「よし! 行こう!」

 俺はパンパンと自分の頬を張ると、アバドンを見上げてグッとサムアップする。

 アバドンもニヤッとサムアップしながら静かにうなずき、お互いに目で最後の確認をした。死を覚悟した無理筋の救出劇、もはや後戻りはできない――――。

「では王都まで参りますよ。ついてきてください」

 アバドンは壁に金色に光る魔法陣を浮かべ、その中へと入っていく。まるで異世界への扉である。

 俺も恐る恐る魔法陣の中に潜っていく。

 魔法陣の中は真っ暗で、上下もない無重力空間だった。アバドンが呪文をつぶやくと、向こうの方でピンク色の魔法陣が浮かび上がる――――。

「さぁ行きましょう」

 俺の手を取ったアバドンは魔法陣までスーッと移動する。

 どんどんと大きくなっていく魔法陣。

 闇の中で美しく輝きながら揺らめく魔法陣、それは希望か絶望か……。俺はゴクリと息を呑んだ。

 魔法陣の前にそっと止まると、アバドンはそっと魔法陣の向こうに顔を出し、辺りをうかがった――――。

「大丈夫です。行きましょう!」

 魔法陣を抜けるとそこは人気(ひとけ)のない(すさ)んだダウンタウンだった。王都の中なのだろうが、荒廃した街並みからはすえた悪臭が漂い、俺は思わず顔をしかめる。さわやかな高原の空気とは大違いだった。

「旦那様こっちです」

 スタスタと歩き出すアバドン。その大きな背中に、頼もしさを感じる。彼には本当に感謝しても感謝しきれない。

「凄い魔法陣だね。いきなりヌチ・ギの屋敷には繋げないの?」

 追いかけながら聞いてみる。

「元々ヌチ・ギの作った魔法ですから、セキュリティかかってて使えないですね」

 アバドンはチラッとこっちを見て肩をすくめた。現実は厳しい。

「そりゃそうか……」

 魔法では攻略できないようになっている。当たり前の話ではあるが、世界の管理者という存在の破格さに圧倒された。

「ヌチ・ギの屋敷まで二十分くらいです」

 アバドンの説明に俺は静かにうなずく。

 憧れの王都に着いたが、治安はアンジューの街よりは悪そうだった。俺たちはチンピラたちの目に留まらないよう、静かに歩く。

 道すがら、俺はドロシーを思い浮かべる。酷い目に遭わされてはいないだろうか? 泣いてはいないだろうか? 思えば思うほど気は焦る。しかし焦っても解決には近づかない。今はただ静かに歩く以外ない。その現実が胸をきつく締め付けるのだった。


        ◇


 高級住宅地に入ってくると、豪奢な石造りの邸宅が続く。それぞれが静かな威厳を放ち、まるで富と権力の展示場のようにすら見えた。

「左側三軒目がターゲットです」

 アバドンは隠しきれない緊張感を滲ませながら、静かに言う。

「了解、まずは一旦通り過ぎよう」

 見えてきたヌチ・ギの屋敷の玄関には警備兵が二名、槍を持って前を向いている。姿勢正しくビシッと直立し、彫像のようにすら見える。

 石造り三階建ての邸宅は、その威圧的な佇まいで周囲を睥睨していた。入り口には黒い巨大な金属製のドアがあり、固く閉ざされている。この辺りの邸宅は隣家とのすき間がなく、通りに沿ってまるで一つの建物のようにピタリと並んでいた。なので、身を隠す場所がないのだ。

 くぅぅぅ……。どうしたら……。

 と、その時、向こうの方から荷馬車がやってきてヌチ・ギの屋敷前に止まった。どうやら荷物の配達らしい。これは思いもよらなかった絶好のチャンスである。俺の心臓がドクンと高鳴った――――。