ドロシーは一瞬(はばか)るように目を伏せたが、すぐに(りん)とした表情で顔を上げる。

「ヌチ・ギはたくさんの女の子や私を(さら)ってもてあそび、ついには巨人化して兵士にしたんです」

 その声は小さいながらも、毅然(きぜん)としていた。

「助けに来てくれた『アバドン』さんという魔人の行方も分かっていません。彼らを復活させ、でもヌチ・ギが復活しないようにして欲しいんです」

 ドロシーは両手を胸の前で固く組み、真摯な眼差しでシアンを見つめる。その瞳には、失われた命への強い想いが宿っていた。

 ニコニコしながら聴いていたシアンは人差し指を自分のアゴにつけ、斜め上を見上げる。その碧い瞳は小刻みに動き、まるでこの世界全てを理解しようとしてるかにすら見えた。

 固唾を呑んで見守る俺たち――――。

 パチパチっと瞬きをしたシアンはニッコリと笑った。

「オッケー!」

 まるで遠足のおやつを決めるような(かる)い調子で答えると、シアンは右手を高々と掲げた。その指先から、虹色(にじいろ)の光が渦を巻いて広がっていく。

 おわぁ! きゃぁ! うひぃー!

 次の瞬間、俺たちの意識は闇の中へと沈んでいった。最後に見たのは、シアンの無邪気(むじゃき)な笑顔だった――――。


          ◇


 お? おぉ……?

 目の前に広がる光景に、俺は思わず(まばた)きを繰り返した。

 煌々(こうこう)と輝く|シャンデリアの下、数百もの美しい女性たちが空中で舞い踊っている。その姿は幻想的で、まるで夢の中にいるかのよう――――。

 ヌチ・ギの屋敷に戻ってきたのだと理解するまでに、しばらく時間を要した。

 中央には戦乙女(ヴァルキュリ)の巨体が威風堂々と佇んでいる。先程まで死闘を繰り広げ、倒した相手が、あの時と寸分違わぬ姿で立っているのだ。まさに時が巻き戻されたとしか思えない光景に、背筋が(こお)る。

「うほぉ! これはすごいねぇ! きゃははは!」

 シアンの(ほが)らかな笑い声が、ホールに響き渡る。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、煌びやかな女性たちを眺めている。その無邪気(むじゃき)さと、時間を巻き戻した途方もない力の差異(ギャップ)に、俺は思わず首を振った。

 俺たちが命を賭けて戦ってきた全ての努力は、この可愛い少女の前では子供の(たわむ)れにも等しいのではないだろうか……?

 俺は深いため息をついた。

「あのぅ……シアンさんは時間を……操れるんですか?」

 声が(かす)かに震える。困惑と畏怖が入り混じった感情が、胸の奥で渦巻いていた。

「操るというか……、単にバックアップを復元しただけなんだよね」

 シアンはキョトンとしながら、まるで当たり前のことのように答える。

「バックアップ!?」

 俺の驚きの声に、シアンは楽しそうに笑った。

「きゃははは! そんなに驚かなくても……。この星のデータは定期的にバックアップされてるのだ。僕はそれを復元(リストア)しただけ」

 その言葉に込められた意味の重さに、俺は眩暈(めまい)を覚える。星一つを、まるでパソコンのデータのように扱うとは……。

 しかし、疑問が次々と湧き上がってくる。あの巨大なジグラートのコンピューター群、その()てしない量のデータをどうやってバックアップするというのか? それも定期的ということはそれこそ無数に保存されているに違いない。想像を絶する記憶容量、途方(とほう)もないデータ転送速度、そんなこと実際にできるものなのだろうか?

 だが――――。目の前で現実に起きていることは否定することは出来ない。踊る女性たち、戦乙女(ヴァルキュリ)、そしてこのホールそのものが、その荒唐無稽(こうとうむけい)なシステムの証なのだから。

 『宇宙最強』――――。その言葉の持つ本当の意味を、今になってようやく理解できた気がした。それは単なる力の強さだけではない。この世界の(ことわり)そのものを操る存在――――それこそが『宇宙最強』の真の姿なのだ。

 この無邪気な可愛い少女に宿る底知れぬ深淵に、俺はブルっと身震いをした。

「ちなみに……どこにバックアップは取ってあるんですか?」

 俺の問いかけに、シアンは(はじ)けるような笑顔を浮かべた。

「金星だよっ!」

「き、金星……?」

 その予想外の答えに俺は首を傾げ、固まった。海王星のサーバーのバックアップが、なぜ金星にあるというのか? その理不尽(りふじん)な事実に、思考が追いつかない。

 俺の困惑(こんわく)を見かねたように、レヴィアが静かに口を開いた。

「海王星は金星のサーバーで作られておるんじゃよ」

「金星のサーバー……?」

 その言葉の意味を理解するまでに、時間がかかった。なぜ海王星が金星で作られているのか……?

「えっ、もしかして……」

 そして、ようやく(ひらめ)いた。地球が海王星で作られた仮想世界だったように、海王星もまた金星という上位世界で作られた仮想空間だったのだ。この途方(とほう)もない事実に、眩暈(めまい)を覚える。

「海王星も仮想現実空間だったのか……」

 これまで、海王星こそが真実(リアル)の世界で、そこで無数の地球が作られているのだと信じていた。しかし、その認識は誤りだった。海王星もまた、誰かによって作られた世界に過ぎなかったのだ。