待ちに待った、というべきか。とにかく放課後。
六時間目の終わりのチャイムが鳴ると同時に、俺は教科書やらノートやらを全部リュックに突っ込んで、帰る準備を終わらせた。水城くんを待たせるなんて許されない気がしたので。
うちの高校は基本的に朝のショートホームルームだけで、放課後のホームルームはない。水曜日だけ六時間目がまるまるホームルーム、という形式だ。
掃除は週替わりでクラスの担当箇所が割り振られるけど、今週は俺も水城くんも掃除なし。つまり六時間目が終われば即帰れるのだ。
「帰るだけなのに、なんでそんな張り切ってるわけ?」
呆れ声で言いながら、水城くんも手早く荷物をまとめてくれている。
「いや、だって水城くんと一緒に帰るとか……張り切るしかなくない……!?」
「ふぅん? まあいいけど」
「あっ、急かしちゃった!? ごめん、ゆっくり片付けて」
「いちいち謝らないでいいから。……じゃ、帰るよ」
「は、はい!」
一緒に教室を出る。まずは昇降口まで会話を続けなくてはならない。一緒に帰ろうと誘ったのはこっちなんだし、退屈させないようにしなきゃ。
そう意気込んでいたのに、先に話を切り出したのは意外にも水城くんだった。
「君、部活は入ってないの」
「はえ!? ……んんっ、ごめん」
奇声は咳払いでごまかす。
「入ってない。水城くんもだよね?」
「うん。余計なトラブルになりそうだから」
「あー、確かに……」
「なに、その納得」
「女子も男子も、みんな水城くんのこと好きになっちゃいそうだなって」
「そんな面倒そうなこと、予兆感じた時点でフェードアウトするからありえないよ」
「そういうのって予兆感じられるものなんだ……」
あの水城紫苑と雑談を交わしている……! すごい!! なんか地味な感動がある。
気まずい沈黙が訪れるということもなく、割と当たり障りのない会話が自然と続いた。
最初に目標とした昇降口に到着したところで、俺は気になったことを尋ねてみた。
「……水城くんってもしかして、押しに弱い?」
怪訝そうにきゅっと眉を寄せる水城くん。
「むしろ強いほうだけど。なんでそう思うの」
「だって今日初めて話したような俺と一緒に帰ってくれてるし……無理してるようなら申し訳ないなって」
「ほんとに嫌なことだったら、とっくに嫌だって言ってるよ」
「それならいいんだけど……」
ほっとしながら靴を履き替え、「でも」と話を続ける。
「我ながら、昼休みのあれはないわーって感じだったよ? 俺めっちゃ怪しくなかった?」
「逆になんにも考えてないように見えたよ」
「うそ!?」
あの空回り弁明が逆によかった、のか? えええ、めちゃくちゃ怪しかったと思うんだけど……やっぱり水城くん、押しに弱いんじゃないの?
昇降口を出て、駅へと歩き出す。
駅までは歩いて十分ほどである。上手く話せないんじゃないかと不安だったが、この調子なら駅までも会話が途切れずに済みそうだ。
「それに、君みたいのにまで警戒してたら気の休まるときがないよ」
「ああ、やっぱりそういう警戒必要なんだ……いや待って、俺にはなんでいらないの?」
相槌を打ってから、はたと待ったをかける。
「水城くんまだ俺のことあんま知らないんだし、警戒したほうがいいと思うんだけど」
君みたいの、の真意は掴めない。でもそんなことを言えるほど、水城くんは俺のことを知らないはずだ。クラス替えがあってからまだ一ヶ月も経ってないし、一年生の頃にはまったく関わりがなかったのだから。
「知らないけど、警戒するのも馬鹿らしいっていうのはわかるから。人を見る目には自信あるんだよね」
その評価は喜べばいいのか落ち込めばいいのか……まあ警戒されないならそっちのほうがいい。喜んでおこう。
でも、やっぱりちょっと心配なので、警告の意味も兼ねてもう少し食い下がることにした。
「水城くんの人を見る目を疑うってわけじゃないけど、俺がなんか悪いこと考えてたらどうするの? たとえば……」
水城くんに近寄ってくる女子が目当て、とか、ありがちなたとえはよくないよな。水城くんレベルのイケメンだったらそういう可能性ももとから考えてるだろうし。
水城くんにも思いつかないような可能性……。うーむ、としばらく考えて。
「……仲良くなって、購買のフルーツサンド買う手伝いしてもらうとか?」
「…………フルーツサンド?」
きょとんとオウム返しした水城くんにうなずく。
「ほら、うちの学校のフルーツサンドってすっごい美味くて人気じゃん?」
「知らないけど」
「えっ知らないの!? ……まあとにかく、めっちゃ美味いんだよ。なのにそんな数作ってないから、昼休み終わってすぐ行っても売り切れてること多くて。俺まだ一回しか食べたことないんだよな」
「……へえ」
「で、作戦としてはまず、水城くんが購買のフルーツサンドを食べたがってるって噂流すだろ。そしたら皆遠慮するはずだから、四時間目終わってから水城くんとのんびり購買行っても売れ残ってる! 楽勝でゲット! って感じ」
全然『悪いこと』ではない気もするけど、まあ水城くんを利用してるって意味では悪いことだし。ちょっと変なたとえ出すくらいが水城くんの印象にも残っていい、はず。
俺の完璧な作戦に、水城くんは数秒沈黙した。
「……それ、僕のためにフルーツサンド買おうとする人が出ると思うんだけど」
「あっ!? そっか、逆に競争率上がる!?」
全然完璧じゃなかった! 確かに水城くんのこと好きな奴らからしたら、水城くんからの好感度上げるチャンスだもんな……!
さすがに今この場で考えた作戦はガバガバすぎたか。
でも俺だって、ちゃんと時間をかけて練れば悪い作戦を考えつくはず――
「ふっ、」
笑うような、息の音がした。
いや、笑うような、ではなくて。
「ふふ、あははっ、なにそれ! たとえにしてももうちょっとなんかあるでしょ。君、どれだけ悪巧み苦手なの?」
――あの水城紫苑が、笑っていた。
今日初めて、どころか、同じクラスになってから初めて、どころか。水城くんの存在を知ってから初めて、彼が笑っているところを見た。
俺が知らないところではもちろん笑っているんだろう。同じクラスになってからも、まだ数日しか経ってないし。
だけど、俺が見たのは初めてだった。
特徴的な琥珀色の瞳が、ふわりと優しくなって。
どこか色気すら感じる雰囲気を醸し出しているのに、笑顔自体はびっくりするくらいに無邪気だ。氷どころか、あたたかいお日様を思い起こさせる。
今まで俺が知っていた『水城紫苑』という人間とは、あまりにもかけ離れている笑顔だった。
脳がバグって、その笑顔から目が離せなくなる。……というより、見惚れていた、と言ったほうが正確か。
ずっとこんな顔をしていたらいいのに、と思ってしまう。
無愛想でいることは水城くんなりの処世術なんだろうから、俺がとやかく言えることではない。でも水城くんの笑顔は、見てるこっちまで自然と笑顔になれるような顔で、だから。
……もったいない、と思ってしまったのだ。
頬が勝手に緩んでいく。それどころか、ふへへ、と間抜けな声まで漏れてしまった。
絶対今情けない顔してるよこれ。……でもまあ、水城くんのこの顔の前じゃ全人類情けない顔ってことになるか。ならいいや。
「俺だってちゃんと時間かけて考えれば、もうちょっとマシなの考えつくよ!」
「……」
「? 水城くん?」
なぜかじっとまん丸な目で見てくる水城くんに、笑顔が引っ込んだことを残念に思いながら首をかしげる。
はっとしたように瞬きをした水城くんは、ふい、と俺から視線を逸らした。
「……なんでもない。足止まってるよ」
「あ、ごめん! 置いてかないでくれてありがと」
慌ててまた歩き出して、雑談を交わしながら無事に駅に着く。「それじゃ、また明日」と水城くんのほうから言ってくれたことに感動しながら、俺も「また明日!」と返した。
水城くんのことを、そういう意味で好きになれるかはまだわからない。
もし好きになれたとしても、それ以上のことは何もないし、何もしないつもりだった。
男同士で。向こうは王子様みたいに格好よくて、俺はどう頑張ってもせいぜい平民で。
――そんなの、おとぎ話でだってめでたしめでたしになるわけがない。
でも逆に、恋愛初心者にはちょうどいいと思うのだ。初恋は叶わないっていうんだから。
俺はたぶん、そのくらいの気持ちでいるほうが恋をしやすい。
まあそもそも、好きになれなきゃそんな話にもならないんだけど。
水城くんの笑顔を思い出しながら、明日からも『好きなところ探し』を頑張ろう、と心に決めた。
六時間目の終わりのチャイムが鳴ると同時に、俺は教科書やらノートやらを全部リュックに突っ込んで、帰る準備を終わらせた。水城くんを待たせるなんて許されない気がしたので。
うちの高校は基本的に朝のショートホームルームだけで、放課後のホームルームはない。水曜日だけ六時間目がまるまるホームルーム、という形式だ。
掃除は週替わりでクラスの担当箇所が割り振られるけど、今週は俺も水城くんも掃除なし。つまり六時間目が終われば即帰れるのだ。
「帰るだけなのに、なんでそんな張り切ってるわけ?」
呆れ声で言いながら、水城くんも手早く荷物をまとめてくれている。
「いや、だって水城くんと一緒に帰るとか……張り切るしかなくない……!?」
「ふぅん? まあいいけど」
「あっ、急かしちゃった!? ごめん、ゆっくり片付けて」
「いちいち謝らないでいいから。……じゃ、帰るよ」
「は、はい!」
一緒に教室を出る。まずは昇降口まで会話を続けなくてはならない。一緒に帰ろうと誘ったのはこっちなんだし、退屈させないようにしなきゃ。
そう意気込んでいたのに、先に話を切り出したのは意外にも水城くんだった。
「君、部活は入ってないの」
「はえ!? ……んんっ、ごめん」
奇声は咳払いでごまかす。
「入ってない。水城くんもだよね?」
「うん。余計なトラブルになりそうだから」
「あー、確かに……」
「なに、その納得」
「女子も男子も、みんな水城くんのこと好きになっちゃいそうだなって」
「そんな面倒そうなこと、予兆感じた時点でフェードアウトするからありえないよ」
「そういうのって予兆感じられるものなんだ……」
あの水城紫苑と雑談を交わしている……! すごい!! なんか地味な感動がある。
気まずい沈黙が訪れるということもなく、割と当たり障りのない会話が自然と続いた。
最初に目標とした昇降口に到着したところで、俺は気になったことを尋ねてみた。
「……水城くんってもしかして、押しに弱い?」
怪訝そうにきゅっと眉を寄せる水城くん。
「むしろ強いほうだけど。なんでそう思うの」
「だって今日初めて話したような俺と一緒に帰ってくれてるし……無理してるようなら申し訳ないなって」
「ほんとに嫌なことだったら、とっくに嫌だって言ってるよ」
「それならいいんだけど……」
ほっとしながら靴を履き替え、「でも」と話を続ける。
「我ながら、昼休みのあれはないわーって感じだったよ? 俺めっちゃ怪しくなかった?」
「逆になんにも考えてないように見えたよ」
「うそ!?」
あの空回り弁明が逆によかった、のか? えええ、めちゃくちゃ怪しかったと思うんだけど……やっぱり水城くん、押しに弱いんじゃないの?
昇降口を出て、駅へと歩き出す。
駅までは歩いて十分ほどである。上手く話せないんじゃないかと不安だったが、この調子なら駅までも会話が途切れずに済みそうだ。
「それに、君みたいのにまで警戒してたら気の休まるときがないよ」
「ああ、やっぱりそういう警戒必要なんだ……いや待って、俺にはなんでいらないの?」
相槌を打ってから、はたと待ったをかける。
「水城くんまだ俺のことあんま知らないんだし、警戒したほうがいいと思うんだけど」
君みたいの、の真意は掴めない。でもそんなことを言えるほど、水城くんは俺のことを知らないはずだ。クラス替えがあってからまだ一ヶ月も経ってないし、一年生の頃にはまったく関わりがなかったのだから。
「知らないけど、警戒するのも馬鹿らしいっていうのはわかるから。人を見る目には自信あるんだよね」
その評価は喜べばいいのか落ち込めばいいのか……まあ警戒されないならそっちのほうがいい。喜んでおこう。
でも、やっぱりちょっと心配なので、警告の意味も兼ねてもう少し食い下がることにした。
「水城くんの人を見る目を疑うってわけじゃないけど、俺がなんか悪いこと考えてたらどうするの? たとえば……」
水城くんに近寄ってくる女子が目当て、とか、ありがちなたとえはよくないよな。水城くんレベルのイケメンだったらそういう可能性ももとから考えてるだろうし。
水城くんにも思いつかないような可能性……。うーむ、としばらく考えて。
「……仲良くなって、購買のフルーツサンド買う手伝いしてもらうとか?」
「…………フルーツサンド?」
きょとんとオウム返しした水城くんにうなずく。
「ほら、うちの学校のフルーツサンドってすっごい美味くて人気じゃん?」
「知らないけど」
「えっ知らないの!? ……まあとにかく、めっちゃ美味いんだよ。なのにそんな数作ってないから、昼休み終わってすぐ行っても売り切れてること多くて。俺まだ一回しか食べたことないんだよな」
「……へえ」
「で、作戦としてはまず、水城くんが購買のフルーツサンドを食べたがってるって噂流すだろ。そしたら皆遠慮するはずだから、四時間目終わってから水城くんとのんびり購買行っても売れ残ってる! 楽勝でゲット! って感じ」
全然『悪いこと』ではない気もするけど、まあ水城くんを利用してるって意味では悪いことだし。ちょっと変なたとえ出すくらいが水城くんの印象にも残っていい、はず。
俺の完璧な作戦に、水城くんは数秒沈黙した。
「……それ、僕のためにフルーツサンド買おうとする人が出ると思うんだけど」
「あっ!? そっか、逆に競争率上がる!?」
全然完璧じゃなかった! 確かに水城くんのこと好きな奴らからしたら、水城くんからの好感度上げるチャンスだもんな……!
さすがに今この場で考えた作戦はガバガバすぎたか。
でも俺だって、ちゃんと時間をかけて練れば悪い作戦を考えつくはず――
「ふっ、」
笑うような、息の音がした。
いや、笑うような、ではなくて。
「ふふ、あははっ、なにそれ! たとえにしてももうちょっとなんかあるでしょ。君、どれだけ悪巧み苦手なの?」
――あの水城紫苑が、笑っていた。
今日初めて、どころか、同じクラスになってから初めて、どころか。水城くんの存在を知ってから初めて、彼が笑っているところを見た。
俺が知らないところではもちろん笑っているんだろう。同じクラスになってからも、まだ数日しか経ってないし。
だけど、俺が見たのは初めてだった。
特徴的な琥珀色の瞳が、ふわりと優しくなって。
どこか色気すら感じる雰囲気を醸し出しているのに、笑顔自体はびっくりするくらいに無邪気だ。氷どころか、あたたかいお日様を思い起こさせる。
今まで俺が知っていた『水城紫苑』という人間とは、あまりにもかけ離れている笑顔だった。
脳がバグって、その笑顔から目が離せなくなる。……というより、見惚れていた、と言ったほうが正確か。
ずっとこんな顔をしていたらいいのに、と思ってしまう。
無愛想でいることは水城くんなりの処世術なんだろうから、俺がとやかく言えることではない。でも水城くんの笑顔は、見てるこっちまで自然と笑顔になれるような顔で、だから。
……もったいない、と思ってしまったのだ。
頬が勝手に緩んでいく。それどころか、ふへへ、と間抜けな声まで漏れてしまった。
絶対今情けない顔してるよこれ。……でもまあ、水城くんのこの顔の前じゃ全人類情けない顔ってことになるか。ならいいや。
「俺だってちゃんと時間かけて考えれば、もうちょっとマシなの考えつくよ!」
「……」
「? 水城くん?」
なぜかじっとまん丸な目で見てくる水城くんに、笑顔が引っ込んだことを残念に思いながら首をかしげる。
はっとしたように瞬きをした水城くんは、ふい、と俺から視線を逸らした。
「……なんでもない。足止まってるよ」
「あ、ごめん! 置いてかないでくれてありがと」
慌ててまた歩き出して、雑談を交わしながら無事に駅に着く。「それじゃ、また明日」と水城くんのほうから言ってくれたことに感動しながら、俺も「また明日!」と返した。
水城くんのことを、そういう意味で好きになれるかはまだわからない。
もし好きになれたとしても、それ以上のことは何もないし、何もしないつもりだった。
男同士で。向こうは王子様みたいに格好よくて、俺はどう頑張ってもせいぜい平民で。
――そんなの、おとぎ話でだってめでたしめでたしになるわけがない。
でも逆に、恋愛初心者にはちょうどいいと思うのだ。初恋は叶わないっていうんだから。
俺はたぶん、そのくらいの気持ちでいるほうが恋をしやすい。
まあそもそも、好きになれなきゃそんな話にもならないんだけど。
水城くんの笑顔を思い出しながら、明日からも『好きなところ探し』を頑張ろう、と心に決めた。