翌朝、僕はいつものように予鈴ギリギリに登校した。
高校で唯一の友人である柴田君は朝は集中力が増して筆が乗るらしく、ずっと席に座ってスマホで執筆するのが日課だ。
だから彼以外に友だちがいない僕は、教室についても何もすることがなく一人で惨めに座っているしかない。
その時間を限りなくゼロにするために、僕は予鈴ギリギリに登校するのがデフォになっていた。
ちょうどおあつらえ向きに、予鈴が鳴るギリギリに教室に入れるいい電車があるんだよね。
その電車に乗るとギリギリに登校できるから、代々うちの高校の生徒の間では「ギリ電」と呼ばれている。
ちなみに1つ前の電車は普通の時間につくから「フツ電」、さらにその前は早く着くから「ハヤ電」だ。
ついでにギリ電の1個後は遅刻確定なので「チコ電」と呼ばれていた。
ハヤ電→フツ電→ギリ電→チコ電の順番ね。
それはそうとして。
今日もギリ電に乗って予鈴ギリギリに登校した僕は、教室に入る時に蚊の鳴くような小さな声で申し訳程度に、
「おはよ~」
と挨拶をした。
そしていつものように誰からも返事がない中を、自分の席に向かって歩いていったんだけど――、
「おはよう、佐々木くん」
どうしてだか、西沢さんが僕に近づいてきて挨拶をしてきたのだ。
(え? 僕?)
あまりに唐突な西沢さんからの朝の声掛け。
このクラスに「佐々木くん」は僕しかいないので、聞き間違いじゃなければ僕に挨拶したのは間違いない。
「あ、えと、西沢さん、お、おはよう……」
しかし、である。
なんの気まぐれか、それともたまたまなのか。
はたまた西沢さんの今日のラッキーアイテムが「佐々木くん」だったのか。
理由は分からないけど、せっかく学園のアイドルである西沢さんが下層カースト民の僕なんかにお声がけしてくださったというのに、僕ときたら緊張しちゃって小さな消え入りそうな声で絞り出すようにぼそぼそっと返事をするしかできなかったのだ。
だってこんなの全然想像してなかったんだもん。
学園のアイドルの西沢さんがだよ?
毎朝の日課のお友達グループでのおしゃべりを中断して、わざわざ僕の近くまで来て挨拶をしてくれたんだよ?
こんなことが起きるなんて、想像も想定もしてるわけないじゃん!?
突発イベントの発生に全く対応できず、超がつくほどダサダサすぎて内心辛かったんだけど、それがまたダメな僕らしいと自分で納得できるのがまた辛かった。
自分で言うのもなんだけどさ……。
「あの、佐々木くん。昨日は――」
キーンコーンカーンコーン。
西沢さんが挨拶の後になにか言いかけたところで予鈴が鳴った。
僕は今日もギリギリで登校しているので、これはまぁ当然と言えば当然だ。
「えっとごめん、予鈴でよく聞こえなくて――」
「ううん、なんでもないの。ごめんね、朝の忙しい時に貴重な時間を取らせちゃって」
そう言うと、西沢さんはぺこりと頭を下げてから自分の席へと戻っていった。
「えっと、いったい何だったんだろう……?」
疑問に思いながら席に座ると――ふと、教室中の視線が僕に向いていることに気が付いた。
「ねぇねぇなに今の?」
「西沢さんから佐々木に声かけてなかった?」
「え、佐々木と西沢さんって仲いいの?」
「ははっ、まさか。ないない」
「てかあいつ佐々木っていうんだ」
「おいおいクラスメイトの名前くらい知っとけよ。俺も知らんかったけどw」
ざわざわとそんな会話が聞こえてくる。
だよね。
そうだよね。
男子は苦手と公言している西沢さんが、下層カースト男子の僕なんかにグループのおしゃべりを中断してまで声をかけに言ったんだもん。
そりゃあ何事かとみんな気になるよね。
もはやクラスの一大事だよね。
だから僕は肩をすぼませて小さくなり、視線を落としてひたすら自分の机とにらめっこしながら、担任の先生が来るまでの針のむしろのような時間を耐え忍んだのだった。
ちなみに僕の唯一の友人たる柴田君はというと、
「やっべ、今のやっべ! きちゃったよ、マジ降りてきちゃったよ! インスピレーションがもりもり湧いてきたぁ!」
とスマホに向かってなにやらガリガリと猛スピードで打ち込んでいた。
突然のイベント発生にWeb小説の着想でも得たんだろうけど、とりあえず彼に言いたいことは一つ。
西沢さんはザ・ヒロインだからいいとして、僕をモデルにするのだけは絶対にやめた方がいいと思う。
確かこの前、WEB小説に投稿した新作がランキング上位に載って読者が一気に増えたって喜んでたよね?
せっかく増えた読者が逃げちゃっても僕に責任はないからね?
とまぁ朝一でそんなことがあり。
それから朝のホームルームが終わって、授業が始まったんだけど――。
(な、なんとなく西沢さんが僕を見ている気がする……)
休み時間とか特にそうで、目が合ったりまでしちゃった気がするのだ。
もちろん気がするだけだ。
僕ももう高校生になって自分の容姿や人付き合いの下手さ、学校内での立ち位置やらをそれなりに理解できてしまっている。
なので西沢さんが僕のことを見ているなどと考えるほど、自意識過剰ではなかった。
さっきも目が合ってふんわり優しく微笑まれた気がしたけど、多分僕の斜め後ろのあたりで集まって昨日のドラマについて「エモい」「ヤバイ」「勝たん」ととても楽しそうに盛り上がっている、カースト1軍のイケメン君でも見ていたんだろう。
抜群のイケメンっぷりに加えて入部早々いきなりサッカー部のレギュラーを獲ってみせた彼は有無を言わさぬカースト1軍のリーダーであり、なので女子からの人気も極めて高い。
だから男子が苦手という西沢さんであっても、そんな彼にはついつい視線を向けてしまうのも納得できる話だった。
逆にここで僕がにっこり微笑み返しちゃったりすると、「勘違い君」として卒業まで延々とネタにされて笑われかねない。
実際には心優しい天使のような西沢さんはそんなことはしないんだろうけど、だからこそそんな西沢さんに勘違い系のイタイ男子と思われるのは遠慮したい僕だった。
せめて普通の底辺男子として認識してもらいたい。
あと目が合うってことは僕が西沢さんを時々チラ見していることが西沢さん本人にバレてしまっているわけで、これは大変よろしくないことだよね。
時々チラ見するくらいとはいえ、僕なんかに見られているとわかったら西沢さんもいい気はしないだろう。
女子は視線に敏感だって深夜アニメのヒロインもよく言ってるし。
しばらくは西沢さんを見ないように気を付けるようにしよう。
僕は同じクラスということもあって自然と目が向いてしまう時以外は、極力西沢さんを見ないように心がけることにした。
そして今日の授業を全部終えた帰り際。
「佐々木くん、また明日ね。バイバイ」
僕は朝と同じように、西沢さんから声をかけられたのだ。
そして軽く手まで振りながらふんわり優しい笑顔で言ってくれた西沢さんに、僕は緊張で完全にテンパってしまって、
「ば、バイバイ西沢さん」
とぼそぼそ情けなく答えたのだった。
(なんかもう死んじゃいそう……声をかけてもらえて嬉しくて死にそうなのと、せっかくの機会にボソボソとしか返せない陰キャな自分が辛すぎて死んじゃいそう……)
それにしても、だ。
まさか朝だけでなく帰りまで西沢さんから挨拶してもらえるだなんて、今日の僕は人生の運気というものを全部費やしてしまってるんじゃないだろうか?
明日から一気に反動が来そうでちょっと怖いかも。
事件や事故に巻き込まれないように少し注意をしておこう。
「でもどうして西沢さんが僕なんかに挨拶してくれたんだろう?」
帰り道やお風呂の中でずっとその理由を考えていたんだけれど。
残念ながら全く思い当たる節があるどころか、あの時偶然すれ違った以外に僕と西沢さんにはまともな接点すらなく。
いくら考えてもこの問いに答えが出ることはなかった。
そしてその次の日も、
「佐々木くんおはよう。今日は朝からあったかいね」
僕が登校すると西沢さんが笑顔で挨拶をしてくれた。
どころかあの日以来、西沢さんは毎日僕に挨拶をしてくれるようになったのだ。
突然始まった朝夕2回の挨拶タイム。
「西沢さんおはよう。だよね、暖かいよね」
何度も失敗を繰り返して、ようやく僕も普通に挨拶を返せるようになった――と思う、多分、気がする、きっと。
いやまぁ挨拶を返すだけなんだけどね?
「佐々木くんおはよう」
って言われたら、
「おはよう西沢さん」
って返して。
「佐々木くんまた明日ね」
って言われたら、
「ばいばい西沢さん」
って言って。
「あったかいよね」
って微笑まれたら、
「だよね、暖かいよね」
っておうむ返しに答えるだけなんだけどね?
もしクラスカースト1軍メンバーが聞いたら大爆笑すること間違いなしだろう。
それでも僕にとってはこれだけでも、ものすごい勇気のいることだったんだ。
そして挨拶以外にも、やっぱり西沢さんが最近よく僕を見ている気がした。
いらぬ誤解を招かないようになるべく視線を合わせないようにしているから、そんな気がするだけなんだけど。
それでも時々ふと視線が合っちゃうんだよね。
西沢さんはそのたびに、優しい笑顔で僕なんかにこっと笑いかけてくれるのだった。
「こ、これってもしかして――!?」
そして僕はとある結論に思い至った。
この推理はかなりいい線行ってると思う。
「もしかして西沢さんは僕が通っていた中学に、好きな人がいるんじゃないかな?」
中学時代の僕のクラスメイトに一目ぼれして、だから僕に仲を取り持って欲しいとか?
それってすごくありそうじゃない?
この前西沢さんと偶然出会ったのは僕の地元、中学校の学区内だ。
だから西沢さんが、一目ぼれした相手がもしかしたら僕の知り合いかもしれないと思って、そうだったら紹介して欲しいと思ってる――とかあっても全然不思議じゃないもんね。
え?
西沢さんが僕に好意があるかもって?
あはは、ないない、それはないから。
西沢さんが底辺陰キャの僕なんかを好きになる理由はゼロ、どころかマイナスだもん。
絶対零度-273.15℃って感じ。
何度も言うけど僕と西沢さんは、そもそもからして接点すらないんだ。
もし仮に、万が一天文学的な確率でそんな地球外知的生命体が地球にやってくるレベルの奇跡が起こったとしたら。
僕は全裸で逆立ちしてグラウンド一周してあげてもいいよ。
賭けてもいい、絶対にそれだけはないから。
まぁ、そもそも逆立ちからしてできないんだけどね。
そう言えばこんなこともあったっけか。
「ねぇ佐々木くん、5時間目の社会は移動教室で視聴覚室に行くでしょ? さっき社会の小島先生に次の授業で使うプリントを視聴覚室まで持って行って欲しいって言われたんだけど、手伝ってもらえないかな?」
「え、僕? えっと……」
大好物のヤマザキの「大きなハム&たまご」と「アップルパイ」を食べ終えて、お昼休みに静かに一人でスマホを弄っていた(唯一の友人である柴田くんは昼休みはいつも文芸部に行っている)時に突然言われたこともあって、僕はあからさまにきょどってしまう。
「誰か男子に手伝ってもらうようにって言われたんだけど、わたしあまり仲のいい男子がいなかったから困ってたの。ダメかな?」
そんなビクついてしまった情けない僕に、だけど西沢さんは優しく笑いかけてくれるのだ。
「そ、そうなんだ」
「ごめんなさい、もしかして今って忙しかった? 誰かと連絡中だったり?」
「ううん全然、暇だから大丈夫。任せて」
西沢さんに頼まれごとをされて嫌と答える男子がいるだろうか?
いいや、そんな男子は存在しない。
そして僕は男子だった。
僕はすぐに立ち上がると、授業の用意をもって西沢さんと一緒に職員室に向かった。
職員室に向かったボクと西沢さんは、
「佐々木が手伝ってくれるのか。悪いけど2人で頼んだぞ」
すぐに大量のプリントを手渡された。
両手でプリントを抱えながら西沢さんと一緒に視聴覚室に運ぶ途中、なんとなく2人で会話をする。
「ごめんね佐々木くん、急に手伝ってもらって」
「ううん、そもそも西沢さんだって先生に頼まれたんだし。それに僕の方こそ男なのにあまりたくさん持てなくて申し訳ないっていうか……」
「全然そんなことないし。わたしよりいっぱい持ってるし」
「まぁ、ちょっとだけね」
悲しいかな、中学からずっと帰宅部で貧弱極まりない僕は、腕力も同年代男子の平均に大きく劣っている。
そのため西沢さんより気持ち多めに持つくらいしかできなかったのだ。
(西沢さんと二人きりっていう滅多にない機会に、少しはいいところを見せたかったんだけどなぁ)
いかんせん視聴覚室は別棟の3階にあって職員室から結構遠かったので、無理はできなかった。
ほんと自分で自分が情けない。
(でもこの前スイカを無理して持って大変だったからなぁ……経験は生かさないと……)
内心そんなことを考えていた僕に、西沢さんは相変わらずの柔らかそうな笑顔で会話を続けてくる。
心なし、並んで歩く距離がさっきより近いような?
「そう言えばこうやって佐々木くんと話すのって初めてだよね」
「あ、うん。そうだね」
「佐々木くんって物静かで一人でいることが多いもんね、孤高って言うのかな。でも話してみたら結構普通で安心したかも。えへへ」
「そ、そう?」
物は言いようってやつだね。
ぼっちも裏を返せば孤高ってことになるのかな?
って、なるわけないよね、うん。
さすが天使と呼ばれる西沢さんだ、僕を傷つけないための優しい配慮が随所に感じられるよ。
「あ、そうだ。なにか困ったことがあったら言ってね。今日のお礼に今度はわたしが佐々木くんのお手伝いするから」
「ありがとう西沢さん、なにかあったらその時は西沢さんに頼みに行くね」
もちろんそうは言っても僕ももう高校生なので、西沢さんの社交辞令を真に受けたりはしない。
そもそもの話、西沢さんだって先生にお手伝いを頼まれただけなのだ。
先生に頼まれたことをクラスメイトの僕が手伝っただけなのに、それでお礼もなにもないだろう。
というかもし真に受けて下手に西沢さんになにか手伝わせようものなら、僕は間違いなくクラス中のヘイトを一身に集めることになる。
底辺男子が何様のつもりだ、身の程を知れってね。
僕にそんな無謀な勇気があるはずもなかった。
そうして、なんとなく西沢さんに認知されてきた感がある日々が1週間ほど続いたお昼休み。
今日のお昼は学食でわかめうどんを食べた僕が教室に戻ってくると、
(あれ? なんだろ? 手紙?)
僕は自分の机の中に一通の手紙が入っていることに気が付いた。
なにげなく手紙を取り出しかけて、だけど僕は即座に机の中に突っ込み返した。
だって、だって――!
ピンク色の可愛らしい封筒は、どこからどう見ても女の子からのラ、ラ、ラ、ラブレターだったんだもん!!
(だ、誰にも見られてないよね!?)
僕はそれとなく周囲に視線を送ったんだけど、そもそも好んで僕を見ている人間はいないということにすぐに思い至る。
あ、でもなぜか西沢さんと目が合ったような?
しかもにこっと微笑まれたような?
えっ!?
まさか西沢さんが僕にラブレターを!?
うん、ないね。
100%ないね。
ありえない妄想はやめよう。
さすがにこの妄想は痛々しいを通り越して、もはや西沢さんに失礼まである。
僕と西沢さんに挨拶以外の接点はほぼない。
しいて言うならこの前の移動教室の時にプリントを運ぶ手伝いをしたくらいだ。
ってことはだ。
僕が挙動不審だったのをたまたま偶然見てしまった西沢さんが、なんとなく視線を向けてきたのだろう。
あ、もしかしてラブレターを取り出しかけた瞬間を西沢さんに見られてたのかな?
僕がラブレターを貰ってたことをイチイチ言いふらしはしないだろうけど、ちょっと恥ずかしいかも。
すぐに確認したかったんだけど、そろそろチャイムが鳴る時間だった。
教室は人の目があるのでラブレター――かもしれない手紙はひとまずこのまま机の中に隠しておいて。5時間目の後の休み時間に、誰もいない場所でこっそり確認することにする。
(お、落ち着け、落ち着くんだ僕……とりあえず今は考えても仕方がない。授業に集中しよう)
そう思ったものの。
差出人が誰なのかとか、本当にラブレターなのかとか、なんで僕なんだろうとか。
そういったことをあれこれ考えてしまったせいで、5時間目の古文の授業で何をやったかは全く覚えていなかった。
「ほ、本当にラブレターだった……!」
5時間目が終わってすぐ。
僕はダッシュで多目的ホール脇にあるほとんど誰も来ない階段下の小さな物置きスペースに行くと、ピンク色の可愛らしい封書に入った手紙をいそいそと開封した。
すると!
中身はなんと本物のラブレターだったんだ……!
「ほ、本当にラブレターだった……」
あまりに非現実的な事実を確かめるようにもう一度呟きながら、改めて文面を見る。
そこには女の子らしい丸くて可愛い綺麗な字で、
『伝えたいことがあります。放課後、屋上に来てくれると嬉しいです』とだけ書かれていた。
「この可愛い封筒にこの文面。これで伝えたいことって言ったらどう考えても告白だよね? あれ、でも肝心の差出人の名前がないなぁ。せめてイニシャルくらい書いてあったら絞り込めたのに」
封筒の内側までじっくり探してみたんだけど、差出人を特定できるような情報は一切書かれてはいなかった。
――と、そこまで考えて僕はとある考えに行きついてしまった。
「もしかして喜んでノコノコ屋上まで行ったら『残念! 実はドッキリでした!』って笑われちゃうパターン!?」
うわっ、ありえる。
というかむしろそれしかない気がする。
だって僕だよ?
身長165センチで、帰宅部のもやしで、全然ちっともイケメンでもなくて。
しかも友達もほとんどいなくて、スイカを運んだだけで腕が悲鳴を上げてしまう、自分で言うのもなんだけど魅力ゼロの男子高校生・佐々木直人だよ?
しかもだ。
最近西沢さんに挨拶されるようになったことで、僕はクラスで変に目立ってしまっている。
カースト1軍のメンバーたちが、急に目立ち始めた僕に目を付けた可能性は否定できなかった。
陰キャのくせにちょっと調子に乗ってると思われているかもしれない。
「でもだよ? もしこれがドッキリじゃなくて本当のラブレターだったら、酷いことしたことになるよね……」
僕が行かなければその子の気持ちを無視することになるかもしれない。
「せっかく奇跡的に僕のことを好きになってくれた女の子がいるかもしれないっていうのに、そんな女の子に酷いことするのは嫌だなぁ……でも高確率でドッキリだもんなぁ……」
極めて高い確率でドッキリで、勘違い系男子くんになって笑われてしまうか。
天文学的な確率で実は本当にラブレターで、せっかく手紙をくれた女の子の気持ちを無視して傷つける最低男になり下がるか。
「ううっ、どうしよう?」
選択肢は2つに1つ。
行くか、行かないか。
極めてシンプルだ。
そして放課後まで残された6時間目の数学の時間を丸々使ってその2つを天秤にかけて考え抜いた結果。
僕は今日の放課後に屋上に行くことを決めたのだった。
「そうだよ。仮に僕が勘違い男子くんと馬鹿にされても、それでその後いじめられるようになるとか、そんなひどい扱いは受けないはずだ。だってそもそも僕にはそこまでするだけの価値なんてないはずだから」
むしろ今回のドッキリ告白がきっかけでカースト1軍公認のピエロ系間抜けキャラとして、取り巻きの下っ端Aくらいには認知されるようになるかも?
それはそれで友達もできるかもだし、クラスの女の子も僕という男子を認識してくれるようになるかもしれない。
ほとんど友達がいないまま空気のように卒業するよりは、ピエロとしてでも認知してもらうのは有りと言えば有りなんじゃないかな?
おや?
そう考えるとどっちに転んでも負けない試合な気がしてきたぞ?
悲しいけど、僕はその他大勢の平凡男子(もしくは平凡以下男子)なんだよね。
だったら気負う必要なんてないはずだ。
だから僕は放課後、屋上に行くことにしたんだけれど――。
「ああ、足が重い、心も重い。帰りたい……」
屋上に近づくにつれて階段を上る僕の足はどんどんと歩みを遅めていった。
「確かに友達ができるきっかけにはなるかもしれないけど、やっぱり笑われるのは嫌だもんなぁ……話は速攻でクラス中に広まるだろうし、明日学校休んじゃうかも……」
だけどいくら歩みを遅めても、足を止めない限り屋上は少しずつ僕に近づいてくるわけで。
そうして無駄に時間を浪費しながら、ちんたらちんたらと階段を全部上りきった後。
屋上の扉に手をかけようとして――でもやっぱりやめて、ってのをなんどか繰り返してから。
「はぁ……行こう……」
僕はついに観念して屋上の扉に手をかけた。
なんとか階段を上り切り、ためらいの末に屋上へと続く扉を開けると――そこにはなぜか西沢さんの姿があった。
「え、あれ……? 西沢さん?」
苗字が同じだけの別人ではなく、同じクラスで学園のアイドルと呼ばれて人気の西沢彩菜さんだ。
春の終わりに吹く、5月を先取りしたかのような爽やかな風に揺れる髪をそっと左手で抑える姿は、まるで人気アイドルが主演を務める学園ものドラマの1シーンのようだった。
割とどこにでもあるような没個性な高校指定のブレザー制服までもが、まるで特別に仕立てられた女優の衣装のようにすら思えてしまう――。
いやいや。
今は西沢さんがいかに美少女なのかという脳内説明会をやってる場合じゃなくて。
(うわっ、まさか西沢さんも告白タイムだったり!?)
僕と西沢さんの告白が運悪く被っちゃったの!?
学園一の美少女と名高い西沢さんは同級生から先輩まで、果ては他校の生徒からもそれはもうよく告白されているという話だ(そしてそれを全部お断りしているらしい)。
人がほとんど来ない屋上は告白にはうってつけのスポットだろうし、西沢さんの告白タイムとかち合っても全然不思議じゃないんだよね。
「うん、僕はいったん撤退しよう」
さっきまでの重い足取りが嘘のように、僕は速やかに回れ右をしようとして――。
しかし運が悪いことに、扉が開く音に反応した西沢さんとバッチリ目が合ってしまったのだった。
「ぁ――」
僕の顔を見て西沢さんが驚いたように目を見開く。
そして僕も蛇に睨まれたカエルのごとく、完全に固まってしまっていた。
(うわっ、これ最悪じゃない?)
まさか僕がラブレターを貰ってここに来たなんて西沢さんは思ってもみないだろうし、西沢さんの後をつけてのぞき見してたって思われたかも。
下手したらストーカーと思われてるんじゃないかな?
(だとしたら終わった、僕の高校生活……)
全然接点は無くても毎日同じクラスで西沢さんの顔を見られるだけで幸せだったっていうのに、変態覗き魔ストーカーと思われて嫌われてしまったら僕もうやっていけないよ……。
それに西沢さんがもし誰かに喋ったら速攻でクラス中に話が広がるだろう。
そうしたら僕は文句なしのぶっちぎりのカースト最下位に転落してしまう。
学園のアイドル西沢彩菜をストーカーした底辺男子なんて悪評が広まったら、誰も僕に関わろうとはしなくなる。
ガチぼっち佐々木直人の高校生活がスタートする瞬間だ。
入学からまだ1カ月も経ってないのに。
僕は迫りくる悪夢の高校生活に震えおののきながら、とりあえずこのまま固まってるのは本気でマズいと思って屋上から逃げ去ろうとしたんだけど、
「佐々木くん、手紙を読んでくれたんだね、来てくれてありがとう」
西沢さんの口からは、そんな信じられない言葉が告げられたんだ――!
すぐに僕は周りをキョロキョロと見回した。
なんのためかって?
もちろん「西沢さんから手紙を渡されたササキクン」なる幸運の女神に投げキッスされたラッキー男子がいないかどうかを確認するためだ。
だけどいくら探しても屋上には僕と西沢さんの他には誰もいなかった。
念のためにボクの後ろ、階段側も確認してみたけれど、そっちも無人でただ校内へと続く階段があるだけだ。
はてさて、これは一体どういうことなのだろうか?
「西沢さんから手紙を渡されたササキクン」とはもしかして僕、佐々木直人を指していたりするのだろうか?
ははっ、まさかね。
ないない。
天地が翻ってもそれだけはない。
だって僕だもん。
しかも相手はあの学園のアイドル西沢さんなんだよ?
映画の「美女と野獣」じゃないんだからさ。
世の中には「分不相応」という言葉がある。
学園のアイドルと陰キャ男子がその「分不相応」であることを、僕は正しく理解していた。
「えっと、佐々木直人くんだよね?」
そんな風に僕が黙ったままきょろきょろと挙動不審な行為をとっていたからか。
西沢さんがちょっと困ったように僕に声をかけてきた。
ちょっとだけ上目づかいなのが小猫が甘えて見上げてくるって感じで、うっ、すごく可愛い……。
ヤバイ、さすが学園のアイドルだ。
この特別な表情が見れただけで、ストーカーって思われて高校生活を棒に振ってもいいかも。
……いや、さすがによくはないね。
「あの、佐々木くん?」
「あ、はい、僕が佐々木です」
西沢さんから三度尋ねられて、このまま黙って無視してはいけないと思い、僕は返事をしたんだけれど――。
どう考えても間抜けすぎる返事で、なんかもうダサすぎて泣きそうだった。
なにが「あ、はい、僕が佐々木です」だ。
初対面の相手に自己紹介をしてるんじゃないんだぞ。
「もうびっくりさせないでよぉ。声をかけても黙ってるから『あれ? 実は双子のお兄さん?』とか思っちゃったじゃない」
「ごめん、屋上に来たら西沢さんがいたからビックリしちゃって」
「ええっと? 佐々木くんは手紙を読んだから来てくれたんだよね?」
「読んだんだけど、差出人の名前がなかったから誰からもらったかはわからなくて。それで屋上に来たら西沢さんがいたからビックリしたんだよ」
「え、うそっ、わたし名前書いてなかったの!?」
右手を口に当てて隠しながら、西沢さんが盛大に驚いた。
「うん。放課後、屋上に来てくださいとだけしか書いてなかったかな」
どこかに名前が書いてないかと隅から隅まで、それこそ封筒の内側までチェックしたからそれは間違いない。
「ごめんなさい。てっきりわたしからの手紙だとわかって来てくれたんだとばかり……ううっ、わたしって昔から結構ドジなんだよね……中学の時にテストの答えが途中から1個ズレてたこともあってね……」
西沢さんが焦ったように早口で謝ってくる。
顔だけでなく耳まで真っ赤になっていた。
(ああもう、申し訳なさそうな顔の西沢さんもすごく可愛いなぁ)
「別にそれは全然いいんだ。でもテストはちゃんと確認しなきゃだね。入試の時にやっちゃったら大変だし」
「おばあちゃんにも同じこと言われちゃったから、それ以来テストの時は解答欄に気を付けるようにしてるの」
おばあちゃん?
お父さんかお母さんじゃなくて?
おっとこれは西沢さんのマル秘情報をゲットしちゃったかな?
どうも西沢さんはおばあちゃんっ子らしかった。
「えーと、それで話っていうのは? わざわざ呼び出すってことは大事な話なんだよね?」
パーフェクト美少女だと思っていた西沢さんの意外なドジっ子属性を知ったことで、僕は急に親近感みたいなものを感じてしまう。
おかげで緊張が少しだけほぐれた僕は、学園のアイドルの西沢さんと話しているっていうのに割と自然な感じで言葉が出るようになっていた。
クラスの女子と事務的なやりとりをする時すら緊張しちゃう僕だっていうのに、人間の心ってほんと不思議だよね。
「えっと……」
けれど西沢さんはそこで急に黙り込んでしまったのだ。
しかも顔はさっきよりもさらに真っ赤になっていて、もう首や耳まで真っ赤っ赤だ。
でも一体どうしたっていうんだろう?
そんなに言いにくい話なのかな?
今まで移動教室の時にちょっと話したことがあるくらいで、僕と西沢さんはろくに話したことがない。
そんな僕を相手に、西沢さんはいったいどんな大事な話があるって言うんだろうか?
そもそも僕にどうにかできる話なのかな?
「えっと、西沢さんは僕に話があったんだよね?」
「うん……あのね……だからその……」
西沢さんが制服の袖をギュッと握った右手を胸に当てて、まっ赤な顔で上目づかいで僕を見つめてくる。
その姿はまるで今から告白でもしようとするかのようだった。
「うん」
だから僕も、西沢さんの大事な話とやらを一言たりとも聞き洩らさないようにと、腹筋と背筋に力を入れてピンと背筋を伸ばす。
そしてそのままお互い真剣な雰囲気でしばらく無言で見つめ合ってから、西沢さんは言ったんだ、
「佐々木くんのことが好きです! 付き合ってください!」
――って!
普段のおしとやかな姿からは想像できないくらいに大きな声でエイやと言った西沢さんは、勢いそのままガバッと大きく身体を曲げるとお願いするように頭を下げた。
そして僕はこの瞬間に確信をした。
(ああこれはドッキリだな)
いくら学校カーストの底辺をうろつく僕とはいえ、まさか西沢さんが本当に僕のことを好きだとか、そんなありえない妄想をするほど馬鹿ではないのだ。
でも西沢さんがこんな茶番を率先して企画するわけがないから、強引に告白役をやらされちゃったに違いない。
人のいい西沢さんのことだ、きっと断り切れなかったんだろう。
となれば西沢さんの名誉のためにも、ここはちゃんと告白にOKして勘違い系男子くんになるところまで、僕は僕に科せられたロールプレイを全うするべきだろう。
それと正直なところ、嘘でもいいから西沢さんに告白されたことに、すごく舞い上がっちゃってる自分がいた。
嘘だとわかっていても胸はドキドキと高鳴っちゃってるし。
自分の顔が嬉しさのあまりにやけてしまっているのもわかっている。
だってアイドルみたいに可愛い女の子から告白されて、舞い上がらない底辺男子高校生なんていないでしょ?
西沢さんってばほんとに可愛いんだもの。
それに、だ。
少なくとも今回の件で、僕は西沢さんに僕って人間を知ってもらえたのだ。
これからは西沢さんと時々話したりしちゃうかもだし、みんなで遊びに行ったりする時についでで僕も誘ってもらえるようになるかもしれない。
友達がたった1人しかいない現状の高校生活と比べたら、それはとても魅力的なことのように僕には思えた。
だから僕は答えた、
「いいよ、僕みたいなのでよかったら喜んで付き合うよ」
――と。
「ほんと? よかったぁ……」
僕の返事を聞いてほっと安心したように頭をあげた西沢さんの目には、うっすらと涙が溜まっていた。
感極まったって感じのその表情に、ううっ、本格的にドキドキしてきた……思わず本気の告白だと勘違いしそうになっちゃうよ。
こんなに可愛くて優しくておしとやかで男女問わず好かれてる西沢さんと、こうやって話すことができたのだ。
引力1/6で高く跳ねる月のウサギごとく、心がぴょんぴょんしてきたなぁ……。
「…………」
そんなことを考えながら僕は待っていた、物陰からクラスメイト達が出てくるのを。
おそらく1軍メンバーあたりが「ウェーイ!」とはやし立てるように出てくるに違いない。
そこで僕は、ドッキリも見抜けずに分不相応にも西沢さんから本気で告白されたと勘ちがいした情けないピエロとして振る舞うことで、彼らからピエロ佐々木として認知してもらうのだ。
さぁ早く来い。
心の準備は――うんまぁなんとかできてると思う。
帰ったら多分泣くけど、それでも心構えができてる分だけ明日はちゃんと学校にこれる程度だと思うから。
それに照れる西沢さんやドジっ子な西沢さんを見ることができたし、それだけでも下層カースト男子には大きすぎるご褒美じゃないだろうか。
というか2人っきりで西沢さんと告白ごっこをしちゃったってすごくない?
そういうわけだったので、もはや僕に思い残すことはなかった。
だからさぁ早くネタばらしカモン!
最後に大げさに驚いて笑われるところまでが僕の役目だ!
だって言うのに。
「…………」
あれ?
ウェーイ!が来ないね?
ドッキリのタイミングが遅いんだけど、なにしてるのかな?
「…………」
ううっ、まだ?
西沢さんが僕をうるんだ瞳で見つめているんだけど?
「…………」
ねぇまだ? まだ出てこないの?
さすがにちょっと遅くない?
段取り悪いよ?
この状況でどうしたらいいかなんて僕まったくわからないから早くしてよね?
僕はドッキリのネタばらしを待って、なにをするでもなくその場にたたずんでいた。
「じゃあ佐々木くん、今日は一緒に帰ろうね。佐々木くんとお話しして佐々木くんのこともっと知りたいの」
「えっ!?」
だからボクは西沢さんにそう言われて、ひどく驚いてしまったのだ。
「えっ、って何か変だったかな? せっかくカップルになれたんだから、一緒に帰ろうって思ったんだけど。あ、もしかして佐々木くんは一緒に帰ったりとか学校でべたべたするのは、あまり好きじゃなかったりする?」
「特にそういうわけじゃないけど」
「良かったぁ。えっと、この前ネットで見たんだけどね。男の人って他の人に見られる場所でべたべたするのを嫌がる人もいるから要注意ってあったの」
「えーと、僕はそこまでは気にしないかな? 行き過ぎると恥ずかしいかもだけど。そもそも僕なんかを好きになってくれるんだったら、なるべく僕の方から相手の女の子にやり方に合わせようかなってって思うだろうし」
ぶっちゃけ冴えない底辺男子に、偉そうに女の子の行動を縛る権利などありはしない。
選ばれないには選ばれない理由があるわけで。
だからもしそんな僕を好きだと言ってくれる女の子がいるのなら。
自分を曲げて相手の好みに合わせることに何のためらいもありはしなかった。
むしろ率先して自分を変えて、相手の女の子の好きなタイプになろうと頑張ろうとか思うはずだ。
「えへへ、佐々木くんってやっぱり優しい人なんだね」
僕の答えを聞いた西沢さんが柔らかくはにかむ。
その表情は僕の貧相なボキャブラリーでは表現しきれないほどに、それはもう可愛くて可愛くてしょうがなかったんだけれど。
でも僕にはいい加減、聞かなければならないことがあったのだ。
「あの、西沢さん。さっきカップルって言ったけど、えっと、これってドッキリじゃなかったの?」
僕はイマイチ頭の中が整理できないままで、ややしどろもどろになりながら西沢さんに問いかけた。
「ドッキリ? ってなんの話? テレビのバラエティ番組? わたしあんまりバラエティって見ないんだよね。あ、よかったら佐々木くんがどんなテレビを好きなのか教えてくれないかな? わたしも見てみるから」
「ええっと、テレビの話じゃなくて」
「じゃあなんの話なの?」
「だからえっと、西沢さんが僕に告白したことがドッキリだったんじゃないのかな、ってことなんだけど……」
「? なんで? 違うよ?」
西沢さんが不思議そうな顔で、こてんと可愛らしく小首を傾げた。
「……えええっ!? だって西沢さんが僕なんかに告白するなんてありえないでしょ!? だからもうこれはドッキリだなって思ってたんだけど」
(ドッキリじゃない!? じゃ、じゃあ一体どういうことなの!?)
僕の頭は激しく混乱していた。
(だって、だって……えええええええええええっっっっっくぁwせdrftgyふじこlp!!!!????)
「ふえっ、もしかして佐々木くんは嘘の告白だと思ってたの? じゃあOKしてくれたのも嘘ってこと? 酷いよ佐々木くん、わたし一生懸命告白したのに……」
西沢さんが笑顔から一転、泣きそうな顔に早変わりした。
目元にうっすらと光るものが見える。
西沢さんの涙だ。
「ち、違うんだ西沢さん! いや違わないんだけど、西沢さんに告白されてOKした気持ちは本気だったから! すごく嬉しかったし、ぶっちゃけ舞い上がっちゃってたから!」
「じゃあなんでドッキリだなんて思ったりしたの……?」
「それは、だから……だって理由がわからなかったから」
「理由って?」
「美人でおしとやかではにかむように笑う笑顔が本当に素敵で、学園のアイドルって言われて人気のある西沢さんが、僕みたいな何の変哲もない冴えない男子に告白する理由が思いつかなかったから。だからドッキリだと思ったんだ」
僕は超早口でまくし立てるように、なぜそう思ったのかを西沢さんに説明した。
必死だった。人生で一番必死だった。
合格がやや微妙なラインだった高校受験直前でも、こんなに必死だったことはなかったと思う。
それもこれも全ては、ただただ西沢さんをこれ以上悲しませたくなかったからだ。