「え? なにが? 急にどうしたの?」
 突然の西沢さんの態度に、僕は困惑を隠せない。

「なんかさっきから東浜さんのこと妙に持ち上げるよね。あやしくない? あやしーな。あやしーよ」

「ちよ、ちょっと、いきなりなに言ってるのさ? 僕が東浜さんと話したのは今日が初めてだし、なにより僕は西沢さんがその……す、好きなんだから」

「えへへ、ありがと♪ わたしも佐々木くんが好き♪ でもいい機会だし、それ、そろそろやめにしない?」

「それってなんのこと?」

 西沢さんの言う『それ』に思い当たる節がなく、僕は首を傾げてしまう。

「だってわたしたち、もう付き合って結構経つでしょ? なのにまだ『西沢さん』って呼び方するのは、距離があるなってなんとなく感じちゃうんだよね」

 西沢さんが期待を込めた目で見つめてくる。

「じゃあ…………西沢」

「なんで名字呼び捨てだし! 絶対おかしいよねそれ!? ありえないよね!?」

 恥ずかしさのあまり『およそ予想される正しい回答』からつい逃げてしまった僕に、西沢さんがプチギレした。
 でもキレた西沢さんを見たのは初めてだったので、それはそれでちょっと新鮮で嬉しかったりもする。

「ご、ごめん……」

「じゃあやり直しです。それではどうぞ」

 西沢さんが再び期待のこもった視線を向けてくる。

「あ……」

「あ?」

「彩菜……」

「ごめん、よく聞こえなかったの」

「あ……彩菜」

「う、うん? なんて?」

「彩菜!」

「でへへ、3回も名前で呼んでもらっちゃったし」

「ちょ、最初から聞こえてるじゃん!?」

「だって直人くんに言ってもらいたかったんだもーん」

 西沢さんが小悪魔っぽく笑う。
 それはもうすっかりいつもの西沢さんで。

「って、直人くん?」

「わたしだけ名前で呼ばれるのは不公平だもんね。男女平等! だから、な……直人くんです」

「もしかして西沢さんも恥ずかしい?」

「そんなの当たり前でしょ!? だって男の子を名前で呼ぶなんて初めてなんだから!」

「そ、そうなんだ」

「直人くんは初めてじゃないの?」

「もちろん僕も西――彩菜が初めてだよ」

「えへへ、じゃあ一緒だね」

「だね」

「直人くん」

「な、なに? 彩菜」

「えへへ、呼んだだけだもーん」

 西沢さんから『直人くん』と呼ばれるたびに、胸の奥がジワっと熱くなっていく自分がいる。

 それは西沢さんも同じようで、僕が名前を呼ぶたびに顔を赤らめながら、とても嬉しそうににまにまと笑っていて。

 しばらく僕と西沢さんはお互いに名前を呼び合っては恥ずかしがるという行為を、延々と繰り返したのだった。
 それはもうおばあちゃんがカラオケから帰ってくるまで延々とした。
 傍から見れば完全にバカップルだった。


 こうして僕と西沢さん――彩菜は、破局の危機を乗り越えることに成功したのだった。