「恋って何……?」
「哲学やってんな~」

 けらけら笑う康平を、じとっと睨む。馬鹿にしているんじゃなくてただ面白がっているだけということはわかるけど、今はそれにも寛容になれなかった。「笑うなよ」と文句を言えば、悪りぃ悪りぃ、と悪びれない謝罪。
 ぶすくれながら、俺は購買のフルーツサンドにかぶりついた。珍しく残っていたので即買ったけど、やっぱり美味い。

 紫苑くんから告白を受けた翌日。
 ここ最近は毎日紫苑くんと昼を一緒にしていたので、康平と食べるのも久しぶりだった。七月に入って屋上はすっかり暑いが、影になっているところは割と過ごしやすい。
 今日は康平と食べる、と言ったとき、紫苑くんはつまらなそうな顔をしていたけど……それも俺のことを好きだからなのかと思うと、心が変なふうにそわそわする。

「水城くんと進展でもあった?」
「…………なんにも」
「へー、あったんだ。告白でもされた?」
「なんで!?」
「あ、マジで?」

 にまーっと笑う康平に、ただ鎌をかけられたのだと悟っても時すでに遅し。「なんだよ~、そういうことはもっと早く言えよな~」とばんばん背中を叩かれて、呻くことしかできなかった。

「……言えるわけないだろ」
「そりゃそうだろーけど。まぁでも、それで恋って何、って悩んでるっつーことは、まだちゃんと返事はしてないわけか」
「返事は一応した、んだけど……なんかよくわかんないことになった……」

 頑張って自覚する、っていってもどうしたらいいんだろう。俺って本当に紫苑くんのことそういう意味で好きなの? 恋って何?
 この頃はその堂々巡りで、紫苑くんの前だと緊張して挙動不審になってしまう。たぶん以前より今のほうがよっぽど視線合わせたりとかできてないと思うんだけど、今回は原因がわかっているからか、紫苑くんの機嫌は悪くなっていなかった。むしろやたらといい。

「よくわかんないことって?」
「さすがにそこまでは言わない。ほいほい喋ることでもないだろ」
「あーい」
「……でもなんで紫苑くんが俺に、こ、告白した、とかわかったんだ?」

 もう暑いからか屋上に他に人はいないが、一応声を潜めて訊く。何も言わずとも、康平も声のボリュームを落としてくれた。

「んー、たぶんー、オレがその原因の一端を担ってるってゆうかぁ」
「……どういうこと?」
「水城くんがどういうつもりか知りたかったからさ、ちょっと突っついてみたんだわ。そしたら反応的に、お、こいつムギのこと好きじゃね? ってなって。で、水城くんもそこでうっすら自覚しちゃったっぽい」
「はあ!?」

 知らない間に何やってんだ康平!?

「でもあくまでうっすらよ? 決定打はたぶんオレじゃないから、オレに責任はありません。おっけー?」
「オッケーじゃない!!」
「えー、恋したいっていう友達の背中を押してやってるのにさぁ」
「押したのは俺の背中じゃなくない!?」
「同じことっしょ。このままいけばお前、ちゃんと恋できると思うぜ?」

 なんで俺の周りには、他人のことで自信満々になれる人が多いんだろうか。割と真面目にそんなことを思ってしまった。
 俺が呆れているうちに、康平はふと真剣な顔になった。こいつがこんな顔をするなんて珍しいので、ちょっと驚いてしまう。

「なあムギ」
「何?」
「俺お前のこと好きなんだけど」

 あまりにもさらっと言われた言葉は、一瞬そのまま耳から耳へ通り過ぎてしまった。
 目を瞬きながら待ってみても、訂正の言葉は続かない。

「……本気? 悪ノリ?」
「うわ、そっから疑うワケ?」
「タイミング的にそうなるだろ……」
「まぁな。でも本気」

 ――百パーセント悪ノリだと思っていただけに、思考が止まった。
 ……本気っていうのも嘘じゃないのか? さすがにそこまで疑うのはひどすぎる? でも康平だし、ありえないとは言い切れない。
 完全に固まった俺を見て、しばらく。ぶはっと康平が吹き出した。

「あははははっ、ムギすっげぇ顔してる」

 ひーっと腹を抱える悪ふざけ好きな友人を、大分本気で殴りたくなった。

「お、おまえなー! 反応に困る冗談やめろよ!」
「とまあ、こんなふうに、水城くんにもオレがムギのこと好きだって嘘ついたわけっすよ」
「実演必要あった!?」
「あったよ、あった。お前、オレに告られてどう思った?」

 どう思ったかなんて訊かれても、本気なのか冗談なのか判断がつかなかった、としか言えない。
 俺のその答えが読めたのか、「あー、なら質問変えるけど」と康平は続ける。

「もしほんとに本気の告白だったら、どう思ったと思う? 水城くんに告られたときと違いあった?」
「……ちがい」

 考えてみる。
 もし、康平から本気で告白されたら? ……どう傷つけずに断るか悩むことになるだろう。そのまま友達でいたい、という気持ちが許されるのかどうかも。

 それで、紫苑くんに告白されたときは……状況が違いすぎるからなんとも言えない、けど。
 友達でいようって決めたばっかりなのに、ってちょっとだけ恨めしくなって。だけど気持ち自体は――嬉しくて。
 恋がわからないことが、そのせいで応えられないことが申し訳なくて。

「…………確かに、なんとなく、違う気がしなくもない?」
「あ~このやり方じゃ駄目だったか~」

 呆れを隠しもせずに、康平がわざとらしく天を仰いだ。

「まったく、これだから恋愛初心者は」
「恋多き人間的に、最初の質問の答えはどうなるんですかねっ!」
「恋とは何かってやつ?」

 むっとしながら、結局答えてもらってなかった問いをもう一度投げる。康平は「んー」と視線を斜め上に向けた。

「つってもなぁ、そんなんわかんねーよ。オレの場合は、好きだなーって思っちゃったらもう恋なわけ」
「……その『好きだなー』に理由はないってこと?」
「まあ、後からなら色々理由付けられるだろーけどさ。理由なんてあってもなくても、わかってもわかんなくても、好きだって思ったら好きなの。少なくとも、オレはな」

 最後の一言を強調して、康平は笑う。

「ま、悩めばいいと思うぜ。どうせなるようになるだろうし」
「なるようにって何だよ……」
「大丈夫ダイジョーブ。チョコでも食べる?」
「なんで……食べるけど……」

 康平はちょっとしたお菓子をいつも持ち歩いている。大体は個包装のチョコだ。今日のもチョコで、暑さのせいで少し溶けかけている。
 もらったチョコをころんと口の中で転がしながら、また考える。

 好きだって思ったら、恋。……普通の好きとその『好き』の違いがわかんない場合はどうするんだよ。
 元から期待はしていなかったが、やっぱり康平の考え方は参考にならなかった。俺にとって、というだけで、その考え方で納得する人もいるんだろうけど。

「……まーでも、友達って好きになりたくねぇよなー。逆に、なられても困るときあるし」

 そういえば康平は、女友達が多いのだった。今まで好きになったりなられたりした人の中には、当然女友達も含まれているんだろう。そして今の口ぶり的に、そういうときは康平だって悩むのだ。

「関係変える意味ある? って思っちゃうんだよな。今で十分楽しいのにさ」

 どことなく遠くを見ながら、康平が言う。

「……オレは好きな奴コロコロ変わるけど、告れなかった奴も普通にいる。引きずってねぇし、別に後悔とかもしなかったけど、好きだった奴ってそんだけで大分特別だからさ。幸せになってほしいなーとか柄にもなく思っちゃうワケ」

 いったい何語りが始まったのか。
 ついていけずに目を瞬く俺に、康平は彼らしくもなく、くすりと控えめに笑った。

「まあ、そういう話なんだよな」
「……どういう話?」
「わかんなくていーんだよ、ムギちゃんは。チョコもいっこいる?」
「それはもらうけど……」

 もう一つもらったチョコも、やっぱり少し溶けかけていた。