「今日はステーキよ」
西沢さんのお母さんにそう言われて、
「えっとあの、すみません、僕のためにステーキなんかを用意してもらって」
僕はつい恐縮してしまった。
「ふふっ、遠慮しないでいいのよ? ちょうどふるさと納税の返礼品でお肉が届いたところだったんだから」
「そうそう、結構量が多かったから食べきれるかなって心配だったんだよな。だから今日、佐々木くんが来てくれて助かったよ」
「だって。佐々木くん、いっぱい食べてね。はい、ナイフとフォーク」
「ありがとう西沢さん。それでは遠慮なくいただきます――――すごく柔らかくて美味しいです!」
「佐々木くんのお口に合って良かったわ」
「ははっ、母さん。ステーキを嫌いな男の子はいないさ」
「修さんも昔から大好きだったものね。覚えてる? 初めてのデートで特大ステーキをぺろりと平らげたの」
「もちろんさ。懐かしいな、食べっぷりがすごいって褒めてくれたよな」
「今だから言うんだけど、実はあの時、口ではそう言ったんだけどね。心の中ではこの人と結婚したら食費が大変なことになりそうだから、いい人そうだけどやめておこうかしらって思ってたのよね」
「な、なんだって!? 男らしさをアピールしたつもりが、まさかそんな風に思われていたなんて……」
「今となってはいい思い出よ。修さんのそういう時々抜けてるところも素敵だと思うわよ?」
「ちょっとお父さん、お母さん。せっかく佐々木くんが来てるのに、勝手に2人の恥ずかしい昔話で盛り上がらないでよね。わたしが恥ずかしいんだからね、もう」
「あらあら、彩菜に怒られちゃったわ」
「彩菜も年頃だもんなぁ」
その後は、西沢さんのお父さんとお母さんから色んなことを聞かれた。
「佐々木くんと彩菜は同じクラスになったことで付き合い始めたのかい?」
「ううん、最初は普通のクラスメイトだったんだけど、佐々木くんがおばあちゃんを助けてくれたことがあって、それがきっかけ」
ステーキを口に入れていた僕が飲み込んでから答えるよりも先に、西沢さんが説明をしてくれた。
「おや、佐々木くんはお義母さんと知り合いだったのかい?」
「いえ、住んでるところがたまたま近くでして。その日はたまたま水道工事があったからいつもの道が通れなくて、違うルートで家に帰ったんです。そうしたら転倒しているの偶然見かけたんです」
「買い物帰りにおばあちゃんがこけちゃったんだけど、その時にみんな見て見ぬふりをしてたのに、佐々木くんだけがすぐに大丈夫ですかって助けに来てくれたんだって。しかもおばあちゃんの家までスイカを運んでくれたんだよ、丸々1個!」
「へぇ、それはすごいな。人助けなんてなかなかできることじゃない。佐々木くんは偉いね」
「いえ、あの、実のところそこまでのものでは――」
「でしょ!? 佐々木くんはすごいんだもん! でね、それからちょっとずつ挨拶とかするようになって、付き合うことになったの」
僕の言葉に被せるように西沢さんが鼻息荒く言う。
ご両親は西沢さんの説明に笑顔でうんうん頷いているし、過大評価されているようで小心者な僕としてはやや心苦しかった。
何度も言うけどあの時の行動はおばあちゃんを助けないとって気持ちより、見捨てることで自分が嫌な思いをしたくないっていう、とても後ろ向きなものだったからだ。
(でももう状況的にとても言い出せない雰囲気……うん、これからは少しでも評価に追いつけるように頑張ろう)
「そう言えば毎日勉強会をしたって言ってたわよね? それも佐々木くんとだったのよね?」
「そーだよ。おかげで20位以内に入れたの。佐々木んも50位以内だったし。すごく集中して勉強できたんだから」
「そうかそうか、2人とも頑張ったんだな」
「いいわねぇ、彼氏と一緒に勉強会だなんて。青春だわ」
「憧れるよな。母さんとは大学で知り合ったんだけど、学部が違ったから一緒に勉強はしなかったもんなぁ」
「あら、私は高校の時に付き合ってた男の子と一緒に図書室で勉強会してたわよ?」
「な――っ」
「ふふっ、妬いちゃった?」
「まぁ……妬かないと言えば嘘になるかな」
「でも今は修さん、あなたにぞっこんだから安心してくださいな」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「だーかーら! お父さんとお母さんだけで、勝手に昔の話して盛り上がらないでってばぁ!」
「あはは――」
…………
……
そんな感じで西沢さんの家に招かれてご両親と晩ご飯を食べるという、超特大の場外ホームランな突発イベントは。
緊張しながらもつつがなく進み。
僕にしてはかなり話も弾んで、大きな失敗もすることなく無事に終了した。
食後のデザートにケーキまでご馳走になった後、僕は家の前で西沢さんにお見送りをしてもらっていた。
「ごめんね佐々木くん、お父さんとお母さんが自分たちの昔話ばっかりしちゃって。いつもはこんなんじゃないんだけど、娘が彼氏を連れてきたってことで、2人ともはしゃいじゃったみたい」
「あはは、全然気にしないで。西沢さんのご両親が明るくて話しやすい人で僕も楽しかったし」
「そう? だったら良かったんだけど」
ちょっとホッとしたような顔をする西沢さん。
そんなに心配しなくても大丈夫なのに。
結構心配性なのかな?
「雰囲気が西沢さんにすごく似てるなって感じて、まるで西沢さんが3人いたみたいだったから」
「……それって褒めてるの?」
「もちろんだよ?」
「ならいいんだけど」
あれ?
僕としては最大限に褒めたつもりだったんだけど。
「それにステーキもすごく美味しかったしね。僕、松坂牛なんて初めて食べたよ。噛まなくても飲み込めそうなくらい柔らかくて、本気でびっくりした」
「えへへ、実を言うとわたしも今日初めて食べたんだけど、すっご~~~く柔らかかったよね。もうなにこれ!って感じ。お肉が口の中で『ふわぁ~』ってとろけるんだもん」
「『ふわぁ~』だよね、わかる! あ、あとは西沢さんが小さい頃の秘蔵の話も聞けたのも良かったかな」
「うう~っ! お父さんもお母さんもわたしが中学校の遠足でお弁当忘れた話とか、ビアノの発表会でつまづいてこけた話とか、失敗した話ばっかりするんだもん。わたし恥ずかしくて泣きそうだったんだから……」
「子供の頃の話でしょ? もう時効だし、笑い話だと思うけど」
「笑い話じゃないもん、わたしの尊厳の問題だもん。アホの子だって思われて佐々木くんに嫌われたくないんだもん」
「だからそんなことで西沢さんを嫌いになったりしないってば」
「ほんと……?」
「ほんとほんと。むしろ僕が知らなかった西沢さんを知ることができて、今日はすごく嬉しかったんだから」
「えへへ……やっぱり佐々木くんは優しいね」
「また昔の話を聞かせてね、小学校の頃とかさ。あ、そうだ。6年生の修学旅行って西沢さんはどこ行ったの?」
「え、わたし? あの、わたしは……えっと、その……さ、佐々木くんは?」
「僕? 僕は伊勢神宮だったんだ。夫婦岩も見たし、最終日は奈良にも行って鹿にエサもあげたんだ」
「そ、そうなんだ」
「もうすごかったんだよ? 僕が鹿煎餅を取り出した途端に、鹿がいっせいに集まってきてさ。しかもあいつらってばガンガン頭突きをしてくるんだよ。それで僕が鹿煎餅を落としたら、もう僕なんかに見向きもせずに落ちたのを一斉に食べ出すんだもん」
「ええっ、それで怪我とかしなかったの?」
「びっくりしてすぐに落としちゃったからね。そういう意味では下手に抵抗するよりも良かったのかな? それで、西沢さんは修学旅行はどこに行ったの?」
「え、あ、う、うん……わたしは……どこだったかな?」
「……え?」
(あれ? 修学旅行でどこに行ったか、西沢さんは覚えてないのかな? 修学旅行って小学校で最大のビッグイベントだよね? いや別にいいっちゃいいんだけど。そりゃそういう人もいるかもだよね)
「き、機会があったら話すから。それより、ねぇねぇ。明日の土曜日って佐々木くんは暇?」
西沢さんはあまりこの話はしたくないのかな?
ちょっと強引な感じで話を変えた――ような気がした。
「僕は基本的に休みの日はいつも空いてるよ。テストも終わったところだから宿題以外はしないだろうし」
「だったら一緒に遊ばない? カラオケとか行こうよ」
「えーと、歌はあんまり得意じゃないんだけど、それでもいいなら」
僕は音痴ってわけじゃないけど、特技なしを自称するだけあって歌うのも決して上手くはない。
「そんなの全然オッケーだよ~。わたしは佐々木くんと一緒に行きたいんだから」
「僕も西沢さんの歌を聞いてみたいかな。じゃあ時間はどうしようか?」
「うーんと、そうだね……お昼くらいから? 適当にモールをぶらぶらしてから、カラオケに行こっ♪」
「じゃあお昼の1時に駅前で待ち合わせでいい? いつも学校帰りにバイバイする南口の改札を出たところで」
「1時にいつものところね、りょうかーい。おめかししていくから楽しみにしててね♪」
「うん、楽しみにしてる」
「じゃあまた明日ね、佐々木くん」
「うん、また明日。バイバイ西沢さん」
「ばいば~い♪」
手を振って西沢さんと別れた僕は、駅に向かうと電車に乗った。
そして座席に座ったところで僕は「ふぅ……」と大きく息を吐く。
(西沢さんのご両親といきなり対面ってのはさすがに緊張したなぁ……)
付き合ってる彼女の家に行って両親と食事会っていうのは、彼氏にとって考えられうる最も難易度が高いイベントじゃないだろうか?
それでもご両親ともにとてもフレンドリーに話してくれたので、想像していたよりもはるかに緊張度合いは低かったわけだけど。
その証拠に、僕はお肉をそれはもうガッツリと食べてしまっていた。
いくら口の中でとろける最高級の松坂牛だったとはいえ、もしガチガチに緊張していたらあんなにガッツリは食べられなかったはずだ。
そもそも僕は同世代男子と比べて食が細いほうだし。
「後はまぁぶっつけ本番ってのが良かったのかな」
思い返せばそもそもの始まりであるラブレターにも名前がなくて、屋上でいきなり西沢さんに告白されたし。
初デートもショッピングモールの入り口で偶然会って、そのままデートをしたし。
西沢さんとはなんでか、こういう超ぶっつけ本番のイベントが多い気がする。
おかげで心の準備をする必要がなかったし、あれこれ思い悩む時間もなくて済んだのだ。
そう言う意味では余計なことを考えないで済んだから良かった気がするよね。
僕は時間があればあるだけ考えすぎてしまって、結局いい考えも浮かばずにドツボにハマっちゃうタイプだから。
(でも別れ際の西沢さん、ちょっとだけ変だった気がしたな……)
小学校の修学旅行について尋ねた時に、露骨に視線を外されてしまった。
いつも僕の目を見て話してくる西沢さんだったから、僕はそのことが少しだけ気になっていた。
周りが暗かったからはっきりとはわからなかったんだけど、少し顔が強張っていたような気もする。
(うーん。話の流れ的に、修学旅行で何か大きな失敗をしたからあんまり話したくなかったのかな?)
もしそうだとしたら無理に聞き出すのは良くないよね。
西沢さんが嫌がることを敢えてする必要なんてないのだから。
そんな風に考えた僕は、だからこのことについてはもう考えないようにしたのだった。
「明日のカラオケ楽しみだなぁ。それと松坂牛のステーキ、ほんと美味しかったなぁ……」
昨日別れ際に約束した通り、僕は西沢さんとカラオケデートに行くべく、土曜日にしては早起きをした。
しっかりと朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びて寝汗を完全に洗い落とす。
「なんとなく身体付きがしっかりしてきた気がする……ようなしないような」
シャワーを浴びながら風呂場の鏡に映る自分の姿を見て、僕は何とはなしにつぶやいた。
休みの日もテスト期間中も。
毎日欠かさず続けている筋トレの成果が出ている……気がしなくもない。
試しに力こぶを作ってみたんだけど、前がどうだったのかを正直よく覚えていなかったので、比較することはできなかった。
「でも何でもやってみるもんだよね。少しずつ回数も増やせるようになったし、このまま頑張ろうっと」
運動はずっと苦手だったし、腕立て伏せ・腹筋・スクワットを20回するだけで最初は死ぬほどしんどかったんだけど。
根気よく続けて慣れてくると、意外なほど簡単に筋トレをこなせるようになっていたのだ。
今ではそれぞれ30回まで回数を増やしている。
西沢さんとお付き合いすることがなければ、こんな風に自分を変えようと思って筋トレを頑張ろうなんてしなかったはずだ。
最近は大きな声でハキハキ――は無理でも、ちゃんと相手に伝わるくらいにはしっかりと話せるようにもなっているし。
そんな風に僕を変えてくれたのは間違いなく西沢さんで。
だから僕は西沢さんとの出会いに本当に感謝をしていた。
そんなことを少し思いながら、身体を拭いてデート用の私服に着替える。
着ていく服は初めてデートした日に西沢さんと一緒に選んだものがいくつかあるので、2回目の私服デートではまだまだ全然悩む必要はない。
僕はファッションについて極めて疎いから、もし独力でコーディネートするとなると、どれだけ時間をかけて選んでも『最低限』をなんとかクリアするのが関の山だろう。
「でも西沢さんに選んでもらったおかげでそこに自信が持てるから、すごく気持ちが楽なんだよね」
しかも服を買いたい時は、また西沢さんが一緒に見てくれるって言うんだから心強いことこの上ない。
なにより、ファッションのことも知ってるよって見栄を張らなくてもよくなったのだ。
僕も年頃の男子だから、女の子からダサいと思われたくはない。
それが彼女である西沢さんならなおさらのことだ。
だから服を一緒に選んで欲しいなんてことは、僕は自分からは絶対に言い出せなかっただろう。
「そのお返しってわけじゃないんだけど、できれば僕も西沢さんに同じように何かをしてあげられたらいいんだけどな……」
そうは思っているものの。
残念ながら今はまだこれと言うのは思いつかないでいる僕だった。
とまぁそんな感じでデートの準備は万全に進んで。
僕は待ち合わせの時間に絶対に遅れないように、30分は早く着く計算で早めに家を出た。
これなら万が一、電車が遅延しても最悪早足で行けばギリギリ間に合うからだ。
やっぱり男の子としては、好きな女の子を待ちぼうけさせたくはないもんね。
そして特にトラブルがあるでもなく予定通りに30分前についた僕が、昨日約束した南改札口前でどうにもそわそわしながら待っていると、
「あ、西沢さんだ」
西沢さんが待ち合わせ時間の15分も前にやってきた。
15分前に来るなんてさすがは西沢さんだ。
遅刻という言葉とは無縁だね。
「あれ、佐々木くんがもういる? こんにちは、佐々木くん」
「こんにちは西沢さん」
「それとごめんなさい。早めに来たつもりだったんだけど、待たせちゃった?」
「ううん、僕も今来たところだから」
「ほんと?」
「ほんとほんと。ついさっき来たところだから。それと……」
「なぁに?」
「その、今日の私服も似合ってるね。すごく大人っぽい感じがする」
僕はまず最初に、西沢さんのおしゃれな私服を褒めた。
初デートでは西沢さんに「で? わたしは?」って聞かれるまでその事に思い至らなかったから、今日は絶対に最初に褒めようと心に誓っていたのだ。
「えへへ、ありがとう。初めてデートした時に『大人っぽくて可愛い』って言ってくれたでしょ? だから今日もちょっと背伸びしておめかししてきたんだ~」
「うん! ほんと似合ってるよ」
「そういう佐々木くんも似合ってるよ~。制服の時も素敵だけど、今日はもっとカッコいいかも?」
「あはは、ありがとう西沢さん──って言っても選んでくれたのは西沢さんなんだけどね。ほんとありがとう。正直ファッションのことはさっぱりだったから西沢さんに選んでもらえてすごく助かってるんだ」
「いえいえ、どういたしまして。それに佐々木くんをわたし色に染め上げちゃえるのは、結構悪くないかなぁって思うし?」
「それで西沢さんに気に入ってもらえるなら僕としても万々歳かな」
「ってことはわたしたちはWin-Winの関係だよね」
「そういうことになるね」
というようなやりとりをしつつ西沢さんと合流した僕は。
少しだけショッピングモールを散策した後、カラオケに向かった。
ちなみになんだけど、僕は誰かとカラオケに行ったことは一度もない。
家族とすらない。
でももし万が一誰かにカラオケに誘われた時に恥をかかないようにと、一人でカラオケに行って機器の操作方法をチェックしたことがあるので、ちゃんと使い方は知っていた。
そして歌うのは普通の流行り歌だ。
間違ってもアニソンを歌ったりはしない。
彼女とカラオケに行っていきなりアニソンを歌い出すのがダメなことくらいは、僕にだってわかる。
しばらく二人で交互に歌ったりデュエットをしたりして、初めての1人じゃないカラオケを楽しんでいると、
「ねぇねぇ佐々木くん?」
西沢さんがマイクを持った僕の手をちょんちょんとつついてきた。
「どうしたの西沢さん」
「佐々木くんってアニメが好きなんだよね? アニメの歌は歌わないの?」
「え、いや、その……うん」
まさかそう来るとは思ってなかったなぁ。
あ、もしかして冗談だったり?
ちょっとした会話のネタ振り的な?
西沢さんは僕が話しやすい会話を振るのが上手だもんね。
「わたし、そういうのも聞いてみたいな~」
「そ、そう……?」
「だって佐々木くんが好きなことを、わたしも知りたいんだもん」
最初は冗談で言ってるのかなとも思ったんだけど、西沢さんの口調は真剣そのものだ。
ということは本気でアニソンを聞きたいと思っているんだろう。
「じゃあ、次に歌ってみるね」
「えへへ、楽しみ~♪」
というわけで。
僕はこんなこともあろうかと一応用意していた、あまりアニメアニメしていない歌を歌ったんだけど――。
西沢さんの反応はイマイチだった。
「……これって本当にアニメの歌なの? なんだか普通の歌だよね? アニメの歌ってロボットの名前とか必殺技の名前が歌詞にあるもんだとばかり思ってたんだけど……」
「昔はそういうのが主流だったみたいだけど、最近は割と普通の曲が多いんじゃないかな? 有名歌手とタイアップとかもよくしてるし」
「へぇ、そうなんだね。勉強になります……! ちなみになんだけど、私もちょっとだけアニメの歌を練習してきました」
「あ、そうなんだ」
「そうしたら佐々木くんが喜ぶかなって思ったの」
「西沢さんのその気持ちがとてもとても、とっても嬉しいよ……。じゃあせっかくだから聞かせてもらってもいい?」
「もちろんだし。ちゃんと練習してきたから楽しみにしててね」
西沢さんは練習してきたというアニソンを予約すると、マイクを持って立ち上がった――!!
「まさかのスタンディング・スタイル!?」
「これは立って歌わないといけない歌なんだって」
「そ、そうなんだ……!?」
「じゃあ行くね!」
そうして西沢さんが気合を込めた表情で歌い始めたのは――――僕が全く知らない曲だった。
心の小宇宙を抱きしめると燃え上がって奇跡が起こってどうのって感じの歌詞で。
まるでペガサスが飛んでいるかのように幻想的で、それでいて血潮が熱く燃えたぎってくるような心が震える名曲だった。
あと本気モードの西沢さんがめちゃくちゃ上手でした。
「ねぇねぇ、どうだった? 実はおばあちゃんに指導してもらったんだよね。採点でも95点以上を安定して出せるようになってるんだけど」
自分でも上手く歌えてる自信があるんだろう。
歌い終わると同時にドヤ顔で聞いてくる西沢さんが可愛すぎて困ってしまう。
いやまぁ困りはしないんだけど──いや、やっぱり困ってしまうかな。
主に僕の胸がドキドキしてしまうという点において。
「すごく上手だったよ。プロかと思ったくらい」
「やったぁ♪」
「でもごめん。聞いたことがなかったんだよね……これって何のアニメの歌?」
「え? あー、えっと、歌詞にもあったはずだけど、聖闘〇星矢ってアニメのオープニング……だった、かな? おばあちゃんがお勧めしてくれたんだけど、わたしはあんまりアニメに詳しくなくて」
「あ、それなんかタイトルの名前だけは聞いたことがあるような。10年前くらいにリメイクされた……んだっけ?」
なんとなくそんな話が記憶にあるような、ないような……。
でも元々は僕が生まれるだいぶ前のアニメだよね?
「ええっ、そんなぁ、佐々木くん知らなかったのかぁ……」
「うん、ごめんね……」
アニメ好きと言いながら、西沢さんのせっかくの好意を無下にしてしまった僕は、あまりの申し訳なさに肩を縮こまらせてしまう。
「えっと、それは全然いいの。世の中にはすごい数の歌があるんだから、そりゃあ知らない歌の方が圧倒的に多いわけだし」
「でも有名な曲だったんでしょ?」
「っておばあちゃんは言ってた。あ、わたしのおばあちゃんはカラオケが得意で、『昼カラの佐藤』って呼ばれてるんだけど」
「うん、よく行ってるみたいだね」
っていうか何その二つ名!?
「何かいいアニメの曲がないかなって相談したら、これは絶対に男の子にウケる定番のアニメの歌だって言われたの」
「ああうん、すごく盛り上がりそうな曲ではあったよね。思わず足でリズムをとりたくなっちゃったし」
「でしょ!?」
「でもその話を聞いてやっぱり思ったんだけど。多分ちょっとだけおばあちゃんの情報が古いんじゃないかなって思うんだ」
西沢さんのおばあちゃんが、毎年100本以上放映される現行の最新アニメに精通しているとはさすがに思えないから。
それもう『昼カラの佐藤』じゃなくて『アニオタの佐藤』になっちゃうよね。
「もう、おばあちゃんってば……いっぱい練習したのになぁ……」
せっかく練習してきたアニソンを僕が知らなかったせいで、西沢さんががっくりと肩を落としてしまう。
「あ、でもでもすごくいい曲だったから、次に来るまでに僕も歌えるようにしてくるね。今度は一緒に歌おうよ。絶対盛り上がると思うんだ」
「あ、うん……!」
僕の言葉で再び笑顔になる西沢さん。
ころころと表情が変わるのも可愛いんだけど、やっぱり僕は笑顔の西沢さんが一番好きだな。
その後も僕と西沢さんはカラオケを楽しんだ。
今度はちょっと勇気を出してアニメアニメした曲も歌ってみたら、
「うんうん、これこれ! こういうのを期待してたの! ねぇねぇ、なんていうアニメの歌なの? 今度見て見るから教えて♪」
西沢さんがやけに喜んでくれて、僕はスマホでアニメのタイトルを見せながらつられて笑ってしまったのだった。
誰かと行く――西沢さんと行くカラオケって楽しいなぁ。
好きな歌手とか歌を聞いたり、歌って欲しい歌をお互いにリクエストとかもしながら。
僕はしみじみとそう思っていた。
それは朝、学校に着いてすぐのことだった。
最近は朝に西沢さんと話すために早い時間の電車で来ているんだけど。
今日は西沢さんが少し遅れるとのラインがさっき入っていた。
なんでも目覚ましが止まっていて少し寝坊したらしい。
「? 机の中に何か入ってる……?」
取り出してみるとそれは一通の封筒。
飾りっ気のない事務用の茶色い封筒だ。
百均で20枚セットとかでまとめ売りしている縦長のあれね。
まさかラブレター!?
――なわけはないよね。
僕が学園のアイドル西沢さんと付き合っていることは、もう学年を越えて学校中に知れ渡っている。
西沢さんの彼氏を横取りしてみせようなんて考える女の子は、そうはいないだろう。
そもそも僕みたいな平凡な陰キャ男子がラブレターを貰うなんてことは、一生に一度あるかないかのことなのだ。
そしてその「一生に一度」は既に西沢さんからラブレターをもらったことで消費済みなわけで。
付け加えるなら、こんなペラペラな事務封筒でラブレターを送る女の子はいないと思うんだ。
もしいたとしたらドレスコードっていうか、もうちょっと空気を読んだ方がいいんじゃないかな?
これじゃあ成功するものも成功しないよ?
とまぁ以上の理由から、これがラブレターでないことは確定的に明らかだった。
そういうわけだったので。
僕は特に周囲を気にすることもなく、まだ人気の少ない教室で中の手紙を読み始めたんだけど――。
「――っ!」
そこに書かれていた短い文面を見た瞬間、僕は手紙を思いっきり机の奥へと突っ込んでしまった。
そして書かれていた内容を思い出し、なんとも嫌な気分にさせられてしまう。
手紙にはこう書かれていた。
『西沢彩菜と佐々木直人は釣りあってない。早く別れろ。何も知らないくせに。』
もちろん、周りからそんな風に見られているのは自分でもよくわかっていたんだ。
でも改めて現実を突きつけられるとやっぱり心が辛くなる。
そこへ西沢さんが息を切らせて駆け込んできた。
走って来たみたい。
「ごめんね佐々木くん、ちょっと寝坊しちゃって……って、どうしたの佐々木くん? ちょっと怖い顔してるよ?」
会って早々、西沢さんが心配そうに声をかけてくる。
「ううん、なんでもないよ? 気のせいじゃない?」
「そう?」
「ほんとほんと」
僕は西沢さんに笑顔で答える。
この手紙を西沢さんに見せても、西沢さんまで嫌な気持ちになるだけだよね。
だったら見せない方がいい。
こんな気持ちになるのは僕だけで十分だから。
それに西沢さんが僕を好きだって言ってくれるなら、僕は周りの誹謗中傷なんて我慢できるから。
西沢さんさえ僕を好きでいてくれるのなら、僕はなんだって耐えられるんだ。
だけど、最後の一文はなんだったんだろうか。
『何も知らないくせに』
たしかに僕は西沢さんのことをまだあまり多くは知らない。
でもこの一文はそういうんことじゃなくて、何か重大なことを僕に突き付けている気がしたんだ。
でもそれについて西沢さんに尋ねると、必然的にこの手紙のことも話さないといけなくなってしまう。
それはしたくない。
だから僕はこのことを、僕の心の奥だけにとどめておこうと思ったんだ。
僕はヨシッ!と気持ちを入れて、いつも西沢さんといる時に感じる楽しい気持ちを思い出す。
そしてその楽しい気持ちで手紙のことをエイヤ!と上書きする。
(こんなささくれ立った気持ちで西沢さんと話すなんて嫌だもんね)
僕はいつもと同じように、西沢さんとの朝の楽しいおしゃべりを始めた。
西沢さんのご両親と晩ご飯を食べたり、2人でカラオケをした数日後の放課後。
『ごめんね佐々木くん、今日は急に友達にお手伝いを頼まれてて一緒に帰れないの』
西沢さんに申し訳なさそうに言われた僕が、久しぶりに一人で帰るべく廊下を歩いていると、
「ちょっと佐々木、顔貸しなさいよ」
突然僕は、行く手を遮るように真っ正面に立った女の子に呼び止められた。
「えっと、いいけど、なに?」
相手はクラスメイトの東浜奈緒さん。
初めて会ったその日にみんなでカラオケに行ける系の、コミュ力が高いカースト1軍の女子だ。
もちろん話したことは――どころか挨拶をしたことすらない。
西沢さんと付き合うようになってから時々視線が合うことがあるくらいで。
だから今こうやって声をかけられたことに、なんとなく不穏なものを感じざるを得ない僕だった。
「ここじゃちょっと。ついてきてよ」
「う、うん」
その上から見下ろすような威圧的な態度にとても嫌とは言えず、僕はやや気後れしながら頷く。
(なんだろ? 東浜さんとは一度も話したことなかったはずだけど何の用なのかな?)
僕はそのまま東浜さんに連れられて校舎の屋上へと向かった。
屋上は西沢さんに告白された思い出の場所だ。
入学して2カ月も経ってないのに屋上で2回も女の子とこっそり話すなんて、ここって僕となにか縁でもあるんだろうか。
先輩たちに呼び出されたのも屋上だったし。
僕が無防備にもそんなことを考えていると、東浜さんは屋上に着くなりこう言った。
「単刀直入に言うけど、あんたなんかが西沢彩菜と付き合うなんて分不相応なのよ。あの子のことをほんとに大事に思ってるなら身を引きなさい」
(これはまたもろに言って来たな……)
「西沢さんとのことは東浜さんには関係ないと思うんだけど」
だけどあまりにストレートに言われてしまい、上位カーストたちには笑顔で譲ることには慣れている僕も、さすがについムッとなって言い返してしまう。
そもそも東浜さんと西沢さんは特に仲がいいわけじゃないはずだ。
所属グループは違うし、同じクラスなのに2人が話しているのを見たこともない。
なのになんで東浜さんが、僕と西沢さんの仲にわざわざ口出ししてくるんだろうか?
「あるわよ」
「あるってなにがさ」
「目障りなのよね」
「目障りって……それはさすがにひど過ぎない?」
あまりに自分勝手で自己中な意見だと思うんだけど。
だけど東浜さんは僕の反論を全く意に介することなく言葉を続ける。
「あのさ、佐々木。あんたじゃあの子にまったく釣り合ってないって、それくらいはわかるでしょ?」
「それは……」
わからない――とは言えなかった。
「あんたみたいな取り柄のない陰キャが、学園のアイドル西沢彩菜と付き合うなんて100年早いのよ」
それでも特に親しいわけでもない相手にここまで言われてしまったら、僕だってカチンとくるわけで。
「東浜さんに西沢さんの何がわかるって言うのさ?」
「あんたこそあの子の何がわかるって言うの? 昔のあの子のことも知らないくせに」
「え――?」
「はん! やっぱり聞いてないんだ! 結局あんたらってその程度の仲なんだよね」
「き、聞いてないって何をさ? 悪いんだけど、東浜さんがなんの話をしてるのか僕にはさっぱりなんだ」
「ふっ……私ってさ、小学校の頃は神戸にいたの」
東浜さんは一瞬、小馬鹿にしたように鼻で笑うと唐突に昔話を語り始めた。
「はぁ……」
東浜さんの意図がよくわからなかった僕は、それに曖昧に相づちを打つ。
(神戸って兵庫県の県庁所在地だよね? 小学校の地理で覚えた気がする)
「その時に同じ学年にすごく可愛い子がいたの。私は同じクラスになったことがなかったから話したことはなかったけど。それでもどんな子か知っているくらいに可愛いくて有名な子だった」
「それが……なにさ?」
急に東浜さんが小学校時代に神戸にいた話をされても、僕としては反応に困るんだけど。
「でもその子はね、ある日を境にイジメられるようになったんだ」
「えっ……」
「6年生になってちょっとしたくらいだったかな。女子のリーダーだった子から睨まれちゃったの」
「その可愛い子がなにかやらかしたってこと?」
無視して帰るのもどうかと思うので、東浜さんの昔話に僕はとりあえず付き合うことにする。
「いいえまさか。その子は可愛いだけじゃなくて性格も良かったから。いつも楽しそうに笑ってて、明るくて、優しくて。およそ人が嫌がるようなことはしない子だったと思うわ」
「じゃあなんでその子はイジメられるようになったのさ?」
「他のクラスのことだったから私もあまり詳しくはなかったんだけど。女子の学年リーダーの子が好きだった男子と、ちょっと仲良くしたのが気に障ったみたいね。だからその可愛い子は、6年生の間は誰とも口を聞いてもらえずに完全にハブられちゃってたの」
「なにそれ……酷いな……」
その子は何もしてないのに、完全な逆恨みじゃん。
「リーダーの女の子はかなり性格がキツかったから、下手に歯向かって自分が巻き添え喰らってタゲられないように、6年全体がその子をハブったの――私もそうだった」
「それで、その女の子はどうなったの?」
「学校も休みがちになって、修学旅行も欠席。中学にあがる時に親の仕事で東京に引っ越していってそれっきりね」
「そうなんだ……じゃあその子にとっては良かったのかな。人間関係をリセットできたんだし」
「きっとそうだったんでしょうね」
「とりあえず東浜さんの同級生に可哀想な女の子がいたのはわかったけど……でもそれが僕にいったい何の関係が──」
「ここまで言ってまだわかんないの? あんたってホントバカなのね。それとも自分可愛さにわからない振りをしてるの? そのイジメられてた可愛い女の子っていうのが西沢彩菜よ」
「え――? 西沢さんが昔イジメられてたって!?」
誰からも好かれて学園のアイドルとまで言われる西沢さんが、小学校の頃にイジメられてた?
でも東浜さん言われて、僕はちょっと前にした西沢さんとの会話を思い出していた。
西沢さんのご両親と一緒にご飯を食べた時の帰り道のことだ。
僕が修学旅行の話を振った時、西沢さんは強引に話を変えてきたのだ。
なんでだろうって思ったけど、そういうことだったんだ――。
「そっ。だから高校に入って同じクラスになった時はビックリしたわ。まぁ向こうはクラスも違うその他大勢の私のことなんか覚えてないみたいだったし。私は私で当時自己保身で見捨てたことがバツが悪くて、昔の同級生だなんて言いはしなかったんだけど」
「それはまぁ、その方がお互いにいいのかもしれないかな?」
西沢さんも辛い記憶をわざわざ蒸し返されたくはないだろう。
「昔の私って今と違って超がつく地味子だったのよね。神戸と東京は何百キロも離れてるから、向こうもまさかここに同級生がいるなんて思ってもないでしょうし、全然気づかれなかったわ」
「まぁ東浜さんと西沢さんの関係についてはわかったよ。でもやっばりそれが僕に何の関係が──」
「つまりこういうことよ。西沢彩菜があんたと付き合ってるのは、あんたとなら付き合っても絶対に誰もイジメてこない、そんな取るに足らない男だからってこと!」
「ぁ──」
投げかけられたその言葉は、氷を削るアイスピックのように僕の心をザクリとえぐっていた。
「みんなでカラオケに行こうって誘った時に、男子は苦手だから遠慮するってあの子が言ったのを聞いて『あっ!』って思ったわ。まだ当時の心の傷は癒えてないんだってね」
「それって入学式の日の――」
クラス分け直後の緊張感漂う教室で、いきなり男女数人で集まって旧知の仲みたいにワイワイ話し始めた東浜さんたちリア充クラスカースト1軍のメンバーたち。
彼らは当然のようにアイドル顔負けに可愛い西沢さんも誘ったんだけど、男子は苦手だからと言われてお断りされた話は、クラスの誰もが――友達がほとんどいない僕でさえも知っていた。