「きゃぁ! あなたぁ!」

 ドロシーの悲痛な叫びが響き渡る。しかし、もはやこうなってしまっては打つ手などなかった。

 一体なぜバレたのか……。さすが管理者、完敗である。

 俺は地面をゴロゴロとぶざまに転がりながら絶望に打ちひしがれた。口の中に広がる鉄錆のような味。それは、全てが無に帰す苦い味がした。

 もはや逃げるのは不可能だ。殺される――――。

 くぅぅぅ……。

 無念が全身を貫く。

 だが、殺されるのなら最後まで(あらが)ってやろうじゃないか。その思いが、俺の中に最後の灯火(ともしび)を灯した。

 俺は顔を上げ、口から血を垂らしながら、最後の気合を込めヌチ・ギをにらむ。

「お前、戦乙女(ヴァルキュリ)使ってラグナロク起こすんだってな、そんなこと許されるとでも思ってんのか?」

 ゆっくりと体を起こしながら叫んだ。血の味が喉にまで広がっていく。

「ほう? なぜそれを?」

 ヌチ・ギの鋭い目線が、刃物のように俺を刺し貫く。その眼差しには、冷徹な知性と底なしの狂気が混在し、(うごめ)いていた。

「大量虐殺は大罪だ、お前の狂った行為は必ずや破滅を呼ぶぞ!」

 俺の叫ぶ口からは血飛沫が舞う。次の瞬間殺されててもおかしくない、このアディショナルタイムに俺は開き直り、怒りをぶつけた。

「はっはっは……、知った風な口を利くな!」

 ヌチ・ギの嘲笑(ちょうしょう)が響きわたる。

「そもそも文明、文化が停滞している人間側の問題なんだぞ、分かってるのか?」

 その声には、揺るぎない確信と(さげす)みが混ざっていた。

「停滞してたら殺していいのか?」

 俺の声に、怒りと疑問が(にじ)む。

「ふぅ……」

 ヌチ・ギは肩をすくめ、深いため息をつく。

「お前は全く分かってない。例えば……そうだな。お前の故郷、日本がいい例だろう。日本も文明、文化が停滞してるだろ? なぜだと思う?」

 いきなり故郷の問題を突きつけられ、俺は動揺する。そんなこと、今まで真剣に考えたことなどなかったのだ。心臓が早鐘を打つ。

「え? そ、それは……、偉い人がいい政策を実行しない……から?」

 自分の言葉の稚拙(ちせつ)さに、顔が熱くなる。

 ヌチ・ギはあきれたように首を振り、(さげす)んだ目で言った。

「バカめ! 何が『偉い人』だ。投票して決めたのはお前ら市民だろうが! そんな考えの市民だらけだからダメなんだ!」

 その声に、怒りと(あきら)めが混じる。

「いいか? 社会の発達にはイノベーションが必要だ。旧来のビジネスモデルや慣習をぶち壊すことでイノベーションは起こり、それが新たな価値を創造して社会は豊かになり、文明、文化も発達するのだ。Google、Apple、Amazon、OpenAI……、日本にはこれらに対抗できる企業は出て来たかね?」

 俺は必死に思い出そうとするが――――、頭の中は真っ白だ。うつむく俺に、自分の無力さが重くのしかかる。

「上層部が既得権益を守るためにガチガチにした社会、そしてそれをぶち壊そうとしない市民、そんな体たらくでは発達などする訳がない!」

 こぶしを握って熱弁するヌチ・ギ。その姿に、狂気の中にある一筋の論理を感じずにはいられない。

 俺は言葉を失う。既存の大企業中心の社会構造に疑問など持ったこともなかったし、それで日本が衰退していったとしても、自分とは無関係だと思っていた。アンジューの貴族の横暴についても同じだ。逃げることしか思いつかなかった自分。その事実に、激しい自己嫌悪が胸の中で渦巻く。

 そんな俺の目の前で、ヌチ・ギの瞳が不気味な光を放つ。

「お前たちのような愚かな人間に、もはや未来を託すことはできない。ラグナロクこそが、この停滞した世界に必要な浄化なのだ」

 その言葉に、俺は戦慄(せんりつ)する。もちろんだからといって殺戮が正当化されるわけではない。ないのではあるが、目の前のことしか考えずのうのうと暮らしていた自分たち市民の人任せな思考が、女神からの圧力を感じているヌチ・ギを狂気に走らせた。そこに一端の責任を感じずにはいられなかった。