8 高校三年の春

 高校三年四月。クラス発表にドキドキした。和田君と同じクラスになれますように。必死で願っていたけれど、和田君とクラスが別れた。

土曜日。和田君の部屋で一緒に受験勉強。三年になったから大学受験準備しようと二人で決めた。同じところに行けたらいいな、と思っている。
「え? 修、黒板係なの?」
「うん。前の席の人に誘われて」
クラスが違うから互いの話が多くなっていて新鮮だ。
「なんで修が黒板係なんだよ。背丈がさ、上まで届かないじゃんか」
「失礼な。頑張れば届くし」

和田君らしい考えに笑ってしまった。何か考えている和田君。

「声かけてきたの、甲斐だっけ?」
「そう。知っている?」
「サッカー部のエースで副部長。ガタイ良い奴だよな。全体のサポートが上手なタイプだよ」
ふうん、と返事をする。
「そうか。甲斐か」
和田君が下を向いてまた考え込んでいる。
「修、惚れるなよ?」
急な一言に顔面が熱を持つ。
「ないない! 僕は和田君にしか、そうならないって」
慌てて身振りも交えて否定するが、恥ずかしさが襲ってくる。言ってしまった言葉にパニックになりかける。混乱で涙が出そうだ。顔の熱が引かない! そんな僕を見て和田君が満足そうに微笑む。

「へぇ。俺にしか、そうならないんだ」

うっかり口にした言葉が爆弾発言になってしまい、上手く返事が出来ない。繰り返されると恥ずかしさで手が震える。和田君が見られない。下を向いて持ってきた参考書をカバンから取り出す。

ふと、僕に影が出来て見上げると、すぐ近くに和田君。あっと思う間に、軽い、キス。ほんの一瞬の出来事。心臓がバクバク鳴り響く。

「じゃ、勉強するか」
何事も無かったかのように受験勉強用のテキストを開く和田君。今、キス、したよね? 僕の勘違い? そう思いながら聞く勇気がない。去年の登校中の軽いキスを思い出し心臓がバクバク鳴り出す。

 僕の頭の中はパンク寸前だった。勉強が少しも頭に入ってこなかった。



9 温かい時間

 水曜日。和田君と一緒に自転車で施設に向かう。去年は和田君と僕なんかが一緒に居ていいのかわからなくて施設のチャリ置きに集合していた。

今は学校から一緒に向かっている。クラスが別になり、少しでも一緒の時間を作るようにしている。放課後デートみたいでドキドキする。クラスが一緒じゃない分、一緒に過ごせる時間が貴重。自転車で並走するだけで嬉しい。四月になり風が温かい。そんな気候の変化を一緒に感じる相手がいることが嬉しい。風のいい匂い。

「あ、修、見て」
自転車を止めて、和田君の視線の先を見る。そこは一面菜の花。黄色がサワサワ揺れている。

「綺麗だね」
「ちょっと歩く?」
「うん。お祖母ちゃんに摘んでいこうかな」
「喜ぶかもな。爺さんは……まぁ、持って行ってみるか。春を届ける事できるかもな」

自転車を隅に停めて川沿いを歩く。遠くで見ると黄色い一面だけど、近くで見ると緑もちゃんとある。

「数本より、一面の景色を見せたいなぁ。写真じゃなくて、この風に揺れる様子がいいんだよな」
「うん。確かに」
「菜の花とかタンポポとか、昔はもっと多かったんだろうな」
そうだよね、と答えて揺れる黄色を見る。虫がついていないか確認して二本摘み取る。

僕が持ちながら自転車こいだら転ぶ、と心配される。自分ではそこまでトロくないと思う。最近の過剰な心配ぶりがくすぐったくて、頬が緩む。「かーわいい」と頬を手で包まれる。見上げると陽の光の中に和田君。太陽と優しい風が良く似合う。


 今日は和田君のお祖父さんのところからお邪魔した。おじいさんは起きていてニコニコしていた。久しぶりに起きている。菜の花摘んできて良かった。
「じいちゃん、こんちわ。学だよ。分かる?」
「お~~、そうか」
お祖父さんは分かっているのか分からない返事。和田君を見て、コクコク頷いている。

「ほら、菜の花」
和田君が花を見せると室内にふわりと春の匂いが広がる。ほんの一輪なのに施設の部屋の空気を変えた。

「そうかぁ、もう春か」

あ、会話が成立した。驚いてお祖父さんと和田君を見る。和田君も驚いた顔。和田君は優しい顔になり言葉を続ける。

「そうだよ。風が温かいよ」
「しだれ桜は、もう咲いたか?」
「どこの? お寺さん?」
「そうだなぁ、したら墓参りに行かんとなぁ」
「うん。わかった。お墓は大事にしないといけないんだよね。俺が見てくるよ」
「おお、飛んで跳ねたらバチが当たるでな。お墓さんで遊ぶじゃないぞ」

「分かっているよ。じいちゃん、昔からそう言っているよな」
和田君が嬉しそうに笑っている。菜の花、摘んできて良かった。春がお祖父さんに届いた。

二人の会話が嬉しくて鼻の奥がジーンとする。そのあと和田君がそっとお祖父さんの手をさすっていた。桜の入れ墨を、そっと撫でるように。お祖父さんは気持ちよさそうにスヤスヤ寝入っていた。ちょっとした感動で和田君と微笑み合う。

寝てしまったお祖父さんを起こさないように立ち去る。菜の花は置いていきたいけれど間違えて食べてしまうと困るから持って帰る。嬉しそうな和田君を見て心がふわりと満たされる。

「久しぶりに会話したわ。待っていたわけでも期待していたわけでもないけどさ、心があったまる」
頬を染めてニッコリ笑う和田君が輝いて見えた。


「まぁ、菜の花。もう満開かしら? 土の香りがするわね。懐かしい」
お祖母ちゃんは一輪の菜の花をとっても喜んでくれた。お祖母ちゃんの部屋にも春の匂い。

「和田君と仲良くなって、修はよく話すようになったわね」
「え? そうかな」

考えて、そうかもしれないと思った。以前の僕はお祖母ちゃんの傍にちょこんと座っているだけだった気がする。最近はお祖母ちゃんとよく話す。

「そうね、表情も良くなった。学校楽しい?」
「うん。楽しいよ」

そう答えて気が付く。以前の僕なら学校が楽しいとは答えられなかった。今は隣に和田君がいて心が満たされている。素直に楽しいと言える。

「桜は散ったわね。外の空気も温かくなって。季節は早いわね。歳をとると余計に早く感じるわ」
「来年は桜を届けます」
「その頃には大学生かしらね?」
受験勉強を始めているよ、と話した。優しい気持ちでお祖母ちゃんの部屋を後にする。


「修、アイス食べる?」
「毎回のお決まり文句になったね」
アイスの自動販売機前で笑いあう。

「夏の暑い時期に一緒に食べたい。夏の楽しみなんだ」
去年の残暑の和田君との時間を思い出すと、心が温かくてくすぐったくなる。

「思い出し笑い?」
「うん。去年のアイス食べたこと思い出していた」

「じゃ、今日はお茶にしますか」
「井上さんを思い出すね」

「井上な。あいつ、ちゃっかり彼氏つくりやがって。修の事、好きだとか言っていたくせに」

三年になってすぐ、井上さんには彼氏ができた。僕はほっとした。途端に和田君と井上さんの言い合いが無くなった。井上さんは「ガッチャン、分かりやすい」と笑っていた。

「僕は安心したよ。井上さんは生き生きしているのが似合っている」
「あいつは心臓が強いんだ。切り替えも早くて尊敬するわ」

わざとらしくため息をつく和田君。でも本当に井上さんは強いと思う。色々あっても前をしっかり向いている。前に進む力がある。

 和田君とお茶を持ってチャリ置き近くの花壇に行く。花がチューリップに変わっている。気持ちいいね、と和田君と気持ちを分かち合う。ずっとこんな時間が続くといい。温かな幸せに包まれて自然と頬が緩む。春が優しいとか、良い意味で使われるのが良く分かった。和田と過ごす時間は、春そのものだ。


 五月中旬。いつもと変わらない日。
「修!」
学校の廊下で和田君に呼び止められた。余裕がない鋭い声。驚いて掴まれた腕をそのまま話をする。周りが何事かと僕たちを見る。

「じいちゃん危篤だって。親から連絡が来た」
え? なに? 言われたことに反応が出来ない。ただ和田君を見上げて固まってしまった。

「会いに行く?」
その一言にすぐに頷く。
「いいの?」
「いいよ。もちろん。病院の面会が二十時まで。学校終わってから向かおう」
「僕が行って、大丈夫かな」
「親は、祖父さんとこに修が行ってくれていること知っているから大丈夫。とにかく祖父さんに会ってから、ゆっくり話そう。明日学校だけど、うちに泊っていく?」
「泊まったりして、迷惑に、ならないかな」
こんな時に、いいのかな。

「大丈夫だよ。今日は父さんが病院に泊まる。母さんは、若い祖父さん祖母さんの家に泊まるから、家に俺だけ。親の迷惑とかは考えなくても大丈夫。ご飯はコンビニになるけど。ただ、修の家には連絡しておいて」

「わかった」
すぐにお母さんに電話をした。くれぐれも和田くん宅の負担にならないようにと、強く言われた。

「四月にさ、祖父さんがお墓の話を急にしたよな。なんか、察していたのかな……」
寂しそうな和田君の横顔を見つめて、何て言っていいのか分からなかった。