紫苑くんは宣言どおり、週に一、二度は手作りのお菓子を作ってきてくれるようになった。
 今日も昼休み、弁当を食べるため一緒に空き教室に行くと、紫苑くんはさっそくお菓子を披露してくれる。

「今日はドーナツ作ってきた」
「おおお……!」

 丸いドーナツは、一部がおしゃれにホワイトチョコでコーティングされてる。今日のも美味そう……!
 ――マドレーヌ、パウンドケーキ、マカロン、などなど。紫苑くんが作ってくれるお菓子は多岐に渡った。本人はほぼ食べずに俺が食べるのを眺めているので、なんだかやっぱり餌付けされている気分だ。
 俺なんかが独り占めしちゃっていいんだろうか、と思いつつも、おそらく俺用に甘めに作られているそれらを、いつもぺろりと食べてしまう。

「ごちそうさま! 今日も美味かった、ありがとう」
「どういたしまして」
「……ところでテスト近いけど、こんなにお菓子作りして平気?」
「気分転換だよ」
「なるほど……?」

 紫苑くんはなんだか楽しげだった。
 紫苑くんがどんなレシピで作っているかはわからないけど、お菓子作りってどれくらい手間暇がかかるんだろう、と最近いろいろと検索してみている。お菓子作りに挑戦したことのない俺からしてみれば、出てくるどのレシピも、まったく『気分転換』の範疇に収まらない。勉強する時間なんてあるの? って感じだ。
 でも本人が気分転換になるって言うなら、いいのかな……。俺が紫苑くんの心配をするのもおこがましいもんな。また赤点を取らないように、自分のことに集中すべきだ。

「そういえば紬」

 ふと思い出したように、紫苑くんが口を開く。

「僕の顔好きって言ってたけど、具体的にどこが好きなの?」
「どっ……!?」

 危なっ! 口の中に何か入ってたら絶対吹き出してた!! なんでわざわざ掘り返すんだ!?
 あたふたする俺にも、紫苑くんは素知らぬ顔。頬杖をついて俺の答えを待っている。
 具体的? 具体的って、何だ。何を答えればいいんだ。ぐるぐる必死に頭の中で回答を練る。

「ぜ、全部、かな……」

 視線を逸らしながら絞り出せば、「その答えは逃げとみなすけど」とぴしゃりと言われてしまった。

「えええ!? だって具体的って、言ったらキモくない!?」
「気持ち悪いと思うなら、僕からこんな話始めないでしょ」
「それはそうだろうけど、そもそもなんでこんな話!?」
「別に、ちょっと気になっただけ。男にこの顔好きって言われたの初めてだし」
「うぅぅ……でも全部って答えが駄目なら困る……ほんとに全部好きだし……」

 一つ一つ具体的に説明しろ、と言われればできなくはないだろうけど、どこが好きかなんて考えたことがないから、上手く説明できる自信がない。ちょっと気になっただけっていうなら、『全部』ってことで納得してほしいんだけど。
 紫苑くんは目を細めて、なぜか機嫌良さげに「ふぅん」とうなずいた。

「まあ、わかった」
「よかっ――」
「じゃあ、僕のどういう顔が好き?」
「よくなかった!!」

 俺の反応が予想どおりだったのか、紫苑くんは小さく噴き出す。い、意地悪だ……! 前より優しくなったのに、前よりこういうこと増えた気がする!
 意地悪はやめてほしいと言ったら、きっと引いてくれるんだろう。でも別に、強いてやめさせたいほど嫌なわけでもない。むしろ、気心の知れた友達、みたいで嬉しくもある。
 だからしどろもどろになりながらも、俺は何とか答えた。

「ど、どういう顔してても好きだけど、やっぱり楽しそうに笑っててくれるのが一番好き、かな……!?」

 俺はいったい何を言わされてるんだろう。
 素直に答えなきゃいい話なのかもしれないけど、俺はもう、たぶん紫苑くんに嘘はつけない。つきたくない。無理だよ。

「そう」

 満足そうに笑う紫苑くんは綺麗というか可愛いんだけど、何がどうしてそんな質問してこんな答え聞いて笑えるのか、全っ然わからない。俺だったら俺が顔真っ赤にしてこんなこと言ってたら、キモ……ってドン引きするんだけど!

「なんか最近、紫苑くんおかしくない!? どうした!?」

 ついに耐えかねて訊いてしまった。変わったきっかけが俺のあの告白であることは間違いないから、墓穴を掘る可能性も大だけど、それでも訊かずにはいられなかった。
 勇気が出せない、なんて思ってたけど、ここまでされたらもはや勇気とかそういう問題じゃない。おかしすぎる。

 紫苑くんはふっと微笑んで、小さく首を傾げた。

「知りたい?」

 ――……たぶん、こういうのを、蠱惑的、と言うのだろう。
 もともと熱くなっていた顔に、さらに熱が上る。
 何が目的で俺にこんな微笑みを見せるのかわからないけど、何にしてもたちが悪かった。紫苑くんは自分の顔の良さを自覚しているし、おまけに俺が紫苑くんの顔が好きなことも知っているのだから。
 けれどここで引き下がるのはなんだか負けた気がして、俺はこくこくとうなずきを返した。

「そう。知りたいなら仕方ないよね。君が知りたいって言ったんだから」
「え、なになになに……その言い方は怖い」
「そうだね、もしかしたら怖いことかも。それでも聞く?」

 探るように、琥珀色の瞳がそっと俺を見る。
 ……その様子はむしろ、紫苑くんこそ何かを怖がっているように見えて。
 俺はためらわず、「聞きたい」と力いっぱいうなずいた。俺の返答に、紫苑くんは少し気の抜けたような笑いをこぼしてから、すっと真面目な顔つきになる。

「……知りたいなら仕方ない、って君に責任押しつけるような言い方しちゃったけど、君に責任は何一つない。僕が勝手に言いたくて言うだけだよ。だから、聞かなきゃよかったって思ってもいい」
「思わないよ」
「……聞いてもないのに、そんな自信満々に言っちゃっていいの?」
「紫苑くんの言葉で、聞きたくないものなんて一つもないと思うから」

 紫苑くんは、はあ、と小さく息を吐いた。眉を下げて力なく笑って、そっか、とつぶやく。

「……でもよく考えたら、もうすぐ期末テストだもんね。テストの邪魔はしたくないから、終わってから話すよ」
「気になって集中できない気がするんだけど!?」
「断言するけど、僕が今話したほうが、紬は集中できなくなる」

 あまりにも自信満々に言われたので、俺はしぶしぶ納得するしかなかった。

 そして迎えた期末テスト。前回の反省を活かし、数学をこれでもかと勉強していったので、手応えは上々だった。他の科目も、まあどれだけ低くても平均は超えてる。
 テスト最終日、どこか緊張した紫苑くんに「一緒に帰ろう」と誘われた。俺もつられて緊張しながら了承する。歩きながらする話でもないということで、何度目かになる喫茶店を訪れた。

 二人分の注文が届いてから、紫苑くんは真面目な顔で俺を見た。その雰囲気に呑まれて、思わずごくりと唾を呑む。

「紬」

 形のいい唇が、はっきりと俺の名前を紡いで。


「――君のことが好きみたいなんだけど、どうしたらいい?」


「………………は?」

 すき。
 すきみたい。
 きみのことが。だれのことが?
 すき? 友達の好き? それだったら、どうしたらいい、なんて訊く必要もなくて、つまりこのすきは、すきって、好きっていうのは、

「なん、で」

 混乱極まる中、口から零すことができた声はたった三音だった。
 紫苑くんは凪いだ笑みで、淡々と理由を答える。

「しいて理由を挙げるとしたら、一緒にいるのが楽だから。楽しいから。君が笑ってると、優しくしたくなるから。もっと笑ってほしいって思うから。君といると、自然に笑えるから。悪いことなんて全然考えられないところが可愛いから。真っ直ぐに褒めてくれるのが、眩しいなって思うから。それから、」
「し、しいてって言ったのに、なんでそんな、」
「挙げる理由が一つだけなんて言ってないでしょ」

 きっとこれは紛れもなく告白なのに、紫苑くんの澄まし顔が、まるで軽い雑談でもしているかのように錯覚させる。余計に混乱する。もしかしたら、それすら意図的なのかもしれない。
 ……俺は、ずっと友達でいようって決めたのに。決めたばかりなのに。なのに、なんでいきなりそんな。だったらあのとき言ってくれれば――いや、ちがう。こんな、紫苑くんを責めるみたいな思考は駄目だ。悪いのは全部俺だったんだから。

「紬」

 また紫苑くんが、俺の名前を呼ぶ。
 その声を聞いたら、不思議と少しだけ気持ちが落ち着いた。
 紫苑くんは相変わらずまっすぐに俺のことを見てくる。

「今ここで、返事がほしい。君が友達でいたいって言うならそれでいいし、恋人になりたいって言うならもちろんそれもいい。もう話しかけないでほしいとかそういう答えは却下だけど、君も僕のこと友達としては確実に好きなんだから、そんなことは言わないよね?」

 にっこりと圧をかけられて、ひえっ、と声が出そうになった。
 もちろん言わない。言わないけど、だとしても友達か恋人か今ここでさっさと決めろ、というのはちょっといかがなものか。いや文句とかはないんだけど、でも、でもさ、ちょっとくらい考える時間くれたって――

「君の場合、たぶん追い詰められて直感的に答えるくらいがちょうどいいから。ゆっくり考えさせてあげられないのは悪いと思ってる」

 心が読めるんですか? ってくらい絶妙なタイミングでの補足に、「あっ、はい……」と言うことしかできない。本当に悪いと思ってるんですか?
 ――友達か、恋人か。
 えっと、えっと……と必死に悩む俺を、紫苑くんは静かに見つめていた。早く何かを言わなければと、何もまとまっていないままに口を開く。

「こっ……恋するなら紫苑くんがいい、とは、思ってて……でも、まだ恋とかよくわかんなくて、こんな中途半端な気持ちで付き合うなんて無理だし、と、友達、じゃ、だめ……かな……」

 正直な気持ちを、そのまま吐露した。
 窺うように上目で見れば、よくできました、と言わんばかりに頭をぽん、となでられて、俺は思わず固まってしまった。紫苑くんに、頭なでられた……!?

「だめなわけないでしょ。こっちから選択肢として出してるくらいなんだし」

 手はすぐに離れていった。
 それをなんとなく名残惜しく見てしまったことに気づいたのか、紫苑くんはちょっと笑って、もう一度だけ俺の頭をなでてくれた。子ども扱いっていうか、なんか犬みたいな扱い受けてる気がする。

「……まあでも、今の答え聞いてわかった」

 いっそドヤ顔にすら見える自信満々な顔で、紫苑くんは言った。

「紬は僕のことが好きだよ。恋愛的意味で」
「えっ」
「自覚するまで待っててあげてもいいけど――僕は、そんなに気が長くないから」
「えっ、えっ」
「無理やり奪われたくなかったら、せいぜい頑張って」

 キラキラしいくらいのご機嫌な笑顔だった。めちゃくちゃ眼福ではあるが、不穏なことを言われた俺はそれどころじゃない。

「う、うば……!? 何をですか!?」
「さて、なんだろうね。楽しみにしてていいよ」
「怖いんだけど!!」
「怖がる必要ある? 何をされるとしても、相手は僕だよ?」
「だとしても怖いものは怖い!!」

 さっきは自分の告白を『怖いことかも』なんて弱気になってたくせに!
 そんなやりとりをしているうちに、予鈴のチャイムが鳴ってしまった。「ほら、行くよ」と立ち上がった紫苑くんを止める術などなく、俺も大人しく教室に戻る。間違っても他に人がいるところでできる話でもないし。

 席について次の授業の準備をしながら、考える。
 ……紫苑くんが、俺のことを好き。
 それで、俺も紫苑くんが好き? 好きって何だ、恋ってどういうのなんだ。まだ恋じゃないと思ってたのに、気づかないうちに恋になってた? でも恋って……こういう感じなの?
 考えても考えてもわからなかった。紫苑くんはなぜあんなにも自信満々に言えたのか。


 ……だけど。
 紫苑くんが、俺のことを好きだと言うのなら。

 ――俺は紫苑くんに恋をしてもいいんだな、と。

 そう思って、安心してしまう自分もいて。
 ますます何もわからなくなった。