「あーそしたら、吸い取っちゃおー!」

 一瞬いたずらっ子の笑みを浮かべると、シアンの表情が一変した。無邪気(むじゃき)な笑顔は消え、宇宙の理を司る者の威厳(いげん)がいきなり(みなぎ)る。その変貌は、まるで別人のようだった。

 両手を向かい合わせにしたシアンは、

「はーーーーっ!」

 と、叫びながら気合を込め始める。その声には、世界の根底に響くような深遠な波動が宿(やど)っていた。

 俺はその圧倒的な気迫に気圧される。ただのお気楽娘だと思っていたが、とんでもない。なるほど【宇宙最強】と畏れられる意味が分かった。鼓動(こどう)が早まり、息が荒くなる。

 シアンの両手の間から激しい閃光がバシバシとほとばしり始め、(まばゆ)い光が宇宙空間を切り裂くように輝いた――――。

「うわぁ!」「きゃぁ!」

 あまりのまぶしさに腕で顔を覆って後ずさりする俺たち。その光は太陽よりも強く、まるで世界の始まりのようだった。(ねつ)を帯びた輝きが、肌を()がすように感じられる。

 くぅぅぅ……。

 喉から漏れる呻き声が、宇宙の静寂に吸い込まれていく。

 一体何が始まるのだろうか?

 宇宙最強の称号を持つおかしな女の子の行動に不安を隠せない。

 目を覆ってもまぶしいくらい輝いた後だった。

 ヴゥゥゥン……。

 腹の底に響く不気味な振動が身体を貫いていく。その波動は魂そのものを揺さぶるかのように深く、重厚(じゅうこう)だった。

 え……?

 いきなり暗闇が訪れた。まるで世界から光が消えたかのような闇――――。

 何だろうとそーっと目を開けると、シアンが何やら黒い玉を持ち、満足げに見入っていた。その表情には、禁忌の玩具を手に入れた子供のような歓喜(かんき)が浮かんでいる。

 んん?

 見ると玉の周りは空間がゆがんでいる……。まるで現実という布地が引き裂かれているかのような光景。

「な、なんだ……これは……?」

 震える声が、口から零れる。

 その歪みは現実そのものを捻じ曲げているようにすら見えた。目を凝らすほどに、その異様さが際立つ。視線を向けるだけで、目が痛くなるような(ゆが)みだった。

 よく見ればそれは黒い玉なんかではなかった。光が吸い込まれて黒く見えているだけだったのだ。その漆黒(しっこく)は、あらゆる希望を飲み込むほどに深い。

 俺の背筋(せすじ)を悪寒が走った。全身の血が凍りつくような感覚――――。

 光を吸い込む存在……そんな物は宇宙の特異点【ブラックホール】しか知らない。なんと全てを飲み込む究極の特異点が目の前に現れてしまったのだ。その存在は、あらゆる物理法則を無視し、光すら逃さない深淵(しんえん)そのものだった。


     ◇


「そ、それは……もしかして……」

 俺が恐る恐る聞くと、シアンはうれしそうに笑った。

「ブラックホールだよ! きゃははは!」

 その無邪気な笑顔と、手にしている究極の破壊兵器とのギャップに、現実感が揺らぐ。

 やっぱり……。

 宇宙で一番危険な存在が目の前に出現したのだ。俺はダラダラと冷や汗が湧いてきた。

 ブラックホールとは自分の重さが強すぎて自重でつぶれ、空間もゆがめて全てを飲み込む天体のことだ。仮想現実空間にそんな物が実装されているとは考えにくい。なぜそんな物を作れるのか? その疑問が、恐怖と共に心を占める。

 俺が真っ青な顔で言葉を失っていると、シアンはブラックホールを右手に持って、蜘蛛めがけて振りかぶった。

「これを蜘蛛にぶつけたら解決さ!」

 ヴゥン!

 不気味な音を立ててブラックホールは巨大蜘蛛に向かってすっ飛んでいった。

 全てを飲み込む宇宙最凶な存在を、蜘蛛退治のためになんて使っていいのだろうか……。俺はハラハラしながら、ブラックホールの行方を追った。

 ブラックホールは程なく蜘蛛に直撃し、蜘蛛は見る見るうちに吸い込まれていく。数百キロメートルもある壮大な巨体が、まるでスポンジのようにするすると吸い込まれていく様は、とても現実の光景には思えなかった。

 まるで巨大な(うず)に呑み込まれる小舟のようにどんどん小さくなっていく蜘蛛――――。

 常識を超えた力の存在を思い知らされ、戦慄(せんりつ)と畏怖が、全身を駆け巡った。

「うわぁ……」「すごい……」

 ドロシーたちもその恐るべき力に、圧倒されている。その光景は、まるで神話に描かれた天変地異(てんぺんちい)のようだった。

 やがて、蜘蛛は消え去り、後には綺麗な九州だけが残った。青く輝く海と緑豊かな大地が、まるで生まれたての大地のように清浄(せいじょう)な輝きを放っている。

「イッチョあがりー! きゃははは!」

 うれしそうに笑うシアン。その表情には、まるで遊び終えた子供のような満足感(まんぞくかん)が溢れていた。