「とにかく可愛い西沢さん!」 勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~

 離れていてもラインで西沢さんとやり取りを続けたこともあって、一人で家にいた去年までとは別次元に楽しかったゴールデンウィークが明け。
 僕と西沢さんは来たる中間テストに向けて一緒に勉強会を開催していた。

 場所は学校の図書室だ。

 今どき図書室で勉強する生徒はあまりいないのか、図書室に人はまばらでほとんど僕たちだけの貸し切り状態だった。

 人の出入りがある入り口から離れた一番奥の席に、西沢さんと隣り合って座る。

 しかし勉強会は特に何があるでもなく、つつがなく終了した。

「なんだか思ってたより静かに終わっちゃったね? ドラマとかでよくある、お互いに質問して答え合うみたいなイメージをしてたから、ちょっと残念だったかも」

「あー、それ僕もちょっとだけ思った」

「佐々木くんと家庭教師ごっこできるって思ったのになぁ」

「まぁわからないところがないに越したことはないんだけどね。順調にテスト勉強ができているわけだし」

 でもそうなった理由はなんとなくわかる。
 そもそも西沢さんはいつも真面目に授業を受けてるし、宿題を忘れたことも見たことがない。

 そして僕もそれなりに真面目に授業や宿題をこなしていて。
 しかもまだ高1の最初の中間テストだったから、普段からちゃんと勉強してさえいれば特に難しい内容でもなかったからだ。

「さすがにわざと質問して佐々木くんの勉強の邪魔をするのは、ちょっとどうかなって思ったんだよね」

「でも西沢さんが一緒だったおかげでさぼろうって気にはならなかったから、そこはすごく効果あったんじゃないかな」

「あ、それわたしも! 佐々木くんが見てる前でだらけたところは見せられないって思ったから、すごく集中してやれたんだぁ」

「ってことは、お互いに勉強会としては大成功だったわけだね」
「だねっ♪」

「明日もやる?」
「佐々木くんは明日も放課後空いてるの?」

「僕は帰宅部だから放課後はいつも空いてる感じ」
「わたしもだよ。じゃあまた明日の放課後も勉強会ってことでいい?」

「了解」
「あ、でもその前に」

 西沢さんがなにやらとても嬉しそうな顔をした。

「なに、どうしたの?」

「今から教え合いっこしない? 今日とか周りに誰もいないから、ちょっとくらい声だしてもオッケーだと思うし」

「そんなにしたかったんだね……」

「だって図書室でこっそり2人で教え合いっこをするって、ドラマみたいでちょっと憧れない?」

 小さな子供みたいに目を輝かせてイタズラっぽく笑う西沢さんは、それはもう可愛すぎて。
 僕としてはその申し出を断る理由なんてものは、どこにもありはしないのだった。


 それからテストまでの間。
 僕と西沢さんはほとんど毎日放課後の勉強会をした。

 そのおかげもあって、高校生になって最初の中間テストは、

「見て見て、19位でした!」
 西沢さんがなんと学年上位20位以内に入り。

「僕は47位、まぁまぁいい感じかな」
 僕も50位以内と想定を大きく超えた高順位を取ることができていた。

「効果抜群だったから、期末テストの前も一緒に勉強しようね佐々木くん」
「西沢さんさえよければ喜んで」

 そんな約束もして、僕たちの中間テストは無事に幕を閉じたのだった。
 『それ』は突然の出来事だった。

「おや、彩菜じゃないか。今帰りかい?」

 テストも終わってすっかりいつも通りの日常に戻った僕と西沢さんが、学校帰りに駅前まで来たところでそんな風に声をかけられたのは。

 見るとそこには、スーツ姿がカッコよく決まったナイスミドルな中年男性がいて――、

「あ、お父さん。そうだよ、学校終わって帰ってきたところ。でもお父さん、今日は遅いって言ってなかったっけ?」

 西沢さんが明るい声でそんなことを言ったのだ。

(えっ!? お父さん!? 西沢さんの!?)

 突然の事態に僕は身体を強張らせた。
 だってまさか西沢さんの――彼女のお父さんと出会っちゃうなんて!

「その予定だったんだけどね。とんとん拍子に仕事が進んで逆にいつもより早く帰れたんだ」
「あ、そうだったんだ。良かったね!」

「ところで彩菜、そちらの男の子はお友達かい?」
 西沢さんのお父さんが僕に視線を向けてきた。

「そうだよ、同じクラスの佐々木くん」

「は、初めまして、佐々木と申します。西沢さんとはとても仲良くさせて頂いております!」

 西沢さんのお父さんとのいきなりの対面に死にそうなくらい緊張しながら。
 それでもなんとか最後まで挨拶をする。
 少し堅苦しいのはご愛敬だ。

 ちょっと前までの僕と違って、今の僕はあたふたしたり緊張していても、こうやって伝えたいことを言葉にすることがちゃんとできるようになっていた。

 陽キャの人たちにとってはこれくらいは当たり前なんだろうけれど。
 人とのコミュニケーションがあまり得意ではない僕にとっては、これだけでも大きな進歩なのだ。

「初めまして佐々木くん、彩菜の父の(おさむ)です。ところで仲が良さそうだけど、2人は付き合ってるのかい?」

「えっ!? いえあの、その――」

 どうにか自己紹介した途端、返す刀でノータイムで核心的問題に踏み込まれた僕が、完全に頭を真っ白にして言いよどんでいる間に、

「そうだよー」
 西沢さんがなんでもないことのようにさらっと答えてしまった。

「やっぱりなぁ。最近の彩菜は家でもよくスマホを見てそわそわしていたから、男の子と一緒なのを見てピーンと来たんだ」

「ちょ、ちょっとお父さん、別にそわそわなんかしてないでしょ?」

「なんだい、気付いてなかったのかい? よくにやにやしながらスマホを眺めているじゃないか。最近お弁当を作ってあげたり、放課後に一緒に勉強していたのも佐々木くんなんだろ?」

「うっ、なんで知ってるの……?」
「逆に聞くけど、一緒に生活してるのに彩菜はなんで知らないと思ったんだい?」

「ううっ……っていうかにやにやはしてないでしょ!」

「ははっ、母さんがいつも言ってるぞ。最近の彩菜はいつも嬉しそうに笑ってるって。そういうわけで佐々木くん、せっかくだからうちで晩ご飯を食べていきなさい。明日は土曜日で高校も休みだろう?」

「えっと、いえその、急にお邪魔するのは悪いような……その、西沢さんのお母さんも、いきなり1人分増えたら食事の用意も大変でしょうし」

「はははっ、それなら母さんにはもう連絡済みだから大丈夫さ。彩菜が例の彼氏っぽい男の子と歩いてるって連絡したら、是が非でも連れてくるようにって返ってきてね」

 そう言うと西沢さんのお父さんは、お母さんとやりとりしたラインを見せてくれた。

 『絶対に連れてきて!』という文面に『確保!』という絵文字スタンプを加えているあたりに、西沢さんのお母さんの強い気持ちが見て取れる気がした。

「じゃあえっと、今日は晩ご飯はいらないって家に連絡してみますね」

 そういうわけで。
 なんと僕は。
 今から、西沢さんの家に晩ご飯に招かれることになってしまったのだ――!
「こんばんは佐々木くん。それと初めまして、今日は急に来てもらってごめんなさいね」

 西沢さんのお父さんも合流して3人になった僕たちが家に着くと、すぐに西沢さんのお母さんが出迎えてくれた。
 西沢さんによく似た顔つきの綺麗なお母さんだった。

「いえいえそんな、滅相もありません。晩ご飯にご招待してもらってすごく嬉しいです」

「ふふっ、そんなに緊張しないでいいわよ、っていうのも無理な話よね。もう少ししたら晩ご飯の用意ができるから、それまでリビングで待っててもらえるかしら?」

「わ、わかりました」

「じゃあわたし着替えてくるから、ちょっとだけ待っててね。すぐ来るから」

「う、うん」
 西沢さんとお父さんが着替えに行って、お母さんは食事の用意をしてる。

 なので僕が一人で緊張と不安で胸をいっぱいにしながら、リビングのソファに座って待っていると。
 とてとてと小さな足音がして白黒の猫がひょこっと顔を出した。

 猫は『なんじゃこいつは?』って感じで、不思議そうに僕の顔を見上げてくる。

(この白黒の模様、たしか前に写真を見せてもらったちび太だよね?)

「チュッチュッチュ、ちび太~、おいで~」
 特にすることもないしせっかくの機会なので、猫なで声を出して呼んでみた。

 ちび太は最初こそ僕の様子をうかがっていたものの。
 人畜無害だと判断したのかすぐに足元にやってきて身体を何度か擦り付けると、ぴょんと僕の太ももに飛び乗ってくる。

(猫って人見知りするから飼い主以外には懐かないって聞いてたけど、ちび太は人懐っこい子なんだね)

 僕が頭や背中をそっと優しく撫でてあげると、ちび太は目を細めてゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らし始める。
 そしてついには僕の太ももの上でどっしり腰を落ろすと、ペロペロと自分の手足や身体を舐めて毛づくろいをし始めた。

 そんなちび太をなんとはなしに撫でていると、

「お待たせ~」
 私服に着替えた西沢さんがリビングへと戻ってきた。

「えへへ、どう、似合うかな?」

 西沢さんは僕の目の前でクルッと回って聞いてくる。
 遠心力で膝上のフレアスカートがふわっと浮き上がって、西沢さんの真っ白な太ももがあらわになってしまい、僕は慌てて目を逸らす。

「う、うん。すごく似合ってて可愛いと思うよ」
「ありがと♪ ってあれ? ちび太が佐々木くんの膝の上でまったりしてる」

「なんだか懐かれちゃったみたいでさ。ちび太はあんまり人見知りしない猫なんだね」

「ううん、全然そんなことないよ? お隣さんが来てもビビって2階に逃げてく超人見知りっ子だもん。ちび太が初対面の人にこんなに懐くのを見たの、わたし初めてかもだし」

「あれ、そうなんだ? とてもそんな風には見えなかったけど」

「さすが佐々木くん、ちび太にも一発で気に入られたってことだよね」
「そうなるのかな?」

「ねーちび太、ちび太も佐々木くんが優しいのわかるんだよねー、あ痛っ!?」

 僕の膝の上でくつろいでいたちび太が、頭を撫でようと手を伸ばした西沢さんにまさかの猫パンチをお見舞いした。

「だ、大丈夫、西沢さん!?」
 見ると西沢さんの人差し指にうっすらと赤い線が入っている。

「ひっかかれちゃった……」
「こらちび太、西沢さんは飼い主なんだからおいたしちゃだめだからな?」

 にゃ~。
 ちび太は甘えたように鳴くと、甘えたように僕のお腹に頭をこすりつけてくる。

「なんか、ちび太が佐々木くんを自分のものだって思ってるみたいなんだけど……」
「あははは……」

「うぅっ、まさか身内にライバルがいたなんて……」


 その後、しばらくちび太を撫でながら隣に座った西沢さんと話していると、着替えたお父さんがやってきて。
 ついに西沢さんのご両親との晩ご飯が始まった。
「今日はステーキよ」
 西沢さんのお母さんにそう言われて、

「えっとあの、すみません、僕のためにステーキなんかを用意してもらって」
 僕はつい恐縮してしまった。

「ふふっ、遠慮しないでいいのよ? ちょうどふるさと納税の返礼品でお肉が届いたところだったんだから」

「そうそう、結構量が多かったから食べきれるかなって心配だったんだよな。だから今日、佐々木くんが来てくれて助かったよ」

「だって。佐々木くん、いっぱい食べてね。はい、ナイフとフォーク」

「ありがとう西沢さん。それでは遠慮なくいただきます――――すごく柔らかくて美味しいです!」

「佐々木くんのお口に合って良かったわ」

「ははっ、母さん。ステーキを嫌いな男の子はいないさ」
「修さんも昔から大好きだったものね。覚えてる? 初めてのデートで特大ステーキをぺろりと平らげたの」

「もちろんさ。懐かしいな、食べっぷりがすごいって褒めてくれたよな」

「今だから言うんだけど、実はあの時、口ではそう言ったんだけどね。心の中ではこの人と結婚したら食費が大変なことになりそうだから、いい人そうだけどやめておこうかしらって思ってたのよね」

「な、なんだって!? 男らしさをアピールしたつもりが、まさかそんな風に思われていたなんて……」

「今となってはいい思い出よ。修さんのそういう時々抜けてるところも素敵だと思うわよ?」

「ちょっとお父さん、お母さん。せっかく佐々木くんが来てるのに、勝手に2人の恥ずかしい昔話で盛り上がらないでよね。わたしが恥ずかしいんだからね、もう」

「あらあら、彩菜に怒られちゃったわ」
「彩菜も年頃だもんなぁ」

 その後は、西沢さんのお父さんとお母さんから色んなことを聞かれた。

「佐々木くんと彩菜は同じクラスになったことで付き合い始めたのかい?」

「ううん、最初は普通のクラスメイトだったんだけど、佐々木くんがおばあちゃんを助けてくれたことがあって、それがきっかけ」

 ステーキを口に入れていた僕が飲み込んでから答えるよりも先に、西沢さんが説明をしてくれた。

「おや、佐々木くんはお義母さんと知り合いだったのかい?」

「いえ、住んでるところがたまたま近くでして。その日はたまたま水道工事があったからいつもの道が通れなくて、違うルートで家に帰ったんです。そうしたら転倒しているの偶然見かけたんです」

「買い物帰りにおばあちゃんがこけちゃったんだけど、その時にみんな見て見ぬふりをしてたのに、佐々木くんだけがすぐに大丈夫ですかって助けに来てくれたんだって。しかもおばあちゃんの家までスイカを運んでくれたんだよ、丸々1個!」

「へぇ、それはすごいな。人助けなんてなかなかできることじゃない。佐々木くんは偉いね」

「いえ、あの、実のところそこまでのものでは――」

「でしょ!? 佐々木くんはすごいんだもん! でね、それからちょっとずつ挨拶とかするようになって、付き合うことになったの」

 僕の言葉に被せるように西沢さんが鼻息荒く言う。

 ご両親は西沢さんの説明に笑顔でうんうん頷いているし、過大評価されているようで小心者な僕としてはやや心苦しかった。

 何度も言うけどあの時の行動はおばあちゃんを助けないとって気持ちより、見捨てることで自分が嫌な思いをしたくないっていう、とても後ろ向きなものだったからだ。

(でももう状況的にとても言い出せない雰囲気……うん、これからは少しでも評価に追いつけるように頑張ろう)

「そう言えば毎日勉強会をしたって言ってたわよね? それも佐々木くんとだったのよね?」

「そーだよ。おかげで20位以内に入れたの。佐々木んも50位以内だったし。すごく集中して勉強できたんだから」

「そうかそうか、2人とも頑張ったんだな」
「いいわねぇ、彼氏と一緒に勉強会だなんて。青春だわ」

「憧れるよな。母さんとは大学で知り合ったんだけど、学部が違ったから一緒に勉強はしなかったもんなぁ」

「あら、私は高校の時に付き合ってた男の子と一緒に図書室で勉強会してたわよ?」
「な――っ」

「ふふっ、妬いちゃった?」
「まぁ……妬かないと言えば嘘になるかな」

「でも今は修さん、あなたにぞっこんだから安心してくださいな」
「そう言ってもらえると嬉しいな」

「だーかーら! お父さんとお母さんだけで、勝手に昔の話して盛り上がらないでってばぁ!」

「あはは――」

 …………

 ……
 そんな感じで西沢さんの家に招かれてご両親と晩ご飯を食べるという、超特大の場外ホームランな突発イベントは。
 緊張しながらもつつがなく進み。
 僕にしてはかなり話も弾んで、大きな失敗もすることなく無事に終了した。

 食後のデザートにケーキまでご馳走になった後、僕は家の前で西沢さんにお見送りをしてもらっていた。

「ごめんね佐々木くん、お父さんとお母さんが自分たちの昔話ばっかりしちゃって。いつもはこんなんじゃないんだけど、娘が彼氏を連れてきたってことで、2人ともはしゃいじゃったみたい」

「あはは、全然気にしないで。西沢さんのご両親が明るくて話しやすい人で僕も楽しかったし」

「そう? だったら良かったんだけど」

 ちょっとホッとしたような顔をする西沢さん。
 そんなに心配しなくても大丈夫なのに。
 結構心配性なのかな?

「雰囲気が西沢さんにすごく似てるなって感じて、まるで西沢さんが3人いたみたいだったから」

「……それって褒めてるの?」
「もちろんだよ?」
「ならいいんだけど」

 あれ?
 僕としては最大限に褒めたつもりだったんだけど。

「それにステーキもすごく美味しかったしね。僕、松坂牛なんて初めて食べたよ。噛まなくても飲み込めそうなくらい柔らかくて、本気でびっくりした」

「えへへ、実を言うとわたしも今日初めて食べたんだけど、すっご~~~く柔らかかったよね。もうなにこれ!って感じ。お肉が口の中で『ふわぁ~』ってとろけるんだもん」

「『ふわぁ~』だよね、わかる! あ、あとは西沢さんが小さい頃の秘蔵の話も聞けたのも良かったかな」

「うう~っ! お父さんもお母さんもわたしが中学校の遠足でお弁当忘れた話とか、ビアノの発表会でつまづいてこけた話とか、失敗した話ばっかりするんだもん。わたし恥ずかしくて泣きそうだったんだから……」

「子供の頃の話でしょ? もう時効だし、笑い話だと思うけど」

「笑い話じゃないもん、わたしの尊厳の問題だもん。アホの子だって思われて佐々木くんに嫌われたくないんだもん」

「だからそんなことで西沢さんを嫌いになったりしないってば」
「ほんと……?」

「ほんとほんと。むしろ僕が知らなかった西沢さんを知ることができて、今日はすごく嬉しかったんだから」

「えへへ……やっぱり佐々木くんは優しいね」

「また昔の話を聞かせてね、小学校の頃とかさ。あ、そうだ。6年生の修学旅行って西沢さんはどこ行ったの?」

「え、わたし? あの、わたしは……えっと、その……さ、佐々木くんは?」

「僕? 僕は伊勢神宮だったんだ。夫婦(めおと)岩も見たし、最終日は奈良にも行って鹿にエサもあげたんだ」

「そ、そうなんだ」

「もうすごかったんだよ? 僕が鹿煎餅を取り出した途端に、鹿がいっせいに集まってきてさ。しかもあいつらってばガンガン頭突きをしてくるんだよ。それで僕が鹿煎餅を落としたら、もう僕なんかに見向きもせずに落ちたのを一斉に食べ出すんだもん」

「ええっ、それで怪我とかしなかったの?」

「びっくりしてすぐに落としちゃったからね。そういう意味では下手に抵抗するよりも良かったのかな? それで、西沢さんは修学旅行はどこに行ったの?」

「え、あ、う、うん……わたしは……どこだったかな?」

「……え?」

(あれ? 修学旅行でどこに行ったか、西沢さんは覚えてないのかな? 修学旅行って小学校で最大のビッグイベントだよね? いや別にいいっちゃいいんだけど。そりゃそういう人もいるかもだよね)

「き、機会があったら話すから。それより、ねぇねぇ。明日の土曜日って佐々木くんは暇?」

 西沢さんはあまりこの話はしたくないのかな?
 ちょっと強引な感じで話を変えた――ような気がした。

「僕は基本的に休みの日はいつも空いてるよ。テストも終わったところだから宿題以外はしないだろうし」
「だったら一緒に遊ばない? カラオケとか行こうよ」

「えーと、歌はあんまり得意じゃないんだけど、それでもいいなら」

 僕は音痴ってわけじゃないけど、特技なしを自称するだけあって歌うのも決して上手くはない。

「そんなの全然オッケーだよ~。わたしは佐々木くんと一緒に行きたいんだから」
「僕も西沢さんの歌を聞いてみたいかな。じゃあ時間はどうしようか?」

「うーんと、そうだね……お昼くらいから? 適当にモールをぶらぶらしてから、カラオケに行こっ♪」

「じゃあお昼の1時に駅前で待ち合わせでいい? いつも学校帰りにバイバイする南口の改札を出たところで」

「1時にいつものところね、りょうかーい。おめかししていくから楽しみにしててね♪」
「うん、楽しみにしてる」

「じゃあまた明日ね、佐々木くん」
「うん、また明日。バイバイ西沢さん」
「ばいば~い♪」

 手を振って西沢さんと別れた僕は、駅に向かうと電車に乗った。
 そして座席に座ったところで僕は「ふぅ……」と大きく息を吐く。

(西沢さんのご両親といきなり対面ってのはさすがに緊張したなぁ……)

 付き合ってる彼女の家に行って両親と食事会っていうのは、彼氏にとって考えられうる最も難易度が高いイベントじゃないだろうか?

 それでもご両親ともにとてもフレンドリーに話してくれたので、想像していたよりもはるかに緊張度合いは低かったわけだけど。

 その証拠に、僕はお肉をそれはもうガッツリと食べてしまっていた。
 いくら口の中でとろける最高級の松坂牛だったとはいえ、もしガチガチに緊張していたらあんなにガッツリは食べられなかったはずだ。
 そもそも僕は同世代男子と比べて食が細いほうだし。

「後はまぁぶっつけ本番ってのが良かったのかな」

 思い返せばそもそもの始まりであるラブレターにも名前がなくて、屋上でいきなり西沢さんに告白されたし。
 初デートもショッピングモールの入り口で偶然会って、そのままデートをしたし。

 西沢さんとはなんでか、こういう超ぶっつけ本番のイベントが多い気がする。

 おかげで心の準備をする必要がなかったし、あれこれ思い悩む時間もなくて済んだのだ。
 そう言う意味では余計なことを考えないで済んだから良かった気がするよね。

 僕は時間があればあるだけ考えすぎてしまって、結局いい考えも浮かばずにドツボにハマっちゃうタイプだから。

(でも別れ際の西沢さん、ちょっとだけ変だった気がしたな……)

 小学校の修学旅行について尋ねた時に、露骨に視線を外されてしまった。
 いつも僕の目を見て話してくる西沢さんだったから、僕はそのことが少しだけ気になっていた。

 周りが暗かったからはっきりとはわからなかったんだけど、少し顔が強張っていたような気もする。

(うーん。話の流れ的に、修学旅行で何か大きな失敗をしたからあんまり話したくなかったのかな?)

 もしそうだとしたら無理に聞き出すのは良くないよね。
 西沢さんが嫌がることを敢えてする必要なんてないのだから。

 そんな風に考えた僕は、だからこのことについてはもう考えないようにしたのだった。

「明日のカラオケ楽しみだなぁ。それと松坂牛のステーキ、ほんと美味しかったなぁ……」
 昨日別れ際に約束した通り、僕は西沢さんとカラオケデートに行くべく、土曜日にしては早起きをした。

 しっかりと朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びて寝汗を完全に洗い落とす。

「なんとなく身体付きがしっかりしてきた気がする……ようなしないような」
 シャワーを浴びながら風呂場の鏡に映る自分の姿を見て、僕は何とはなしにつぶやいた。

 休みの日もテスト期間中も。
 毎日欠かさず続けている筋トレの成果が出ている……気がしなくもない。

 試しに力こぶを作ってみたんだけど、前がどうだったのかを正直よく覚えていなかったので、比較することはできなかった。

「でも何でもやってみるもんだよね。少しずつ回数も増やせるようになったし、このまま頑張ろうっと」

 運動はずっと苦手だったし、腕立て伏せ・腹筋・スクワットを20回するだけで最初は死ぬほどしんどかったんだけど。
 根気よく続けて慣れてくると、意外なほど簡単に筋トレをこなせるようになっていたのだ。

 今ではそれぞれ30回まで回数を増やしている。

 西沢さんとお付き合いすることがなければ、こんな風に自分を変えようと思って筋トレを頑張ろうなんてしなかったはずだ。 

 最近は大きな声でハキハキ――は無理でも、ちゃんと相手に伝わるくらいにはしっかりと話せるようにもなっているし。

 そんな風に僕を変えてくれたのは間違いなく西沢さんで。
 だから僕は西沢さんとの出会いに本当に感謝をしていた。

 そんなことを少し思いながら、身体を拭いてデート用の私服に着替える。

 着ていく服は初めてデートした日に西沢さんと一緒に選んだものがいくつかあるので、2回目の私服デートではまだまだ全然悩む必要はない。

 僕はファッションについて極めて疎いから、もし独力でコーディネートするとなると、どれだけ時間をかけて選んでも『最低限』をなんとかクリアするのが関の山だろう。

「でも西沢さんに選んでもらったおかげでそこに自信が持てるから、すごく気持ちが楽なんだよね」

 しかも服を買いたい時は、また西沢さんが一緒に見てくれるって言うんだから心強いことこの上ない。
 なにより、ファッションのことも知ってるよって見栄を張らなくてもよくなったのだ。

 僕も年頃の男子だから、女の子からダサいと思われたくはない。
 それが彼女である西沢さんならなおさらのことだ。

 だから服を一緒に選んで欲しいなんてことは、僕は自分からは絶対に言い出せなかっただろう。

「そのお返しってわけじゃないんだけど、できれば僕も西沢さんに同じように何かをしてあげられたらいいんだけどな……」

 そうは思っているものの。
 残念ながら今はまだこれと言うのは思いつかないでいる僕だった。


 とまぁそんな感じでデートの準備は万全に進んで。

 僕は待ち合わせの時間に絶対に遅れないように、30分は早く着く計算で早めに家を出た。
 これなら万が一、電車が遅延しても最悪早足で行けばギリギリ間に合うからだ。
 やっぱり男の子としては、好きな女の子を待ちぼうけさせたくはないもんね。

 そして特にトラブルがあるでもなく予定通りに30分前についた僕が、昨日約束した南改札口前でどうにもそわそわしながら待っていると、

「あ、西沢さんだ」
 西沢さんが待ち合わせ時間の15分も前にやってきた。

 15分前に来るなんてさすがは西沢さんだ。
 遅刻という言葉とは無縁だね。

「あれ、佐々木くんがもういる? こんにちは、佐々木くん」
「こんにちは西沢さん」

「それとごめんなさい。早めに来たつもりだったんだけど、待たせちゃった?」

「ううん、僕も今来たところだから」
「ほんと?」

「ほんとほんと。ついさっき来たところだから。それと……」
「なぁに?」

「その、今日の私服も似合ってるね。すごく大人っぽい感じがする」

 僕はまず最初に、西沢さんのおしゃれな私服を褒めた。
 初デートでは西沢さんに「で? わたしは?」って聞かれるまでその事に思い至らなかったから、今日は絶対に最初に褒めようと心に誓っていたのだ。
「えへへ、ありがとう。初めてデートした時に『大人っぽくて可愛い』って言ってくれたでしょ? だから今日もちょっと背伸びしておめかししてきたんだ~」

「うん! ほんと似合ってるよ」

「そういう佐々木くんも似合ってるよ~。制服の時も素敵だけど、今日はもっとカッコいいかも?」

「あはは、ありがとう西沢さん──って言っても選んでくれたのは西沢さんなんだけどね。ほんとありがとう。正直ファッションのことはさっぱりだったから西沢さんに選んでもらえてすごく助かってるんだ」

「いえいえ、どういたしまして。それに佐々木くんをわたし色に染め上げちゃえるのは、結構悪くないかなぁって思うし?」

「それで西沢さんに気に入ってもらえるなら僕としても万々歳かな」

「ってことはわたしたちはWin-Winの関係だよね」
「そういうことになるね」

 というようなやりとりをしつつ西沢さんと合流した僕は。
 少しだけショッピングモールを散策した後、カラオケに向かった。

 ちなみになんだけど、僕は誰かとカラオケに行ったことは一度もない。
 家族とすらない。

 でももし万が一誰かにカラオケに誘われた時に恥をかかないようにと、一人でカラオケに行って機器の操作方法をチェックしたことがあるので、ちゃんと使い方は知っていた。

 そして歌うのは普通の流行り歌だ。
 間違ってもアニソンを歌ったりはしない。
 彼女とカラオケに行っていきなりアニソンを歌い出すのがダメなことくらいは、僕にだってわかる。

 しばらく二人で交互に歌ったりデュエットをしたりして、初めての1人じゃないカラオケを楽しんでいると、

「ねぇねぇ佐々木くん?」
 西沢さんがマイクを持った僕の手をちょんちょんとつついてきた。

「どうしたの西沢さん」

「佐々木くんってアニメが好きなんだよね? アニメの歌は歌わないの?」
「え、いや、その……うん」

 まさかそう来るとは思ってなかったなぁ。
 あ、もしかして冗談だったり?
 ちょっとした会話のネタ振り的な?
 西沢さんは僕が話しやすい会話を振るのが上手だもんね。

「わたし、そういうのも聞いてみたいな~」
「そ、そう……?」

「だって佐々木くんが好きなことを、わたしも知りたいんだもん」

 最初は冗談で言ってるのかなとも思ったんだけど、西沢さんの口調は真剣そのものだ。
 ということは本気でアニソンを聞きたいと思っているんだろう。

「じゃあ、次に歌ってみるね」
「えへへ、楽しみ~♪」

 というわけで。
 僕はこんなこともあろうかと一応用意していた、あまりアニメアニメしていない歌を歌ったんだけど――。

 西沢さんの反応はイマイチだった。

「……これって本当にアニメの歌なの? なんだか普通の歌だよね? アニメの歌ってロボットの名前とか必殺技の名前が歌詞にあるもんだとばかり思ってたんだけど……」

「昔はそういうのが主流だったみたいだけど、最近は割と普通の曲が多いんじゃないかな? 有名歌手とタイアップとかもよくしてるし」

「へぇ、そうなんだね。勉強になります……! ちなみになんだけど、私もちょっとだけアニメの歌を練習してきました」

「あ、そうなんだ」
「そうしたら佐々木くんが喜ぶかなって思ったの」

「西沢さんのその気持ちがとてもとても、とっても嬉しいよ……。じゃあせっかくだから聞かせてもらってもいい?」
「もちろんだし。ちゃんと練習してきたから楽しみにしててね」

 西沢さんは練習してきたというアニソンを予約すると、マイクを持って立ち上がった――!!
「まさかのスタンディング・スタイル!?」
「これは立って歌わないといけない歌なんだって」

「そ、そうなんだ……!?」
「じゃあ行くね!」

 そうして西沢さんが気合を込めた表情で歌い始めたのは――――僕が全く知らない曲だった。

 心の小宇宙を抱きしめると燃え上がって奇跡が起こってどうのって感じの歌詞で。
 まるでペガサスが飛んでいるかのように幻想的で、それでいて血潮が熱く燃えたぎってくるような心が震える名曲だった。

 あと本気モードの西沢さんがめちゃくちゃ上手でした。

「ねぇねぇ、どうだった? 実はおばあちゃんに指導してもらったんだよね。採点でも95点以上を安定して出せるようになってるんだけど」

 自分でも上手く歌えてる自信があるんだろう。
 歌い終わると同時にドヤ顔で聞いてくる西沢さんが可愛すぎて困ってしまう。

 いやまぁ困りはしないんだけど──いや、やっぱり困ってしまうかな。
 主に僕の胸がドキドキしてしまうという点において。

「すごく上手だったよ。プロかと思ったくらい」
「やったぁ♪」

「でもごめん。聞いたことがなかったんだよね……これって何のアニメの歌?」

「え? あー、えっと、歌詞にもあったはずだけど、聖闘〇星矢ってアニメのオープニング……だった、かな? おばあちゃんがお勧めしてくれたんだけど、わたしはあんまりアニメに詳しくなくて」

「あ、それなんかタイトルの名前だけは聞いたことがあるような。10年前くらいにリメイクされた……んだっけ?」

 なんとなくそんな話が記憶にあるような、ないような……。
 でも元々は僕が生まれるだいぶ前のアニメだよね?

「ええっ、そんなぁ、佐々木くん知らなかったのかぁ……」
「うん、ごめんね……」

 アニメ好きと言いながら、西沢さんのせっかくの好意を無下にしてしまった僕は、あまりの申し訳なさに肩を縮こまらせてしまう。

「えっと、それは全然いいの。世の中にはすごい数の歌があるんだから、そりゃあ知らない歌の方が圧倒的に多いわけだし」

「でも有名な曲だったんでしょ?」

「っておばあちゃんは言ってた。あ、わたしのおばあちゃんはカラオケが得意で、『昼カラの佐藤』って呼ばれてるんだけど」
「うん、よく行ってるみたいだね」

 っていうか何その二つ名!?

「何かいいアニメの曲がないかなって相談したら、これは絶対に男の子にウケる定番のアニメの歌だって言われたの」

「ああうん、すごく盛り上がりそうな曲ではあったよね。思わず足でリズムをとりたくなっちゃったし」

「でしょ!?」

「でもその話を聞いてやっぱり思ったんだけど。多分ちょっとだけおばあちゃんの情報が古いんじゃないかなって思うんだ」

 西沢さんのおばあちゃんが、毎年100本以上放映される現行の最新アニメに精通しているとはさすがに思えないから。

 それもう『昼カラの佐藤』じゃなくて『アニオタの佐藤』になっちゃうよね。

「もう、おばあちゃんってば……いっぱい練習したのになぁ……」
 せっかく練習してきたアニソンを僕が知らなかったせいで、西沢さんががっくりと肩を落としてしまう。

「あ、でもでもすごくいい曲だったから、次に来るまでに僕も歌えるようにしてくるね。今度は一緒に歌おうよ。絶対盛り上がると思うんだ」

「あ、うん……!」
 僕の言葉で再び笑顔になる西沢さん。

 ころころと表情が変わるのも可愛いんだけど、やっぱり僕は笑顔の西沢さんが一番好きだな。

 その後も僕と西沢さんはカラオケを楽しんだ。
 今度はちょっと勇気を出してアニメアニメした曲も歌ってみたら、

「うんうん、これこれ! こういうのを期待してたの! ねぇねぇ、なんていうアニメの歌なの? 今度見て見るから教えて♪」

 西沢さんがやけに喜んでくれて、僕はスマホでアニメのタイトルを見せながらつられて笑ってしまったのだった。

 誰かと行く――西沢さんと行くカラオケって楽しいなぁ。

 好きな歌手とか歌を聞いたり、歌って欲しい歌をお互いにリクエストとかもしながら。
 僕はしみじみとそう思っていた。