「とにかく可愛い西沢さん!」 勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~

「そうだ、ねぇねぇこのラノベを借りてもいいかな?」

「もちろんいいよ」

「やった♪ 佐々木くんが好きな本をずっと知りたかったんだ。これで佐々木くんの好きなことのお話もできるようになるよね」

「……なんで」

「わわっ、ちょっと佐々木くん、なんで泣きそうになってるの!?」

「なんで西沢さんはそんないい子なの……西沢さんがいい人過ぎて、僕は、僕は……」

「ちょ、ちょっと佐々木くん、こんなところを佐々木くんのお母さんに見られたら、わたしいじめっ子が家まで押しかけて来たかと誤解されちゃうかもだからね!?」

「だってこんな素敵な女の子が僕を好きになってくれて、彼女になってくれただなんて……」

 そう思っただけで僕の胸は嬉しさとか感謝とか申し訳なさとか、そういったものがまぜこぜになった激情でいっぱいになってしまったのだ。

 そこへ――、

「直人、お茶とお茶請けを持ってきたわよ。手が塞がってるから開けてちょうだい?」

「ってなんで母さんはこのタイミングで来るかな」
 目にたまった涙を拭いてから僕はドアを開ける。

「なに直人、あんた泣いてたの? 女の子を部屋に呼んでおいて、一人で泣いてる意味がお母さんさっぱりわからないんだけど……」

 僕の顔を見た母さんが困惑したように言う。

「別に何でもないから」

「もうごめんなさいね西沢さん。この子ったらきっと初めて女の子が家に来たから嬉しさあまって泣いちゃったのよ。もともと奥手で友達も多い方じゃないから、これからも直人と仲良くしてくれると嬉しいわ」

「はい、佐々木くんにはすごく仲良くしてもらってるので、こちらこそよろしくお願いしたいくらいですから」

「あらそう? もしかしてあなたたち……って、いやまさかね、さすがにそれはないわよね。ほら直人いつまで泣いてるの。お茶菓子にあんたの好きなフロインドリーブのパイ菓子を用意してるから、とっとと食べて元気出しなさい」

「だからそういうのじゃないんだってば……もう行ってよね」

「はいはい、楽しい時間をお邪魔しちゃってごめんなさいね。西沢さんもどうぞごゆっくり」

「ありがとうございます。それとあそこのパイ菓子はふわふわでサクサクで、わたしも大好物なんです」

「それは良かったわ、まだ残ってるから良かったら言ってちょうだいね。お代わりを持ってくるから」

 母さんはそう言うと紅茶とパイ菓子を置いて部屋を出ていった。

「優しいお母さんだね」
「まぁうん、そうだね」

「あのお母さんとなら、わたしも上手くやっていけそうな気がする」
「えっとごめん、急になんの話?」

 うちの母さんと西沢さんに接点なんかあったっけ?

「べつにー、今後の話だしー」
「??」
 なんだかよくわからなかったけど、とても機嫌が良さそうな西沢さんだった。

 その後は僕がラノベの話をしたり、逆に西沢さんの好きなことを聞いたりした。
 西沢さんはふと見かけた猫の写真を撮るのが趣味らしい。

 スマホを見せてもらうと、この前見せてもらった愛猫のちび太以外にたくさんの、色んな猫の写真が保存してあった。

「見て見て、これが私の自慢のベストショットの『伸び猫』。すごくない?」

 そう言って見せられたのは、やけに胴体が長い猫(と思しき小動物)の画像だ。

「ごめん、これって本当に猫なの? それにしてはちょっと胴が長すぎない? 猫ってこういう動物じゃないよね? もっとこうコンパクトで。なんだか騙し絵を見てるみたいで、頭がクラクラしてくるんだけど……」

「でしょ!? わたしも見た瞬間『なにこれ!?』って思って、撮ってからも何度も見返したんだもん」

「たしかにこれは自慢するだけのことはあると思う」

「良かったら画像いる?」
「あ、うん。欲しいかも」
「じゃあ送るね。ついでに他のお気に入り猫画像も」

「へぇ。こっちの猫はしっぽの先が2回直角に曲がってるんだ。猫っていっても色んな猫がいるんだなぁ」


 とまぁこんな感じで
 放課後おうちデートは、西沢さんが帰らないといけない時間ギリギリまで楽しく続いたのだった。

 もちろん帰りは駅まで見送りに行った。
 話が弾んで気が付いたらすっかり暗くなっちゃってたから、彼氏としてはこれくらいは当然だよね。
 今年のゴールデンウィーク、わたしは家族で大阪に旅行をしていた。

 せっかくの連休なので佐々木くんと一緒にいたい気持ちもあったんだけど、お父さんとお母さんとの時間もやっぱり大切なので、身体が2つあったらいいのになと思ってしまう。

 でも高校生になった今は、スマホがあるおかげで離れていても簡単に連絡がとれるから、そこまで寂しいということはなかった。


『海遊館だよー』
🐟
『大きなサメです』
🦈
『帰ったらお土産わたすね』
🎁


佐々木直人
『写真見たけど』
『大きくてビックリした』

『クジラかと思った』
『まず水槽からして大きいし』
『おみやげ楽しみにしてるね』


『佐々木くんは』
『なにか変わったことあった?』


佐々木直人
『こっちは特にはないかな』
『普通の連休』
『家でゴロゴロしてる』


『友だちと遊びに行ったりは』
『しないの?』


佐々木直人
『僕はあまり友達いないから』
『行かないかな?』


『ごめんなさい』
『そういう意味じゃなくて』


佐々木直人
『えっと』
『ぜんぜん気にしてないから』
『超ほんと』
『だから気にしないで』


『ほんと?』
『怒ってない?』


佐々木直人
『ほんとほんと』
『それに今は』
『西沢さんがいるからね』
『帰ったらまた』
『一緒に帰ったり遊んだりしようね』


『うん! 約束だよ!』


佐々木直人
『あ、でも』


『なに?』
『どうしたの?』
❓❓


佐々木直人
『そろそろ中間テストだから』
『勉強しないと』
『いけないかなって』


『うぐっ……』
『テンションが落ち武者』
『なんか変な予測変換でちゃった』
💦


佐々木直人
『ごめん!』
『旅行中なのに』
『テストのことは忘れて楽しんでね!』


『大丈夫です』
『スクショ見れば元気出るから』
『無問題』


佐々木直人
『まさか例の!?』
『やめて!?』
『せめて僕に言わずにこっそり見て!』
『恥ずかしくて死んじゃうから!』


『じゃあ』
『こっそり見たことを報告するね』


佐々木直人
『もっとやめて!?』


『あはは』
『冗談だし』
『佐々木くんが嫌がることはしないから』


佐々木直人
『西沢さんってさ』


『なになに?』
💓


佐々木直人
『けっこうお茶目だよね』


『そうかな?』


佐々木直人
『実はさ』
『もっと静かな感じの女の子だって思ってた』


『えっと』
『もしかして幻滅しちゃった?』


佐々木直人
『まさか』
『そんなことありえないし』
『親しみやすくていいと思うよ!』


『えへへ、ありがとさんです』
『あ、もうこんな時間割』
『また予測変換が』
『ぴえん』
🥺
『いつもライン付き合ってくれて』
『ありがとう!』


佐々木直人
『僕も楽しいよ』
『こっちこそありがとう!』


『おやすみなさい』


佐々木直人
『おやすみ』
『またね』


 夜寝る前に、今日一日あったことをラインで佐々木くんに報告する。

 そしてそんなわたしに、佐々木くんは普段と変わらない様子で楽しく返事を返してくれた。
 だから旅行中はいつもみたいに佐々木くんに会えなくても、それだけでわたしはとても幸せな気分になれるのだった。

 まぁ今日はちょっと失言して焦っちゃったけど。

 人は些細なことで傷つくし、ケンカをするし、そして誰かを嫌いになったりする。
 だから気を付けないといけなかったのに――。

「佐々木くんが優しい人で良かった……」

 佐々木くんとなんでもないやり取りをするだけで、佐々木くんのことを考えるだけで、胸がポカポカと温かくなってくる。

 付き合えば付き合うほどに、いつもにこにこしてて優しい佐々木くんと、でもここぞという時に見せる芯の強い佐々木くんに、わたしはどんどんと魅了されていくのだった。

「佐々木くん、好き……大好き……。この幸せがずっと続きますように――」
 離れていてもラインで西沢さんとやり取りを続けたこともあって、一人で家にいた去年までとは別次元に楽しかったゴールデンウィークが明け。
 僕と西沢さんは来たる中間テストに向けて一緒に勉強会を開催していた。

 場所は学校の図書室だ。

 今どき図書室で勉強する生徒はあまりいないのか、図書室に人はまばらでほとんど僕たちだけの貸し切り状態だった。

 人の出入りがある入り口から離れた一番奥の席に、西沢さんと隣り合って座る。

 しかし勉強会は特に何があるでもなく、つつがなく終了した。

「なんだか思ってたより静かに終わっちゃったね? ドラマとかでよくある、お互いに質問して答え合うみたいなイメージをしてたから、ちょっと残念だったかも」

「あー、それ僕もちょっとだけ思った」

「佐々木くんと家庭教師ごっこできるって思ったのになぁ」

「まぁわからないところがないに越したことはないんだけどね。順調にテスト勉強ができているわけだし」

 でもそうなった理由はなんとなくわかる。
 そもそも西沢さんはいつも真面目に授業を受けてるし、宿題を忘れたことも見たことがない。

 そして僕もそれなりに真面目に授業や宿題をこなしていて。
 しかもまだ高1の最初の中間テストだったから、普段からちゃんと勉強してさえいれば特に難しい内容でもなかったからだ。

「さすがにわざと質問して佐々木くんの勉強の邪魔をするのは、ちょっとどうかなって思ったんだよね」

「でも西沢さんが一緒だったおかげでさぼろうって気にはならなかったから、そこはすごく効果あったんじゃないかな」

「あ、それわたしも! 佐々木くんが見てる前でだらけたところは見せられないって思ったから、すごく集中してやれたんだぁ」

「ってことは、お互いに勉強会としては大成功だったわけだね」
「だねっ♪」

「明日もやる?」
「佐々木くんは明日も放課後空いてるの?」

「僕は帰宅部だから放課後はいつも空いてる感じ」
「わたしもだよ。じゃあまた明日の放課後も勉強会ってことでいい?」

「了解」
「あ、でもその前に」

 西沢さんがなにやらとても嬉しそうな顔をした。

「なに、どうしたの?」

「今から教え合いっこしない? 今日とか周りに誰もいないから、ちょっとくらい声だしてもオッケーだと思うし」

「そんなにしたかったんだね……」

「だって図書室でこっそり2人で教え合いっこをするって、ドラマみたいでちょっと憧れない?」

 小さな子供みたいに目を輝かせてイタズラっぽく笑う西沢さんは、それはもう可愛すぎて。
 僕としてはその申し出を断る理由なんてものは、どこにもありはしないのだった。


 それからテストまでの間。
 僕と西沢さんはほとんど毎日放課後の勉強会をした。

 そのおかげもあって、高校生になって最初の中間テストは、

「見て見て、19位でした!」
 西沢さんがなんと学年上位20位以内に入り。

「僕は47位、まぁまぁいい感じかな」
 僕も50位以内と想定を大きく超えた高順位を取ることができていた。

「効果抜群だったから、期末テストの前も一緒に勉強しようね佐々木くん」
「西沢さんさえよければ喜んで」

 そんな約束もして、僕たちの中間テストは無事に幕を閉じたのだった。
 『それ』は突然の出来事だった。

「おや、彩菜じゃないか。今帰りかい?」

 テストも終わってすっかりいつも通りの日常に戻った僕と西沢さんが、学校帰りに駅前まで来たところでそんな風に声をかけられたのは。

 見るとそこには、スーツ姿がカッコよく決まったナイスミドルな中年男性がいて――、

「あ、お父さん。そうだよ、学校終わって帰ってきたところ。でもお父さん、今日は遅いって言ってなかったっけ?」

 西沢さんが明るい声でそんなことを言ったのだ。

(えっ!? お父さん!? 西沢さんの!?)

 突然の事態に僕は身体を強張らせた。
 だってまさか西沢さんの――彼女のお父さんと出会っちゃうなんて!

「その予定だったんだけどね。とんとん拍子に仕事が進んで逆にいつもより早く帰れたんだ」
「あ、そうだったんだ。良かったね!」

「ところで彩菜、そちらの男の子はお友達かい?」
 西沢さんのお父さんが僕に視線を向けてきた。

「そうだよ、同じクラスの佐々木くん」

「は、初めまして、佐々木と申します。西沢さんとはとても仲良くさせて頂いております!」

 西沢さんのお父さんとのいきなりの対面に死にそうなくらい緊張しながら。
 それでもなんとか最後まで挨拶をする。
 少し堅苦しいのはご愛敬だ。

 ちょっと前までの僕と違って、今の僕はあたふたしたり緊張していても、こうやって伝えたいことを言葉にすることがちゃんとできるようになっていた。

 陽キャの人たちにとってはこれくらいは当たり前なんだろうけれど。
 人とのコミュニケーションがあまり得意ではない僕にとっては、これだけでも大きな進歩なのだ。

「初めまして佐々木くん、彩菜の父の(おさむ)です。ところで仲が良さそうだけど、2人は付き合ってるのかい?」

「えっ!? いえあの、その――」

 どうにか自己紹介した途端、返す刀でノータイムで核心的問題に踏み込まれた僕が、完全に頭を真っ白にして言いよどんでいる間に、

「そうだよー」
 西沢さんがなんでもないことのようにさらっと答えてしまった。

「やっぱりなぁ。最近の彩菜は家でもよくスマホを見てそわそわしていたから、男の子と一緒なのを見てピーンと来たんだ」

「ちょ、ちょっとお父さん、別にそわそわなんかしてないでしょ?」

「なんだい、気付いてなかったのかい? よくにやにやしながらスマホを眺めているじゃないか。最近お弁当を作ってあげたり、放課後に一緒に勉強していたのも佐々木くんなんだろ?」

「うっ、なんで知ってるの……?」
「逆に聞くけど、一緒に生活してるのに彩菜はなんで知らないと思ったんだい?」

「ううっ……っていうかにやにやはしてないでしょ!」

「ははっ、母さんがいつも言ってるぞ。最近の彩菜はいつも嬉しそうに笑ってるって。そういうわけで佐々木くん、せっかくだからうちで晩ご飯を食べていきなさい。明日は土曜日で高校も休みだろう?」

「えっと、いえその、急にお邪魔するのは悪いような……その、西沢さんのお母さんも、いきなり1人分増えたら食事の用意も大変でしょうし」

「はははっ、それなら母さんにはもう連絡済みだから大丈夫さ。彩菜が例の彼氏っぽい男の子と歩いてるって連絡したら、是が非でも連れてくるようにって返ってきてね」

 そう言うと西沢さんのお父さんは、お母さんとやりとりしたラインを見せてくれた。

 『絶対に連れてきて!』という文面に『確保!』という絵文字スタンプを加えているあたりに、西沢さんのお母さんの強い気持ちが見て取れる気がした。

「じゃあえっと、今日は晩ご飯はいらないって家に連絡してみますね」

 そういうわけで。
 なんと僕は。
 今から、西沢さんの家に晩ご飯に招かれることになってしまったのだ――!
「こんばんは佐々木くん。それと初めまして、今日は急に来てもらってごめんなさいね」

 西沢さんのお父さんも合流して3人になった僕たちが家に着くと、すぐに西沢さんのお母さんが出迎えてくれた。
 西沢さんによく似た顔つきの綺麗なお母さんだった。

「いえいえそんな、滅相もありません。晩ご飯にご招待してもらってすごく嬉しいです」

「ふふっ、そんなに緊張しないでいいわよ、っていうのも無理な話よね。もう少ししたら晩ご飯の用意ができるから、それまでリビングで待っててもらえるかしら?」

「わ、わかりました」

「じゃあわたし着替えてくるから、ちょっとだけ待っててね。すぐ来るから」

「う、うん」
 西沢さんとお父さんが着替えに行って、お母さんは食事の用意をしてる。

 なので僕が一人で緊張と不安で胸をいっぱいにしながら、リビングのソファに座って待っていると。
 とてとてと小さな足音がして白黒の猫がひょこっと顔を出した。

 猫は『なんじゃこいつは?』って感じで、不思議そうに僕の顔を見上げてくる。

(この白黒の模様、たしか前に写真を見せてもらったちび太だよね?)

「チュッチュッチュ、ちび太~、おいで~」
 特にすることもないしせっかくの機会なので、猫なで声を出して呼んでみた。

 ちび太は最初こそ僕の様子をうかがっていたものの。
 人畜無害だと判断したのかすぐに足元にやってきて身体を何度か擦り付けると、ぴょんと僕の太ももに飛び乗ってくる。

(猫って人見知りするから飼い主以外には懐かないって聞いてたけど、ちび太は人懐っこい子なんだね)

 僕が頭や背中をそっと優しく撫でてあげると、ちび太は目を細めてゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らし始める。
 そしてついには僕の太ももの上でどっしり腰を落ろすと、ペロペロと自分の手足や身体を舐めて毛づくろいをし始めた。

 そんなちび太をなんとはなしに撫でていると、

「お待たせ~」
 私服に着替えた西沢さんがリビングへと戻ってきた。

「えへへ、どう、似合うかな?」

 西沢さんは僕の目の前でクルッと回って聞いてくる。
 遠心力で膝上のフレアスカートがふわっと浮き上がって、西沢さんの真っ白な太ももがあらわになってしまい、僕は慌てて目を逸らす。

「う、うん。すごく似合ってて可愛いと思うよ」
「ありがと♪ ってあれ? ちび太が佐々木くんの膝の上でまったりしてる」

「なんだか懐かれちゃったみたいでさ。ちび太はあんまり人見知りしない猫なんだね」

「ううん、全然そんなことないよ? お隣さんが来てもビビって2階に逃げてく超人見知りっ子だもん。ちび太が初対面の人にこんなに懐くのを見たの、わたし初めてかもだし」

「あれ、そうなんだ? とてもそんな風には見えなかったけど」

「さすが佐々木くん、ちび太にも一発で気に入られたってことだよね」
「そうなるのかな?」

「ねーちび太、ちび太も佐々木くんが優しいのわかるんだよねー、あ痛っ!?」

 僕の膝の上でくつろいでいたちび太が、頭を撫でようと手を伸ばした西沢さんにまさかの猫パンチをお見舞いした。

「だ、大丈夫、西沢さん!?」
 見ると西沢さんの人差し指にうっすらと赤い線が入っている。

「ひっかかれちゃった……」
「こらちび太、西沢さんは飼い主なんだからおいたしちゃだめだからな?」

 にゃ~。
 ちび太は甘えたように鳴くと、甘えたように僕のお腹に頭をこすりつけてくる。

「なんか、ちび太が佐々木くんを自分のものだって思ってるみたいなんだけど……」
「あははは……」

「うぅっ、まさか身内にライバルがいたなんて……」


 その後、しばらくちび太を撫でながら隣に座った西沢さんと話していると、着替えたお父さんがやってきて。
 ついに西沢さんのご両親との晩ご飯が始まった。
「今日はステーキよ」
 西沢さんのお母さんにそう言われて、

「えっとあの、すみません、僕のためにステーキなんかを用意してもらって」
 僕はつい恐縮してしまった。

「ふふっ、遠慮しないでいいのよ? ちょうどふるさと納税の返礼品でお肉が届いたところだったんだから」

「そうそう、結構量が多かったから食べきれるかなって心配だったんだよな。だから今日、佐々木くんが来てくれて助かったよ」

「だって。佐々木くん、いっぱい食べてね。はい、ナイフとフォーク」

「ありがとう西沢さん。それでは遠慮なくいただきます――――すごく柔らかくて美味しいです!」

「佐々木くんのお口に合って良かったわ」

「ははっ、母さん。ステーキを嫌いな男の子はいないさ」
「修さんも昔から大好きだったものね。覚えてる? 初めてのデートで特大ステーキをぺろりと平らげたの」

「もちろんさ。懐かしいな、食べっぷりがすごいって褒めてくれたよな」

「今だから言うんだけど、実はあの時、口ではそう言ったんだけどね。心の中ではこの人と結婚したら食費が大変なことになりそうだから、いい人そうだけどやめておこうかしらって思ってたのよね」

「な、なんだって!? 男らしさをアピールしたつもりが、まさかそんな風に思われていたなんて……」

「今となってはいい思い出よ。修さんのそういう時々抜けてるところも素敵だと思うわよ?」

「ちょっとお父さん、お母さん。せっかく佐々木くんが来てるのに、勝手に2人の恥ずかしい昔話で盛り上がらないでよね。わたしが恥ずかしいんだからね、もう」

「あらあら、彩菜に怒られちゃったわ」
「彩菜も年頃だもんなぁ」

 その後は、西沢さんのお父さんとお母さんから色んなことを聞かれた。

「佐々木くんと彩菜は同じクラスになったことで付き合い始めたのかい?」

「ううん、最初は普通のクラスメイトだったんだけど、佐々木くんがおばあちゃんを助けてくれたことがあって、それがきっかけ」

 ステーキを口に入れていた僕が飲み込んでから答えるよりも先に、西沢さんが説明をしてくれた。

「おや、佐々木くんはお義母さんと知り合いだったのかい?」

「いえ、住んでるところがたまたま近くでして。その日はたまたま水道工事があったからいつもの道が通れなくて、違うルートで家に帰ったんです。そうしたら転倒しているの偶然見かけたんです」

「買い物帰りにおばあちゃんがこけちゃったんだけど、その時にみんな見て見ぬふりをしてたのに、佐々木くんだけがすぐに大丈夫ですかって助けに来てくれたんだって。しかもおばあちゃんの家までスイカを運んでくれたんだよ、丸々1個!」

「へぇ、それはすごいな。人助けなんてなかなかできることじゃない。佐々木くんは偉いね」

「いえ、あの、実のところそこまでのものでは――」

「でしょ!? 佐々木くんはすごいんだもん! でね、それからちょっとずつ挨拶とかするようになって、付き合うことになったの」

 僕の言葉に被せるように西沢さんが鼻息荒く言う。

 ご両親は西沢さんの説明に笑顔でうんうん頷いているし、過大評価されているようで小心者な僕としてはやや心苦しかった。

 何度も言うけどあの時の行動はおばあちゃんを助けないとって気持ちより、見捨てることで自分が嫌な思いをしたくないっていう、とても後ろ向きなものだったからだ。

(でももう状況的にとても言い出せない雰囲気……うん、これからは少しでも評価に追いつけるように頑張ろう)

「そう言えば毎日勉強会をしたって言ってたわよね? それも佐々木くんとだったのよね?」

「そーだよ。おかげで20位以内に入れたの。佐々木んも50位以内だったし。すごく集中して勉強できたんだから」

「そうかそうか、2人とも頑張ったんだな」
「いいわねぇ、彼氏と一緒に勉強会だなんて。青春だわ」

「憧れるよな。母さんとは大学で知り合ったんだけど、学部が違ったから一緒に勉強はしなかったもんなぁ」

「あら、私は高校の時に付き合ってた男の子と一緒に図書室で勉強会してたわよ?」
「な――っ」

「ふふっ、妬いちゃった?」
「まぁ……妬かないと言えば嘘になるかな」

「でも今は修さん、あなたにぞっこんだから安心してくださいな」
「そう言ってもらえると嬉しいな」

「だーかーら! お父さんとお母さんだけで、勝手に昔の話して盛り上がらないでってばぁ!」

「あはは――」

 …………

 ……
 そんな感じで西沢さんの家に招かれてご両親と晩ご飯を食べるという、超特大の場外ホームランな突発イベントは。
 緊張しながらもつつがなく進み。
 僕にしてはかなり話も弾んで、大きな失敗もすることなく無事に終了した。

 食後のデザートにケーキまでご馳走になった後、僕は家の前で西沢さんにお見送りをしてもらっていた。

「ごめんね佐々木くん、お父さんとお母さんが自分たちの昔話ばっかりしちゃって。いつもはこんなんじゃないんだけど、娘が彼氏を連れてきたってことで、2人ともはしゃいじゃったみたい」

「あはは、全然気にしないで。西沢さんのご両親が明るくて話しやすい人で僕も楽しかったし」

「そう? だったら良かったんだけど」

 ちょっとホッとしたような顔をする西沢さん。
 そんなに心配しなくても大丈夫なのに。
 結構心配性なのかな?

「雰囲気が西沢さんにすごく似てるなって感じて、まるで西沢さんが3人いたみたいだったから」

「……それって褒めてるの?」
「もちろんだよ?」
「ならいいんだけど」

 あれ?
 僕としては最大限に褒めたつもりだったんだけど。

「それにステーキもすごく美味しかったしね。僕、松坂牛なんて初めて食べたよ。噛まなくても飲み込めそうなくらい柔らかくて、本気でびっくりした」

「えへへ、実を言うとわたしも今日初めて食べたんだけど、すっご~~~く柔らかかったよね。もうなにこれ!って感じ。お肉が口の中で『ふわぁ~』ってとろけるんだもん」

「『ふわぁ~』だよね、わかる! あ、あとは西沢さんが小さい頃の秘蔵の話も聞けたのも良かったかな」

「うう~っ! お父さんもお母さんもわたしが中学校の遠足でお弁当忘れた話とか、ビアノの発表会でつまづいてこけた話とか、失敗した話ばっかりするんだもん。わたし恥ずかしくて泣きそうだったんだから……」

「子供の頃の話でしょ? もう時効だし、笑い話だと思うけど」

「笑い話じゃないもん、わたしの尊厳の問題だもん。アホの子だって思われて佐々木くんに嫌われたくないんだもん」

「だからそんなことで西沢さんを嫌いになったりしないってば」
「ほんと……?」

「ほんとほんと。むしろ僕が知らなかった西沢さんを知ることができて、今日はすごく嬉しかったんだから」

「えへへ……やっぱり佐々木くんは優しいね」

「また昔の話を聞かせてね、小学校の頃とかさ。あ、そうだ。6年生の修学旅行って西沢さんはどこ行ったの?」

「え、わたし? あの、わたしは……えっと、その……さ、佐々木くんは?」

「僕? 僕は伊勢神宮だったんだ。夫婦(めおと)岩も見たし、最終日は奈良にも行って鹿にエサもあげたんだ」

「そ、そうなんだ」

「もうすごかったんだよ? 僕が鹿煎餅を取り出した途端に、鹿がいっせいに集まってきてさ。しかもあいつらってばガンガン頭突きをしてくるんだよ。それで僕が鹿煎餅を落としたら、もう僕なんかに見向きもせずに落ちたのを一斉に食べ出すんだもん」

「ええっ、それで怪我とかしなかったの?」

「びっくりしてすぐに落としちゃったからね。そういう意味では下手に抵抗するよりも良かったのかな? それで、西沢さんは修学旅行はどこに行ったの?」

「え、あ、う、うん……わたしは……どこだったかな?」

「……え?」

(あれ? 修学旅行でどこに行ったか、西沢さんは覚えてないのかな? 修学旅行って小学校で最大のビッグイベントだよね? いや別にいいっちゃいいんだけど。そりゃそういう人もいるかもだよね)

「き、機会があったら話すから。それより、ねぇねぇ。明日の土曜日って佐々木くんは暇?」

 西沢さんはあまりこの話はしたくないのかな?
 ちょっと強引な感じで話を変えた――ような気がした。

「僕は基本的に休みの日はいつも空いてるよ。テストも終わったところだから宿題以外はしないだろうし」
「だったら一緒に遊ばない? カラオケとか行こうよ」

「えーと、歌はあんまり得意じゃないんだけど、それでもいいなら」

 僕は音痴ってわけじゃないけど、特技なしを自称するだけあって歌うのも決して上手くはない。

「そんなの全然オッケーだよ~。わたしは佐々木くんと一緒に行きたいんだから」
「僕も西沢さんの歌を聞いてみたいかな。じゃあ時間はどうしようか?」

「うーんと、そうだね……お昼くらいから? 適当にモールをぶらぶらしてから、カラオケに行こっ♪」

「じゃあお昼の1時に駅前で待ち合わせでいい? いつも学校帰りにバイバイする南口の改札を出たところで」

「1時にいつものところね、りょうかーい。おめかししていくから楽しみにしててね♪」
「うん、楽しみにしてる」

「じゃあまた明日ね、佐々木くん」
「うん、また明日。バイバイ西沢さん」
「ばいば~い♪」

 手を振って西沢さんと別れた僕は、駅に向かうと電車に乗った。
 そして座席に座ったところで僕は「ふぅ……」と大きく息を吐く。

(西沢さんのご両親といきなり対面ってのはさすがに緊張したなぁ……)

 付き合ってる彼女の家に行って両親と食事会っていうのは、彼氏にとって考えられうる最も難易度が高いイベントじゃないだろうか?

 それでもご両親ともにとてもフレンドリーに話してくれたので、想像していたよりもはるかに緊張度合いは低かったわけだけど。

 その証拠に、僕はお肉をそれはもうガッツリと食べてしまっていた。
 いくら口の中でとろける最高級の松坂牛だったとはいえ、もしガチガチに緊張していたらあんなにガッツリは食べられなかったはずだ。
 そもそも僕は同世代男子と比べて食が細いほうだし。

「後はまぁぶっつけ本番ってのが良かったのかな」

 思い返せばそもそもの始まりであるラブレターにも名前がなくて、屋上でいきなり西沢さんに告白されたし。
 初デートもショッピングモールの入り口で偶然会って、そのままデートをしたし。

 西沢さんとはなんでか、こういう超ぶっつけ本番のイベントが多い気がする。

 おかげで心の準備をする必要がなかったし、あれこれ思い悩む時間もなくて済んだのだ。
 そう言う意味では余計なことを考えないで済んだから良かった気がするよね。

 僕は時間があればあるだけ考えすぎてしまって、結局いい考えも浮かばずにドツボにハマっちゃうタイプだから。

(でも別れ際の西沢さん、ちょっとだけ変だった気がしたな……)

 小学校の修学旅行について尋ねた時に、露骨に視線を外されてしまった。
 いつも僕の目を見て話してくる西沢さんだったから、僕はそのことが少しだけ気になっていた。

 周りが暗かったからはっきりとはわからなかったんだけど、少し顔が強張っていたような気もする。

(うーん。話の流れ的に、修学旅行で何か大きな失敗をしたからあんまり話したくなかったのかな?)

 もしそうだとしたら無理に聞き出すのは良くないよね。
 西沢さんが嫌がることを敢えてする必要なんてないのだから。

 そんな風に考えた僕は、だからこのことについてはもう考えないようにしたのだった。

「明日のカラオケ楽しみだなぁ。それと松坂牛のステーキ、ほんと美味しかったなぁ……」
 昨日別れ際に約束した通り、僕は西沢さんとカラオケデートに行くべく、土曜日にしては早起きをした。

 しっかりと朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びて寝汗を完全に洗い落とす。

「なんとなく身体付きがしっかりしてきた気がする……ようなしないような」
 シャワーを浴びながら風呂場の鏡に映る自分の姿を見て、僕は何とはなしにつぶやいた。

 休みの日もテスト期間中も。
 毎日欠かさず続けている筋トレの成果が出ている……気がしなくもない。

 試しに力こぶを作ってみたんだけど、前がどうだったのかを正直よく覚えていなかったので、比較することはできなかった。

「でも何でもやってみるもんだよね。少しずつ回数も増やせるようになったし、このまま頑張ろうっと」

 運動はずっと苦手だったし、腕立て伏せ・腹筋・スクワットを20回するだけで最初は死ぬほどしんどかったんだけど。
 根気よく続けて慣れてくると、意外なほど簡単に筋トレをこなせるようになっていたのだ。

 今ではそれぞれ30回まで回数を増やしている。

 西沢さんとお付き合いすることがなければ、こんな風に自分を変えようと思って筋トレを頑張ろうなんてしなかったはずだ。 

 最近は大きな声でハキハキ――は無理でも、ちゃんと相手に伝わるくらいにはしっかりと話せるようにもなっているし。

 そんな風に僕を変えてくれたのは間違いなく西沢さんで。
 だから僕は西沢さんとの出会いに本当に感謝をしていた。

 そんなことを少し思いながら、身体を拭いてデート用の私服に着替える。

 着ていく服は初めてデートした日に西沢さんと一緒に選んだものがいくつかあるので、2回目の私服デートではまだまだ全然悩む必要はない。

 僕はファッションについて極めて疎いから、もし独力でコーディネートするとなると、どれだけ時間をかけて選んでも『最低限』をなんとかクリアするのが関の山だろう。

「でも西沢さんに選んでもらったおかげでそこに自信が持てるから、すごく気持ちが楽なんだよね」

 しかも服を買いたい時は、また西沢さんが一緒に見てくれるって言うんだから心強いことこの上ない。
 なにより、ファッションのことも知ってるよって見栄を張らなくてもよくなったのだ。

 僕も年頃の男子だから、女の子からダサいと思われたくはない。
 それが彼女である西沢さんならなおさらのことだ。

 だから服を一緒に選んで欲しいなんてことは、僕は自分からは絶対に言い出せなかっただろう。

「そのお返しってわけじゃないんだけど、できれば僕も西沢さんに同じように何かをしてあげられたらいいんだけどな……」

 そうは思っているものの。
 残念ながら今はまだこれと言うのは思いつかないでいる僕だった。


 とまぁそんな感じでデートの準備は万全に進んで。

 僕は待ち合わせの時間に絶対に遅れないように、30分は早く着く計算で早めに家を出た。
 これなら万が一、電車が遅延しても最悪早足で行けばギリギリ間に合うからだ。
 やっぱり男の子としては、好きな女の子を待ちぼうけさせたくはないもんね。

 そして特にトラブルがあるでもなく予定通りに30分前についた僕が、昨日約束した南改札口前でどうにもそわそわしながら待っていると、

「あ、西沢さんだ」
 西沢さんが待ち合わせ時間の15分も前にやってきた。

 15分前に来るなんてさすがは西沢さんだ。
 遅刻という言葉とは無縁だね。

「あれ、佐々木くんがもういる? こんにちは、佐々木くん」
「こんにちは西沢さん」

「それとごめんなさい。早めに来たつもりだったんだけど、待たせちゃった?」

「ううん、僕も今来たところだから」
「ほんと?」

「ほんとほんと。ついさっき来たところだから。それと……」
「なぁに?」

「その、今日の私服も似合ってるね。すごく大人っぽい感じがする」

 僕はまず最初に、西沢さんのおしゃれな私服を褒めた。
 初デートでは西沢さんに「で? わたしは?」って聞かれるまでその事に思い至らなかったから、今日は絶対に最初に褒めようと心に誓っていたのだ。