しばらく屋上で泣いて、もう涙が出なくなるまで泣きつくしてから、僕は学校を出て帰路についた。
通学路を歩きながら西沢さんとの間にあった色んなことを思い出す。
きっかけは西沢さんのおばあちゃんを助けたことだった。
本当にただの偶然で、その時は西沢さんのおばあちゃんだなんて思ってもみなかった。
それからしばらくの間、学校にいる時に西沢さんに見られているような気がして。
そして屋上で突然の告白をされて付き合うことになって、次の日いきなりデートをした。
初めてのデートはとても楽しくて、失敗もしちやって、でも勇気を出して頑張ったりもした。
休み時間や夜にラインでやり取りもしたし、テストに向けて勉強会もやった。
西沢さんにレモンの描き方を教えてもらって、ご両親やちび太と晩ご飯も食べた。
そのどれもこれもが僕にとって初めての経験で、なにより人生最高の時間だった。
電車に乗っている間も僕はずっと、西沢さんと過ごした楽しい日々のことを思い返していた。
今まで生きてきた中で一番楽しかった日々のことを、僕は何度も何度も思い返していた。
(でも西沢さんには僕よりももっと相応しい男の人がいるはずだから……)
「西沢さん……」
小さな声で呟いた僕の声は、けれど誰に聞かれるでもなく電車の走行音にかき消されて消えていく。
地元駅で降りた僕はまっすぐに家に帰ろうとして、
「そう言えば今日も工事があるって回覧板が来てたっけ……」
昨日の夜の至急回覧に、前回の工事で施工ミスがあったとかで緊急の工事をやるとかそんなことが書いてあったのを思い出していた。
仕方なく僕は回り道をする。
するとその途中で、西沢さんのおばあちゃんに偶然出会ってしまったのだ。
おばあちゃんは今日も大きなスイカを一玉持っていた。
というか前よりでかいかなり大玉のスイカだ。
それを両手で抱えながら、よろよろとおぼつかない足取りで帰る姿を見るに見かねた僕は。
涙の痕をしっかりこすって証拠隠滅してから、なんでもない風を装って声をかけた。
「こんばんは。スイカ重そうなので持ちますよ」
「おや、佐々木くんじゃないかい」
「お久しぶりです。お手伝いしますよ」
「……ふむ、そうじゃの。せっかくじゃから佐々木くんに持ってもらおうかの」
僕はスイカを受け取るとおばあちゃんと並んで歩きはじめた。
スイカはずっしりと重いけど、前と比べたら大したことはない。
西沢さんと付き合うようになってから毎日筋トレを欠かさなかった効果がはっきりとわかる。
(まぁ今さらなんだけど……)
僕は当然、西沢さんとの話をされるものだと思って身構えていたんだけど。
おばあちゃんは近所のポメラニアン(という種類の小型犬がいるらしい)が可愛いとか、メジャーリーグで活躍する大谷くんの二刀流の話といったとりとめもない話をするだけだったので、僕は少しだけ楽な気分でいることができた。
そのまま僕はもう3度目の訪問となる「佐藤」と書かれた表札のある門を抜けると、玄関を入ってすぐのところにスイカを置いた。
「じゃあ僕は帰りますんで」
「まぁそう言わんとスイカ喰ってけ。今日は暑かったじゃろ。熱中症になったら大変じゃからの」
「えっと、その、お気持ちだけで十分です。もうだいぶいい時間ですし」
僕は、西沢さんとのことを聞かれないうちに帰ろうとしたんだけど。
「いいから喰ってけ、スイカ喰うくらいすぐじゃすぐ」
「えっと……」
「食うか食うまいか迷ったら食え、と昔から言うじゃろうて?」
「すみません、そんなの初めて聞きました」
「戦後すぐは言っておったんじゃよ。なにせ食べ物がなかったからの。食べれる時に食べんといかんかったんじや」
「それはその……大変な時代だったんですね」
第二次世界大戦で敗戦した後の日本がとても貧しくて大変だったことは、歴史の授業でも習ったので知っている。
でも実際に当時を知る人に言われると、なんとも重みが違っていた。
そのせいでかなり断りづらい。
「そういうことじゃから、切ってくるでの。入ってすぐ左が居間じゃから、ちと待っててくれの」
「ま、まぁ……そこまで言うならお言葉に甘えます……」
やや強引に既成事実化されてしまった僕は、ちょっと気持ちが弱っていたこともあって言われるがままに居間へと上がった。
すぐにおばあちゃんが切ったスイカを持ってやってくる。
「ほれ、食べなされ。熊本のスイカじゃ、美味しいぞ?」
「いただきます……あ、すごくジューシーで甘いです」
水分たっぷりの強い甘味が、僕の弱った心に染み込んでくる。
「一番大きくて一番甘いのを買ってきたからの。最近は糖度表示が正確じゃから、昔みたいに目利きせんでもよくなって便利になったわい」
「あ、それ前にテレビで見たんですけど、今は機械で測ってるんですよね。非破壊タイプのができて便利になったって言ってました」
「ほんと便利な世の中になったのぅ。なにせ個人が電話を持ち歩く時代じゃからの。まさか外でいつでも電話をかけられる時代が来るなんぞ、若いころには考えられんかったからのぅ」
「あはは……僕らはスマホがが当たり前の時代に生まれたんで、ついこの前までそんな時代だったって言われる方が、逆に不思議な感じがするんですけどね」
そんな話をしている内に、すぐに僕は出されたスイカを食べ終えた。
そしてそれを見計らったようにおばあちゃんが言った。
「彩菜を振ったんじゃっての」
「……耳が早いんですね」
「今は誰でも外で電話ができる時代になったからのぅ」
「……ですね」
西沢さんがあの後、電話をしたってことなんだろう。
「まったくそんな顔をするでない。別に責めとるわけじゃないんじゃ。時代が移り変わるように、人の気持ちも移り行くもんじゃからの。特に若い時はそうじゃ。佐々木くんは他に好きな女の子でもできたのかい?」
どこか西沢さんをほうふつとさせる優しい声と表情で言われた僕は――否応なく西沢さんの笑顔を思い出してしまって――ついつられるように正直に答えてしまう。
「……違います」
「じゃああの子に飽きたのかい?」
「そんなことあるわけありません」
「なら理由はなんなのじゃ?」
「だって……だって僕は西沢さんに不釣り合いだから」
「不釣り合い、とはなんじゃ?」
「僕は何の取り柄もないんです。学校でもその他大勢の1人で、運動はできないし背も低いし。一緒にテスト勉強をしたのに西沢さんより全然点数が取れないし」
「だからなんだと言うんじゃ?」
「そんな冴えない僕とですよ? 学校で一番って言われるくらい人気者の西沢さんが付き合っちゃ、不釣り合いじゃないですか……」
「それが理由なのかえ?」
「……まぁ、そうですね」
「まったく、情けないのぅ」
「はい、まったくです……僕はどうしようもなく情けないんです……」
おばあちゃんの言葉を、僕は蚊の鳴くような小さな声で肯定した。
「そんな泣きそうな顔をするでない。なぁ佐々木くんや、ここには二人きりじゃ。良かったらもう少しだけその辺の話を聞かせてくれんかの? こんな老い先短い老いぼれでも、若者の話を聞くくらいはできるからの」
「いえ、大丈夫ですから……」
「何が大丈夫なもんか、そんな顔をして帰ったらご家族の方も心配するじゃろうて」
「……今の僕って、そんな酷い顔をしてますか?」
「明日地球が滅亡しそうなくらいには酷い顔をしておるの」
「……そんなにですか?」
自分ではいつも通りに振る舞っていたつもりだったんだけど。
残念ながらまったくもっていつも通りには振る舞えてなかったようだ。
「どんな辛いことであっても、誰かに吐き出したら少しは心も軽くなるもんじゃ。自分だけで抱え込んでおらんで、騙されたと思って話してみぃ。それにどうせ聞いておるのは婆さん一人だけじゃしの」
「……」
「のぅ?」
「……くだって……あったら」
「うん」
「僕だってもっと自分に自信があったら……西沢さんと別れたりなんかしませんよ……こんなに好きなのに、きっと一生で一番の出会いなのに……それを手放そうなんて思うわけないじゃないですか……」
「うん、うん」
「僕がもっとカッコよくて頭が良くて、スポーツもなんでもできて、背も高くてみんなの人気者だったら……ひっく、僕だって、別れたりなんかしませんよ……」
最初こそ促されて話し出した形だったけど。
一度口に出してしまうともう、僕の口は止まろうとはしなかった。
「こんなに好きなのに……でも僕には何もないから……僕じゃ西沢さんには何をどうしたって釣り合わないから……僕といるより、もっといい人が西沢さんにはいるはずだから……」
(ああそうか、僕は本当は誰かに心の内を聞いて欲しかったんだ――)
「だからあの子と別れたのかい?」
「今日クラスメイトの子に改めて言われて……その子に言われて、やっとわかったんです。その子は西沢さんのことを本気で心配してて、西沢さんの昔のことも知っていて」
「昔というと、あの子の小学校の頃かの?」
「はい、その子は昔神戸に住んでいて、西沢さんと小学校が同じで。その子が、西沢さんが6年の頃にイジメられてたって言ってたんです」
「彩菜が神戸にいた頃の同級生が東京の学校にいるとは、それはまた奇妙な巡り合わせがあったものよのう」
「それでその子は言ったんです。それが原因で、西沢さんは付き合っても誰にも何も言われない人畜無害な僕を選んだんだって。そんな風に言われて僕は何も言い返せませんでした」
「なぜじゃ? まさか言い返す勇気がなかったのかい?」
「違います……西沢さんが僕を選んだ理由が、僕がおばあちゃんを助けたからだってわかったからです。それを昔の自分に重ねてるんだって気づいちゃったから……」
「……そうか」
「なにか一つでも他人に誇れるものがあれば言い返せたのに……でも僕にはなにもないから……だから僕はその時に納得しちゃったんです。僕じゃ西沢さんに不釣り合いなんだって納得しちゃったんです。そう思ったらもう言い返せなくなってました……」
そんな風に、僕はとても真剣に今の自分の気持ちを伝えたんだけど――、
「でも佐々木くんは今日スイカを持って運んでくれたのぅ」
なぜかおばあちゃんはそんな言葉を返してをきたのだ。
「……それがどうしたんですか? そりゃ知らない仲じゃないんですから、スイカくらい持ちますよ……」
西沢さんには不釣り合いであっても、僕はそこまで人でなしじゃない。
「前はなんとかかろうじて持っておったが、今日は軽々と運んておったの」
「……多分それは最近毎日筋トレしてたからだと思います」
「それは彩菜のために、釣り合うようにと身体を鍛えておったということかの?」
「はい……少しでも西沢さんに相応しい男になるんだって思って。でも何をしたらいいか全然わからなかったから、とりあえず筋肉をつけてみようと思って毎日筋トレをしてたんです」
今考えれば子供の発想にしてもひどすぎる。
速く走ることがカッコいい小学生じゃないんだからさ。
しかもそれで何ができたかと言えば、スイカをちゃんと運べたことくらいで、ろくに何にもなりはしなかったのだ。
(まぁある意味、底辺の僕にはふさわしい――)
「と言うわけなのじゃが?」
そこで突然、おばあちゃんが僕ではなくどこか遠くに向かって語りかけた。
なんとなく気になって声の向けられた先に視線をやると――そこにはなぜか西沢さんがいた。
「はふぇっっ!!?? 西沢さん!? どうしてここにいるの!?」
「どうしてってここはわたしのおばあちゃんの家だもん。『佐藤』はお母さんの旧姓なんだよね~」
「いやあの、それは前に聞いたから知ってるんだけど。なんで今いるのかなって思って……」
突然の事態に僕は頭がごっちゃごちゃにこんがらがってしまう。
「あの後おばあちゃんに電話したら来てもいいよって言われて、ここで慰めてもらってたの。それでわたしの好物のスイカを買いに行ったはずのおばあちゃんがなぜか佐々木くんを連れてきたから、びっくりして隠れちゃったんだよね」
「えっ!? ってことはもしかして僕が来る前からいたの?」
「そうだよー」
「ってことは、今のやり取りをずっと聞いていたってこと!?」
「もちろんだし。っていうか入り口にわたしの靴があったでしょ?」
「あ、えっと。あの時は色々考えてて注力散漫だったから玄関に靴があったかはちょっと覚えていないかな……。それにスイカを持ってたから足元がよく見えにくかったし……ちなみにもう一回聞くけど最初から聞いてたの?」
「うん、最初から」
「ぜ、全部……?」
「うん、全部聞いてたよ。ああわたし、佐々木くんに愛されてるんだなって思っちゃった♪」
「い……いやーーーーーーーーーーーーっ!」
「こら佐々木くんよ、そんな大声出したらご近所さんが何事かと思うじゃろうて」
「いやだって、全部聞かれてたって、いやーーーーーーーーーーーーーっっ!!」
「なにがいやなのじゃ、のう彩菜」
「だよね。佐々木くんの本音を聞けて、わたし今すごく幸せだもん。こんなにわたし愛されてたんだって思っちゃった」
「やめてぇーーっ!? 恥ずかしくて死んじゃうから!」
「恥ずかしいのはこっちの方だよね。『こんなに好きなのに、きっと一生で一番の出会いなのに』だなんて、わたしもう興奮しすぎていつ出ていこうかと頭が沸騰しそうだったんだから」
「くぁwせdrftgyふじこlp;!!!!!!!!!!!」
まさかの本人を前に熱く愛を語っていたことを今さらながらに理解した僕は。
もう居ても立っても居られなくなってしまい。
散歩中に空飛ぶサメに襲われたってくらいに意味不明な、言葉にならない絶叫を上げたのだった。
『じゃあ小一時間カラオケに行ってくるから、しばらく留守番代わりに2人で話しているとええからの』
おばあちゃんはそう言うと風のようにカラオケに行ってしまい。
残された僕と西沢さんは、誰にも邪魔されることなく2人きりで話すことになった。
「じゃあ結局全部わたしの勘違いだったってこと? 東浜さんとキスしてたわけじゃなかったんだ」
「そんな、西沢さんを裏切るようなことを僕がするわけないよ」
「じゃああの時すぐにそう言ってくれたらよかったのに。東浜さんとキスするみたいに仲良く顔をくっつけてるから、わたし勘違いしちゃったんだもん」
西沢さんが可愛らしくむくれて見せる。
「ええっと、全然仲良くではなかったと思うんだけど……?」
「ええっ、そう?」
「ほんとほんと。あんたじゃ不釣り合いだって言われて、目の前ですごい睨まれてたんだから」
「そうだったんだね」
「でもあの時はどうしても言えなかったんだ……西沢さんの昔の話を聞いたら、きっとそれがあったから冴えない僕を選んだんだって腑に落ちちゃって。本当にごめんなさい。そのせいで西沢さんを傷つけてしまって」
「そりゃあね? 付き合うかどうかを考えた時に、昔のことを全く思い出さなかったって言えば嘘にはなるけど、ゼロじゃないけど。みんな知らんぷりしたおばあちゃんを佐々木くんが助けてくれたことに、昔ハブられた自分を重ねちゃったのもそうなんだけど」
「やっぱり、そうだよね……」
やはり僕の推測は当たっていた。
「でもそれは佐々木くんが優しいから好きってことなんだもん。佐々木くんとなら付き合っても誰にも何も言われないって、そんな理由じゃ絶対にないんだから」
「あ――」
「そんな理由で付き合う相手を選んだりはわたし絶対しないよ? ちゃんと佐々木くんのことが好きで選んだんだから。優しい佐々木くんがわたしは良かったんだもん」
「西沢さん……」
「だからあまり自分のことを卑下しないでほしいな。佐々木くんはこんなに素敵な人で、わたしはそんな佐々木くんのことがすごく好きなのに。なのに自分のことを卑下されたら、わたし悲しいよ」
それは屋上で告白された時に言われた言葉とほとんど同じで。
あの時の顔を真っ赤にした必死な西沢さんの姿が、僕の心にはっきりと思い出されてきて――。
「うん……そうみたいだね。改めて好きって言ってもらえてすごく嬉しい。ありがとね、西沢さん」
だから西沢さんが僕を本当に好きなんだって、西沢さんが本心から言っているんだって、僕にはこれでもかと伝わってきたのだった。
「どういたしまして――って言うのもそれはそれで変な感じだけど。ふふっ」
「だよね」
「っていうか東浜さんってわたしと同じ小学校だったんだね。そうならそうと言ってくれたらよかったのに」
「なんか、知らない振りして見捨てたのがバツが悪かったって言ってたよ。でももう見て見ぬふりはしないから安心してって、そんなことも言ってた」
「そっか……いい人なんだね、きっと。あんまり話したことないからなんとなくだけど」
「多分ね。いい人すぎてちょっとお節介しちゃったんだと思う」
「でも結果的にわたしと佐々木くんの仲を引き裂こうとしたのは許せないよね。あの時、わたしショックで死にそうだったんだから。お詫びにこれからは全力でわたしたちのこと応援してもらわないとだよ」
「あの人ならちゃんと説明したらそうしてくれると思うよ」
「……なんかあやしー」
と、なぜか西沢さんがジト目で見つめてきた。
「え? なにが? 急にどうしたの?」
突然の西沢さんの態度に、僕は困惑を隠せない。
「なんかさっきから東浜さんのこと妙に持ち上げるよね。あやしくない? あやしーな。あやしーよ」
「ちよ、ちょっと、いきなりなに言ってるのさ? 僕が東浜さんと話したのは今日が初めてだし、なにより僕は西沢さんがその……す、好きなんだから」
「えへへ、ありがと♪ わたしも佐々木くんが好き♪ でもいい機会だし、それ、そろそろやめにしない?」
「それってなんのこと?」
西沢さんの言う『それ』に思い当たる節がなく、僕は首を傾げてしまう。
「だってわたしたち、もう付き合って結構経つでしょ? なのにまだ『西沢さん』って呼び方するのは、距離があるなってなんとなく感じちゃうんだよね」
西沢さんが期待を込めた目で見つめてくる。
「じゃあ…………西沢」
「なんで名字呼び捨てだし! 絶対おかしいよねそれ!? ありえないよね!?」
恥ずかしさのあまり『およそ予想される正しい回答』からつい逃げてしまった僕に、西沢さんがプチギレした。
でもキレた西沢さんを見たのは初めてだったので、それはそれでちょっと新鮮で嬉しかったりもする。
「ご、ごめん……」
「じゃあやり直しです。それではどうぞ」
西沢さんが再び期待のこもった視線を向けてくる。
「あ……」
「あ?」
「彩菜……」
「ごめん、よく聞こえなかったの」
「あ……彩菜」
「う、うん? なんて?」
「彩菜!」
「でへへ、3回も名前で呼んでもらっちゃったし」
「ちょ、最初から聞こえてるじゃん!?」
「だって直人くんに言ってもらいたかったんだもーん」
西沢さんが小悪魔っぽく笑う。
それはもうすっかりいつもの西沢さんで。
「って、直人くん?」
「わたしだけ名前で呼ばれるのは不公平だもんね。男女平等! だから、な……直人くんです」
「もしかして西沢さんも恥ずかしい?」
「そんなの当たり前でしょ!? だって男の子を名前で呼ぶなんて初めてなんだから!」
「そ、そうなんだ」
「直人くんは初めてじゃないの?」
「もちろん僕も西――彩菜が初めてだよ」
「えへへ、じゃあ一緒だね」
「だね」
「直人くん」
「な、なに? 彩菜」
「えへへ、呼んだだけだもーん」
西沢さんから『直人くん』と呼ばれるたびに、胸の奥がジワっと熱くなっていく自分がいる。
それは西沢さんも同じようで、僕が名前を呼ぶたびに顔を赤らめながら、とても嬉しそうににまにまと笑っていて。
しばらく僕と西沢さんはお互いに名前を呼び合っては恥ずかしがるという行為を、延々と繰り返したのだった。
それはもうおばあちゃんがカラオケから帰ってくるまで延々とした。
傍から見れば完全にバカップルだった。
こうして僕と西沢さん――彩菜は、破局の危機を乗り越えることに成功したのだった。
「というわけで雨降って地固まりました」
笑顔で言った彩菜に、東浜さんがはぁ……と大きなため息をついた。
場所は学校の屋上、時間はお昼休み。
僕と彩菜は、昨日の一件を東浜さんに伝えていたのだった。
「ま、惚れた腫れたは当人の問題だもんね。全部わかった上で当人達が納得している以上、これ以上外野が口出す理由もないわ」
「だって、やったね直人くん」
「なんか呼び方まで変わってるんだけど……」
「えへへ、破局の危機を乗り越えたことで一気に進展して、名前で呼び合うことになりました。これだけは東浜さんのおかげかな」
「それはどうも。あとごちそうさまでした。話はそれだけ? じゃ、私はもう行くわね。長くいると胸焼けしちゃいそうだから」
「あの、東浜さん!」
「なに?」
「同じ小学校だったのに覚えてなくてごめんね。だからって訳じゃないけど、これからは仲良くしてくれると嬉しいな」
「私こそ、あの時見捨ててしまって本当にごめんなさい。それでも仲良くしてくれるのなら、私の方こそ嬉しいわ」
「そんなの全然オッケーだし」
「……ありがとう」
彩菜に笑顔で言われた東浜さんは、少し顔を赤らめながら小さく言うと。
そのまま踵を返して屋上から去っていき、屋上には僕と彩菜の2人だけが取り残された。
「これでひとまずは一段落かな?」
「もう大変だったよね。でもおかげで直人くんと名前で呼び合うようになれたし、結果はオーライなんだけど。ね、直人くん」
「だね、彩菜」
昨日散々名前を呼びあったお陰で自然と呼べるようにはなっているけど。
そうは言ってもやっぱり、女の子と名前で呼び合うというのはどうにも気恥ずかしい。
「直人くん」
すると僕の名前を呼んだ彩菜が、すごく真面目な顔で見つめてきた。
「な、なに……?」
まるであの日この場所で、初めて彩菜に好きだと告白された時みたいな真剣な表情を前に、僕は思わず身構えちゃったんだけど。
「……なんでそんなに身構えるの?」
「いや、なんとなく……」
もちろん何かあるわけではなく。
「まぁいいけど……? えっとね、改めてこれからもお付き合いをよろしくお願いしますって、言いたかったの」
言いながら彩菜がぺこりと頭を下げて、
「うん、こちらこそよろしくね、彩菜」
釣られて僕もぺこりと頭を下げ返す。
屋上でぺこり、ぺこりと頭を下げ合う。
カッコイイ恋愛には程遠い、なんともしまらない僕たちだった。
でも。
ドラマみたいなカッコいい恋じゃないし、周りの人に助けてもらってばかりだけど。
それでも僕は僕にできる精一杯の恋をして、目の前の君に手を伸ばし続けるんだ。
いつかこの手が、自信をもって君の心を掴めるように――。
「とにかく可愛い西沢さん!」
勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~
(完)
――――――――
2人の恋物語を最後まで見届けていただきありがとうございました~(*'ω'*)b
10万字かけて無事、2人が名前で呼び合うことができました!(笑)
究極のじれじれ展開ですね!(>_<)
心ばかりですがアフターエピソードを用意しておりますので、ぜひそちらもお読みいただければ嬉しいです。
というわけで。
破局の危機を乗り越え、お互いに下の名前で呼び合うようになった僕と彩菜は早速、次の休みにデートに行くことにした――んだけど。
「それで、今度の土曜日どこに行こうか? 彩菜はどこか行きたい所ある?」
「んー、直人くん……そうだねー」
学校からの帰り道、僕と彩菜は次のデートでどこに行くべきか、2人で頭を悩ませていた。
とりあえず仲直りの印にデートに行こうって話になったんだけど。
いかんせん僕はデート経験が彩菜と数回しただけしかなくて。
しかもそれも、偶然出会ってショッピングモール巡りをすることになったり。
話の流れで明日カラオケに行こうってなったり。
彩菜のおばあちゃんちに行くついでに、ご近所さんな僕の家でおうちデートをしたり。
つまり、いざデートに行こうとプランを立てて実際に実行した経験が、僕には一度もなかったのだ。
そして。
そうであることを僕は正直に彩菜に伝えて、こうやってデートプランを一緒に考えることになったのだった。
でも今は無理でも。
そう遠くない将来、僕一人だけの力で彩菜に素敵なデートをエスコートできるようになってみせる。
「デートっていうと、やっぱり遊園地……とか?」
僕は貧弱な想像力でベタな提案をした。
「ごめん直人くん。わたし今月はちょっとピンチで遊園地は厳しいかなって……」
「あ、ううん、気にしないで。遊園地は結構お金かかるもんね。よっぽど好きっていうなら別だけど、そうじゃないなら無理していく必要はないかなって」
友人関係が極めて希薄な上に、お金を使う趣味も特に持たない僕は、お小遣いやらお年玉を結構ため込んでいる。
でもそんな僕と違って、彩菜は友達と遊びに行ったりおしゃれをしたりするから、結構シビアなお小遣いのやりくりをしているみたいなのだ。
そうでなくとも入園料だけでもかなり高額な遊園地は、高校生が行くには正直ちょっと割高なデートスポットだろう。
まぁその分アトラクションの種類も多いし、行けば絶対に楽しいことに変わりはないんだろうけど。
「じゃああのね、もしよかったらなんだけど」
「なになに、彩菜はどこか行きたい所とかあるの?」
「駅前モールからちょっと行ったところに猫カフェができたの。前から一度行ってみたいなーって思ってたんだけど」
「いいんじゃない? 僕もちょっと行ってみたいかも。あ、でもいいのかな?」
「いいって、なにが?」
彩菜がこてんと可愛らしく小首をかしげた。
「だってほら、よその猫と会ってたら、ちび太に浮気って思われちゃうかもでしょ?」
「ふーんだ、先に浮気したのはちび太の方なんだから。わたしというものがありながら、直人くんとばっかり仲良くして。わたしはまだあの日のひどい裏切りを忘れてないんだから」
「あははは……」
可愛らしくむくれてみせる彩菜に、僕は苦笑いを返した。
どうやら彩菜は、あの時の『ちび太猫パンチ事件!』をまだ根に持っているみたいだ。
猫マイスターを自称する彩菜としては、飼い猫にパンチされたのが相当悔しかったんだろう。
「それじゃあ来週はその新しくできた猫カフェに行ってみるってことで。その後は適当にモールとか歩こうよ?」
「やった! じゃあ約束ね」
そう言って彩菜が右手の小指を出してきたので、僕もその手に右手の小指を絡めた。
その柔らかい女の子の手の感触に僕はドキッと胸を高鳴らせる。
「「ゆぎきりげんまん嘘ついたら針千本飲~ます。指切った♪」」
そしてお決まりのフレーズと共に指を離した。
ってなわけで。
今週末は彩菜と一緒に猫カフェにデートに行くことになった。
そんなこんなで週末。
学校が休みの土曜日に僕たちは猫カフェデートをした。
「にゃんにゃん、いらっしゃいませ~。お二人様ですね~、お席にご案内しますにゃん」
店内に入るとすぐにネコ耳を付けた店員さんに出迎えられて、席まで案内してもらう。
机にはメニューが置いてあって店員を呼んで注文するという、システム自体は普通の喫茶店だった。
普通と違うのは、椅子と机が低めのソファーとローテーブルなのと。
あとはもちろん店内を縦横無尽に行き来している猫たちの存在だ。
店内の至るところに猫がいる。
30匹以上いるんじゃないかな?
「うわぁ、すごい! 猫がいっぱいいる! There are a lot of cats!」
それを見た途端にワクワクを爆発させる彩菜。
でも、
「なんで急に英語……?」
「な、なんとなく……えへへ……」
ということらしい。
あ、照れてちょっと顔が赤くなってる。
可愛い。
店内は内装も凝っていた。
キャットウォークやキャットタワーが壁周りや天井にいくつも配置されていて、猫がそこを自由気ままに歩いているのだ。
そんな猫たちの気ままな姿を見ているだけで、自然と心がほんわか楽しくなってくるよね。
ソファに並んで座ってメニューを見る。
「ほらほら、おいで~♪ チュチュチュチュッ♪」
そしてもう待ちきれないといった様子でパパっと注文を終えた彩菜が早速、近くにいる三毛猫においでおいでをし始めた。
僕はそんな彩菜を笑顔で見守っていたんだけど。
なんということだろうか!?
まるでそれが合図であったかのように、猫たちがわらわらと一斉に彩菜の元に集まってきたのだ――!
「わわっ、いっぱい集まって来たね!?」
彩菜にわらわらと群がり始めた猫たちに、僕は思わず感嘆の声を上げた。
さすが彩菜、野良猫ハンターとして猫の写真をいっぱい撮っているのは伊達じゃない。
猫に好かれる素養をこれでもかと発揮しているみたいだ。
しかし事態は想定外の方向に進み始めた。
「ちょ、ええっ!?」
猫たちの猛アタックが始まったのだ。
数匹の猫が一斉に彩菜の足元にすりすりをし始めたかと思うと。
ある猫は彩菜の膝の上にぴょーんと飛び乗り、さらにもう一匹も飛び乗って狭い膝の上を押し合いへし合いおしくら饅頭をし始めたあげく、2匹ともそのまま彩菜の膝の上で丸まってしまう。
さらにソファやローテーブルの上にも大量の猫たちが登ってきて、彩菜に「にゃーにゃー」と撫でて撫でてアピールをし始めたのだ。
「はいはい、順番んだからね」
それを彩菜は片っ端から優しく撫でていった。
にゃーにゃー!
「あ、うん、よしよーし。いい子だね~」
にゃーにゃー!
「はいはい君もいい子ねー」
にゃーにゃー!
「うぅ、なんか大変なことになってるんだけど……はい、いい子いい子」
「あはは、彩菜は大人気だね」
「いっぱい甘えてもらって嬉しいことは嬉しいんだけど。でもでも、撫でても撫でても追いつかいんだけど……」
予想外すぎる展開についていけず目を白黒させる彩菜を見て、僕はほっこり幸せな気分になる。
「だねぇ」
一応、僕も彩菜の隣に座っていたので、猫たちを撫でるのに協力していたんだけど。
それでもとても全部を捌ききれそうな気配はなかった。
「っていうか君は多分もう3周目だよね? さっきも撫でてあげたよね? その特徴的な目元の黒ブチは覚えがあるよ?」
にゃにゃ?
可愛らしく目を見開いて小首をかしげる黒ブチ猫を、けれど彩菜はしょうがないなぁといった様子で撫でてあげるのだった。