7 和解

 約束の水曜日。
「ここ? 何、介護施設?」
和田君が先導して自転車でお祖母ちゃんの施設に到着した。

「ここにさ、実は俺の曽祖父と修の祖母ちゃんが入所してる。俺は毎週水曜日、修は週三日くらい通ってる」
「え?」
井上さんはびっくりしている。

「今日は井上さんに修の祖母ちゃんに会ってもらいたいって、修が言ってる」
急に話を振られて焦ってしまう。

「あの、そ、そう。そう。えっと、こっち」
お祖母ちゃんの部屋に誘導する。

 「あら、今日は女の子の友達? 修の? 嬉しいわ」
お祖母ちゃんはニコニコ井上さんを受け入れてくれた。三人で椅子に座る。お祖母ちゃんは今日も穏やかだ。

「最近ね、学生さんが実習で来るのよ。ちょうどあなたたちの年に見えて、毎日明るいのよ」
お祖母ちゃんは実習の学生と折り紙をしたことや体操が変わったことを話してくれた。

僕はおしゃべりが苦手でお祖母ちゃんの横にいるだけだけど、お祖母ちゃんはコミュニケーション能力が高い。三十分ほどいて部屋を出るとき井上さんが立ち止まる。

「あ、そのカーディガン」
あの時のカーディガンは僕のもとに戻ってきていて、お祖母ちゃんに届けてある。

「これ? 室内でも欠かせないのよ、羽織物。私は足が悪いのよ。それで施設にいるの。足が悪いと身体が冷えるのよ。どんなに室内が温かくても、ダメね。起きている時には夏でも掛物が手放せないの。このカーディガンやひざ掛けは、時々修が洗って届けてくれるのよ。本当に優しい子なの。これからも仲良くしてくださいね」

ふふふ、と優しく笑うお祖母ちゃん。井上さんは下を向いて震えている。

「あの、お祖母ちゃん、また来るから」
「お邪魔しました」
三人で廊下に出る。井上さんは泣いていた。

今日は和田君のお祖父さんのとこに立ち寄るのはやめた。泣いている井上さんを連れていけない。

自転車置き場は冬の風が冷たい。外の花壇では話せないから、一階の館内のベンチに三人で座る。和田君が温かいお茶を三つ買って渡してくれる。館内なら十分温かいけど気持ちが嬉しい。

「ありがとう」
井上さんもお礼を言い受け取る。

「あたし、影山君にとんでもなく失礼な勘違いしていたのね。あの服、お祖母さんのだったのね。どうしよう。本当に悪い事したのね。和田君と仲良かったのも、こういう繋がりがあったのね。あたし、あたしは……」

顔を隠して嗚咽をこぼして泣いている。僕は、こういう時どうしていいか分からない。オロオロして和田君を見る。和田君は怖い顔で井上さんをまっすぐ見ていた。

「井上さん、悪いけど俺は井上さんが泣こうが全然許す気になれない。俺は大切な修が怪我した時、こいつ死ぬんじゃないかって不安で涙がこぼれた。身体が震える怖さだったよ。勘違いでした、で済む問題じゃない。そこは多分、自分でも分かってると思うけど。

だけど、修は許す、許さないじゃなく、井上さんを取り巻く環境をどうにかしたいって考えているんだよ。俺は、本当はここに連れてきたくなかったけど、今日は修の意向だよ」

井上さんは、下を向いたまま話し出す。

「あたし、本当に嫌な奴なの。こんなことが起こるまで、周りは皆あたしについてくるし、ムカつく奴には、ムカつくって言ってやればいいんだって思ってきたわ。

地味で目立たない子にキモイとか言えば周りは盛り上がるし、いじめって程じゃないし、良いかって思ってきたのよ。キモイ奴が悪いって思っていたわ。

影山くんは陰キャであたしより下だって見下していたのよ。それが、ガッチャンや男子にチヤホヤされて、存在感出しちゃって気に障っただけなの。いい気になるなって釘刺してやるつもりだったの。

思った通りに影山君は震えるばかりで抵抗の一つもしない。ざまあみろって思ったわ。それが、あのカーディガンを必死になって取りに来て驚いたの。びっくりして、つい突き飛ばしちゃったの。

仰向けに落ちてく影山君を見たら、本当に怖くなって。逃げてごめんなさい。もし、ガッチャンが見つけてくれなかったら、影山君死んでいたかもって言われたわ。大変な事をしたって徐々に分かった。

親にも泣かれて、とんでもないことをしたって叱られて。一緒にいた子たちは、全部あたしのせいだって言うし。間違ってはいないのかもしれないけど、止めなかったし、いつも悪口も一緒に言っていたのに、あたしだけが罪を背負う形になって。

クラスにも居辛くなったけど、これはあたしが受ける罰だと思って毎日過ごしていたわ。もちろん、そんなことが償いにはならないわ。でも、この孤独な時間で、自分がどれだけ嫌な存在か、プライドや見栄ばかりの人間か向き合うことはできたの。

今日、影山君のお祖母ちゃんに会えて良かった。すごく優しいのね。影山君もお祖母ちゃんに優しいわ。優しさがいっぱいの影山君を、キモイとか陰キャとしか見ていなかったあたしは、最低だったわ」

吐き出すような言葉を静かに聞いた。和田君を見ると、井上さんを見る顔が少し柔らかくなっている。

「あの、僕は友達がいなかったから、僕に優しいのはお祖母ちゃんだけなんだ。お祖母ちゃん、本当は家に居たかったけど、車いすは無理だってココに入ってる。でも、家に帰りたいとか言わないんだ。会ったときには、いつもニッコリしてくれるよ。

えっと、お祖母ちゃんのカーディガン、僕が洗うと外の風の匂いがするって喜ぶんだ。家の懐かしい匂いがするって。僕がお祖母ちゃんにできる少しの事なんだ」

井上さんが僕の前で深く頭を下げる。

「本当に、ごめんなさい。あたしは、自分勝手な言い分で、影山君を大変な目に会わせたわ。影山君の傷、一生残るって親から聞いているの。あたし、一生かけて償います。本当に、ごめんなさい」

床に涙が落ちていく。

「あの、そのことだけど、僕たちの中では、事故でいいにしようよ。あとは、親の話に任せようよ」
井上さんが頭を上げる。

「僕は男だし、傷とか気にならないよ。落ちたのが僕で良かったよ。井上さんじゃ、傷が残ったら、可哀そう」
笑いかけると、井上さんはまた泣いた。「ありがとう」って言われた。

 しばらく三人で静かにお茶を飲んだ。「冷めちゃったけど、すごくおいしいお茶ね。今までで一番おいしい」って井上さんが言った。頷きながら、僕もその特別おいしく感じるアイスを知っているよ、と心で思った。和田君の魔法なんだって教えたかったけど、内緒にした。

「影山君って、優しくてまっすぐな性格で素敵ね」
久しぶりに井上さんの笑顔を見た。嬉しくて、照れくさくて、僕もつられて笑顔になる。井上さんと正面から目が合う。お互いに顔をしっかり見たのは、初めてかもしれない。井上さんの頬が赤くなる。すると、僕の顔の前を大きな手が遮った。

「井上さん。だめだよ。コレは俺の」
「え? そういうこと? じゃ、ガッチャンはライバルね」

「振り向いてもらえるように、本気で頑張るから。外見じゃないのね。人そのものに惹かれるって初めて。影山君に釣り合うように、頑張らなきゃ」

からかわれているのだろうけど、僕はこういう冗談に慣れていない! 心臓がバクバクするし、なぜか和田君の目は怖いし汗が止まらない。

 井上さんを駅まで送った。途中、和田君と井上さんが張り合うからハラハラした。僕は大きな仕事をやりきった爽やかな気持だった。和田君がいてくれて良かった。駅からの帰り道、そっと和田君の手に触れてみた。すぐに包み込んでくれる温かい手。心がホカホカ温まる。心臓がドキドキと高鳴る。冬の寒さが和らぐようだった。



 和田君に勧められて髪の毛を切った。前髪が短くなり常に視界が開けている。少し恥ずかしい。
「思い切ったのね。髪、どうしたの?」
教室で井上さんから話しかけられる。少し周りの目線が気になるけれど、僕と和田君は教室で井上さんと普通に話すことにしている。

「和田君の知り合いの美容院で切ってもらったんだ」
朝から他のクラスメイトにも声をかけてもらって、髪の話題でのぼせそうだ。

「すごく素敵。影山君の表情が見えて嬉しいな」
表情が見えるのか。考えていなかった。赤面してしまう。

「井上さん、女性らしく恥じらいを覚えてくれるかな? じろじろ見ないでくれ。」
「あら、ガッチャン。今の世の中、そんな発言は良くないわ。ジェンダーレスに反するわよ。それに綺麗なものは見たいのよ」

「くそう。いちいち言葉がまともすぎて反論できない!」
三人で話すようになり井上さんは頭が切れるタイプだと分かった。和田君ともやりあえる。こうなると、もう僕は間に入れない。井上さんは自分で周りに人が集まってきていたと言うだけあるなぁと納得する。

「そうだ。これ、お祖母ちゃんに届けてもらえる?」
井上さんが僕にレースのコースターを渡してきた。

「これ何?」
「レース編み。お母さんに教わったの。影山君のお祖母ちゃんに、何か出来ないかなって思って。まだ、へたくそなんだけど。やっと一個できたの」

照れながら話す井上さん。お化粧している彼女から想像できない繊細なレース。透明なラッピングに入ったレースのコースターと井上さんを見比べる。

「やだ、じっと見たら恥ずかしい」
「すごく上手。器用なんだね」

「小学生の頃は編み物とか好きだったの。でも、外で遊ぶ時間が多くなってやらなくなっていたの。最近、ほら、あたし時間あるから」

「まぁ、そりゃ自業自得だけどな」
すかさずツッコむ和田君。最近この二人は切込みの激しい会話をする。傍に居てハラハラする。

 そんな僕たちをみてクラスの皆が少しずつ井上さんに優しくなっている。きっと皆、こんな空気は嫌だと思っていたんだ。だけど、きっかけがないと変われないんだ。僕に和田君がいて良かった。空気を変える風を起こしてくれたように思う。

 手の中のレース編みを見て(お祖母ちゃん喜ぶだろうな)と嬉しくなった。


 三学期がもうじき終わる。学校では井上さんと仲の良かった三人がまた井上さんと一緒に居るようになった。井上さんたちのグループは人の悪口を言わなくなった。それでも仲良く楽しそうにしている。心の底から嬉しかった。みんなの氷のトゲを和田君が溶かしてくれた。

 「和田君は、太陽だね」って話したら、「じゃ、修は空だな」って返された。なんで空なのだろう、と分からず笑う。僕は太陽に憧れる日陰の雑草じゃないかな。

でも、僕が空なら太陽の和田君が僕のもとにいつも居てくれるんだ。それなら空もいいな。太陽が映える青空がいい。そして、夜は太陽がゆっくり休める暗闇の空になるんだ。ずっと一緒だ。

 今日の晴空と太陽を見上げて、満ち足りた気持ちになった。