6 罰

 教室に入るのに緊張した。隣に和田君がいなければ入れなかった。

「あ、影山じゃん。おはよ~」
「お、もう大丈夫か?」

すぐに数人が声をかけてくれる。これまで話したこともないような人たちが優しい声で僕を呼ぶ。驚きすぎて顔が熱くなる。

言葉で返事ができずコクコクと頷き、下を向いて自分の席に着く。

和田君が僕の筆箱や水筒をカバンから出して支度してくれる。すると和田君の友達が二人手伝いに来る。慌てて「いいよ。できるから」と声をかけるが、二人が傍の席に座ってしまう。そのまま椅子を近づけてくる。

「影山、ほんとゴメン。俺たち、あの日お前の髪ピンで留めて、それがキッカケのひとつになってしまって」
「本当にごめん。あの日、昼休みに謝りたかったんだ。本当なんだ」

僕が忘れていたことを、ずっと気にしていたのかな。さすが和田君の友達だ。いい人たちだ。コクリと頷く。
「えっと、もう、大丈夫。あの、気にしてくれていて、ありがとう」
二人ともが目に涙を浮かべる。そのまま微笑む顔を見て優しい人たちだと思った。

「かげやま~! 小鳥ボイス~! なんて可愛いんだ」
一人が僕に抱きつこうとして和田君に阻止されている。

「ガッチャン意地悪~ちょっとだけ~」
「だめだ! 許可しない!」
楽しそうに言い合っているのを見て笑ってしまった。


「井上、謝れよ」
「おぉ、謝れ」
冷たい声がクラスに飛んだ。

びっくりして後ろを見ると、運動部の男子たちが声を上げていた。

井上さんは下を向いて震えている。僕はこういう空気に弱い。僕が怒られているかのように怖くなってしまう。

井上さんはガタンと大きな音を立てて立ち上がり教室を出て行ってしまった。どうしていいのか分からず和田君を見る。和田君は怖い顔で井上さんを睨んでいた。こんな顔、見たことなかった。和田君が一言をこぼす。

「影山は、気にしなくていい」
井上さんと仲がいい三人が近くに来る。教室がシーンとしている。緊張する。三人とも、泣いている。

「ごめんなさい。あたしたち友香に言われただけなの。階段から落とそうなんて、考えてなかったの」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
泣いている女子にどう対応していいのか分からずコクコクと頷き和田君を見る。

「許すかどうか、影山がゆっくり考えたらいいよ。今、答えなくていい」

僕にすごく優しい顔を向けている和田君が、三人の女子には背中を向けて完全な拒絶の空気を出している。和田君が怒っているのが伝わってくる。

これまで教室に居るかいないか分からない存在だった僕が、みんなの空気をおかしくしている。嫌な汗が滲んだ。


 ホームルームで僕が復帰したことを先生が声に出して報告すると、みんなが拍手をする。「影山の骨折はまだ治らない。腕が使えないから皆で手助けするように」と先生が言う。

「はーい」「了解~」とばらばらと返事が聞こえる。妙な一体感。僕は居心地が悪くて下を向いたままぺこりとお辞儀をした。

だけど、その中に井上さんはいなかった。


 和田君に助けられて学校生活を送るうちに、いつも一緒に居るようになった。骨折も完治した。

和田君は僕を「修」と呼ぶようになった。穏やかな時間が流れている様で教室の雰囲気は変わってしまった。井上さんは休むことなく学校に来ているけれど教室に独りで居る。誰も声をかけない。この空気が苦しい。この苦しさを和田君に知ってもらいたい。


 和田君と二人きりの帰り道。

「和田君、相談しても、いいかな」
「何?」

「井上さんの、こと」
途端に和田君が嫌そうな空気を醸し出す。

「いいよ。何?」
良いよ、と言いながら表情がきつくなっている。心臓がバクバク鳴り出す。深呼吸して勇気を出す。

「うん。あの、井上さんをお祖母ちゃんとこに連れていきたい、と思うんだ。えっと、一緒に手伝ってほしいなって」
「はぁ!? なんで?」

「あの、僕が階段から落ちた時、井上さんが女物の服をもっているオカマだって言ってた。色々誤解があったんだよ。井上さん、今教室が辛いと思うんだ。僕とのトラブルの一場面で井上さんの居場所がなくなって、いいのかな。一個悪いことがあったら、その罰のように、いじめても無視してもいいのかな」

和田君がじっと僕を見つめている。心臓が怖いって鳴っている。緊張、する。

「じゃ、修の一生残る頭の傷や、腕の骨折はなかったことに出来るのかよ。俺は、お前の倒れていた時の事、忘れられないよ。井上は非難されるような事をしたんだよ」

和田君の強い感情がぶつけられる。手が、震える。とても和田君が見られなくて目線を外す。

「そうじゃないんだ。それは、きっと僕と井上さんが向き合う問題かなって思う。別に僕は井上さんを皆に罰してほしいって思ってないよ。もちろん、和田君にも」

下を向いたまま続ける。

「僕、小さいころから服の汚れとか匂いが気になる潔癖症があって。汚い服の子に、洗濯をしっかりしないといけないっていったりしてた。

意地悪じゃなくて、気になって仕方なかったんだ。だけど、その子から意地悪されたって言われて。その子が嫌いじゃないって言っても伝わらなかった。

僕が悪い子だって教室で無視されたり、邪魔者扱いされて。それから学校は怖いんだ。だから、井上さんの気持ち、わかるんだよ。僕は、和田君に救われたよ」

和田君が何も言わずにじっと静止している。僕は失敗したのかな。僕の思いは届かなかったのかな。不安で怖くなる。しばらくして和田君がゆっくり話し始める。

「そっか。そんなお前だから、爺さんが話したのかもな。お前、すごいよ。すごい奴だ」
頭をポンポンと撫でられる。優しいその手に涙がジワリと滲む。

「俺さ、ひい祖父さんがボケてなくて一緒にいる頃、ウザくて邪険にしてたんだよ。そのうちボケちゃって、俺が誰かも分からなくなって。

施設にいってから、しばらくは何にも思わなかった。でも、家族を忘れてる祖父さん見て、寂しさがこみ上げた。

一緒に暮らしていたころに、もっと優しくするべきじゃなかったか、とかモヤモヤ考えるようになったんだ。その時にできること、後悔しないでおきたいよな。井上の事も、後悔したくはないよな」

和田君の優しさが染みこんでくる。嬉しくて大きな体に抱きつく。すぐに包み込んでくれる和田君。

「修といると、正しい気持ちを持つことができるよ。ありがとう」

優しい言葉が心を満たしてくれる。良かった。分かってもらえた。安堵感で僕の目から涙がこぼれた。



 自転車通学も安定して、季節はすっかり冬になった。来週から水曜日に介護施設に行こうと和田君と約束した。そろそろ井上さんを誘う計画を実行する。

 「井上さん、来週水曜日、放課後予定ある?」

教室で和田君が井上さんに話しかける。本当に申し訳ないのだけど、僕は人に声をかけることが出来ない。今だって和田君の後ろに隠れているだけなのに心臓が口から飛び出しそうになっている。クラスの何人かが僕たちに注目している空気を感じて身体に震えがくる。僕は和田君の傍に立っているだけで精一杯だ。

「……ない、けど。何?」
下を向き、こちらを見ない井上さん。(ごめんなさい、注目浴びて)心の中で謝る。

「空いているなら俺と修に付き合ってほしいんだ」
和田君は女子をスマートに誘っている。すごい。僕がやったら、キモイ変態扱いだよ。

「わかりました」
小さく答える井上さん。きっとすごく動揺している。フォローできなくて、ごめんなさい。

「大丈夫。嫌な事じゃないから。自転車通学? それなら助かるけど」
「自転車よ。学校から離れるの?」

「うん。俺と修がいつも行くところに招待するよ。あんまり期待はしないで」
ぽかんとしてしまう。誘い方が紳士だ。こうやってナンパするんだろうな。頼っておいてだけど、モヤッとする。

「招待って、何よ。まぁ、水曜なら遅くなっても大丈夫」
ちょっと口元が笑っている。幾分か柔らかい答えになった井上さん。後ろの僕をちらっと見てくる。びっくりして目線を外してしまった。上手くできない。ごめんなさい、これも心で謝った。


 廊下で和田君と小声で話す。
「ああやって女子を誘うんだね。モテ男だね」
何もできない自分が惨めになって嫌みのような言葉が口から出てしまった。和田君には助けてもらっているのにこんな気持ちになるなんて。僕には自分の心が良く分からなかった。

「おい、修に言われて誘ったんだろうが」
「分かっているけど、う~モヤモヤする……」
骨折から回復した手で頭を抱える。
「お、これは、嫉妬ですか」

和田君がニヤッと笑っている。途端に恥ずかしくなる。嫉妬? 嫉妬って、これがそうなの? 和田君を見上げて何か言いたいけど、言えなくて。口を開けて閉じて、その内に顔が真っ赤になっていくのが自分で分かる。

「かーわいい」
二人の時によく言うセリフをささやかれ、心臓がバクバクする。和田君から顔を逸らして自分の机に直行する。後ろで和田君が笑いをこらえているのがわかった。あぁ、どこかに隠れたい。熱を持った顔を下に向けたまま、そう願った。