俺の兄貴、永山玄(ながやまげん)は四つ年上で凪と同級生だ。この春、凪と共に最難関大学であるT大学へ進学を決めると、二人揃って家を出ていった。美男美女の称号を手にする兄と凪はどこからどう見てもお似合いで、二人が付き合うのは時間の問題と言われていた。事実、一番傍で二人を見ていた俺もそう思っていた。

「玄はサークルの合宿やらなんやらで忙しそうよ」

 しれっと答える凪の声がほんの少しだけ上擦っていた。

「ところで、(こん)さんはどうしてここにいるんですかぁ?」

 俺の名前に「さん」をつけたりして、凪がニヤニヤしている。それよりも凪がわざと話題を変えたようで、それが気になった。

「別に意味はないけど」

「嘘つき」

 凪が悪戯な顔をする。

「嘘じゃねーし」

「嘘よ。紺は子供の頃から嫌なことがあるとここに来る。それに、嘘をつくとき小鼻に力が入るんだけど、今も力が入ってる」

 凪はくすくす笑うと、すっと細長い指を俺の小鼻へと伸ばしてきた。ひんやりとした指が顔に触れる。その瞬間、凪と視線がぶつかった。凪の色素の薄い茶色の目に俺が映る。俺の鼓動が加速したのが分かった。

「……やめろよ」

 たまらず顔を逸らした。

「ごめん」

 凪の声が傷ついているように聞こえた。

「いや、凪が謝ることはないんだけど、ごめん、ちょっとびっくりした」

「そっか。じゃあ、うん。やっぱりごめん」

 凪が気まずそうに謝ってきた。凪にそんな顔をさせたかったわけじゃない。仕方なく俺は隠していた事実を打ち明けた。

「……模試の結果が悪かったんだ。それで母さんが敏感に反応して。兄貴が天才だったから、母さんは俺みたいなタイプの免疫がないんだ。凪も成績が落ちたなんてことないだろ?」

「うーん、そうね。ないかも。でも、それは隣に信じられないほどの努力家がいたせいだと思う。だから自分もやらなきゃいけないって思い込んでた」

「それって兄貴のこと?」

「そうよ。私の知ってる玄は天才ではなく、努力の塊そのものだったから」

「え、俺の前では一度も勉強なんて……」

「紺には見せたくなかったのかもね」

 凪が肩をすくめて笑う。

「なんか俺、めちゃくちゃダサい」

 思わず両手で頭を抱え込んだ。

「じゃあ、そろそろ帰ろ。紺の好きなお菓子買ってきてるから」

 凪が先に立ち上がり、俺に手を伸ばしてきた。凪の中では俺はずっと幼い子供のままなのかもしれない。それなら、せめてこの手をさっと握り返せる無邪気さが自分の中に残っていれば良かったのに。そう思いながら、凪の手を取ることなく立ち上がった。

 なにも言わなかったけど、凪の表情が曇った。俺はため息をついた。

「行こ。俺の好きなお菓子あるんでしょ」

 右手で凪の細い手首を取ると、俺は先頭を歩き始めた。