道端に置かれていたベンチの前に自転車を停めた二人は、そこで昼食を摂る。ついでにお茶も無くなっていたので、隣に置いてある自販機でスポーツドリンクを買った。夏はボディバッグの中に、雪輝は前カゴの中に入れる。

「神社はどこだ?」

「こっから五分くらい!」

 と雪輝が言うので、二人はまた自転車に乗って走っていく。辿り着いたのは、長い石階段のあるこじんまりとした神社だった。

「ここか……?」

「そっ!」

 先に階段を上り始めた雪輝に夏は後ろからついていく。一体何段あるんだ、と夏は眉をしかめさせた。一人ぐんぐんと上っていく雪輝についていけなくなった夏は五段上の階段に手をついて肩で息をする。

「おーい、大丈夫かー!?」

「へっ、平気だ……さ、きに行っててくれ」

 なんでお前はそんなに元気があるんだ、と荒い息の中言うことはできなかった。這いずるようにして夏は階段を上がっていき、最後は上で待っていた雪輝に引っ張り上げてもらう。

「ありがとう」

「どーいたしまして」

 礼を言いながら、汗で湿った手を二人は離した。古めかしい木造の拝殿とその後ろに小さな本殿。横の小道には稲荷神社があった。
 手水鉢に二人は近寄ったが、水が出ていない。誰も使わないのか、溜まってさえいなかった。これでは手を洗うことはできないな、と夏は首を振る。

「残念だな」

「んー。まあ、仕方ねえな」

 二人は苦笑しつつも、本殿へと近づいていく。参拝の方法を見ながら手を合わせた。なにを願おうか考えてきていなかったので、無難に大学の受験に合格しますように、と心の中で語りかける。

 目を開けると、雪輝はまだ手を合わせていた。雪輝の真剣な顔に目が惹かれる。吸い付くように全身が雪輝のみに集中した。周りの景色も、音も全て消えて世界が雪輝だけになる。茶色の髪の輪郭が日の光に照らされて金色に輝く。手の甲から指先までの骨ばった手の節々が愛おしい。

「――よっし!」

 雪輝が顔を上げる。爛々としている目に、またハッと引き寄せられた。どうして、自分はこんなにも雪輝に惹かれるのかと夏は恥ずかしくなり、ボタンを一つ開けたシャツの胸元を指で引っ張る。

「お待たせ!」

 顔を綻ばせて笑った雪輝が、夏にそう言ってきた。夏はそれにわざと何気ないフリをして、ふっと唇に手を当てて作った笑みを見せる。

「随分長かったな。なにを願っていたんだ?」

「秘密!」

 へへっとイタズラっぽい笑みになる雪輝に夏は眉を引き寄せて、「またそれか」と言った。

「まあまあ、いーじゃん?」

「よくない」

 二人は頭を下げてから階段の方へと向かっていく。階段の一番上からだと高く見え、高所恐怖症じみたところがある夏は体を震わせた。

「手ぇ繋ぐか? 高いトコ嫌いだろ」

 そう言って雪輝が手を差し出してくるが、夏はそれはできないと思って頭を振るう。男二人で手を繋いでいるなど、誰か人に見られたらおかしいと思われるのではないかという考えが頭にあった。

「大丈夫だ」

 階段を無言で下りた二人は、雪輝から先にサドルに尻をのせる。後ろを振り返った雪輝は、ハンドルを握って乗り込むところだった夏に顔を向けた。

「もう後30分くらいで着くぜ!」

「分かった」

 夏は首を振ってサドルに乗り、ペダルを合わせる。そうして、二人はまた走り出した。坂の上から見下ろす市街は、遠い世界に見える。人が生きている感じもするし、そうでない感じもした。不思議だな、と夏は目を前に戻す。
 すると、えっと思うような光景が目に入り込んできた。それは、四十度はあるのではないかという急な坂道だった。

「夏! 坂キツイからなー、頑張れよ!」

 雪輝は立ち上がりながらそう叫ぶ。

「うっわ、物凄い長い坂……」

 口を歪ませてそう言った夏に、雪輝は「頑張れ!」と大声を張り上げた。

「これ上れば、後は下るだけだから!」

 夏は唇を噛みしめて、んっと声を出す。今はなにを口から出してもまともな言葉にはなりそうになかった。夏は肩甲骨が浮き出て、二の腕が盛り上がった雪輝の背中を見つめながらペダルを漕ぐ。
 あちこちに跳ねた髪が光の集合体のように思えて、眩しい。ずっとずっとついていきたいけれど、いつかどこかで二人は別れないといけないのかもしれない。それを想うと、夏の胸が痛んだ。

「後もうちょっとだー!」

 雪輝が叫び、夏が分かったと叫び返す。重量があるからか、一人乗りの時よりも坂はキツかった。これまでも何度か坂を二人で上ったが、今回が一番急で辛い。
 ぜっぜと夏の息が上がってくるが、雪輝はまだ余裕があるようで踏み込みが力強い。まくり上げた彼の腕に細かな汗がついていて、それが日の光を反射させている。

「綺麗だな……」

 思わず声に出すと、雪輝が「ああ!」と返してきて目をぎょっと剥いて驚いた。

「すっげえ綺麗な空だよな!」

 坂の頂上まで上った雪輝は、上れた嬉しさと青空の美しさから込み上げてくる笑みを抑えきれずに、満面の笑みを浮かべる。

「ああ」

 それを知らない夏は、自分がずっと雪輝を見つめていたことに気づかれなかったことを喜んだ。だが、なぜかざわつく胸を撫で下ろして首を傾げる。バレない方が良かったというのに、バレなかったことを残念がっていた。

「綺麗だ」