「とにかく可愛い西沢さん!」 勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~

 僕は冴えない底辺男子だ。
 背も低いし特技もない、勉強も運動もできやしない。

 だから僕は、僕という人間をどうしても誇れない。
 他人と比べるたびに劣等感を抱いてしまう。

 だけどそんな僕でも、西沢さんが好きになってくれたことだけは誇れるから!

 だから僕は、僕を好きになってくれた西沢さんのためにも。
 西沢さんの彼氏だってことだけは堂々と胸を張って、ちゃんと言葉にして言うんだ!

「僕と西沢さんはお互いに好き合ってる正真正銘のカップルです。なんと言われようと、それが事実です」

 僕はその一念をよりどころに、胸倉を掴んでくるサッカー部キャプテンと至近距離でにらみ合う。
 心臓が口からとび出そうなくらいにバクバク言っていた。

 サッカー部キャプテンの後ろにはバスケ部のキャプテンと柔道部の主将もいるし、3対1で実力行使されると勝ち目はない。

 それでも僕は決して目を逸らしはしなかった。

 どれだけ睨まれても、視線を外さないでいることが。
 それがなんの取り柄もない僕ができる、たった一つの西沢さんへの愛の証明方法だから――!

 そのまましばらくサッカー部キャプテンと真正面からにらみ合っていると、突然ふっと胸倉を掴んでいた手から力が抜けた。

「いい眼をしているね」

「え?」

「ごめんね、君の覚悟を試したかったんだ」

「は、はぁ……」

「どうやら君はいっぱしの男みたいだね。怖い目にあわせて悪かった。この通りだ、どうか許してくれないだろうか」

 サッカー部キャプテンは突然、穏やかな口調でそう言うと、その場で見事な土下座した。
 後ろの2人もそれに続いて土下座をする。

「えっと、あの、いったいなにが……? でもまずはとりあえず立ってもらっていいですか?」

 3年生の先輩がたを土下座させたまま話すのはなんとも心苦しかったので、僕は取り急ぎ3人に立ってもらった。

「君が西沢の彼女に相応しい男かどうか見定めさせてもらったんだ」

 そう言ったサッカー部のキャプテンは、さっきまでの怖い顔から一転、女の子が見たら胸を高鳴らせること間違いなしの、柔和なイケメンスマイルを浮かべていた。

「は、はぁ……見定める、ですか?」

「そうだ。僕にすごまれても君はわずかも目を逸らしはしなかった。聞いていた話と違って、ずいぶんと男らしいじゃないか」

「そ、それはどうも……」

 先輩は僕に関するどんな話を聞いてたのかな?
 もし根暗なぼっち陰キャってことなら、合ってると思いますよ?

「まったく、ヘタレな陰キャに西沢が脅されてるかも、なんて聞かされたからちょっと強引な手を使ったんだけど。なかなかどうしていい根性してるじゃないか」

「あ、ありがとうございます」

「君みたいなタイプは磨けば伸びると思うんだ、よかったらサッカー部に入らないかい?」

「えっと、僕は運動はあまり得意じゃなくて……」

「人間の身体ってのはね、理論に従って動かす訓練さえすれば誰でも正しく動くようになるものなんだよ」

「あ、そうなんですね」

「で、どうかな?」

「えっと、その……やっぱり遠慮しておきます」

「そうか、残念だな」

 サッカー部キャプテンは本当に残念そうに言った。
 なんかすごくいい人っぽいよね?

(ってことはさっきのは全部演技だったのか)

「それで僕は皆さんのお眼鏡にかなったということでしょうか?」

「もちろんさ。西沢が君を選んだのにも納得できたよ。彼女は男を見る目もあるみたいだね」

「そう……なんですかね?」

 スクールカースト最上位の一人であるサッカー部キャプテンからやたらと高評価を受けた僕は、なんとも居心地が悪くて苦笑いをしたのだった。

「もし何か困ったことがあったら言ってくれ、俺たちが力になるから。だから絶対に西沢を幸せにしてやってくれよ」

「応援ありがとうございます。そうなるように全力を尽くします」

 こうして先輩方から屋上に呼び出された一件は、途中で思っていた展開とは全然違って、とても平和に解決したのだった。
「佐々木くん、一緒に美術室行こうよ?」
「あ、うん。すぐに用意するからちょっと待ってね」 
「はーい」

 西沢さんに誘われた僕は、急いでカバンから美術の教材を取り出した。

 次の時間は芸術の選択科目で、美術を取っている僕と西沢さんは隣の校舎にある美術室まで教室移動をしないといけないのだ。

「ごめん、お待たせ」
「ううん全然だし。じゃあ行こっか」

 僕と西沢さんは連れ立って美術室へ向かいながら、とりとめもない話をしていく。

「ねえねえ、美術選択ってことは佐々木くんは絵を描くの好きなの?」

「んー、どっちかって言うと嫌いかな。絵を描くのは苦手だから」

「そうなの? なのに選択科目で美術を取ったの? ってことは絵を描くのが上手くなりたいって思ってるとか?」

「そういうんでもなくて、他の人が音楽を取って枠がいっぱいになったから、じゃあ僕は美術でもいいやって思っただけ。別に音楽が得意ってわけでもないからさ」

 とは言うものの、本当は音楽の方が楽だって聞いてたから、選択科目は音楽を選択したかった。
 だけど上位カーストの人たちがこぞって音楽を選択して枠がいっぱいになってしまったのだ。

 音楽と美術はクラスから半々で出さないといけないから、そこからは話し合いで決めるんだけど。
 こういう時は僕みたいな下層カースト男子はそっと身を引くのが、悪目立ちしてハブられたり、イジリと称してイジメの標的にされないために必要な行動なのだった。

「やっぱり佐々木くんって優しいよね」

「多分西沢さんが思ってるようなことじゃないんだけどね」

 どこまでも心がピュアな西沢さんに僕はつい自虐気味に苦笑する。
 優しいんじゃなくて、美術を選んだのは自己保身というどうしようもなく後ろ向きな理由だ。

「そんなことないもん。佐々木くんのそういう優しいところはもっと誇っていいと思うなぁ」

「ありがとう西沢さん。西沢さんにそう思ってもらえたら、僕としてはそれだけで充分だから」

「うんうん。少なくともわたしは、佐々木くんの優しいところが大好きだからねー」

「えっと、うん……う、嬉しいよ」

「あ、照れてるし」

「そりゃ照れるでしょ? いきなり大好きとか言われたら。しかもここ学校だからね?」

「ぜんぜん大丈夫だもーん、周りに人はいないもーん」

「もう西沢さんってば……」

 お茶目に言いながら西沢さんが肩をくっ付けてくる。

 誰かに見られたらとも思ったけれど。
 西沢さんの言うとおり周囲には誰もいなかった。

 だから少しだけそのまま肩や腕をくっつけ合いながら歩いていく。

(でも後ろ向きな理由だったけど、結果的に美術を選んで良かったよね)

 理由はもちろん西沢さんが美術を選択していたからだ。

 今までは選択科目が同じでラッキーくらいにしか思っていなかったけど、今は僕と西沢さんは彼氏彼女の関係だ。

 美術室で行われる美術の授業は席が自由だから、僕は彼女である西沢さんと隣り合わせで美術の授業を受けられるんだから。

 そうして始まった美術の授業。
 今日の課題は先週から引き続いて、鉛筆画でレモンを描くことだった。

 僕は絵を描くのが苦手だったから、ずっと下手な絵を描き続ける美術の授業は苦行でしかなかったんだけど。
 西沢さんと一緒というだけで、その時間はとても楽しい時間に早変わりしていた。

 絵を描いている時は少しくらいならおしゃべりしても怒られないしね。

 僕はグリッ、グリッっと不格好に鉛筆を動かしながら、画用紙に下手くそなレモン(っぽい何かの物体)を描いていく。

 白黒で色がないからレモンとはわからないかもだけど。
 でもギリギリ一応サツマイモかなにかの楕円形の野菜的な物に、かろうじて見えなくもないんじゃないかな?

 ……まぁ一番似ているのは多分ラグビーボールなんだけど。

 あとなんていうか立体感が皆無だった。
 もろ平面。

 つまりはっきり言って、僕の絵は下手っぴだった。
 この小学生が描いたような絵を西沢さんに見られるのは、かなり恥ずかしい。

「ふんふーん♪」

 そんな僕とは対照的に。
 隣でシャッシャ、シャッシャと軽快に鉛筆を動かす西沢さんの画用紙の中には、既に見事な白黒レモンが描かれつつあった。

「うわっ、西沢さんってすごく絵が上手なんだね。白黒なのにちゃんとレモンだってわかるもん。すごいな、鉛筆だけでこんなに綺麗に描けるものなんだ」

「昔から美術は結構得意なんだよね。何もない真っ白なところに絵を描いていくのって楽しくない? あ、そうだ、良かったら簡単なコツとか教えてあげるよ?」

「え、いいの?」
「もちろんだよー」

「じゃあお言葉に甘えさせて教えてもらおうかな。立体感とか全然でなくて。では西沢先生、よろしくお願いします」

「うむうむ苦しゅうないぞ」
「……何キャラ? 時代劇のお殿様?」

「な、なんとなくノリで……。こほん、えっとね? 立体的に見せるには、おおまかには光の当たる面を意識するの」

 照れてるんだろう、説明を始めた西沢さんの顔はちょっと赤い。

「光の当たる面って?」

「全体を同じトーンで描くんじゃなくて、この面は光が当たって明るくて、この面は当たってないから暗く影になってて、この面はその間くらい、って感じで分けて考えるの。そうやって光の当たる面を意識しながら描いていくと、自然と立体感が出てくるんだよ」

「へぇ、なるほどね」

 西沢さんはまるで美術の先生みたいだった。
 っていうか本来、美術の授業はこういうことを先に教えてから絵を描かせるべきじゃないんだろうか?
 いきなり鉛筆画でレモンを描けって言われても普通は描けないよね?

「うんとね……ほら、こんな感じ。ここは光が当たってるけど、ここは当たってないから影を作って……」
 西沢さんが実際にお手本をみせてくれる。

「うわ、すごい! 立体感が増した!」
「ふふん、でしょ?」

「おかげで、なんとなくどうやればいいかがわかった気がするかも。ちょっとやってみるよ」

「わからないことがあったら何でも聞いてね」

「うん、ありがとね、西沢さん」

「いえいえどういたしまして」

 僕は西沢さんのアドバイスを参考に、光の当たる面を意識しながら『もろ平面レモン』に修正を加えていく。

 他にも影のつけ方のコツなんかを聞いて、そうしてしばらく西沢さんにアドバイスをしてもらいながら、僕は美術の授業を初めて楽しんで終えたのだった。

 もちろんそれくらいで急に絵が上手くなるわけはなく、結局下手っぴには変わりなかったんだけど。

 それでも一生懸命挑戦した結果、少しだけ立体感がついてレモンっぽく見えなくもない絵が出来上がったので、僕としては大満足だった。

「佐々木くん、すごく上達してるよ。さすが佐々木くんだね♪」

 西沢さんにも褒めてもらったしね。

 ちなみに後日もらった絵の評価はなんと!
 上から2番目のB評価だった。
 それは突然の一言だった。

「ねぇねぇ、今日佐々木くんの家に遊びに行ってもいい?」

 いつものように駅まで僕と一緒に帰っていた西沢さんが、唐突にそんなことを言ってきたのだ。

「え、今からってこと?」

「今日おばあちゃんちに届け物があるんだよね。そのついでに佐々木くんのおうちに行ってみたいなって思って。ほら、佐々木くんの家っておばあちゃんちの近くなんでしょ?」

「そうだよ、ゆっくり歩いても15分かからないくらいかな?」

「じゃあそのついでに、ちょっとだけ寄っていくのはダメかな? あ、もちろん佐々木くんに用事とかあるなら全然構わないんだけど」

 西沢さんが上目づかいでおずおずと尋ねてくる。

「ううん、僕は基本的に放課後に用事はないからそれは問題ないんだけど…………じゃあ今から来る?」

 そんな可愛くお願いしてくる西沢さんをお断りするなんて選択肢が、僕にあろうはずはないのだった。

 ちょっとだけ答えに間があったのは、ラノベを出しっぱにしていなかったかなと頭の中で部屋の現状を確認していたからだ。

 だってラノベの表紙って女の子の際どいイラストが多いから、彼女には見られたくないもんね。
 えっちな本とか思われそうだから。

「やった♪」

「でも西沢さんが来ると思ってなかったから、掃除とかしてなくて普段使いのままなんだよね」
「あ、結構散らかってたりする? それならまた今度でもいいよ?」

「そんなこともないんだけど、まぁあまり期待はしないでね」

「残念ですがわたしは初めて男の子のおうちに行くわけです。なので当然期待はしちゃいます。えっちな本とか」

「ないから」
 僕は即答した。

「ほんとかなぁ。あ、最近はスマホでえっちな画像とか?」

「……ないよ」
 悲しいかな、僕は即答することができなかった。

 だってそりゃ、男子高校生のスマホの中にはえっちな画像くらいあるでしょ?

 深夜アニメのお色気シーンとか、人気絵師さんがツイッターで公開したえっちな二次創作とか保存してあって当たり前でしょ!?

「ふーん……」
 西沢さんがジト目になる。

 まぁそうだよね。
 さすがの西沢さんもこれは信じないよね。

 僕が西沢さんだったとしても信じないだろうし。

 でもこれだけは「ある」とは絶対に言えない話題だから。
 無いことにして押し通すしかないんです。

「ほら、そんなことより行こうよ」
「うん♪」

 でも僕がそう提案すると西沢さんはすぐに笑顔になったのだった。


 そういうわけで、僕と西沢さんはJRに乗って3駅隣の僕の地元駅で降りると、まずは西沢さんのおばあちゃんちに向かった。

「おお彩菜、よう来たの。それに佐々木くんも一緒とは、仲良くやってるようでなによりじゃ」

「えへへ、おかげさまで。はいこれお母さんから」
「わざわざすまんのう。区役所に出すのにどうしても必要な書類があっての」

「ううん、全然。それに今から佐々木くんの家に遊びに行くことになってるから」

「ほぅ、そうかそうか、それはええことだの。でもあまり向こうの家の方に迷惑をかけちゃいかんぞ?」

「もう子供じゃないんだからそんなことしないってば」

「そうは言っても彩菜は時々信じられない失敗をするからのぅ。佐々木くんも、この子が失敗しても多めに見てやってくれると嬉しいの」

「あはは。はい、心得ました」

「もう、その話はいいじゃない、誰にでも失敗はあるものなんです。ところでおばあちゃんは今からお出かけ?」

「今日はカラオケ仲間と約束があるでの、夜までカラオケなんじゃ」
「相変わらずおばあちゃんは元気だね」

「残り少ない人生じゃ、どうせ生きるなら元気に生きんともったいないからの。おっとそろそろいい時間じゃから行ってくるでの」

「行ってらっしゃい。楽しんで来てね」
「彩菜もの」

 そう言うと西沢さんのおばあちゃんは軽快な足取りで、駅前のほうへと歩いていった。

 そんなとても仲が良さそうな二人の関係を見て、僕はほっこりしたのだった。

「じゃあわたしたちも行こっか」
 西沢さんのおばあちゃんと別れた僕と西沢さんは、今度は僕の家へと向かった。

 西町と東町は隣り合っているので、ゆっくりしたペースで話しながら歩いても15分ほどですぐに到着する。

「ふわっ、ここが佐々木くんのおうちかぁ……」
「そんなにマジマジ見なくても、普通の1戸建てだよ?」

「ううん、ここで佐々木くんが生まれ育ったんだと思うと、襟を正さずにはいられないもん。さあ行こう、賽は投げられた!」

「そこまでのものなの!? それってカエサルがローマに反逆する時の超有名なセリフだよね!?」

「女の子がカレシの家に行くんだもん、気合を入れて入れ過ぎってことはないんだから」

「そ、そうなんだ……まぁここで立って話しててもなんだからとりあえず入ってよ」
「では、お、お邪魔しますね?」

 玄関のドアを開ける僕の後ろを西沢さんがおずおずとついてくる。

「ただいまー」
 玄関で靴を脱ぎながら帰宅したことを告げると、

「おかえりなさい」

 すぐに母さんから返事が返ってきた。
 居間にいるみたいだ。

「ごめん母さん、今友達が来てるんだけどお茶を出してもらっていいかな」

「あら、直人が家に友達を呼ぶなんて珍しいわね。幼稚園の時以来かしら。せっかくだからご挨拶しておきましょうか――――えっ!? 友達って女の子だったの!? 直人がうちに女の子を!? しかもこんな可愛い子を連れてきたの!?」

 居間から顔を出した母さんが、西沢さんを見てあんぐりと口を開けた。
 信じられないものを見たって顔をしている。

 母さんが僕をどんな風に思ってるかよくわかるね、うん。

 そんな母さんに向かって西沢さんが自己紹介をする。

「は、初めまして。わたし、佐々木くんの――えっと直人くんのクラスメイトで西沢と申します。佐々木――直人くんにはいつもとても仲良くしてもらってます。今日は急にお伺いして申し訳ありませんでした」

 不意に西沢さんから「直人くん」と2回も呼ばれて、僕は思わずドキリとしてしまった。

 僕も母さんもどちらも佐々木だから、分かりやすいように下の名前で言いなおしたんだろう。
 でも西沢さんの口から僕の名前が呼ばれたことに、僕の胸はどうしようもない程に(たかぶ)ってしまったのだ。

「これはこれはご丁寧にどうも、西沢さん。こちらこそ、うちの直人がいつもお世話になっているみたいですわね。何のお構いも出来ませんが、どうぞごゆっくりしていってくださいな、おほほほほ……」

 なに「おほほほほ……」って。
 母さんがそんな笑い方するの初めて見たんだけど。

「じゃあ上がってよ西沢さん。僕の部屋は2階だから」
「で、ではお邪魔します」

 少し緊張気味に靴を脱ぐ西沢さん。
 後ろ向きに綺麗にそろえて置いているのが、すごく西沢さんらしかった。

「ちょ、ちょっと直人、わかっているとは思うけど人様の娘さんに粗相をするんじゃないわよ?」
「自分の家でする粗相ってなにさ……なにもしないよ」

「西沢さんもなにかあったら大声を出してちょうだいね。すぐに助けに行くからね」
「母さんは僕をもっと信用してもいいと思うんだ……」

「女の子を家に連れてきた息子を信用できる母親がいるわけないでしょ」
「ええっ、そういうものなの!?」

「あの、えっと、直人くんはすごく優しいので大丈夫だと思いますよ?」
「え、ああ、そう? 西沢さんがそう言うのならいいんだけど……」

「はい! 大丈夫ですから!」

 とまぁ玄関でのそんなやりとりを経てから、僕の部屋に人生で初めて女の子が――彼女である西沢さんが足を踏み入れた。
「ここが佐々木くんの部屋かぁ……あ、結構片付いてるね」
 西沢さんが物珍しそうに部屋を見渡す。

「まぁ特に散らかす理由もないっていうか。物も少ないし」

 僕はあまり物を買わないし、唯一買っているラノベや漫画は基本的に読んだら本棚に仕舞うから、実のところ散らかる理由がないんだよね。

 そういうスッキリとした部屋だったから、西沢さんは当然のように本棚に興味を持った。

「あ、これ知ってる、ライトノベルって言うんでしょ? 絵がついた小説で、ラノベって略すんだよね」

「西沢さんって結構詳しいんだね。もしかしてラノベを読んだりするの?」

「ううん、わたしは読んでないかな。でも佐々木くんと柴田くんが教室で話してるのが時々聞こえてくるから」

「あ、そういうことね」

「ふふん、佐々木くんの会話には常に耳を澄ませてますから。何事も聞き洩らさない彩菜・イヤー!」

 西沢さんはドヤ顔で言ったんだけど。

「いや……あの、監視されてるみたいでちょっと怖いかなって……」

「ええっ!? 酷いよぉ、佐々木くんのことをもっと知りたいなって思ってるだけなのに……」

「あ、えっと、ごめん……」

「えへへ、冗談だってば。ぜんぜん本気で言ってないし」

「そう?」
「そういうわけなので、わたしはあんまり詳しくないんだよね。でも佐々木くんが好きなことだから興味あるの。ねぇねぇ、せっかくだからちょっと見てみてもいい?」

 そういうと西沢さんは本棚から1冊のラノベを取り出そうとしたんだけど――、

「ちょ、ちょっと待って西沢さん!?」

 僕は西沢さんが取り出そうとした本のタイトルを見た瞬間、思わず制止の声を上げた。
 でも時すでに遅し。

「……」

 ひょいっと本棚から取り出して表紙を見た瞬間に、西沢さんの動きがピシッと固まった。

 なぜならそこにあったのは、ヒロインのハーフエルフの女の子が軍服を半脱ぎして女の子座りをし、太ももやらお腹やらを際どく露出しているえっちなイラストだったからだ――!

「ら、ラノベは表紙で勝負みたいなところもあって、だからちょっと過激な絵が使われることが多いんだっ!」

 僕は聞かれてもいないのに、つい言い訳を始めた。

「そ、そうなんだ……」

「今西沢さんが手に取った『クロウ戦記』も内容は結構ガチの戦記物なんだよ。高校の入学式の日に異世界転生したクロウが、30年前の大戦の大英雄クロフォルドに養子として拾われて帝国貴族クロウ=クロフォルドになって、出会ったヒロインたちとともに腐った帝国を打倒して新しい国を作るっていう戦記物で!」

(やばっ、変に早口になってるのが自分でもわかる……これはだめな早口だ)

 でもどうしても言い訳せざるを得なかったんだ。
 西沢さんに勘違いをされたくなかったから。

「う、うん……」

「表紙からは到底信じがたいかもしれないけど、だからその、決してえっちなラノベってだけじゃないんだよ」

「うん、佐々木くんがそう言うんならもちろん信じるし」
「ありがとう西沢さん!」

 僕がホッとした──のも束の間。

「ちなみに『だけじゃない』ってことは、えっちなラノベでもあるんだよね?」

「…………そ、それはその。突き詰めればそういう要素も無きにしも非ずというか」

「佐々木くんのえっち」
「うぐ、ごめんなさい……」

「も、もう冗談だってば! そんな顔しないで、ねっ?」
「……冗談?」

「だって普段はにこにこしてて全然そんな風には見えないのに、やっぱり佐々木くんもえっちなことに興味がある年頃の男の子なんだなって思って。そんな風に佐々木くんのことを知ることができて嬉しかったの」

「西沢さん……」
 僕は西沢さんの心根の清らかさに完全に心を打たれてしまっていた。

 西沢さんが僕を知ろうとしてくれていることに、嬉しさで心がいっぱいになってしまっていた。

(本当に西沢さんは素敵すぎる女の子だよ……)
「そうだ、ねぇねぇこのラノベを借りてもいいかな?」

「もちろんいいよ」

「やった♪ 佐々木くんが好きな本をずっと知りたかったんだ。これで佐々木くんの好きなことのお話もできるようになるよね」

「……なんで」

「わわっ、ちょっと佐々木くん、なんで泣きそうになってるの!?」

「なんで西沢さんはそんないい子なの……西沢さんがいい人過ぎて、僕は、僕は……」

「ちょ、ちょっと佐々木くん、こんなところを佐々木くんのお母さんに見られたら、わたしいじめっ子が家まで押しかけて来たかと誤解されちゃうかもだからね!?」

「だってこんな素敵な女の子が僕を好きになってくれて、彼女になってくれただなんて……」

 そう思っただけで僕の胸は嬉しさとか感謝とか申し訳なさとか、そういったものがまぜこぜになった激情でいっぱいになってしまったのだ。

 そこへ――、

「直人、お茶とお茶請けを持ってきたわよ。手が塞がってるから開けてちょうだい?」

「ってなんで母さんはこのタイミングで来るかな」
 目にたまった涙を拭いてから僕はドアを開ける。

「なに直人、あんた泣いてたの? 女の子を部屋に呼んでおいて、一人で泣いてる意味がお母さんさっぱりわからないんだけど……」

 僕の顔を見た母さんが困惑したように言う。

「別に何でもないから」

「もうごめんなさいね西沢さん。この子ったらきっと初めて女の子が家に来たから嬉しさあまって泣いちゃったのよ。もともと奥手で友達も多い方じゃないから、これからも直人と仲良くしてくれると嬉しいわ」

「はい、佐々木くんにはすごく仲良くしてもらってるので、こちらこそよろしくお願いしたいくらいですから」

「あらそう? もしかしてあなたたち……って、いやまさかね、さすがにそれはないわよね。ほら直人いつまで泣いてるの。お茶菓子にあんたの好きなフロインドリーブのパイ菓子を用意してるから、とっとと食べて元気出しなさい」

「だからそういうのじゃないんだってば……もう行ってよね」

「はいはい、楽しい時間をお邪魔しちゃってごめんなさいね。西沢さんもどうぞごゆっくり」

「ありがとうございます。それとあそこのパイ菓子はふわふわでサクサクで、わたしも大好物なんです」

「それは良かったわ、まだ残ってるから良かったら言ってちょうだいね。お代わりを持ってくるから」

 母さんはそう言うと紅茶とパイ菓子を置いて部屋を出ていった。

「優しいお母さんだね」
「まぁうん、そうだね」

「あのお母さんとなら、わたしも上手くやっていけそうな気がする」
「えっとごめん、急になんの話?」

 うちの母さんと西沢さんに接点なんかあったっけ?

「べつにー、今後の話だしー」
「??」
 なんだかよくわからなかったけど、とても機嫌が良さそうな西沢さんだった。

 その後は僕がラノベの話をしたり、逆に西沢さんの好きなことを聞いたりした。
 西沢さんはふと見かけた猫の写真を撮るのが趣味らしい。

 スマホを見せてもらうと、この前見せてもらった愛猫のちび太以外にたくさんの、色んな猫の写真が保存してあった。

「見て見て、これが私の自慢のベストショットの『伸び猫』。すごくない?」

 そう言って見せられたのは、やけに胴体が長い猫(と思しき小動物)の画像だ。

「ごめん、これって本当に猫なの? それにしてはちょっと胴が長すぎない? 猫ってこういう動物じゃないよね? もっとこうコンパクトで。なんだか騙し絵を見てるみたいで、頭がクラクラしてくるんだけど……」

「でしょ!? わたしも見た瞬間『なにこれ!?』って思って、撮ってからも何度も見返したんだもん」

「たしかにこれは自慢するだけのことはあると思う」

「良かったら画像いる?」
「あ、うん。欲しいかも」
「じゃあ送るね。ついでに他のお気に入り猫画像も」

「へぇ。こっちの猫はしっぽの先が2回直角に曲がってるんだ。猫っていっても色んな猫がいるんだなぁ」


 とまぁこんな感じで
 放課後おうちデートは、西沢さんが帰らないといけない時間ギリギリまで楽しく続いたのだった。

 もちろん帰りは駅まで見送りに行った。
 話が弾んで気が付いたらすっかり暗くなっちゃってたから、彼氏としてはこれくらいは当然だよね。
 今年のゴールデンウィーク、わたしは家族で大阪に旅行をしていた。

 せっかくの連休なので佐々木くんと一緒にいたい気持ちもあったんだけど、お父さんとお母さんとの時間もやっぱり大切なので、身体が2つあったらいいのになと思ってしまう。

 でも高校生になった今は、スマホがあるおかげで離れていても簡単に連絡がとれるから、そこまで寂しいということはなかった。


『海遊館だよー』
🐟
『大きなサメです』
🦈
『帰ったらお土産わたすね』
🎁


佐々木直人
『写真見たけど』
『大きくてビックリした』

『クジラかと思った』
『まず水槽からして大きいし』
『おみやげ楽しみにしてるね』


『佐々木くんは』
『なにか変わったことあった?』


佐々木直人
『こっちは特にはないかな』
『普通の連休』
『家でゴロゴロしてる』


『友だちと遊びに行ったりは』
『しないの?』


佐々木直人
『僕はあまり友達いないから』
『行かないかな?』


『ごめんなさい』
『そういう意味じゃなくて』


佐々木直人
『えっと』
『ぜんぜん気にしてないから』
『超ほんと』
『だから気にしないで』


『ほんと?』
『怒ってない?』


佐々木直人
『ほんとほんと』
『それに今は』
『西沢さんがいるからね』
『帰ったらまた』
『一緒に帰ったり遊んだりしようね』


『うん! 約束だよ!』


佐々木直人
『あ、でも』


『なに?』
『どうしたの?』
❓❓


佐々木直人
『そろそろ中間テストだから』
『勉強しないと』
『いけないかなって』


『うぐっ……』
『テンションが落ち武者』
『なんか変な予測変換でちゃった』
💦


佐々木直人
『ごめん!』
『旅行中なのに』
『テストのことは忘れて楽しんでね!』


『大丈夫です』
『スクショ見れば元気出るから』
『無問題』


佐々木直人
『まさか例の!?』
『やめて!?』
『せめて僕に言わずにこっそり見て!』
『恥ずかしくて死んじゃうから!』


『じゃあ』
『こっそり見たことを報告するね』


佐々木直人
『もっとやめて!?』


『あはは』
『冗談だし』
『佐々木くんが嫌がることはしないから』


佐々木直人
『西沢さんってさ』


『なになに?』
💓


佐々木直人
『けっこうお茶目だよね』


『そうかな?』


佐々木直人
『実はさ』
『もっと静かな感じの女の子だって思ってた』


『えっと』
『もしかして幻滅しちゃった?』


佐々木直人
『まさか』
『そんなことありえないし』
『親しみやすくていいと思うよ!』


『えへへ、ありがとさんです』
『あ、もうこんな時間割』
『また予測変換が』
『ぴえん』
🥺
『いつもライン付き合ってくれて』
『ありがとう!』


佐々木直人
『僕も楽しいよ』
『こっちこそありがとう!』


『おやすみなさい』


佐々木直人
『おやすみ』
『またね』


 夜寝る前に、今日一日あったことをラインで佐々木くんに報告する。

 そしてそんなわたしに、佐々木くんは普段と変わらない様子で楽しく返事を返してくれた。
 だから旅行中はいつもみたいに佐々木くんに会えなくても、それだけでわたしはとても幸せな気分になれるのだった。

 まぁ今日はちょっと失言して焦っちゃったけど。

 人は些細なことで傷つくし、ケンカをするし、そして誰かを嫌いになったりする。
 だから気を付けないといけなかったのに――。

「佐々木くんが優しい人で良かった……」

 佐々木くんとなんでもないやり取りをするだけで、佐々木くんのことを考えるだけで、胸がポカポカと温かくなってくる。

 付き合えば付き合うほどに、いつもにこにこしてて優しい佐々木くんと、でもここぞという時に見せる芯の強い佐々木くんに、わたしはどんどんと魅了されていくのだった。

「佐々木くん、好き……大好き……。この幸せがずっと続きますように――」
 離れていてもラインで西沢さんとやり取りを続けたこともあって、一人で家にいた去年までとは別次元に楽しかったゴールデンウィークが明け。
 僕と西沢さんは来たる中間テストに向けて一緒に勉強会を開催していた。

 場所は学校の図書室だ。

 今どき図書室で勉強する生徒はあまりいないのか、図書室に人はまばらでほとんど僕たちだけの貸し切り状態だった。

 人の出入りがある入り口から離れた一番奥の席に、西沢さんと隣り合って座る。

 しかし勉強会は特に何があるでもなく、つつがなく終了した。

「なんだか思ってたより静かに終わっちゃったね? ドラマとかでよくある、お互いに質問して答え合うみたいなイメージをしてたから、ちょっと残念だったかも」

「あー、それ僕もちょっとだけ思った」

「佐々木くんと家庭教師ごっこできるって思ったのになぁ」

「まぁわからないところがないに越したことはないんだけどね。順調にテスト勉強ができているわけだし」

 でもそうなった理由はなんとなくわかる。
 そもそも西沢さんはいつも真面目に授業を受けてるし、宿題を忘れたことも見たことがない。

 そして僕もそれなりに真面目に授業や宿題をこなしていて。
 しかもまだ高1の最初の中間テストだったから、普段からちゃんと勉強してさえいれば特に難しい内容でもなかったからだ。

「さすがにわざと質問して佐々木くんの勉強の邪魔をするのは、ちょっとどうかなって思ったんだよね」

「でも西沢さんが一緒だったおかげでさぼろうって気にはならなかったから、そこはすごく効果あったんじゃないかな」

「あ、それわたしも! 佐々木くんが見てる前でだらけたところは見せられないって思ったから、すごく集中してやれたんだぁ」

「ってことは、お互いに勉強会としては大成功だったわけだね」
「だねっ♪」

「明日もやる?」
「佐々木くんは明日も放課後空いてるの?」

「僕は帰宅部だから放課後はいつも空いてる感じ」
「わたしもだよ。じゃあまた明日の放課後も勉強会ってことでいい?」

「了解」
「あ、でもその前に」

 西沢さんがなにやらとても嬉しそうな顔をした。

「なに、どうしたの?」

「今から教え合いっこしない? 今日とか周りに誰もいないから、ちょっとくらい声だしてもオッケーだと思うし」

「そんなにしたかったんだね……」

「だって図書室でこっそり2人で教え合いっこをするって、ドラマみたいでちょっと憧れない?」

 小さな子供みたいに目を輝かせてイタズラっぽく笑う西沢さんは、それはもう可愛すぎて。
 僕としてはその申し出を断る理由なんてものは、どこにもありはしないのだった。


 それからテストまでの間。
 僕と西沢さんはほとんど毎日放課後の勉強会をした。

 そのおかげもあって、高校生になって最初の中間テストは、

「見て見て、19位でした!」
 西沢さんがなんと学年上位20位以内に入り。

「僕は47位、まぁまぁいい感じかな」
 僕も50位以内と想定を大きく超えた高順位を取ることができていた。

「効果抜群だったから、期末テストの前も一緒に勉強しようね佐々木くん」
「西沢さんさえよければ喜んで」

 そんな約束もして、僕たちの中間テストは無事に幕を閉じたのだった。