目の前を川がゆっくりと流れていく。直射日光が容赦なく照りつける河川敷の中で、この橋の下だけはいつも気持ちのいい風と快適な日陰を与えてくれる。おかげで、ここは子供の頃からずっと変わらない隠れ場所だ。持ち主に見捨てられた放置自転車があるのもいい。

「そこの少年、何の本を読んでるんですか?」

 顔を上げた視線の先に、凪が中腰で立っていた。目が合うと柔らかな笑みを見せた。

「え、凪?」

 俺は思わず目を細めた。決して笑った訳じゃない。眩しかったのと本当に凪かどうかを確かめたかったからだ。

 だって凪は、この春大学入学と共に実家を出たんだから。

「そうよ。たった数ヶ月で幼馴染の顔を忘れたの?」

 忘れるわけがない。けれど脳裏にある凪と現実の凪は様子がずいぶんと変わっていた。

 白いブラウスにマスタードイエローのパンツ。高校を卒業してからたった三、四ヶ月しか経っていないのに、凪は洗練された女性になっていた。実年齢差は変わらないのに、凪はずっとずっと先に進んで俺だけ置いてきぼりにされたようなそんな感覚。一緒の双六をやっていたはずなのに、俺が一回休みの間に凪は何回かサイコロを振ったらしい。

「やだ、本当に忘れた?」

 何も言えずにいると、凪は不満顔で隣に腰を下ろしてきた。肩にかかる凪の髪を夏の風がからかうようにくすぐっていく。凪が耳に髪を掛け直した。高校生の時には見たことのないピアスが目についた。

「……なんでここに?」

「紺の家に行ったら、おばさんが出て行っちゃったって言うから。だったら、ここかなって」

「そうじゃなくて、家は出たはずだろ?」

「だとしても、戻ってきちゃダメってことはないでしょ? 夏休みだし、一人で下宿先にいてもつまらないのよ」

「……兄貴は?」

「玄?」

 凪がきょとんとした表情で兄貴の名前を呼ぶ。俺は何も言わず頷くと、凪とは視線を合わせずに川へ目を向けた。