馬灯のように駆け巡る。

 そして突然、不思議な感覚が全身を包み込む。キラキラと輝く黄金の光の渦の中に飲み込まれ、溶け込んでいくような感覚。痛みは消え、代わりに心地よい温もりが広がる。

(これは……なに?)

 意識が朦朧(もうろう)とする中、かすかな希望の光が心に灯る。もしかして、これは――――?

 人生ゲームオーバー。

 しかし、それは新たなゲームの始まりでもあった。

 俺の魂は、光の中を漂いながら、未知の世界へと旅立っていく。そこには、きっと新たな冒険が待っているはずだ。

 ゲームで培った技術と知識。現実では役立たずだったそのスキルが、もしかしたら――――。

 意識が完全に闇に飲み込まれる直前、俺の心に小さな期待が芽生えた。


       ◇


 「……豊さん……」

 朦朧(もうろう)とした意識の中で、誰かが呼ぶ声が聞こえる。懐かしい、でも思い出せない声。

「……豊さん……」

 何だ? 誰だ? 俺はゆっくりと重たい(まぶた)を持ち上げた。

「あ、豊さん? お疲れ様……分かるかしら?」

 目を開けると、そこは光あふれる純白の神殿(しんでん)。そして、(まぶ)しいほどに美しい女性が俺を見下ろしていた。その神聖な姿に俺は圧倒される。

「あ、あれ? あなたは……?」

 俺は急いで体を起こし、目をこすりながら聞いた。頭がクラクラする。

「私は命と再生の女神、ヴィーナよ」

 そう言って、女神はにっこりと微笑んだ。その笑顔に、なぜか(なつ)かしさを感じる。

「え? あれ? 俺、死んじゃった……の?」

 現実を受け入れられない俺の問いに、ヴィーナは優しくうなずいた。

「そうね、地球での暮らしは終わりよ。これからどうしたい?」

 ヴィーナは俺の目をのぞき込む。その瞳に映る自分は、何と情けない姿だろう。

「え? どうしたいって……、転生とかできるんですか?」

 俺の声には、希望と不安が入り混じっていた。

「そうね、豊さんはまだ人生満喫できていないし、もう一回くらいならいいわよ」

 やった! 俺は目を輝かせ、両手を合わせて祈るように言った。

「だったら……チートでハーレムで楽しい世界がいいんですが……」

 すると、ヴィーナはまたかというように、首を振り、うんざりした表情を見せる。その仕草が、どこか見覚えがある。

「ふぅ……最近みんな同じこと言うのよね……。チートでハーレムなんて提供する訳ないじゃない! 馬鹿なの?」

 不機嫌になってしまったヴィーナ。確かにチートハーレム勇者を送り込むメリットが女神側にあるわけがない。ちょっと贅沢言い過ぎたかもしれない。しかし、これは次の人生に関わる重要なポイントだ。なんとかいい条件を勝ち取らねばならない。

「じゃ、チートだけでいいのでお願いしますぅ」

 俺は必死に頼み込む。その無様な姿を、ため息をつきながら見つめるヴィーナ。

「ふぅ……、しょうがないわねぇ……じゃぁ特別に『鑑定スキル』付けておいてあげましょう」

 そう言ってヴィーナは何やら空中を操作してタップした。その仕草は、スマホを操作する現代の若者そのものだ。

「え~、鑑定ですか……」

「何よ! 文句あるの?」

 ギロっとにらむヴィーナ。その眼差(まなざ)しに、俺は背筋が(こお)る思いがした。

「い、いえ、鑑定うれしいです!」 

 急いで手を合わせてヴィーナに(おが)む俺。と、ここで俺は気づいた。このヴィーナのセリフ、にらみ方は、どこかで見覚えがある。

「……、よろしい! では、準備はいいかしら?」

 ニッコリと笑うヴィーナ。その笑顔に、ある人物の面影を見た気がした。

「も、もしかして……美奈(みな)先輩ですか?」

 そう、ヴィーナは大学時代のサークルの先輩に似ていたのだ。あの優しくも厳しい先輩。

「じゃぁ、いってらっしゃーい!」

 俺の質問を無視し、強引に見切り発車するヴィーナ。テーマパークのキャストのように、ワザとらしい笑顔で手を振る。その仕草があまりにも美奈(みな)先輩そっくりで、俺は思わず声を上げた。

「いや、あなた、やっぱり美奈(みな)先輩じゃないか、こんなところで何やって……」

 言葉の途中で、俺の意識はすぅっと遠のいていった。最後に見たのは、ヴィーナの少しいたずらっ子のような笑みと、意味深なつぶやき――――。

「豊くん。今度こそ、楽しませてよ?」

 俺の魂は、新たな世界へと旅立っていった。そこでどんな冒険が待っているのか、まだ全く分からない。ただ、一つだけ確かなことがある。この『鑑定スキル』が、俺の運命を大きく変えることになるということだ。


 皆が寝静まる深夜、俺はベッドで目が覚めた。月の光が(すす)けた窓から差し込み、薄暗い部屋を青白く照らしている。

「え? あれ?」

 俺は呆然(ぼうぜん)とする。記憶によれば、俺はこぢんまりとした孤児院で暮らす十歳の少年、ユータ……だが……。

 むっくりと体を起こし、周りを見回す。目に映るのは、所狭しと並ぶ三段ベッド。右も左も、孤児たちの寝息が響く。これは見慣れた風景……。だが、激しい違和感がむくむくと湧き上がってくる。

「いやいやいや、何だこれは?」

 混乱した俺は目をつぶり、必死に記憶を呼び覚ます。すると、まるで(せき)を切ったように、前世の記憶が(あふ)れ出してくる。

 日本でのニート生活。そして、死ぬ間際までやっていたあの豪華なグラフィックだったMMORPGの攻略方法。特殊な薬草集めて金貯めて、装備を整えてダンジョン行くのが最高効率ルート。途中、バグ技使って経験値倍増させるのがコツだった。これらの記憶は、妄想なんかじゃない。

 俺はベッドに腰掛け、周りを見る。隣のベッドで幸せそうにすやすやと眠る少年。そう、親友のアルだ。その無邪気な寝顔に、俺は思わずほっとする。

 俺は日本人……でも、異世界の孤児でもある――――。

 つまり……俺はこの少年に無事転生したってこと……なんだろう。

「や、やった! 二回目の人生だ、今度の人生は上手くやってやるぞ!」

 ようやく実感がわいてきてグッとガッツポーズを決めた。

 しかし――――。

 孤児――――?

 俺はガックリしてベッドに転がった。

 女神様ももうちょっと気を使ってくれてもいいのに。貴族の息子の設定とかでもよかったんだよ? 俺はあの先輩に似た女神様を思い出し、ふぅっとため息をつく。

 なんともハードなスタートだよ。

 俺は大きくため息をついた。

 えーっと……。何か特典を貰っていたな……。確か……『鑑定』、そうだ! 鑑定スキル持ちなはずだぞ。

 だが、どうやるかまで聞いてなかった。

 くぅぅぅぅ……。

 俺は思わず頭を(かか)える。

 俺はアルに向かって、小さな声で呟いた。

「鑑定……」

 だが……何も変わらない。

 おいおい、女神様……。チュートリアルくらい無いのかよ……。俺はちょっと気が遠くなった。ゲームでは指さしてクリックだったが……クリックってどこを?

 試しにアルを指さしてみたが、そんなので出てくるはずがない。俺は途方に暮れ、大きく息を吐き、月明かりの中幸せそうに寝てるアルをボーっと見つめた。

 鼻水の跡がそのまま残る汚い顔、何かむにゃむにゃ言っている。一体どんな夢を見ているのだろうか……。まさか親友が異世界転生の二十代のゲーマーだとは思ってもみなかっただろう。

 アルが鑑定出来たらどんなデータが出るのかな……レベルとか出るのかな……。

 そう考えた瞬間だった。

 ピロン!

 頭の中で音が鳴り、いきなり空中にウィンドウが開いたのだ。

「キターー!!」

 俺は思わずガッツポーズ。女神様は約束通りチートスキルを恵んでくれていたのだ。

 どうも心の中で対象のステータスを意識すると自動的に『鑑定ウィンドウ』が開く仕様になっているらしい。

 この瞬間、俺の新しい人生が本当の意味で始まったのだ。鑑定スキルを武器に、この厳しい世界で生き抜いていく。そう、たとえ孤児という厳しいスタートであっても、前世の記憶とこのチート能力を駆使して、栄光の道を切り開いてやるのだ。


       ◇


 さてと――――。

 俺はワクワクしながら、鑑定ウィンドウの中を覗き込んだ。

アル 孤児院の少年
剣士 レベル1

 他にもHP、MP、強さ、攻撃力、バイタリティ、防御力、知力、魔力……と並んでいる。数値の意味までは分からないが、どれも大切そうだ。特にHPは要注意だな。ゼロになったら、きっと……。俺は思わずゴクリと息をのんだ。

「よし、次は俺だ!」

 自分を鑑定するにはどうしたらいいか……。しばし考えた後、思い切って叫んでみた。

「ステータス!」

 すると、まるで魔法のように空中にウィンドウが開き、俺のステータスが現れた。

「やったぁ!」

 喜び勇んで中を見ると……。

ユータ 時空を超えし者
商人 レベル1

 しょ、商人だって!?

「えぇっ!? マジかよーー!」

 思わず宙を仰いだ。

 何だよ、女神様……。そこは勇者とかじゃないのかよ! せめてアルみたいに剣士にしておいて欲しかった……。

 明らかに異世界向きじゃないハズレ職に俺は意気消沈する。ため息が出そうになるのを(こら)えながら、俺は周りの仲間たちも次々と鑑定してみた。

 だが、皆【村人】だの【遊び人】だの平凡なジョブばかり。特殊な職業は見当たらなかった。むしろ【商人】はマトモな部類だった。

 ふぅ……。

 月明かりの中大きく息をつく。

 さて、俺はこの世界で何を目指せばいい? 商人じゃ派手な冒険は無理だ。となると、金儲け特化型プレイ? うーん、どうやったらいいんだ?

 俺は頭を抱えて考え込んだ。ゲームの時はどうやって稼いでいたんだっけ――――?

 そうか! 鑑定スキルを使えば、レアアイテムや隠された宝を見つけられるかもしれない。それを売買すれば……!

 グッとイメージが湧いてきた。商人として成功の道が、少しずつ見えてきたのだ。

「よし、決めた! 明日から、なんでも全部鑑定してみよう。隠された真実が分かるかもしれないぞ」

 俺はベッドに横たわり、薄い毛布に(くる)まった。冷たい夜風が窓から忍び込んでくる。だが、俺の心は温かかった。

 明日から俺は転生商人だぞ。うっしっし……。

 ワクワクした気持ちを胸に、俺は静かに目を閉じた。夢の中では、きっと俺は大商人になっているだろう。そして、この孤児院の仲間たちを幸せにする方法を見つけているはずだ。

 月の光が俺の顔を優しく照らす中、新たな冒険への期待に胸を膨らませながら、俺の意識はゆっくりと薄らいでいった。

「キャ――――!!」

 夜の静寂を破る悲鳴が、かすかに窓の外から聞こえてきた。俺の耳朶(じだ)を掠めたその声は、(かす)かで儚いものだったが、その中に(ひそ)められた恐怖と絶望の響きは、俺の心臓を強く(わし)づかみにした。

 空耳……? いや、違う!

 幻聴がこんなに生々しく響くはずがないのだ。

 俺は息を潜め、そっと窓の外を覗いた。離れの倉庫の窓から、かすかな明かりが漏れている。その光は、夜の闇の中で不吉な灯火(ともしび)のように揺らめいていた。

 あんなところ、夜中に誰かが使う訳がない! あそこだ!!

 俺は迷わず窓から(すべ)り降り、はだしで倉庫へと向かった。冷たい地面が足の裏に突き刺さるが、そんなことは気にも留めない。俺の心はただ一つ、悲痛な叫びの救済にしかなかった。

 倉庫の窓に顔を寄せ、中を覗き込んだ瞬間、俺の血の気が引いた。

 男に組み敷かれ、服を()ぎ取られた少女の姿。(わず)かに膨らみ始めた白い胸が、揺れるランプの炎に照らされ、妖艶(ようえん)な光景を作り出している。少女の喉首(のどくび)に押し当てられた刃物。そして、涙に()れた顔。

(ドロシー!)

 俺の心が悲鳴(ひめい)を上げた。十二歳のドロシー。その陽気で明るい笑顔は、孤児院のみんなの希望だった。俺自身、何度も彼女に勇気づけられたことか。

(絶対に救わなくては!)

 しかし、どうやって? 俺は焦燥感(しょうそうかん)に駆られながら、必死に状況を把握(はあく)しようとする。

 男がズボンを下ろし始めた。時間がない。俺は急いで鑑定スキルを使った。

イーヴ=クロデル 王国軍二等兵士
剣士 レベル三十五

(なんてこった。兵士じゃないか! しかもレベル三十五……)

 絶望的な状況に、俺の脳裏(のうり)を真っ白な(きり)が覆う。レベル1の俺では、まるで蟷螂(とうろう)(おの)だ。かといって、大人を呼びに行く時間もない。

 余計な事をすれば俺も標的になりかねない中で、俺は必死に頭を必死に回した。

(考えろ……考えろ……)

 俺の心臓が鼓動(こどう)を早め、額には冷や汗が(にじ)む。ドロシーの悲痛(ひつう)な表情が、俺の(ひとみ)に焼き付いて離れない。

 俺の心臓が激しく鼓動を打つ。迷う時間はない。意を決すると、俺は窓をガッと開け、震える声で叫んだ。

「クロデル二等兵! 何をしてるか! 詰め所に通報が行ってるぞ。早く逃げろ!」

 突如響き渡った声に、男は跳び上がる。子供の声であることに一瞬戸惑(とまど)いを見せたが、自分の名前と階級が呼ばれたことにヤバい雰囲気を感じ取ったようだった。

「チッ!」

 舌打ちと共に、男は慌ててズボンを上げ、ランプを掴むと夜の闇へと逃げ去った。その背中に、俺は憎悪(ぞうお)眼差(まなざ)しを向けずにはいられなかった。

「うわぁぁぁん!」

 ドロシーの嗚咽(おえつ)が倉庫に響き渡る。俺は兵士が通りの向こうに消えるのを確認すると、躊躇(ちゅうちょ)なくドロシーの元へ駆け寄った。

 月の光に照らされた彼女の顔は、涙と鼻水で(にじ)み、その姿は俺の心を()め付けた。

「もう大丈夫、僕が来たからね……」

 俺はそっとドロシーを抱きしめる。その小さな体が、俺の腕の中で震えている。

「うぇぇぇ……」

 ドロシーは嗚咽(おえつ)を繰り返しながら、しばらく泣き続けた。その間、俺は彼女の背中を優しく()で続けた。十二歳のまだ幼い少女を襲うなんて、俺の中で怒りが沸々(ふつふつ)()き上がる。

 やがて、ドロシーの(すす)り泣きが収まり、かすれた声でポツリポツリと事情を話してくれた。

「トイレに……起きた時に、倉庫で明かりが揺れてるのを見つけて……何だろうって……」

 その(つぶや)きに、俺は静かにうなずく。好奇心旺盛な彼女らしい行動が、こんな恐ろしい結果を招いてしまったのだ。

 窓から差し込む淡い月明かりに、ドロシーの銀髪が煌々(こうこう)と輝いている。どこまでも澄んだブラウンの瞳から、涙が止めどなく(あふ)れ出す。その姿は、(はかな)くも美しく、俺の心を激しく揺さぶった。

「うぇぇぇ……」

 思い出したようにまたドロシーは嗚咽をあげる。

 俺は再びゆっくりとドロシーを抱きしめ、何度も何度も背中を優しく()でた。

『ドロシーに幸せが来ますように……、嫌なこと全部忘れますように……』

 俺は心の中で(ねんご)ろに祈りつづける。

 二人の姿は月明かりに照らされて静かに青白く輝いていた。

「ハーイ! 朝よ起きて起きて!」

 衝撃(しょうげき)の夜が明け、朝日が窓から差し込む。アラフォーの、恰幅(かっぷく)のいい院長のおばさんが、廊下(ろうか)闊歩(かっぽ)しながら、あちこちの部屋に元気な声をかけて子供たちを起こしていく。その声には、まるで魔法の力が宿っているかのように子供たちは飛び起きていった。

「ふぁ~ぁ」

 俺は大きく欠伸(あくび)をする。昨夜はあの後なかなか寝付けなかったのだ。目をこすりながら、ふと思い立って院長を鑑定してみる。


マリー=デュクレール 孤児院の院長 『闇を打ち払いし者』
魔術師 レベル八十九


「えっ!?」

 俺は一気に目が覚めた。寝不足の倦怠感(けんたいかん)なんて吹き飛んでしまう。

(何だこのステータスは!? あのおばさん、称号持ちじゃないか!)

 今まで単なる面倒見のいいおばさんだとしか認識していなかったが、とんでもない。一体どんな壮絶(そうぜつ)な活躍をしたらこんな称号が付くのだろうか? 人は見かけによらないとはまさにこのこと。俺は小さく頭を下げ、心の中で今までの軽視を謝罪(しゃざい)した。

 食堂に集まり、お祈りをして朝食をとる。ドロシーの姿を見つけた俺は、胸が()め付けられる思いがした。彼女の(まぶた)()れ、元気のない様子。それでも俺を見ると小さく手を振って微笑(ほほえ)んでくれた。その健気(けなげ)な姿に、俺は彼女を見守っていかねばと決意を新たにする。

 また、院長にも報告しなければ。二度と同様な事故が起こらないように対策をしてもらわないとならない。

「あれ? ユータ食べないの?」

 突如、アルの声が俺の思考を(さえぎ)った。彼の手が俺のパンに伸びてくる。

「欲しいなら銅貨二枚で売ってやる」

 俺はすかさず彼の手をピシャリと叩いた。

「何だよ、俺から金取るのか?」

 アルは(ほお)を膨らませて言う。その表情があまりにも愛らしく、俺は思わず吹き出しそうになる。

「ごめんごめん、じゃ、このニンジンをやろう」

 俺が煮物のニンジンをフォークで取ると、

「ギョエー!」

 と喚きながらアルは自分の皿を後ろに隠した。その滑稽(こっけい)な反応に、辺りは笑いに包まれる。

 この穏やかな朝の光景。昨夜の恐ろしい出来事が嘘のようだ。しかし、俺は決して忘れない。ドロシーを守ること、この孤児院の仲間たちを守ること。そして……、折を見て院長の秘密も探ってみたいと思った。

 俺は口に運んだパサパサしたパンを()みしめながら、静かに誓う。

 俺は転生商人として必ず成功する。そして、この仲間たちを守ってみせる。

 朝日が差し込むにぎやかな食堂で、俺は一人秘かにグッとこぶしを握った。


       ◇


 食事の時間は(にぎ)やかだ。まるで小さな戦場のようだ。あちこちで悪ガキどもが小競り合いを繰り広げ、小さな子供はすぐに癇癪(かんしゃく)を起こしてぐずる。その喧噪(けんそう)の中で、俺は静かに観察者の目を向ける。

 つい昨日まで、俺もこの喧騒(けんそう)の一員だった。院長たちに迷惑をかけ、悪戯に興じていた。だが今、目覚めた俺の中の二十代の意識が、この光景を別の角度から見させる。

(これからは世話する側に回らないとな)

 その思いが、俺の心に重くのしかかる。

 硬くてパサパサしたパンを()みしめながら、俺は具体的な計画について考え始める。

(鑑定でひと財産築こうと思ったら……やはり商売……かな)

 転生した職業が『商人』だったのも、何かの因縁(いんねん)かもしれない。しかし、現実は厳しい。商売には元手が必要だ。

(何で元手を稼ぐか……)

 俺はふと、前世でプレイしていたゲームを思い出す。そこでは薬草集めから始めたのだった。鑑定スキルさえあれば薬草を探すのは簡単なはずだ。何しろ手当たり次第に鑑定していって【薬草】って表示されたものだけを集めればいいのだから。

 よしっ!

 その瞬間、俺の目に決意の色が宿る。まずは元手稼ぎに薬草を集めてやるのだ。

 食堂の喧噪(けんそう)の中、俺は大いなる一歩を踏み出そうとしていた。それは、孤児院の子供たちの未来を明るく照らす、小さな灯火となるかもしれない。

 俺は最後のパン(くず)を口に運びながら、ニヤリと笑った。

 必ず成功してみせる。この鑑定スキルを使って、みんなの幸せを掴み取ってみせる!


          ◇


 食事を終えた俺は、決意を胸に秘めて院長室へと向かう。扉の前で深呼吸し、気合を入れるとコンコンと(たた)いた。

「院長、ちょっとお話があるんですが……」

 俺の声は、自分でも驚くほど(りん)としていた。

「あら、ユータ君……何かしら?」

 扉が開き、院長の温和(おんわ)な顔が現れる。だが、その目には僅かな戸惑いの色が浮かんでいた。昨日までの俺からは想像もつかない態度(たいど)に、さすがの院長も警戒(けいかい)を隠せないようだ。

 俺は慎重に言葉を選びながら、まず昨晩の出来事を話す。

「えっ!? そんなことが!?」

 院長はあまりの驚きで目を大きく見開いた。

「でも、大丈夫です。ドロシーはもう落ち着いています」

「それは助かったわ……ありがとう。対策は……ちゃんとやるわ」

 院長の声には、感謝と共に深い憂慮(ゆうりょ)(にじ)んでいた。彼女の眉間(みけん)に寄る深い(しわ)を見ながら、俺は彼女の重責を垣間見た気がした。

 そして、俺は本題に入る。

「それからですね、実は薬草集めをして、孤児院の運営費用を少しですが稼ぎたいのです」

「えっ!? 君が薬草集め!?」

 院長の目が再度驚愕(きょうがく)のあまり大きく見開かれる。その反応に、俺は内心苦笑(くしょう)を浮かべた。

「もちろん安全重視で、森の奥まではいきません」

 俺は慌てて付け加える。院長の(まゆ)が八の字に寄る。

「でもユータ君、薬草なんてわからないでしょ?」

「それは大丈夫です。こう見えてもちょっと独自に研究してきたので」

 俺は自信に満ちた笑顔を浮かべ、胸を張って答える。もちろん薬草なんて全く分からないのだが、俺にはチートスキルがあるのだ。

 院長は(いぶか)しげに俺を見つめる。そして、ふと何かを思いついたように、部屋の脇に()るされていた丸い葉の枝を手に取った。

「これが何かわかったらいいわよ」

 ニヤリと笑う院長の顔には、大人の余裕が(にじ)んでいた。
 うーん、わからん。

 しかし、俺には『鑑定』がある。今まさにその力を見せつけてやるべき時なのだ。


テンダイウヤク レア度:★★★
月経時の止痛に使う


 空中に浮かび上がる鑑定結果。なるほど、自分に使う薬だったか。だが、俺は大人の女性の秘密に触れた気がして、僅かに(ほお)が熱くなるのを感じた。

 俺はコホンと咳払いをして気持ちを落ち着けると、(すず)しげな声で答えた。

「テンダイウヤクですね、女性が月に一度使ってますね」

 その口調は、まるで医者のように聞こえたかもしれない。

「えーーーー!!」

 驚いた院長は目を皿のようにして俺を見つめる。その表情には、驚愕(きょうがく)戸惑(とまど)い、そして僅かな畏怖(いふ)の色が混ざっていた。

「早速今日から行ってもいいですか?」

 俺は得意気(とくいげ)な表情で尋ねる。

 院長は目を(つむ)り、しばらく沈黙した。俺はドキドキしながら返事を待つ。

 やがて、彼女はゆっくりと目を開け、静かに(つぶや)いた。

「そうよね、ユータ君にはそういう才能があるってことよね……」

 その言葉には、(あきら)めと期待が入り混じっている。

「わかったわ、でも、絶対森の奥まで行かないこと、これだけは約束してね」

 院長は真剣な眼差しで俺を見つめた。その目には、母親のような慈愛(じあい)と、指導者としての厳しさが同居していた。

「ありがとうございます。約束は守ります」

 俺は院長の手を両手で包み、笑顔で答える。院長も根負けしたようなほほえみでうなずいた。

 その後、院長は薬草採りのやり方を丁寧に教えてくれた。彼女の若かりし頃の思い出話を交えながらの説明は、まるで授業のようだった。

「私も駆け出しの頃は、よくやったものよ」

 院長の目が遠くを見つめる。その瞳に映る過去の冒険譚に、俺は(むね)が高鳴るのを感じた。

 俺の中身は二十代。いつまでも孤児院の庇護に甘えているわけにはいかない。早く成功への手掛かりを得て、自立し、恩返しの道を目指すのだ! その決意が、俺の心の中で燃えさかる。

 窓から差し込む陽光が、俺の未来を照らすかのように明るく輝いていた。そこには、困難と希望が入り混じる道が続いているに違いない。しかし、俺には『鑑定』という武器がある。

 その日の午後、俺は初めての薬草採りの旅に出る。小さなバッグを背負い、いっぱいの希望を胸に、振り返らずに孤児院を後にした。


          ◇


 街の出口、巨大な城門を抜けると、一面に広がる麦畑が俺を出迎えた。実は街を出るのは初めてである。今日はまさに上天気。どこまでも続く(あお)い空が、俺の心を解き放つかのようだ。

 ビューッと吹き抜ける風に、麦の穂が黄金色に輝きながら大きくウェーブを描く。まるで大地が息づいているかのような光景に、俺は思わず息を呑んだ。

 麦わら帽子が飛ばされないよう、ひもをキュッと絞る。その仕草に、これからの試練への覚悟が込められているようだった。

 この街道は、山を越えてはるか彼方の他国まで続いているらしい。俺は遠くを見つめ、未来への希望を胸に秘めた。

(いつか商人として成功して、世界をあちこち行ってやるぞ!)

 その夢を実現させるため、まずは元手だ。今日が俺の商人としてのスタート。絶対に成功させてやる。俺はグッとこぶしを握った。


       ◇


 麦畑の続く一本道を二時間ほど歩き、ようやく森の端に辿り着いた。奥には恐ろしい魔物が潜むという噂だが、この辺りなら昼間の今は安全なはずだ。俺は護身用(ごしんよう)にと院長から渡された年季物の短剣を手探りで確かめ、お守り代わりに感じながら大きく深呼吸をした。

 俺は下草の茂る森の中へと足を踏み入れた。目につく植物は片っ端から鑑定し、レア度★3以上の物を探す。しかし、現実は厳しかった。

 ほとんどが★1の雑草か、あっても★2までである。★2などは二束三文。頑張って取っても買い取ってくれるかどうかも怪しかった。

 簡単でないことは分かってはいたが、一時間ほど探し回っても収穫ゼロの現実に、俺は焦燥感(しょうそうかん)を覚えた。

(まずい、このままでは帰れない)

 そんな時、小川のせせらぎが耳に入った。流れに沿って目を向けると、(がけ)になっている場所を見つける。崖は植生が変わるため、希少な植物が見つかる可能性が高い。俺の心に期待が膨らむ。

 川沿いを歩きながら注意深く観察を続けると、突然目に飛び込んできたのは――――。

アベンス レア度:★★★★
悪魔(ばら)いの効能がある

「キターーーー!!」

 俺は思わず声を上げた。★4のレア植物。これは間違いなく大当たりだ。興奮に全身が震える。

 しかし、その喜びもつかの間。アベンスは崖の上方に生えており、簡単には手が届かないという現実が立ちふさがる。三階建ての家ほどの高さだろうか。落ちれば間違いなく命に関わる。

(諦めるか……命を懸けるか……)

 俺は葛藤(かっとう)(おそ)われた。小川のせせらぎがチロチロと心地よい音を立て、遠くでは鳥がチチチチと鳴いている。

 ふと、院長の顔が脳裏に浮かぶ。

『絶対に無理はしないこと! いいわね?』

 慈愛(じあい)に満ちた笑顔と、(きび)しい眼差(まなざ)しでそうきつく言ってくれた院長。

 しかし――――。

 手ぶらか★4かでは今日一日の成果は全く変わってくる。大口叩いて成果ゼロだなんてとてもみんなにも言えないのだ。

 成功にリスクはつきもの。リスクを恐れていては成功などできない。その思いが、俺の決断を後押しした。

「よし、やってやる!」

 俺は決意を固め、慎重にルートを確認すると、崖の出っ張りに手をかける――――。

 登り始めたらもう後戻りはできない。俺は何度か大きく息をつくと岩をつかむ手に静かに力を込めた。

 その姿は、まるで運命に(いど)む若き挑戦者そのものである。この瞬間、俺の新たな人生が本当の意味で始まったのだ。

 小川のせせらぎがチロチロと心地よい音を立て、鳥がチチチチと遠くで鳴いている。その(おだ)やかな自然の調べ(しらべ)をBGMとして静かに一歩一歩挑戦が続いて行く。

「よしっ! 行けるぞ!」

 思ったより順調に距離を稼いでいく俺。

 子供の身体は軽い分、こういう時は有利である。だが、それでも落ちたら死ぬのだ。ふと、下を見た瞬間、予想以上の高さに心臓がキュッと()め付けられ、俺はギリッと奥歯を鳴らした。

(ゲームの中なら、こんなの朝飯前なのに……)

 何度も諦めそうになったが、アベンスの可憐な紫の花はもうすぐその先で揺れているのだ。とても諦めきれない。

 苦闘の連続の末、最後にはなんとかアベンスまで手が届く場所にたどり着くことができた。

「くぅぅぅぅ……。やった……。やったぞ!!」

 肩で息をしながら俺は達成感に包まれる。

 落ちないように慎重に薬草を採集し、バッグに突っ込む。思わずにやけてしまう。

(きっと銀貨一枚くらい……日本円にして一万円くらいにはなるに違いない)

 だが、喜びもつかの間。今度は降りなければならない。降りるのは登る何倍も難しい。チラッと下を見ると、地面ははるか彼方(かなた)だ――――。

 くぅぅぅぅ……。

 俺は涙腺(るいせん)が熱くなるのを感じながら、丁寧に一歩ずつ降りていく。それは辛く苦しい命がけの挑戦。でも、確かに生きているという手触りを感じ、俺は思わずにやけてしまう。ゲームばかりやって暗い部屋に籠っていたあの頃に比べたら圧倒的に『生きている』実感にあふれているのだ。

 どのくらいの時間が経っただろうか。永遠とも思える時間の後、ようやく山場を越えることができた。

「ふぅ……、あともう少しだ。良かった良かった……」

 安堵の溜息(ためいき)()らしたその瞬間だった。

 ゴロッ――――。

 足元の岩が崩れ、俺の体が宙に浮く。

「へっ……?」

 間抜けな声を上げながら、俺は転落していった。目の前で景色が回転(かいてん)し、風を切る音が耳に(ひび)く。

「ぐわぁ!」

 思いっきりもんどりうって転がる俺。世界が目まぐるしく回転し、背中に鋭い痛みが走る。

(安心した瞬間が一番危険……か)

 俺は身をもってその教訓を(たた)き込まれた。

 ゴロゴロと転がり、小川に落ちる寸前でようやく止まる。全身が(しび)れるような痛みに包まれた。

「いててて……」

 身体をあちこち打ってしまった。(ひじ)から血が(にじ)んでいる。死ななかっただけましだが、痛みで目に涙が浮かぶ。

 体を起こそうとした時、目の前の倒木の下に()を奪われた。プックリとした可愛いキノコが、まるで宝石のように輝いている。見慣れない形をしているそのキノコに、俺は思わず見とれてしまう。

 何気なく鑑定をかけてみると――――。

「ええっ!?」

マジックマッシュルーム レア度:★★★★★
マジックポーション(MP満タン)の原料

「キタ――――!」

 俺の声が森に木霊(こだま)する。ケガの功名とはこのことか。痛みも忘れ、俺は飛び上がってガッツポーズ。

「やったぞ! いける! いけるぞぉ! ぐわっはっはっはー!」

 思わず叫び、そして大きく笑う。その笑顔は、今までの人生で見せたことのないような、純粋(じゅんすい)な喜びに満ちたものだった。

 フリーターでゲームに逃げていた俺が、今、異世界で新たな人生をつかみ取ったのだ。ただの孤児では終わらない、成功への道を一歩踏み出した実感に全身が(ふる)える。

 その後、★3のハーブをいくつか採集し、陽も傾いてきたので帰路についた。院長に教わった通り、来た道には短剣で木の幹に傷を付けてきてあるのだ。帰りはそれを丁寧にトレースしていく。

 森の中を歩きながら、俺は今日の出来事を反芻(はんすう)する。危険と隣り合わせの冒険、そして予想外の発見。これが本来の人間の人生というものなのだろう。暗い部屋でゲームばかりして忘れていた野生を取り戻せた気がして。俺はグッとこぶしを握った。


        ◇


 夕焼けに染まる空を仰ぎながら、ユータは早足で街へと戻っていった。石畳(いしだたみ)は夕陽に照らされ、まるで燃えるように赤く輝いている。

 この街、正式名称を『峻厳(しゅんげん)たる城市アンジュー』という王国の中心地は、まるで中世ヨーロッパの絵画から抜け出してきたかのような佇まいを見せていた。
 ごつごつとした石造りの建物が立ち並ぶ中、夕陽が作り出す陰影が街並みを立体的に浮かび上がらせ、まるでアートの様な美しさを放っている。

 遠くから聞こえてくる教会の鐘の音が、カーン、カーンと静かに時を告げた。

「早く帰らないと、院長が心配してしまうな……」

 俺の目指す先は薬師ギルドだ。採った薬草はギルドで換金してくれると院長に聞いていたのだ。

 裏通りにひっそりと佇む薬師ギルドの扉を開けると、独特の香りが鼻をくすぐった。壁一面に並ぶ色とりどりの薬瓶、そしてカウンター越しに見える無数の小さな引き出しが並んだ棚。まるで魔法使いの研究室のような雰囲気だ。


「あら、坊や。どうしたの?」

 優しげな声に振り向くと、髪をお団子にまとめた眼鏡の女性が微笑んでいた。白衣の下から覗く豊満な胸が、かがむ時にゆらゆらと揺れ、ユータは思わず目をそらした。

「あの、薬草を採ってきたんです。買い取ってもらえないでしょうか?」

 少し緊張しながら、バッグから取り出した薬草を差し出す。

「えっ!? こ、これは……マジックマッシュルーム!!」

 驚きの声を上げる受付嬢。その瞬間、ギルド内の空気が一変した。

「ぼ、坊や、これをどこで見つけたの?」

 受付嬢の目が驚きで見開かれた。その瞳に、怪訝そうな光が宿っていく。

「さっき森で採ってきたんです。買い取ってもらえますか?」

 ここが正念場である。ユータの声には、緊張が滲んでいた。

 受付嬢は困惑の表情を浮かべながら、ゆっくりと首を傾げる。

「もちろん、大丈夫だけど……本当に君が自分で採ったの?」

 その問いかけに、ここぞとユータは胸を張った。

「はい!  森の小川脇の倒木で見つけました。マジックポーションの材料ですよね」

 受付嬢の表情が柔らかくなる。しかし、すぐに心配そうな眼差しに変わった。

「うーん、でも親御さんは何て言ってるの? 危険な場所に行くのは……」

 その言葉に、ユータの笑顔が曇る。

「僕に……親はいません」

 受付嬢の顔から血の気が引いた。

「あ、それは……ごめんなさいね。聞かなければよかった……」

 ユータは軽く首を振り、微笑んだ。

「大丈夫です。孤児院の院長先生が、家族のようにいてくれますから」

 その言葉に、受付嬢の目に温かみが戻る。

「そう……君は強い子なのね……」

 受付嬢は優しく俺の頭をなで、俺はにんまりとほほ笑んだ。

 その後、ギルドの登録証を作ってもらい、マジックマッシュルームの買取が行われた。金貨1枚に銀貨3枚。日本円にして約十三万円の価値だ。

 帰り道、喜びを抑えきれず、自然とスキップになる。ポケットの中で奏でるチャリチャリとした硬貨の音が、新しい人生の始まりを告げているようだった。

「日本では……時給千百円で怒鳴られてすぐに辞めちゃったのになっ! ハハッ!」

 ユータは過去のトラウマを笑い飛ばす。

「よし、金貨一枚は自分の報酬にして、銀貨三枚は孤児院に寄付しよう。いつか、もっと大きな成功を収めて、孤児院のみんなを驚かせてやるんだ!」

 夕暮れの街を歩きながら、ユータは未来への希望に胸を膨らませていた。この異世界で、彼の新しい物語が幕を開けようとしていた。​​​​​​​​​​​​​​​​


        ◇


 宵闇(よいやみ)が街を包み始めた頃、ユータは孤児院の門をくぐった。中からは賑やかな声と、夕食の準備を告げる食器の音が漏れ聞こえてくる。

「院長先生! ユータが帰ってきましたよ~!」

 誰かの声に呼ばれ、マリー院長が奥から姿を現した。ユータを見つけるや否や、彼女は駆け寄ってきた。

「ユータ! こんなに遅くまでどこにいたの?」

 厳しい口調で問いただす院長の目には、しかし深い愛情が宿っていた。

「あ、あの……」

「大丈夫だったの? 怪我はない?」

 院長は返事も待たず、かがみこんでユータの目を覗き込むと、優しく頭をなでる。その仕草に、ユータは胸が熱くなるのを感じた。

「遅くなってごめんなさい」

 俺は謝りながら、ポケットから銀貨三枚を取り出した。

「これ、僕からの寄付です。受け取ってください」

 マリー院長の目が丸くなる。

「まあ! こ、これは……どうしたの?」

「薬草が売れたんです。僕、頑張ったんですよ」

 誇らしげに胸を張った。

 その言葉を聞いた瞬間、院長の目に涙が光った。彼女はユータを抱きしめ、その小さな体を強く引き寄せた。

 俺は院長の豊満な胸に顔を埋められ、もがく。

 孤児院の経営は年々厳しくなっていた。割れた窓も直せず、雨漏りも酷くなる一方。そんな中で、十歳の孤児が寄付をしてくれる。それは、マリー院長にとって想像もしなかった喜びだった。

「ユータ、本当にありがとう」

 院長は涙ながらに言った。

「でも、約束して。危険なことはしないって」

 ユータの手足の傷を見つけると、マリー院長は心配そうに眉をひそめた。

「はい、わかりました」

 俺はニッコリと頷く。

「明日からは採集道具を工夫して、もっと安全に頑張ります」

 その夜の夕食は、一品追加され、いつもより少し豪華だった。ユータの活躍を祝う雰囲気が、食卓を包んでいる。

「へえ、すごいじゃん!」

 親友のアルが銀貨を見て目を輝かせた。

「俺も行こうかな……」

「森まで二時間歩いて、そこからがまた大変なんだよ」

 俺はニヤニヤしながらアルの顔をのぞきこむ。

「あー、やっぱりパス! ぎゃははは!」

 アルは手をバッテンにして笑った。

 それから俺は森へ通いつめた。日曜日だけはミサに参加し、準備を手伝い、休息を得るが、それ以外は朝から夕方まで薬草取りに没頭していた。

 毎日の稼ぎは平均して七万円ほど。そのうち二万円を孤児院に寄付し、残りを貯金していく。一週間もすると、孤児院の食事はより栄養価の高いものになり、子供たちの笑顔も増えていった。

 俺はそんな笑顔を見ながら人生の充実感を得ていた。人のためになる人生、それはニートだった前世では到底かなわなかった大切な宝物なのだ。

 朝霧の立ち込める森に、ユータの小さな影が溶け込んでいく。いつもの薬草採集の日々だが、今日は少し深く踏み入ることにした。近場はもう探し尽くしてしまったからだ。

 太い幹の木々が聳え立ち、陽の光さえ遮る深い緑の世界。ユータの胸に期待と不安が入り混じる。

「きっと、すごい薬草が見つかるはず」

 自分に言い聞かせながら、俺は下草の茂る足場の悪い獣道を慎重に歩を進めた。

 鑑定スキルを駆使しながら森の奥へと分け入っていく。そのとき、不意に「パキッ」という乾いた音が耳に飛び込んできた。

(何かいる!?)

 俺は反射的に身が(すく)んだ。

 冷や汗が背中を伝い、心臓が激しく鼓動を打つ。物音こそしないものの、明らかに異質な気配が漂う。まるで誰かに見つめられているような、背筋の凍る感覚――――。

 震えながら、音のした方向に鑑定スキルを向けてみる。

 ウッドラフ レア度:★1
 カシュー レア度:★1
 キャスター レア度:★1

 ゴブリン レア度:★1
 魔物 レベル10

 血の気が引いた。魔物だ。ゴブリン。弱いとはいえ、レベル1の自分には手に負える相手ではない。

(どうしよう……、どうしよう……)

 頭の中が真っ白になる。木に登る? いや、下で待たれたら終わりだ。逃げるしかない。でも、どうやって?

 俺は気づかないふりをしながら、そっと来た道を引き返し始めた。そして巨木の陰に入った瞬間、バッグも道具もすべて投げ捨て、ダッシュ! 全速力で駆け出した。

「ギャギャ――――ッ!」「ギャ――――!」

 背後から二匹のゴブリンの叫び声が響く。ガサガサと落ち葉を踏み分け、追いかけてくる足音が、どんどん近づいてくる。

 絶体絶命。十歳の少年の足で、どこまで逃げられるというのか。絶望的な予感が心を締め付ける。

 しかし、捕まれば死あるのみ。ユータは必死に走った。腕が幹に擦れ、枝が頬を切り裂く。それでも、速度を落とすわけにはいかない。

 「森に入ってまだ十分くらい。あと少しで街道だ」

 ハァッ! ハァッ! 酸欠で目が回り始める。

「ギャッギャ――――ッ!」「ギャ――――!」

 ゴブリンの声がすぐ後ろに迫る。「もうダメかも……」そう思った瞬間、最後の急坂が目の前に現れた。

 最後の力を振り絞り、小走りで坂を駆け下りる。そして――――、街道に飛び出した。

 遠くに人影が見える。希望の光だ。

「助けてーーーー!!」

 叫びながら走る。しかし次の瞬間、激しい衝撃をわき腹に感じた。

 ぐぉ!?

 背後から投げられた槍がユータの脇腹を貫いたのだ。

「くぁぁ……」

 激痛と共に、ユータはもんどりうって転がっていく。

 幸い致命傷ではなかったが、もはや逃げる力は残っていない。

 振り返ればもう一匹のゴブリンが短剣を振りかざし、ユータに飛びかかってくる。

「うひぃぃぃぃ!」

 腕で顔を覆った。

(もうダメだ……)

 死を覚悟した瞬間だった――――。

「ギャウッ!」

 獰猛なゴブリンの断末魔が耳を貫く。ユータの隣に倒れ込んだそいつの額には、鮮やかな短剣が深々と刺さっていた。生暖かい血の飛沫が頬にかかり、ユータは現実感のない光景に目を見開いた。

「……。え……?」

 驚きと安堵が入り混じる中、遠くから駆けてくる一人の男性の姿が目に飛び込んできた。

「おーい、大丈夫か?」

 その声に、ユータの緊張の糸が一気に解けた。

「だ、大丈夫……ですぅ……」

 虚脱感(きょだつかん)と安堵感で全身の力が抜け、フワフワとした感覚に包まれながら答える。九死に一生を得た実感が、ジワジワと体中に広がっていく。

 倒れたゴブリンの体が霧のように消え去り、そこにはエメラルド色に輝く魔石が残された。ユータは初めて目にする魔石に、思わず息を呑んだ。

「そうか、こうして魔物は魔石になるのか……」

 もう一匹のゴブリンは、恐れをなして逃げ出そうとする。それを見逃すまいと、男性は地面に転がっていた槍を拾い上げ、ダッシュで追いかけていった。

 何とか事なきを得た俺は大きく息をつき、転がったまま自分のステータスウィンドウを開く。

HP 5/10

「ヤバい、あと一撃で死んでたんだ……」

 そう呟いた瞬間、予想外の出来事が起こった。

 ピロローン!

 頭の中で鳴り響いた効果音と共に、突如レベルが上がる。

ユータ 時空を超えし者
商人 レベル2

「はぁ? どういうこと?」

 ユータは困惑した。自分は何もしていない。それなのに、なぜレベルが上がるのか?

 遠くで男性がゴブリンを倒す光景が目に入る。そのゴブリンを倒した経験値が自分に配分された――――そう考えるのが自然だろう。しかし、男性とはパーティーも組んでいない。それなのに、なぜ倒れているだけの自分に経験値が振り分けられるのか?

「バグだ……、絶対にバグのにおいがする!」

 ゲーマーとしての直感が、ユータの心に響く。この世界を司るシステムの構築ミス。神様の勘違い。そう、これは誰にも気づかれないような、奇想天外な究極のチートになるかもしれない!

 その瞬間、ユータの目にギラリと火がついた――――。

「もしかして……俺、世界最強になっちゃうかも?」

 ズキズキと痛む脇腹の傷さえ気にならないほど、高揚感が全身を駆け巡る。

 そんな思考に耽っていると、男性が戻ってきた。

「よく頑張ったな、小さな冒険者くん」

 男性は優しく微笑みながら、手を差し伸べた。

「僕、ユータっていいます。ありがとうございました」

「俺はエドガー。冒険者だ」

 にこやかに救いの手を差し伸べてくれたのは三十五歳の中堅の剣士だった。彼の温かな笑顔に、ユータも笑顔で応じる。

「間一髪だったな。間に合ってよかった……。どれ、傷口を見せて見ろ……あぁ、これは痛いだろう。これを飲め」

 エドガーが差し出したポーションのおかげで、ユータの傷はみるみる癒えていった。


      ◇


 街への道すがら、エドガーは自身の冒険譚を語り始めた。

「ダンジョンボスのガーゴイル相手に、パーティー全滅寸前だったんだ。もうみんな諦めの目をしちゃってる訳! でも俺だけは勝つって気合いだけで突っ込んで行ったのさ」

「す、すごいですね」

「ふふっ。奴は魔法を撃つ時一瞬動きを止めるんだよね。その瞬間を待ってさっきみたいに短剣でシュッとね。たまたま目に当たって落ちて来たところをザクっと。もう英雄扱いさ」

 得意満面のエドガー。

 俺は目を輝かせて聞き入った。エドガーの言葉一つ一つが、未知の世界への扉を開いていく。孤児院の中では知り得ないリアルな魔物の話に俺は夢中になった。

「スライムの群れに襲われたこともあってね。百匹近くが崖の上から滝のように降ってきて、危うく命を落とすところだったよ」

 エドガーは楽しそうに笑う。そんなエドガーを見ながら、自分も商人ながらそんな冒険をしてみたいなんて思ってしまった。

 エドガーの剣を見せてもらうと、レア度は★1。あちこちに刃こぼれが目立つ。

「そろそろ買い替えたいんだが、なかなかいい剣に巡り合えなくてね」

 エドガーの言葉に、ユータの脳裏に閃きが走った。これは、自分の仮説を検証するチャンスかもしれない。

「エドガーさん、僕に代わりの剣を用意させていただけませんか?」

 驚きの表情を浮かべるエドガー。しかし、ユータが「商人を目指していて、その試作品を試してほしい」と説明すると、彼は優しく微笑んだ。

「そうか、君には夢があるんだね。よし、協力させてもらおう。でも、この剣以上の物にしてくれよ?」

「それは任せてください。驚くような剣を持ってきます!」

 俺は両手のこぶしをグッと握って力説した。

 エドガーは嬉しそうにうなずいた。


        ◇

 街に到着し、エドガーと別れた俺は、早速『魔道具屋』へと足を向けた。メインストリートから少し外れた薄暗い路地に、小さな看板を掲げた店がひっそりと佇んでいる。

 ギギギ――――ッ

 重たい扉を開けると、カビ臭い空気が鼻をくすぐり、俺は顔をしかめた。薄暗い店内には、得体の知れない品々が所狭しと並んでいる。動物の骨、きらめく宝石、不思議な形をした瓶。まるで魔法使いの隠れ家のようだ。

 カウンターには、釣り目のおばあさんが暇そうに本を読んでいる。

「あのぉ……すみません」

 声をかけると、彼女は面倒くさそうに顔を上げた。

「坊や、何か用かい?」

「あの、水を凍らせる魔法の石はありませんか?」

氷結石(アイシクルジェム)のことかい?」

 おばあさんの言葉に、ユータの心臓が高鳴る。

「その石の中に水を入れていたら、ずっと凍っているんですか?」

「変わった質問をする子だね?」

 おばあさんは不思議そうに眉をひそめた。

「魔力が続く限り、氷結石(アイシクルジェム)の周囲は凍ったままさ」

 ユータの目が輝く。

(よし、これで行ける!)

 この氷結石を使えば、自分の仮説が証明できるかもしれない。そして、それは予想通りなら人生を大きく変える一歩となるはずだった。

 俺は心の中でガッツポーズを決めながら言った。

「その氷結石、一つください!」

 ユータの声に力がこもる。

 おばあさんは少し驚いたような表情を浮かべたが、やがてにやりと笑った。

「一個金貨一枚だよ。坊や、買えるのかい?」

 俺は胸を張って答えた。

「大丈夫です!」

 そう言いながら、ポケットから金貨を一枚取り出した。

 おばあさんの目が驚きで丸くなる。

「あら、驚いた……お金持ちね……」

 俺は少しだけドヤ顔でおばあさんを見た。

 おばあさんはすでに立ち上がると、奥から小物ケースを取り出してきた。

 木製のケースの中には、水色にキラキラと輝く石が整然と並んでいる。まるで小さな宝石箱のようだ。