5 トラブル?

 水曜日の朝。

「おはよ。今日俺、当番だわ。ちょい遅れるけど行くから、チャリ置きで。一階の自販機の前でもいいよ」
「チャリ置きにいるよ。待っているね」

今日は廊下で少し話す。学校で話すのも普通になってきた。窓の外の晴れた空に、まだ暑さが残る天気に、心が躍る。

「ガッチャン、おっはよ~」
「おはよ」

和田君の男友達が数人近くに来る。最近は、ちょっと慣れた。和田君といると必ず人が寄ってくるのだ。その気持ちが分かる気がする。和田君は人を否定しないから居心地がいい。僕はいつもスっと去るようにしている。

「あれ、なんか意外。影山ってスゲー顔綺麗じゃん」
え? 僕? びっくりして振り返ってしまう。

廊下の窓のところにいたから、前髪が全開になっていた。慌てて髪を戻すが、男子数人に「本当だ」「美少女だ」と顔をのぞかれる。人に囲まれている。緊張する。

「でしょ。いつも下向いてるから分からないけど、アイドル並。それ以上かな」

和田君が自慢げに話す。さりげなく横に来てくれる。幼い顔なのはそうだけど、注目するほどじゃない。

「ガッチャン隠してたな~」
「お前だけいつも楽しんでたのか!」

「ばれたか~」
大きな男子軍団が頭の上で会話を飛ばす。僕の頭が、鼻とか口とか。目線が合わない集団だ。僕は自分の身長がちょっと恥ずかしくなった。緊張するし、早く席に戻りたい。

「女子の制服着てくれ!」
ぎょっとする事も言われる。適当に和田君が対応してくれる。くしゃくしゃっと前髪を戻され、席に誘導される。

いつの間にかホームルームの時間だった。和田君とは一緒に居たいけど、賑やかな軍団は怖い。


 二時間目の休み時間。

 「影山、これ女子からもらったぜ」
朝、和田君と居た男子二人が僕の近くに来る。有無を言わさず、顔を固定されて、前髪がピンで留められる。視界が開ける。
何が起こったのか心臓がドクドクして何も言えない。身体が動かない。

「はい、注目~! 美少女発見で~す」
椅子から立たされて、みんなの視線を浴びる。何が起こっている? 頭がグラグラする。

「え~? うっそ~。可愛い~!」
「まじかよ」

「スカートはいてくれ~~」
色々な声が飛ぶが、頭に入らない。

「目の保養だわ。今日は前髪このままな」
もう授業が始まる。逆らうこともできず、そのまま椅子に座る。

「やばい、ぎりぎりだ!」
別の友達と教室に戻ってきた和田君の声。

すがるように見てしまった。目が合う。怪訝な顔をしている。僕はすぐに下を向く。先生が来て、授業が淡々と進んだ。

次の休み時間。
「影山、どうした?」

すぐに和田君が声をかけてくる。何と言っていいのか分からず下を向いたまま手が震える。前髪が留められていて下を向いても視界が開けたまま。辛い。

「ガッチャン、いいでしょ。女子からピン貰ったわ。この顔は眺めたいでしょ~」
さっきの二人が声をかける。

「影山が自分でやったんじゃないんだ。じゃ、外していい?」
そっと髪からピンが外される。慣れた大きな手にほっとする。少し引っ張られて痛い。目に涙が滲むが、前髪が戻ってきて目が隠れる。安心して一息つく。

「お前ら、ちゃんと影山の許可とったのかよ?」
「いや、でも拒否しなかったって」

「拒否しないことと、同意を得ることは違うだろ?」
「綺麗なんだから、いいじゃんかよ」

もう一人がうんうん、と頷いている。

「じゃ、俺はお前のチン〇立派だなって思ったら同意とらずにクラスに晒していいわけ?」

「げ、ガッチャンが下ネタ言う~」
「ふざけてるワケじゃないよ。他人がいいと思っても、本人が良いと思わないとやっちゃダメだろ? 極端だけど、そーゆ―こと」

「まぁ、そりゃ、分からなくもないか。う~ん、俺のチン〇は立派だが」
そこはどうでもいい、と笑ったあと、二人が顔を見合わせて、少し考えている。

一人がこっちを向く。
「影山、悪かったな。ちょっと調子乗ったわ。ただ、お前の顔は可愛いぞ」

「うん、女子なら惚れてる」
「つーか、時々拝ませて。それならいいっしょ?」

「影山、大丈夫?」
和田君に聞かれる。この二人、にぎやかだけど意地悪な人たちじゃない。コクリとうなずく。

「ガッチャン、いいな。小動物手なずけているみたい」
ぽつりと一人が言う。

「影山、俺らとも仲良くしようぜ」

ビックリして見上げる。初めてそんなこと言われた。僕と、仲良く? いいのかな? 顔が熱を持つ。コクコクと頷く。さっきまでの嫌な気持ちが、嬉しいものに一転する。

 そんな僕を和田君が見つめていた。


 昼休み。移動教室から戻ると、僕のカバンが、ない。どうして? 無意識に机の中を見る。机の中にメモ。僕のじゃない。心臓がバクバク鳴る。震える手で、二つ折りのそれを開く。

『昼休みにB棟の二階外階段に来い』

一言書かれている。女子の字だ。告白とかそんな感じじゃないのは、僕にもわかる。

今日は、お祖母ちゃんのカーディガンが入っている。あのカーディガンは、お祖母ちゃんのお気に入り。汚されたら困る。すぐに向かう。

「あ、来たじゃん」
「早かったねぇ」

「ここ、あっつい。早く済まそ」
ジュースとパンやお菓子を立ち食いしている女子。日があたるから、暑い日は誰も来ない外階段。

「影山、ちょっと言いたいことあってさぁ」
僕のカバンは、女子の足元に置いてある。彼女たちは、時々僕に悪意の悪口を向けてくる女子四人組。

僕、何もしていないと思ったけど、何かした? 僕のカバン、どうして? 喋りたいことはあるのに、緊張で口がわなわな震えて、声が出ない。

「もー、立ってるだけでキモイんだけど」
リーダー格の井上さんは、僕より五センチ以上背が高い。他の三人は僕と同じくらい。迫力が、怖い。この雰囲気に、身体が震える。化粧と香水の強い匂いが鼻につく。

「最近、ガッチャンと仲いーじゃん?」
井上さんが顔を斜めにして僕を睨む。

「気に障るんだよ。影山のくせに、何調子こいてんだよ!」
肩をどつかれる。よろける。恐怖で動けない。

「弱~。なよってんじゃねーよ」
笑い声。

 何? 僕が和田君と仲良くしたからいけなかった? クラスのみんなほど仲良しじゃないよ、そんな考えがグルグル回る。よく分からない。

「ガッチャンに取り入って、自分も人気者気取りかよ! 何がアイドル男子だ! オカマかよ! 気持ち悪いんだよ!」

何か怒鳴るように言われるが、頭に入ってこない。怖い顔。身体の震えが止まらない。どうしよう。カバンを返してほしいのに、言えない。汗が止まらない。

「なんか言えよ! お前、ほんとキモイ。女物の服なんて持ち歩いて、それでも男かよ! クラスのみんなに女装趣味の変態って言いふらしてやろっか?」

「うわ、キモイ服。ババァかよ」
「趣味悪すぎでしょ~~」
僕のカバンのビニール袋から、お祖母ちゃんのカーディガンが出されている。それは、ダメだ。

「か、返して、ください。返して」
手を伸ばすが、笑われて、井上さんが高くにあげてしまう。必死に追いかけた。

「近づくな! キモイんだよ!」
突き飛ばされる。

 あ、空が見えた。

 背中に重力がかかる。そのまま仰向けに階段を落下する。ゴチンっと衝撃。頭がガンガンする。身体中が熱くて痛くて動けない。日光が強い。目が回る。「やだ! 知らない!」「あ、ちょっと~!」複数の声と足音が耳にワンワン響く。

 ちょっと、待って。お祖母ちゃんの、服は?


6 怪我

 頭が、痛い。ガンガンする。

「う~」
うなり声がする。あ、僕の声か。薄っすら目を開ける。身体のあちこちが痛すぎる。

「影山。目、覚めた?」
声のほうに目を向ける。頭を動かせない。優しい声。和田君?

「良かった。良かった。死んじゃうかと思った」
点滴の繋がる僕の右手を握って、和田君が泣いている。泣きはらした顔。夢、かな。手が温かい。

「今、先生の話をお前の親が聞いてる。さっきまで、保健室の先生がいたんだよ」

声、震えている。和田君の背中も震えている。泣かないで。どうしたの? 今日も一緒にアイス食べようよ。お祖父さん、起きているといいね。あれ? お祖母ちゃんのカーディガン、どうなったかな。

和田君を励ましたくて色々声に出したつもりだけど、声になっていたのか分からない。知らないうちに僕はまた眠ってしまっていた。


 入院中、毎日和田君が来た。大変だからいいよって言っても来てくれた。会えればうれしかった。

「痛くない? 大丈夫?」と毎日確認してくれる。痛み止めももらっているから大丈夫だよ、と毎日答えた。大きな怪我は後頭部の傷と左腕の骨折だが、あちこちに打ち身や切り傷がある。それを毎日「早く治るといいね」「痛いよね」と優しく触る。宝物を触るような優しい手に、ちょっとこそばゆい気持ちだった。

担任の先生や教頭先生校長先生も来た。先生は僕というより僕の両親に謝っていた。後頭部は五針縫う傷だった。三日で退院できた。僕は怪我のためしばらく学校を休み自宅療養となった。病院には三日間来てくれた和田君とは退院後会えていない。

学校を休んで十日以上が過ぎた。日中に勉強とゲーム、読書。一歩も外に出ないと曜日感覚がなくなってくる。そして、飽きてくる。

 毎日、和田君の顔が浮かんだ。声が聴きたかった。ケータイの番号聞けば良かった。いや、聞いても電話する勇気はないか。顔が見たいな。あの迷いのないまっすぐな瞳が見たいな。腕が固定されているから自転車は無理でもバスなら学校に行けないかな。行きたいな。
 じわじわと気持ちが決まってきた。学校に行こう。

 怪我から十七日目。いつもの登校より早い時間。腕の骨折が治るまではバス通学の予定。骨折部分はまだシーネ固定をして腕吊りサポーターで首から吊っている。そのせいで制服の袖が通らない。袖口の大きなサイズの白シャツで代用して、ブレザーは片袖しか通さず前ボタンで留めている。これが、意外と温かい。

いつの間にか風が冷たくなっている。右肩にカバンを持つ。荷物は最小限。うん、行ける。半月以上ぶりの学校。ちょっと緊張する。

「行ってきます」
玄関を出たら、和田君が、いた。

「おはよ」
「……え? あれ? 和田君……?」

会いたい人に会えた感動で、喜びと驚きがごちゃごちゃで、上手く言葉にできない。

「修が学校行くって連絡したら、送り迎えしてくれるって。和田君、ありがとう。お願いします」
後ろからお母さんの声。いつの間にやり取りする仲になっていたのだろう。

「おはようございます。俺の自転車、どこに置いたらいいですか?」
和田君はハキハキと母とやり取りをして、僕の荷物をひょいっと持つ。僕は、ただ、和田君から視線を外せない。

「……自分で、持つよ」
やっと一言が出た。

「いいから。行こう。バス、遅れるとヤバい」
和田君が優しい笑顔で僕を見る。夢みたいだ。この笑顔をどれだけ思い浮かべたか。何度も隣で歩く和田君を見上げる。朝日の中の和田君は、いつもより輝いている。

「あの、遠回りだよね。えっと……」
話したいのに何から話していいのか分からない。自分のコミュニケーション能力の低さが嫌になる。そんな僕に微笑む和田君。
「学校、行く気になってよかった」
まぶしい。和田君から光が降り注ぐみたいだ。あぁ、会いたかった和田君だ。

「あ、えっと、病院まで来てくれて、あと今日も来てくれて、ありがとう。いつのまに、うちのお母さんと仲良くなったの?」
「影山に会いたくて家に突撃していたから。影山の母さん、息子がいじめられていたって思っていて入れてもらえなくてさ。何度か話して連絡先を渡しておいたんだ。そしたら影山が登校するって連絡くれて」
「家にも来てくれていたんだ。知らなくてゴメン」
和田君の僕を見る視線に顔が熱くなる。和田君が立ち止まる。つられて僕も歩みを止めて向き合う。

「俺が影山に、会いたかったから」

視線と言葉で射貫かれる。息が止まるかと思った。心臓が身体をバクバク走り回っている。でも、僕も伝えたいんだ。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

「ぼ、僕も。和田君に会いたくて、学校行きたかった。あ、会えて、すごく、すごく、嬉しい」

声が震えた。伝えることが出来た。深呼吸して息を整える。僕をまっすぐ見ている和田君の顔が徐々に紅潮し、口を大きな手で隠す。

「すげー。心臓が破裂しそう……」
和田君の手の隙間から言葉が漏れた。同じ気持ちなのだと思った。嬉しかった。ふわりと前髪をよけられ、大きな手が頬を触る。これも久しぶりだ。気持ちがいい。体温が懐かしい。手に頬をすり寄せてしまう。

 僕に影が落ちる。僕の唇に一瞬触れて、すぐに離れる和田君の、唇。

 「……行こ」

和田君が真っ赤な顔で僕の手を引く。でも和田君より僕のほうが真っ赤だ。大きな熱い手。少し汗ばんでいる。僕の心臓が大太鼓を鳴らしている。いつもの景色がキラキラ輝いて見えた。

バス停で横にいる和田君の大きい身体。人にぶつからないように気遣ってくれて、時々包み込まれる胸板。和田君の身体の厚みや心臓の音、匂い、体温、すべて独り占めしているように感じた。照れくさくて嬉しくて心がポカポカ温まる。

 学校まで自転車で二十分、バスだと乗り継ぎがあり四十五分かかる。普段あまり利用しなかったけれど、バス通学が特別輝くものになった。