「……紺」

 背中越しに凪が俺の名前を躊躇いがちに呼ぶ。

「何?」

 立ち止まろうとしたら、そのまま進んでほしいと凪が頼んできた。無言のまましばらく歩き続けると、風に乗って凪の声が聞こえてきた。その声は震えていた。

「……私ね、玄に告白されたの」

 息が止まるかと思った。だけど、歩き続けた。というよりも歩き続けることしかできなかった。

「……へぇ」

「……それだけ?」

「他に何を言えばいい? 良かったねとか?」

「そういう訳じゃ……」

 俺は足を止めると、後ろを振り返った。凪がびくっと身構えたのが分かった。掴んでいた凪の腕を離した。口を一度開くと、剣のある言葉が次から次へと出てきた。

「……凪が俺に何て言って欲しいのか分かんないけど、どちらかと言えば黙ってて欲しかったよ。兄貴の恋愛事情なんて知りたくもない。兄貴もこんな形で俺に伝わることは望んでないと思う。付き合ってるとかそういう事後報告ならまだしも」

「……私と玄が付き合ったら、紺とはどうなるの?」

 ずっと視線を落としていた凪が不意に顔を上げた。ほんのわずかだけど、凪は俺を見上げていた。とうとう俺の背は凪を追い越していた。

「……俺の返事次第で答えが変わるなら、振れば?」

 凪の瞳が見る間にどんどん見開かれていく。

「現に兄貴は俺になにも言ってきてない。俺の存在に関係なく、凪に気持ちを伝えたかったってことだろ」

「あ、わ、私……」

 凪が手で口を抑えた。明らかに動揺しているのが分かる。

「ただ、実際のところどうもこうもないと思う。凪が兄貴と付き合おうが付き合うまいが、いずれは俺たちは疎遠になるだろうし」

「え……?」

 俺の言葉が凪を傷つけているのは分かってる。だけど、自分の言ってることが間違ってるとも思わない。凪のことだから、将来的には海外で活躍するかもしれないし、その上結婚でもしたらどうなるか……。あぁ、結婚か。

「まあ、兄貴と結婚でもしたら親戚になるんだろうけど」

 そう言うと、俺は凪の顔を見ることなく踵を返した。凪と親戚になる未来を想像するだけで、好ましいとは言えない感情が身体の至る所から湧き出してくる。何も言わず足を一歩前に踏み出した。背中に全神経を集中させた。凪が離れていかないように足音や気配で後ろにいるのを確認しながら、歩き進めていく。自由になってしまった右手を俺はぐっと握り込んだ。


 遠野凪は四つ年上の幼馴染で、兄貴の想い人。そしてもう俺が触れることのない人。