澄みきった青空の下。
夏の暑さを和らげる、さわやかな風が吹く河川敷。
太陽の光が反射して、川の水がキラキラときらめいている。
その場所には、制服に身を包んだひとりの女の子がいた。
茶色いセミロングの髪が風にそよぐ。
穏やかで温かなまなざし。透明感のある白い肌に、ほのかな赤みが差している。
僕に向ける優しい微笑み。
彼女はなにか言いたそうに口を開いた。
え――?
聞き返そうとしたそのとき。
「夢か……」
ハッと目が覚めると、自分の部屋のベッドの上。
ああ、またか。
今日も分からずじまいのまま、起きてしまった。
「あのひと、誰なんだろう?」
なんとも奇妙な話だが、夏休みに入ってから毎日毎日同じ夢を見るようになった。
見知らぬ町の河川敷。
そこに腰かけている自分と同い年くらいの女の子。
出てくるのはそれだけ。
彼女は僕になにか言おうとするのだけど、その言葉を聞くことができずにいつも朝を迎えてしまう。
「それって、前世の記憶なんじゃねーの?」
塾の夏期講習帰りに立ち寄ったファストフード店にて。
友人の健は、少し僕のことをおもしろがっているようだった。
「そんなマンガやゲームみたいなことあるわけないだろ」
くだらない、と一蹴したけれど、健は主張を曲げずに。
「でもよー。それこそゲームとかで、十六歳の誕生日を迎えたら神さまのお告げを受けたとかあるじゃん? 涼真、こないだ誕生日だったろ。十七歳になって、なんかお告げが来たんじゃね?」
なんのだよ、なんの。
「やっぱ、どっか悪いのかな」
あんまり考えたくないけど。
「だけど、こないだの検査は異常なかったんだろ?」
「ああ、視力は。でも、他がよくないのかもしれない」
すると、健はフライドポテトをかじりながら。
「まー、このごろ涼真ってちょっと変わったもんな」
「変わった?」
「うん、レモンソーダなんて飲んでるし。今まで酸っぱいのも、炭酸もキライだって言ってたのに」
あ、そういえば。
苦手だったはずのレモンソーダ、なんでか注文してた。
すでに半分くらい飲んでる。
ささいなことだけど、どうしたんだ、自分。
「脳波には異常ありませんね。記憶も問題ないです」
親に付き添われ、念のため病院でCTスキャンを撮ってきちんと検査してもらったものの、お医者さんからはそんな答えが返ってきた。
「そうですか……」
ホッとしたものの、夢の原因は相変わらず不明でモヤモヤはうずまいたまま。
「気になりますか、夢のことが。でも、悪い内容ではないんでしょう?」
それは確かにそうなのだが、むしろ悪い内容ではないからこそ困ることもあって。
彼女の夢が、日に日に鮮明になってきてるんだ。
夢というより、ほんとうに彼女といっしょにいたのではと錯覚するほど、ひどくなつかしく、切ない痛みが胸によぎるようになった。
できれば夢から覚めずに、このまま彼女のそばにいたい。
朝、目が覚めたとき胸がつぶれるほど悲しくなるくらい。
だけど、このままこの状況が続いたらどうなるんだろう。
僕は、彼女のことなんて、なにひとつ知らないのに。
夢のなかの彼女に恋するなんて、どう考えても報われない片想いでしかないじゃないか。
【その場所ってさ、もしかしたら実在すんじゃねーの?】
【え?】
健からのLINEに思わず目を丸くした。
【お前の夢に出てくる河川敷。こないだ都市伝説の動画見たんだけど、夢で見た景色って実在する可能性があるんだと。ダメ元で探して見ねぇ?】
【でも……】
なんか怖いな。
【じゃあ、ずっとそのまんまでいいのかよ】
それも嫌だけど。
少し悩んだ末、健の提案にのってみることにした。
試しにノートに夢に見た場所をスケッチしてみると。
【おっ、分かりやすい。てか、涼真お前すげー絵うまくなってねー?】
スケッチの写真を見た健からはそんな感想が返ってきた。
そうかな?
確かに、以前よりも物がはっきり見えるようになったけど、そのせいか?
【これだったら探しやすいわ。SNSとかで聞いてみっから】
【そんなんで分かんの?】
すると、ちょっとムッとしたキャラのスタンプとともに、
【オレの拡散力なめんな。なんか分かったらすぐ連絡する】
と、返事があった。
拡散力と言われても、変なふうに広まって炎上したら困るのは健じゃなくて僕なんだが。
まあ、こんなの少しの間は面白がられるけど、二、三日したらすぐに誰も関心を持たなくなるよな。
正直見つかったら驚くけど、そんなうまい話なんてそうそう――。
【分かったぞ、涼真。お前の夢の場所!】
なんだって?
数日たったある日、健から来たLINEには信じがたい言葉が綴られていた。
【T市でこういう景色見たことがある、って情報もらったんだ】
T市? ずいぶん遠いな。
今までそんなところ行ったことないし。
【写真とかある?】
【ああ、見てみろ】
送られてきた写真を見たとたん、胸がきゅうっと絞られるように苦しくなった。
すぐに信じていいものかどうか分からないけど……似ている。
川の様子も、向こうに見える町の景色も夢に出てきた河川敷にそっくりだ。
【これ、生成AIとかじゃないよな?】
【疑り深ぇなー。気になるんだったら、自分で調べてみろよ】
「自分で」か……。
進んではいけない領域に踏みこむみたいでちょっと緊張する。
でも、毎日毎日切ない気持ちを抱えたまま目覚めるのもそろそろくたびれてきた。
ずっと同じページにとどまっているのはもう嫌だ。
どんな結末になってもいいから、あの夢の続きが知りたい。
「えーっと、T市の情報は――」
スマホで検索すると、市の広報サイトが出て来た。
市内には大きな河川が広がり「水の町」として知られているそうだ。ほんとうにこの場所に夢で見た河川敷が存在するんだろうか。
そして、彼女もこの場所に?
なにか他に手がかりがないかどうかサイトを調べていたところ、とある記事に目が止まった。
『市立水族館オープン三周年!』
心臓がドクンと大きく鳴った。
どうしてだろう、なぜかこの記事がひっかかる。
水族館……いつか、どこかで、聞いたような。
どこだったっけ――。
その日の晩に見た夢はいつもと違っていた。
ほほえみを浮かべていた女の子が、今日は取り乱したように泣きじゃくっている。
場所も河川敷ではなくて、白くて無機質な空間が広がっている。
病室だろうか。
どうした? いったい何があったんだ?
手を差し伸べたいのに、どうしても彼女には届かない。
小さな肩を震わせて、壊れた水道の蛇口みたいに涙があふれて止まらないまま。
泣かないで。
いつもは太陽みたいに笑ってくれてたじゃないか。
最後に見たものがきみの泣き顔だなんて辛すぎるよ……。
ガバッとベッドから飛び起きると、まだ夜が明けたばかり。
ぼんやりとした朝の光が、カーテンのすき間から差しこんでいる。
だけど眠気はすでに吹き飛び、心臓の鼓動がいつもよりさわがしい。
自然と涙が頬をつたっている。
あれは、あの光景は。
――行かなくちゃ。
至った結論はその一択だった。
彼女に会えるかどうかなんて分からないけど、今の自分にできることと言ったらそれだけだ。
夢の場所に、あの河川敷に行ってみよう。
見知らぬ町に向かって、ガタゴトと電車が走り出す。
こうやって、ひとりで遠出するのなんていつぶりだろう。
窓の外を流れる景色を見ていると、自然と気持ちが落ち着いてくる。
まったく知らないところに行くのに、なぜかすごく懐かしい気分だ。
およそ2時間を経て、目的地の駅に降り立つと、ふわっと、さわやかな風が吹き抜けた。
ここは――。
ゆっくりとあたりの様子を眺める。
この場所、見覚えがある。
電子改札じゃなくて、車掌さんが受付している昔ながらの改札。
待合室に置いてある、すっかり色あせてくたびれたイス。
とてもなじみ深い雰囲気がする。
デジャヴってやつだろうか?
不思議な気分のまま駅を出ると、レンタサイクルの看板があった。
「この川ってどこか分かりますか?」
レンタサイクル店の店長さんに健から送ってもらった写真を見せたところ、
「汐美川だねぇ。自転車だとここから二十分くらいかな? なにか書くものある?」
ノートとボールペンを差し出すと、店長さんはノートにサラサラと簡単な地図を書いた。
「ふつうの観光マップだと、ちょっと分かりづらいところにあるから。これ参考にして北西のほうにターッと走ってみて」
店長さんにお礼を言い、借りた自転車を走らせてみる。
夏の暑さを忘れるほどの涼しい風が髪を揺らす。
ペダルが軽い。なんの迷いもない。
まるで見えない誰かに導かれているみたいに、自転車は進んで行く。
この道をずっと辿っていけば、あの場所に着くんだ。
ずっと夢に出て来た河川敷。
そこに彼女はいるのだろうか。
はやる胸の鼓動を聞きながら、しっかりと自転車のペダルを踏みしめた。
「ここか――」
驚いた。
教えてもらった地図を頼りに進んで行ったら、ほんとうにその景色はあらわれた。
夢で見た場所と同じ。
大きくて澄みきった川が、今僕の目の前に広がっている。
いるのは僕ひとり。他にまったくひとの気配はしない。
近くの自販機でレモンソーダを買って飲む。
少しだけ暑さと動揺を落ち着かせて、河川敷に腰を下ろす。
まさか、ほんとうに実在したなんて。
持って来たノートを広げて、以前描いた川のスケッチを見つめる。
このノートには他にも今まで見た夢の内容をメモしていた。
晴れた夏の日の河川敷。僕に向かって微笑む女の子。
なにか言いたげなのに、その言葉が聞き取れない。
いっぽう、病院のような場所で泣きじゃくる彼女。
何があったんだろう。
彼女は僕に何を伝えようとしていたんだろう。
ノートを広げたまま考えこむものの、いつまでたっても答えなんて出てこない。
どうしても抜け出せない迷宮にはまり込んでしまったみたいだ。
せっかくここまで来たのに。なにも分からないまま引き返すしかないのかな……。
「ひとり旅?」
優しい声が耳に届いた。
顔を上げたとたん、危うく大声で叫びそうになった。
明るい茶髪のセミロングヘア、くっきりとしたまなざしに、ほほ笑みを浮かべたピンク色の唇。
彼女だ。
服装はシンプルな白の襟付きシャツにすっきりしたレモンイエローのスカートと、少し大人びた感じだけど、まぎれもなく夢の中に出て来た彼女がそこにいた。
「は……はい」
必死に冷静を装ってそう答えると、
「そうなんだ。何もないところだけど、楽しんでいってね」
と、彼女は目を細めた。
「あの、あなたは、どうしてここに――」
すると、
「ここ、彼との思い出の場所でね」
と、少しさびしげに微笑んだ。
「思い出の?」
「うん、三年前に付き合ってた彼との。あのころはまだ私たち高校生で、毎日この河川敷を通って帰ってたの。よくここに座って、そこの自販機でいっしょに買ったお気に入りのレモンソーダを飲みながら他愛ないおしゃべりしたり、ときには将来の夢について真剣に語り合ったり。楽しかったなぁ。気がついたら、どっぷり日が暮れるまでいっしょにいたこともたびたびあって。帰りが遅いって親にしかられることもしょっちゅうだったの。そんな日々がずーっと続いてくと思ってたのに、急にお別れすることになっちゃったんだ」
「……どうしてですか?」
「亡くなったの。心疾患で突然。もー、ビックリだよね? 直前まで次のデートの約束してたんだよ? それなのに、そのあとすぐ、急に倒れたって連絡があって――」
彼女の声はかすかに震えていた。
「病院に着いたら、もう虫の息だったの。私、現実が受け入れられなくて、これは悪い夢を見てるんだってわあわあ泣きくずれて。きちんと彼のことを見送る余裕なんて、そのときの私にはまるでなかったんだ」
彼女は一瞬目頭をおさえたけど、気丈にふるまいながら、
「もうすぐ彼の命日なの。お盆も近いし、ここに来れば帰って来てるんじゃないかって、ついそばを通りかかっちゃうんだ。おかしいでしょ?」
と、僕に向かって笑いかけた。
自分のなかに深く沈んでいた記憶がミシリ、と音を立てた。
小さな記憶のかけらが、泡のように静かに浮かび上がる。
ゆっくりと、だけど、鮮明によみがえってくる。
「由夏――」
彼女がハッと目を見開く。
「どうして私の名前を……?」
僕はボールペンを手に取り、無心でノートにラフスケッチをして彼女に見せた。
いつも隣にいてくれた、彼女の穏やかな微笑み。
いつまでも、ずっと忘れることなんてできなかったんだ。
自分の命がつき果てても。
「由夏、あのときいっしょに水族館行ってやれなくてゴメンな」
彼女の肩が小刻みに震えている。
信じられないとばかりに何度も何度も僕の姿を見返す。
「優弥くん……なの? でも――」
不意に眠りから覚めたように、僕は我に返ってつぶやいた。
「……そうか、優弥さんっていうんですね」
「え?」
「僕のドナーになってくれたひと。僕、去年角膜移植手術を受けたんです」
中学生のころ、視界がぼやけて見えづらくなることが続いた。
はじめは近視が進んだのかと思っていたけど、病院での診断の結果、深刻な眼の病気であることが分かった。
日が経つにつれて、視界が少しずつ欠けていくことが怖くてたまらなかった。
このまま失明するのかな、と言いようもない不安に苛まれていたある日、奇跡的にドナーが見つかり、無事に手術は成功した。
術後のケアはいろいろ大変だったけど、視力が回復して再び日常生活を送れるようになったこと。
それは何にも代えがたい喜びだった。
ふたたび僕に希望の光を与えてくれたひと。
いったいどんなひとだったんだろう、と、ずっと気になっていたんだけど、これでようやく分かった。
「優弥さんは、今でもあなたのことを想っているんですね」
僕は由夏さんに向かって言った。
「亡くなっても、あなたとの大切な思い出は失われることなくその目に焼きついていた。僕に受け継がれるほど強く。きっと、あなたにまた会いたかったんだと思います」
由夏さんはポロポロと涙をこぼしながら、
「優弥くん、絵を描くのが好きだったの。よく私の似顔絵も描いてくれて、将来は画家になるって美大目指して頑張ってたんだ。でも、まさかもう一度優弥くんの絵が見られるなんて……」
と、語った。
「あの……僕じゃ優弥さんの代わりになんてなれないことは分かってるんですけど、よかったら、いっしょに行きませんか? 水族館。優弥さんとの思い出、他にもいろいろ聞かせてください」
あの日果たせなかった優弥さんの想いを遂げさせてあげたい。
僕も、由夏さんのことすっかり好きになってるって分かったら、優弥さんに叱られるかもしれないけど。
夢の続きを、由夏さん、あなたと一緒に見てみたいんです。
あまりの緊張で全身真っ赤になっている僕の姿を見て、由夏さんは一瞬目をパチクリさせたけど、やがて、
「うん!」
と、ヒマワリのような笑顔を浮かべた。
張りつめていた緊張が、またたく間に安堵に変わっていく。
よかった。ずっとこの表情が見たかったんだ、とつぶやく優弥さんの声が聞こえた気がした。
夏の暑さを和らげる、さわやかな風が吹く河川敷。
太陽の光が反射して、川の水がキラキラときらめいている。
その場所には、制服に身を包んだひとりの女の子がいた。
茶色いセミロングの髪が風にそよぐ。
穏やかで温かなまなざし。透明感のある白い肌に、ほのかな赤みが差している。
僕に向ける優しい微笑み。
彼女はなにか言いたそうに口を開いた。
え――?
聞き返そうとしたそのとき。
「夢か……」
ハッと目が覚めると、自分の部屋のベッドの上。
ああ、またか。
今日も分からずじまいのまま、起きてしまった。
「あのひと、誰なんだろう?」
なんとも奇妙な話だが、夏休みに入ってから毎日毎日同じ夢を見るようになった。
見知らぬ町の河川敷。
そこに腰かけている自分と同い年くらいの女の子。
出てくるのはそれだけ。
彼女は僕になにか言おうとするのだけど、その言葉を聞くことができずにいつも朝を迎えてしまう。
「それって、前世の記憶なんじゃねーの?」
塾の夏期講習帰りに立ち寄ったファストフード店にて。
友人の健は、少し僕のことをおもしろがっているようだった。
「そんなマンガやゲームみたいなことあるわけないだろ」
くだらない、と一蹴したけれど、健は主張を曲げずに。
「でもよー。それこそゲームとかで、十六歳の誕生日を迎えたら神さまのお告げを受けたとかあるじゃん? 涼真、こないだ誕生日だったろ。十七歳になって、なんかお告げが来たんじゃね?」
なんのだよ、なんの。
「やっぱ、どっか悪いのかな」
あんまり考えたくないけど。
「だけど、こないだの検査は異常なかったんだろ?」
「ああ、視力は。でも、他がよくないのかもしれない」
すると、健はフライドポテトをかじりながら。
「まー、このごろ涼真ってちょっと変わったもんな」
「変わった?」
「うん、レモンソーダなんて飲んでるし。今まで酸っぱいのも、炭酸もキライだって言ってたのに」
あ、そういえば。
苦手だったはずのレモンソーダ、なんでか注文してた。
すでに半分くらい飲んでる。
ささいなことだけど、どうしたんだ、自分。
「脳波には異常ありませんね。記憶も問題ないです」
親に付き添われ、念のため病院でCTスキャンを撮ってきちんと検査してもらったものの、お医者さんからはそんな答えが返ってきた。
「そうですか……」
ホッとしたものの、夢の原因は相変わらず不明でモヤモヤはうずまいたまま。
「気になりますか、夢のことが。でも、悪い内容ではないんでしょう?」
それは確かにそうなのだが、むしろ悪い内容ではないからこそ困ることもあって。
彼女の夢が、日に日に鮮明になってきてるんだ。
夢というより、ほんとうに彼女といっしょにいたのではと錯覚するほど、ひどくなつかしく、切ない痛みが胸によぎるようになった。
できれば夢から覚めずに、このまま彼女のそばにいたい。
朝、目が覚めたとき胸がつぶれるほど悲しくなるくらい。
だけど、このままこの状況が続いたらどうなるんだろう。
僕は、彼女のことなんて、なにひとつ知らないのに。
夢のなかの彼女に恋するなんて、どう考えても報われない片想いでしかないじゃないか。
【その場所ってさ、もしかしたら実在すんじゃねーの?】
【え?】
健からのLINEに思わず目を丸くした。
【お前の夢に出てくる河川敷。こないだ都市伝説の動画見たんだけど、夢で見た景色って実在する可能性があるんだと。ダメ元で探して見ねぇ?】
【でも……】
なんか怖いな。
【じゃあ、ずっとそのまんまでいいのかよ】
それも嫌だけど。
少し悩んだ末、健の提案にのってみることにした。
試しにノートに夢に見た場所をスケッチしてみると。
【おっ、分かりやすい。てか、涼真お前すげー絵うまくなってねー?】
スケッチの写真を見た健からはそんな感想が返ってきた。
そうかな?
確かに、以前よりも物がはっきり見えるようになったけど、そのせいか?
【これだったら探しやすいわ。SNSとかで聞いてみっから】
【そんなんで分かんの?】
すると、ちょっとムッとしたキャラのスタンプとともに、
【オレの拡散力なめんな。なんか分かったらすぐ連絡する】
と、返事があった。
拡散力と言われても、変なふうに広まって炎上したら困るのは健じゃなくて僕なんだが。
まあ、こんなの少しの間は面白がられるけど、二、三日したらすぐに誰も関心を持たなくなるよな。
正直見つかったら驚くけど、そんなうまい話なんてそうそう――。
【分かったぞ、涼真。お前の夢の場所!】
なんだって?
数日たったある日、健から来たLINEには信じがたい言葉が綴られていた。
【T市でこういう景色見たことがある、って情報もらったんだ】
T市? ずいぶん遠いな。
今までそんなところ行ったことないし。
【写真とかある?】
【ああ、見てみろ】
送られてきた写真を見たとたん、胸がきゅうっと絞られるように苦しくなった。
すぐに信じていいものかどうか分からないけど……似ている。
川の様子も、向こうに見える町の景色も夢に出てきた河川敷にそっくりだ。
【これ、生成AIとかじゃないよな?】
【疑り深ぇなー。気になるんだったら、自分で調べてみろよ】
「自分で」か……。
進んではいけない領域に踏みこむみたいでちょっと緊張する。
でも、毎日毎日切ない気持ちを抱えたまま目覚めるのもそろそろくたびれてきた。
ずっと同じページにとどまっているのはもう嫌だ。
どんな結末になってもいいから、あの夢の続きが知りたい。
「えーっと、T市の情報は――」
スマホで検索すると、市の広報サイトが出て来た。
市内には大きな河川が広がり「水の町」として知られているそうだ。ほんとうにこの場所に夢で見た河川敷が存在するんだろうか。
そして、彼女もこの場所に?
なにか他に手がかりがないかどうかサイトを調べていたところ、とある記事に目が止まった。
『市立水族館オープン三周年!』
心臓がドクンと大きく鳴った。
どうしてだろう、なぜかこの記事がひっかかる。
水族館……いつか、どこかで、聞いたような。
どこだったっけ――。
その日の晩に見た夢はいつもと違っていた。
ほほえみを浮かべていた女の子が、今日は取り乱したように泣きじゃくっている。
場所も河川敷ではなくて、白くて無機質な空間が広がっている。
病室だろうか。
どうした? いったい何があったんだ?
手を差し伸べたいのに、どうしても彼女には届かない。
小さな肩を震わせて、壊れた水道の蛇口みたいに涙があふれて止まらないまま。
泣かないで。
いつもは太陽みたいに笑ってくれてたじゃないか。
最後に見たものがきみの泣き顔だなんて辛すぎるよ……。
ガバッとベッドから飛び起きると、まだ夜が明けたばかり。
ぼんやりとした朝の光が、カーテンのすき間から差しこんでいる。
だけど眠気はすでに吹き飛び、心臓の鼓動がいつもよりさわがしい。
自然と涙が頬をつたっている。
あれは、あの光景は。
――行かなくちゃ。
至った結論はその一択だった。
彼女に会えるかどうかなんて分からないけど、今の自分にできることと言ったらそれだけだ。
夢の場所に、あの河川敷に行ってみよう。
見知らぬ町に向かって、ガタゴトと電車が走り出す。
こうやって、ひとりで遠出するのなんていつぶりだろう。
窓の外を流れる景色を見ていると、自然と気持ちが落ち着いてくる。
まったく知らないところに行くのに、なぜかすごく懐かしい気分だ。
およそ2時間を経て、目的地の駅に降り立つと、ふわっと、さわやかな風が吹き抜けた。
ここは――。
ゆっくりとあたりの様子を眺める。
この場所、見覚えがある。
電子改札じゃなくて、車掌さんが受付している昔ながらの改札。
待合室に置いてある、すっかり色あせてくたびれたイス。
とてもなじみ深い雰囲気がする。
デジャヴってやつだろうか?
不思議な気分のまま駅を出ると、レンタサイクルの看板があった。
「この川ってどこか分かりますか?」
レンタサイクル店の店長さんに健から送ってもらった写真を見せたところ、
「汐美川だねぇ。自転車だとここから二十分くらいかな? なにか書くものある?」
ノートとボールペンを差し出すと、店長さんはノートにサラサラと簡単な地図を書いた。
「ふつうの観光マップだと、ちょっと分かりづらいところにあるから。これ参考にして北西のほうにターッと走ってみて」
店長さんにお礼を言い、借りた自転車を走らせてみる。
夏の暑さを忘れるほどの涼しい風が髪を揺らす。
ペダルが軽い。なんの迷いもない。
まるで見えない誰かに導かれているみたいに、自転車は進んで行く。
この道をずっと辿っていけば、あの場所に着くんだ。
ずっと夢に出て来た河川敷。
そこに彼女はいるのだろうか。
はやる胸の鼓動を聞きながら、しっかりと自転車のペダルを踏みしめた。
「ここか――」
驚いた。
教えてもらった地図を頼りに進んで行ったら、ほんとうにその景色はあらわれた。
夢で見た場所と同じ。
大きくて澄みきった川が、今僕の目の前に広がっている。
いるのは僕ひとり。他にまったくひとの気配はしない。
近くの自販機でレモンソーダを買って飲む。
少しだけ暑さと動揺を落ち着かせて、河川敷に腰を下ろす。
まさか、ほんとうに実在したなんて。
持って来たノートを広げて、以前描いた川のスケッチを見つめる。
このノートには他にも今まで見た夢の内容をメモしていた。
晴れた夏の日の河川敷。僕に向かって微笑む女の子。
なにか言いたげなのに、その言葉が聞き取れない。
いっぽう、病院のような場所で泣きじゃくる彼女。
何があったんだろう。
彼女は僕に何を伝えようとしていたんだろう。
ノートを広げたまま考えこむものの、いつまでたっても答えなんて出てこない。
どうしても抜け出せない迷宮にはまり込んでしまったみたいだ。
せっかくここまで来たのに。なにも分からないまま引き返すしかないのかな……。
「ひとり旅?」
優しい声が耳に届いた。
顔を上げたとたん、危うく大声で叫びそうになった。
明るい茶髪のセミロングヘア、くっきりとしたまなざしに、ほほ笑みを浮かべたピンク色の唇。
彼女だ。
服装はシンプルな白の襟付きシャツにすっきりしたレモンイエローのスカートと、少し大人びた感じだけど、まぎれもなく夢の中に出て来た彼女がそこにいた。
「は……はい」
必死に冷静を装ってそう答えると、
「そうなんだ。何もないところだけど、楽しんでいってね」
と、彼女は目を細めた。
「あの、あなたは、どうしてここに――」
すると、
「ここ、彼との思い出の場所でね」
と、少しさびしげに微笑んだ。
「思い出の?」
「うん、三年前に付き合ってた彼との。あのころはまだ私たち高校生で、毎日この河川敷を通って帰ってたの。よくここに座って、そこの自販機でいっしょに買ったお気に入りのレモンソーダを飲みながら他愛ないおしゃべりしたり、ときには将来の夢について真剣に語り合ったり。楽しかったなぁ。気がついたら、どっぷり日が暮れるまでいっしょにいたこともたびたびあって。帰りが遅いって親にしかられることもしょっちゅうだったの。そんな日々がずーっと続いてくと思ってたのに、急にお別れすることになっちゃったんだ」
「……どうしてですか?」
「亡くなったの。心疾患で突然。もー、ビックリだよね? 直前まで次のデートの約束してたんだよ? それなのに、そのあとすぐ、急に倒れたって連絡があって――」
彼女の声はかすかに震えていた。
「病院に着いたら、もう虫の息だったの。私、現実が受け入れられなくて、これは悪い夢を見てるんだってわあわあ泣きくずれて。きちんと彼のことを見送る余裕なんて、そのときの私にはまるでなかったんだ」
彼女は一瞬目頭をおさえたけど、気丈にふるまいながら、
「もうすぐ彼の命日なの。お盆も近いし、ここに来れば帰って来てるんじゃないかって、ついそばを通りかかっちゃうんだ。おかしいでしょ?」
と、僕に向かって笑いかけた。
自分のなかに深く沈んでいた記憶がミシリ、と音を立てた。
小さな記憶のかけらが、泡のように静かに浮かび上がる。
ゆっくりと、だけど、鮮明によみがえってくる。
「由夏――」
彼女がハッと目を見開く。
「どうして私の名前を……?」
僕はボールペンを手に取り、無心でノートにラフスケッチをして彼女に見せた。
いつも隣にいてくれた、彼女の穏やかな微笑み。
いつまでも、ずっと忘れることなんてできなかったんだ。
自分の命がつき果てても。
「由夏、あのときいっしょに水族館行ってやれなくてゴメンな」
彼女の肩が小刻みに震えている。
信じられないとばかりに何度も何度も僕の姿を見返す。
「優弥くん……なの? でも――」
不意に眠りから覚めたように、僕は我に返ってつぶやいた。
「……そうか、優弥さんっていうんですね」
「え?」
「僕のドナーになってくれたひと。僕、去年角膜移植手術を受けたんです」
中学生のころ、視界がぼやけて見えづらくなることが続いた。
はじめは近視が進んだのかと思っていたけど、病院での診断の結果、深刻な眼の病気であることが分かった。
日が経つにつれて、視界が少しずつ欠けていくことが怖くてたまらなかった。
このまま失明するのかな、と言いようもない不安に苛まれていたある日、奇跡的にドナーが見つかり、無事に手術は成功した。
術後のケアはいろいろ大変だったけど、視力が回復して再び日常生活を送れるようになったこと。
それは何にも代えがたい喜びだった。
ふたたび僕に希望の光を与えてくれたひと。
いったいどんなひとだったんだろう、と、ずっと気になっていたんだけど、これでようやく分かった。
「優弥さんは、今でもあなたのことを想っているんですね」
僕は由夏さんに向かって言った。
「亡くなっても、あなたとの大切な思い出は失われることなくその目に焼きついていた。僕に受け継がれるほど強く。きっと、あなたにまた会いたかったんだと思います」
由夏さんはポロポロと涙をこぼしながら、
「優弥くん、絵を描くのが好きだったの。よく私の似顔絵も描いてくれて、将来は画家になるって美大目指して頑張ってたんだ。でも、まさかもう一度優弥くんの絵が見られるなんて……」
と、語った。
「あの……僕じゃ優弥さんの代わりになんてなれないことは分かってるんですけど、よかったら、いっしょに行きませんか? 水族館。優弥さんとの思い出、他にもいろいろ聞かせてください」
あの日果たせなかった優弥さんの想いを遂げさせてあげたい。
僕も、由夏さんのことすっかり好きになってるって分かったら、優弥さんに叱られるかもしれないけど。
夢の続きを、由夏さん、あなたと一緒に見てみたいんです。
あまりの緊張で全身真っ赤になっている僕の姿を見て、由夏さんは一瞬目をパチクリさせたけど、やがて、
「うん!」
と、ヒマワリのような笑顔を浮かべた。
張りつめていた緊張が、またたく間に安堵に変わっていく。
よかった。ずっとこの表情が見たかったんだ、とつぶやく優弥さんの声が聞こえた気がした。