「とにかく可愛い西沢さん!」 勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~

「ごめん佐々木くん、ちょっと待っててくれる?」

 ゲーセンを出てウインドウショッピングを再開した僕と西沢さん。
 するとちょっとしてから西沢さんが急にそんなことを言ってきたのだ。

 ずっとつないでいた手もパッと離されてしまう。

 もうすっかり手を繋ぐのが当たり前みたいになっていて、西沢さんの温もりを失った空っぽの手がなんともいえない寂寥感を伝えてくる。
 
「なにか用事でも思い出したの? 買い物なら僕もついていくけど。一緒に行こうよ、どこだってついていくから」

 西沢さんともっと一緒にいたいと強く思った僕は、だからそう提案したんだけれど、

「そ、それはダメだもん……」

 西沢さんはふっと僕から視線を逸らすと、蚊の鳴くような小さな声でそう言ったのだ。

「遠慮なんてしなくていいってば。服を選ぶのにいろいろとアドバイスもらったお礼、に今日はどこにだって付き合うからさ」

「ううん、ほんとそういうのじゃなくて……」

「西沢さんがいて僕、本当に助かったんだもん。僕だけじゃこんないい買い物するのは絶対に無理だったから」

 だからそれくらいしないと感謝にもお礼にもならないよね。

 さっきゲーセンで対戦に熱中しすぎて西沢さんをほったらかしにしてしまった負い目もある。

 今日はとことん西沢さんに付き合うよっていう並々ならぬ決意を、だから僕は西沢さんにこれでもかと伝えたんだけど、

「だって、その、付き合われたら逆に困るんだもん……」

 西沢さんは遠慮しっばなしなのだ。

「ほんと遠慮はいらないから、ね?」

「佐々木くんの気持ちはすごく嬉しいんだけど、今はそういうことじゃなくて……」

 西沢さんは週刊誌にすっぱ抜かれて国会で野党から疑惑を追及される閣僚みたいなあいまいな答弁に終始するのだ。

「と言うと? どういうこと? ほんと全然気にしなくていいんだよ?」

「ィレだし……」

 西沢さんがものすごい小声でぼそっと言った。

 あまりに小さい声だったから、西沢さんの口元を見ていなかったらしゃべったと認識できなかったと思う。

 でも僕は感謝の気持ちを伝えたい気持ちもあってしっかりと西沢さんの顔を見ていたから、何かしゃべったんだということを見逃すことはなかったのだ。

「ごめん、ちょっと周りがうるさくてよく聞こえなかったからもう一回言ってもらっていい?」

「だからトイレなの! わたしはトイレに行きたいの! 恥ずかしいから佐々木くんはついてこないで~」

 目をつぶった真っ赤な顔で、えいや!って感じで叫ぶように言う西沢さん。

「ご、ごめん! ついていかないから! ちゃんと前で待ってるから!」

 ようやっと全てを察した僕は、慌ててそう言ったのだった。
 周りを見渡すと、すぐ目の前に女子トイレの表示があることに気付く。
 
「こんな話しちゃったら、前で待たれてると思うとそれだけで恥ずかしいから、できれば離れたところで待っててほしいかな……」

「何から何までまったく配慮が足りなくてごめんなさい! エスカレーター前のミニ広場で待ってるから!」

 ほとんど涙目になってしまっていた西沢さんに僕は全力でごめんなさいをすると、すぐに背中を向けてエスカレーター前の広場へと急いだ。

「またやっちゃった……」

 デート初心者丸出し、いろいろと察してないだけでなく、乙女心がまったくわかっていないダメンズな僕だった。
 ゲーセンでの失態をなんとか取り返そうと、気合いが変に空回りしたのも痛かった。

 それにしたって女の子にトイレについていこうとするだなんて、ダメすぎるでしょ僕……。
「遅いな西沢さん……」

 西沢さんと別れてエスカレーター前のミニ広場にやってきてから、もう15分が過ぎていた。

 男子と違って女の子はいろいろとあって、それに女子トイレは数が少なくて混むから時間がかかるらしいけど。
 それにしても遅い気がするような。

「ちょっと見に行ってみようかな? でも『待っててって言ったよね?』とか言われたらマズイもんなぁ。今日はいつにも増して失敗続きだし、また失敗したら今度こそ西沢さんに愛想をつかされるかもしれないし……」

 僕は西沢さんを待ちながら、ミニ広場のベンチに腰かけたままうだうだとそんなことを考え続ていた。

 誰もが憧れる学園のアイドル西沢さんと、カースト下位の十把一絡げのモブ男子。
 絶対上位者になぜか気まぐれで選ばれた幸運な下層民。

 きっと周りのみんながみんなそんな風に思っている――ううん、他でもない僕が一番そうだって理解している。

 西沢さんとのあまりにアンバランスなステータス差を、僕はどうしても意識せざるを得なかった。
 西沢さんの心変わり一つで簡単に終わってしまう、砂上の楼閣にようなもろい関係だ。

 そのとてつもない恐怖心は、西沢さんの隣にいられるという幸福感とともに、僕の心に鋭い楔のように深く深く打ち込まれていたのだった。

「でももしも西沢さんがトラブルに巻き込まれていたとしたら、なのにここでボケっと座って何もしないでいたとしたら、絶対に後悔するよね」

 そうだ。
 待たなかったことを西沢さんから咎められることよりも、西沢さんに何かあったほうがよっぽど大変だ。

 そう考えた僕はすぐに行動することにした。

 だってそうでしょ?
 それが原因で僕が西沢さんに振られても、西沢さんに何もなければそれで全然いいじゃないか。

 西沢さんに見合うような男になりたいって、僕が本気でそう思っているのなら。

 同じ後悔をするにしても、やるべきだと思ったことをしなくて後悔するのだけは、絶対にしちゃいけないと思うから――!

 なによりもし早とちりで失敗に終わったとしても。
 今までの失敗と違って西沢さんのためを思って行動した上での失敗なんだから、どんな結果が待っていても僕は納得できると思ったのだ。

 そりゃその、それが原因で振られてしまったら、僕は涙が枯れるまで泣き尽くしちゃうとは思うんだけどさ。
 それはまた別の話だから。

「よし!」

 僕はすぐに立ち上がると、西沢さんと別れた女子トイレへと向かった。

 こういう施設の常として、少し奥まったところにある女子トイレの近くまで戻ってくると──、

「ちょっと、手を離してください! わたしはあなたたちに用はありませんから!」

 今まで一度も聞いたことがない、西沢さんの険のある大きな声が聞こえてきたんだ――!

「西沢さん!? 今行くから!」

 それを聞いた僕は弾かれたように女子トイレに向かって走り出した。

 すると、

「おい聞いたか? 話してくださいだってよぉ」
「ういっす、聞いたっすよアニキ」
「じゃあ頼まれた通りに一緒にお話してあげないとだめだよなぁ」
「っすよね」

「そういう意味じゃありません! ほんとに手を離してください、人が待ってるんです」

「だから話してやるって。おい、カラオケの予約とれよ」
「了解っすアニキ」

 そこには背の高いガラの悪そうな金髪チャラ男と、背の低い子分みたいな茶髪の二人組に絡まれている西沢さんがいたんだ!

(西沢さんが戻ってくるのが遅かったのは、こいつらに絡まれていたからだ――!)

 絶対に西沢さんを助けなきゃという気持ちで頭がいっぱいだった僕は、

「その子から手を離してください!」

 自分でも信じられないくらいに大きな声で叫ぶように言った。

「ぁ、佐々木くん……」

 僕の顔を見た西沢さんが、怯えから一転ホッとした顔を見せる。
 すごく怖かったんだろう、その目は少し赤くなっていた。

「あ? なんだてめぇは? 見てわかんだろ、俺ら取り込み中なんだよ、とっととどっか行けよオラ、ケンカ売ってんのか?」

 背の高い金髪チャラ男が脅すような低い声で、顔を歪めてすごんでくる。
 はっきり言ってめちゃくちゃ怖かった。

 控えめに言ってチンピラ丸出しなその振る舞いは、世界第三位の経済大国に生まれ、他国がうらやむ高等教育を権利かつ義務として幼いころから享受してきたはずの文明的な人間とは到底思えない。

 だけどそんな風にドスの効いた声ですごまれても、僕は一歩も引かなかった。

 本能的な恐怖を懸命に飲み込み、震えそうな足でしっかり床を踏みしめ、完全に震えてる手でグッとこぶしを握って金髪チャラ男に正対すると、僕は腹の底から大きな声を出す!

「僕の彼女に乱暴はやめてください!」
「あ? 彼女だと?」

 金髪チャラ男が不快そうに目を細めながら、僕と西沢さんを交互に見る。

「そうです、その子は――西沢さんは僕の彼女です。だからその手を今すぐ離して下さい」

「なに、お前がこのきれいこちゃんのカレシなの?」
「はい、僕は――僕がその子の彼氏です」

「佐々木くん……!」

 彼氏だと言い切った僕を、チンピラがさらに目を細めてにらみつけてくる。

 お前が彼氏とか釣り合ってねぇだろ、嘘つくんじゃねぇよバカ――みたいなことを言って笑われるのかと覚悟していたら、

「チッ、男持ちかよ。行くぞ!」
「うぃっすアニキ」

 しかし金髪チャラ男は意外とすぐに諦めてくれた。
 そのまま僕たちに背中を向けると、二人連れだってこの場を立ち去っていく。

「ああもう、また空振りかよ」
「だから俺最初から言ったじゃないっすか、あんな綺麗な子が男と一緒じゃないわけないって」

「あ? お前んなこと言ったか? 適当言ってんじゃねぇよ」

「言いましたって。ちょ、いちいち殴んないでくださいよ! まったくアニキはすぐ手を出すんだから。この前もリーマン小突いてサツにパクられたっしょ? 相手が大事にしないでくれたから、一晩しぼられただけで済んだんすからね?」

「うっせーよ、昔のことイチイチ蒸し返すんじゃねえ」
「昔じゃなくてつい先週のことっすよ。少しは懲りてくださいよ、日光の猿じゃないんすから。こんなことしてたら、いつかヤバいのに当たっちまいますよ?」

「うっせぇな黙れ」
「すんませんっしたぁ!」

 そんなやりとりをしながら――もう僕らには興味がなくなったのか――金髪チャラ男たちは一度も振り返ることなくモールの奥の方へと消えていったのだった。

「い、行ったかな? 行ったよね? うん、行った! はぁ、緊張した……」

 チンピラたちが見えなくなってやっと極度の緊張感から解き放たれた僕は、両ひざに手をついて大きく息を吐いた。
 足がガクガクでもうへたり込んじゃいそう。

 そんなへなちょこ過ぎる僕に、西沢さんがすぐに駆け寄ってきた。

「佐々木くん、大丈夫だった!?」

「それはこっちのセリフだってば。西沢さんこそ腕を掴まれてたでしょ? 大丈夫だった? あ、ちょっと赤くなってるよ」

 西沢さんの手首は掴まれていたところが少し赤くなっていた。
 肌が白いぶんだけとても目立つ。

 相当痛くて怖かったに違いない。

「こんなの全然平気だもん。それよりごめんね佐々木くん、待たせちゃって。あの人たち何を言っても聞いてくれなくて。手も離してくれないし、わたしどうしたらいいかわからなくて──」

「ううん、西沢さんは被害者なんだから謝る必要なんてこれっぽちもないから。ほんと無事でよかった、遅いなって思って見に来て正解だったよ」

「本当にありがとうございました、佐々木くん」

「だからいいってば。それに僕は西沢さんのか、彼氏なんだから、だから彼女を守るのは当然だし」

 僕はもう一度勇気を出して、そんなセリフを言った。

「ふふっ、そうだよね、彼氏だもんね、彼女を守るのは当然だよね。手を離せ、僕がその子の彼氏だぞって言った時の佐々木くん、とってもカッコよかったよ?」

「もう、茶化さないでよね西沢さん、すごく必死だったんだから。あとそんなワイルドな言い方は絶対してないからね?」

 万が一ケンカになったら勝つ自信は皆無だったから、なるべく相手を怒らせないようにもっとマイルドに言ったはずだ。

 でも、さっきは西沢さんを助けなくちゃって思って必死だったけど、すっかり落ち着いた今になって思い出すと、なに言っちゃってんの僕!と、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかった。

「茶化してないもーん、ほんとにカッコ良かったんだもーん。自慢の彼氏なんだもーん」

「もう西沢さんってば……」

 でも頑張ったかいはあった。
 行動して良かった。

 だって西沢さんのこの笑顔を取り戻せたんだから──なんてさっきの自分の選択をちょっとだけ誇らしく思っていると、

「だからこれは感謝の気持ちです」
 西沢さんがそう言いながらギュっと僕に抱きついたきたのだ――!

「西沢さん!? えっとあの!」
 突然の出来事に、僕は緊張と困惑で頭が大混乱してしまっていた。

 だ、だって西沢さんが抱きついてきたんだよ!?

 しかも僕の両腕ときたら、つい反射的に西沢さんを抱き返してしまっていて──!?
 つまり今、僕と西沢さんは抱き合っちゃってるってわけなんだけど!

(西沢さんの身体が僕の腕の中にある……!)

 じんわりと優しい温もりと、甘くていい匂いと。
 そして男子とは決定的に違っている女の子特有の柔らかさがこれでもかと伝わってきて。

 僕は緊張のあまり、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなくなってしまっていた。
 頭の中が完全にテンパってしまっている。

 しかも僕たちは背が同じくらいの高さなので、だから西沢さんの柔らかい頬が僕の頬に直に触れてしまったりとかしちゃっているのだ。

 そんな状況でテンパるなっていう方が、無理な話でしょ!?
 僕は西沢さんと抱き合ったままで。
 その温もりに包まれたまま、ただただ心臓の鼓動をドキドキと高鳴らせていた。

 その音が自分でもわかるくらいにあまりに大きく激しかったので、もしかしたら西沢さんに聞こえちゃってるかも――。

 でもそれはきっと僕だけじゃなくて、西沢さんも同じだったと思う。

 だって西沢さんも僕と同じように無言のままでいて。
 しかも僕の顔のすぐ横にあるその顔は、耳までまっ赤っ赤に染まっていたんだから。

 お互い正面から顔を見れない状況だったのは、恥ずかしさがほんの少しだけ軽減されてある意味良かったのかもしれなかった。

「佐々木くんが来てくれてすごく嬉しかったの。だから茶化してなんかちっともないの。助けに来てくれた佐々木くんが、わたしには白馬の王子様に見えたんだから」

 僕の耳元で西沢さんがしっとりとした声でささやく。
 吐息のようなその声が僕の耳やうなじにかかって、僕はゾクゾクと背筋を震わせた。

「そう言われると、僕も頑張ったってよかったなって思うな」

 この状況にものすごく緊張してテンパりながらも、僕はなんとか会話を続ける。

「ねぇ佐々木くん。わたしは佐々木くんが好き。困ったときに助けてくれる勇気がある佐々木くんが好き。普段は優しくて控えめで、隣にいると安心できる佐々木くんが好き。佐々木くんは、わたしのこと……好き?」

「もちろん僕も西沢さんが……す、好きだよ。可愛くて優しくて、みんなの人気者で。そんな西沢さんが僕を好きになってくれたことが奇跡に思えるくらいに、僕も西沢さんのことが好きだよ」

 人とのコミュニケーションがあまり得意じゃない僕は、西沢さんみたいな可愛い女の子に好きだって言うことに、恥ずかしさで顔から火が出そうになったんだけど。

 それでも僕はちゃんと最後まで言い切った。
 途中ちょっと詰まっちゃったけど、言葉にしてちゃんと西沢さんに自分の想いを伝える。

 だってせめてそれくらいはできないと、平凡以下の僕じゃ学園のアイドル西沢さんには絶対に見合わないから。
 僕は今の自分にできる唯一のことを――気持ちをちゃんと伝えることを必死に頑張るんだ。

「佐々木くんがそう言ってくれるとわたしも嬉しいな。ねぇ、もう一回好きって言ってよ? ね? お願い?」

「う……す、好きだよ」

「もう一回♪」

「に、西沢さんのことが……大好きだよ」

「もう一回♪」

「ええっ、まだ!?」

「もう1回だけお願い、これで最後にするから、ね? ね?」

「じゃあうん……僕は西沢さんが好きだ、とても好き、大好きだよ」

「えへへ、ありがとう佐々木くん。わたし今、とても幸せだから――」

 そのまま無言になった西沢さんとしばらく抱き合ったままでいてから――。
 僕たちはどちらからともなく身体を離した。

 そこで改めて正面から見た西沢さんの顔は、やっぱり真っ赤っ赤に染まっていたのだった。


 こうして。
 西沢さんとの生まれて初めての突発デートは、途中で色んなトラブルがありながらも無事に幕を閉じたのだった。

 ちなみにその日の夜は抱き合った時の柔らかい感触を思いだしてしまって、勉強は手につかないし、ベッドに入っても明け方近くまで眠ることができないしで、なんかもうどうしようもないほどにハイテンションになってしまった僕だった。
 佐々木くんとの初めてのデートを終えて家に帰ったわたしは、帰るなり部屋に直行して着替えもせずにベッドに飛び込んだ。

 そのままベッドの上でゴロゴロバタバタとはしたなく左右に転がる。
 顔からはにやにやと笑みがこぼれてしまって、自分ではもう抑えようがなかった。

『その子から手を離してください!』
『僕の彼女に乱暴はやめてください!』
『西沢さんは僕の彼女です。だからその手を今すぐ離して下さい』
『はい、僕は――僕がその子の彼氏です』

 佐々木くんの言葉を思い出すだけで、嬉しさと気恥ずかしさが胸いっぱいに込み上げてくる。
 胸がキュンと高鳴ってくる。

「すっごくかっこ良かったなぁ……」

 チンピラみたいな不良たちに睨みつけられても目を逸らさずに、普段の物静かな口調とは全然違った大きな声で、わたしを彼女だと言って守ってくれた佐々木くん。

「やっぱり佐々木くんは優しいよね。おばあちゃんも助けてくれたし、今日はわたしのことも助けてくれたもん」

 佐々木くんなら、きっと何があってもわたしを見捨てないはず。
 佐々木くんなら、どんな状況でもわたしを裏切らないはず。
 佐々木くんなら、あの時みたいにわたしを一人ぼっちにしないはず――。

「――ってやめやめっ! せっかくこんなに幸せな気持ちになってるのに、昔のことを思い出して暗い気持ちになったら馬鹿らしいもん」

 わたしはもう一度、デートの時のかっこいい佐々木くんの姿を思い出す。

「佐々木くん、好き。大好き。わたしを守ってくれる優しい佐々木くんが、わたしは大好きなんだから……」

 佐々木くんのことを考えるだけで、好きって気持ちが無限に溢れてくる。
 溢れすぎて止まらない。

 だからわたしはベッドの上でしばらく、ゴロゴロジタバタし続けたのだった。
 なんとなく上手くいった初デートによって、僕と西沢さんはさらに仲良くなった。

 より正確に言うと、あの時西沢さんのために行動できたことが、少しだけ僕の中にある劣等感という名の重しを軽くしてくれたのだ。

 もちろん完全にゼロになった訳じゃ決してないけれど。
 それでも僕は、西沢さんとの心の距離がグッと近づいたような気がしていた。

 そんな西沢さんとは休み時間やお昼休みに一緒にいることが多かった。

 話し上手な西沢さんが上手く会話を振ってくれたりリードしてくれるから、会話に困ることも最初の頃と比べてあまりない。

 でもいつも一緒というわけでもなかった。

 ぼっちな僕と違って西沢さんは仲のいい女の子グループに属している。
 その子たちと一緒におしゃべりしたりご飯を食べたりする時間も必要だからだ。

 残念だけどそういう時は、僕は今まで通りに静かに過ごしていた。

 一人でスマホを弄っていたり、隣の席の柴田くんと話をしたり、時々目が合った西沢さんに笑顔で手を振ってもらったり。

 今も、女の子との付き合いかたに関する、恋愛初心者の高校生男子向けの解説ブログをスマホでダラっと眺めていると、西沢さんからラインが入ってきた。


彩菜
『ねえねえ』
『みんなで一緒に話さない?』
『みんな佐々木くんと話したがってるんだ』


『ううん』
『僕はいいよ』


彩菜
『心配しなくても』
『みんないい子だよ?』
『わたしが話してるの聞いたら』
『佐々木くんに興味あるみたいで』


『ごめん』
『でも女子と話すのはまだちょっと苦手で』
『だから遠慮したいなって……』


彩菜
『そっか、残念』


『ごめんね』


彩菜
『ぜんぜんいいし』
『気にしないで』
『わたしも男子と話すのは苦手だから』
『一緒だね』
『気持ちわかるもん』
『煮た物どうし!』
『似た者』


『何その誤変換(笑)』


彩菜
『多分昨日』
『煮物料理について調べてたから』


『そういうことね』


彩菜
『それに佐々木くんの』
『チャラくないところ大好きだし』
『誠実ってかんじ♥️』


『僕も西沢さんの優しいところ好きだよ』


彩菜
『えへへ、嬉しいです』
『あ』


『どうしたの?』


彩菜
『ここ記念スクショしとこ』
『何度でも見れるように』


『ちょ』
『それはやめて!』
『はずかしいから!』
『おねがい!』


彩菜
『大丈夫だよ』
『誰にも見せないし』


『西沢さんに見られるだけで』
『充分恥ずかしいんだってば!』


彩菜
『佐々木くんはあんまり』
『好きとか言ってくれないから?』


『ごめん』
『でも』
『直接言うのは結構恥ずかしくて』


彩菜
『ぜんぜん謝る必要ないし』
『でもこれでいつでも』
『佐々木くんの好きを見れます』
『スクショ完了』

『完了しないで!?』


彩菜
『あー!』
『佐々木くん顔赤いよ?』


『そりゃ赤くもなるでしょ』
『絶対に秘密にしてよね?』
『絶対だよ?』


彩菜
『とうぜんだし』
『余計なことして他の子に』
『佐々木くん取られちゃうかもしれないから』


『いや』
『それはないんじゃないかな』


彩菜
『あるよ』
『敵は本能寺にあり』


『意味がよくわからないかも?』
『明智光秀』
『だよね?』


彩菜
『ごめんなさい』
『なんとなくノリでした』


『あるよねそういうの(笑)』


彩菜
『でも』
『学校で秘密のやり取りするのって』
『ちょっとドキドキするね』


『すごくわかる』


彩菜
『佐々木くん好き、大好き』


『僕も西沢さん大好きだよ』


彩菜
『スクショ完了』


『西沢さん!?』


 ちょうどやり取りが途切れたところでスマホから視線をあげると、西沢さんとバッチリ目が合う。

 僕と目が合うとすぐに西沢さんが、ニヤッと笑って手を振ってきた。

 いつものふんわり柔らかい笑みとは違って、ちょっとしてやったりって感じのドヤ顔だ。

 でもそんな少し子供っぽいところがまた新鮮に可愛いくて。
 僕の心臓はドキドキとどうしようもない程に鼓動を高めてしまうのだった。

 そんな西沢さんに、僕は周囲の視線を気にしながら小さく手を振り返す。

 それにしてもさっきのやりとり、ほんとに保存しちゃったのかなぁ?

 面と向かって言葉に出すと勇気がいることでも、文字だけのラインだと敷居が下がってスッと書けちゃうから、ついつい流れと勢いで書いちゃったんだけど。

 後から西沢さんがアレとかコレを見返してるかと思うと、穴があったら埋まっちゃいたいくらい恥ずかしいんだけど……。

 しかも言葉でのやりとりと違って永久にデータが残っちゃうし。

 そんな風に西沢さんとのカップルな日々が順調に続いていたある日。

 僕は突然、お昼休みに屋上へと呼び出されたのだった。

 呼び出してきた相手はもちろん西沢さんじゃないし、当然だけど女の子でもなかった。

 男子の3年生の先輩3人組だ。
 運動部のことは詳しくない僕でも知っている人たちで。
 たしかサッカー部のキャプテンと、バスケ部のキャプテンと、柔道部の主将だったはず。

 3人とも体格が良くて筋肉質で、しかも3年生の先輩ということもあって、僕はいきなり呼び出されたことに不穏なものを感じていたし、ぶっちゃけ内心ビビりまくっていた。

 屋上につくなり僕は開口一番に問いただされた。

「単刀直入に聞くぞ。佐々木、お前西沢と付き合ってるんだってな。これほんとか?」

 口を開いたのはサッカー部のキャプテンだ。
 他の2人より1歩前に出ているので、彼が3人を代表して話すってことなんだろう。

「はい、そうですけど……」

 初対面かつ陽キャの王様とも言えるサッカー部キャプテンの先輩にいきなり高圧的に問われてしまい、根が陰キャな僕は本能的に小さな声で答えてしまう。

「へぇ。なんか西沢の弱みでも握ってんの? それで西沢のこと脅して無理やり付き合わせてたり?」

「まさかそんなことは。しないですよそんなこと」

「ほんとかよ? 西沢を盗撮とかして、それで脅してるんじゃないだろうな?」

「ほ、本当ですって、僕は何もしてません」

「ってもなぁ。だっておかしいだろ? あの学園のアイドル西沢彩菜が、お前みたいな何の特徴もない冴えない帰宅部と付き合うなんてさ」

「それは……そう、かもですね」

 西沢さんと僕は不釣り合いだとストレートに言われて――自分でも重々承知しているつもりだったけど――それでも改めて第三者に言われるときついものがあった。

 最近は西沢さんとの距離も近くなってる気がしてちょっと浮かれていたけれど、急にガツンと現実を見せられた気がした。

 なによりそのことを明確に否定しきれない自分が辛かった。

「じゃあなんでなんだよ?」

「それはえっと、ちょっとしたことで西沢さんに興味を持ってもらって。それで西沢さんに好きって言われたんです。付き合って欲しいって」

 もちろんおばあちゃんを助けたとかの具体的な話はしない。

 なんだかんだであの一件は、僕にとって西沢さんとの大切な出会いのイベントだったから。
 だからそれを見ず知らずの先輩に教えるつもりなんて微塵もありはしなかった。

「おいおい、まさか西沢の方からお前に告白したって? 冗談はよせよな」

「冗談じゃありません。ほんとのことです」

「あのなぁ、西沢は俺たちスクールカーストのトップランカーや、大人顔負けの切れ者生徒会長から告白されても首を縦に振らなかったんだぞ? なのにその西沢がお前みたいなモブに好きって告白したって? 寝言は寝てから言えよ1年」

 吐き捨てるように言ったサッカー部キャプテンが、僕の胸倉を絞り上げるように掴んでグイっと引き寄せた。

 僕より10センチ以上背が高くて、少し見ただけで鍛えられているとわかる身体をしている。
 しかも目の前にはゴールを狙うストライカーのような鋭い目があって、はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。

 本当のことを言ったのに嘘だと断定されたことに理不尽も感じた。

 っていうかこの前はデートで金髪チャラ男のチンピラにすごまれたし。
 最近の僕はなんかこんな目にばっかりあってるような……。

 だけど僕はビビっていても、決して相手から目を逸らしたりはしなかった。
 僕は西沢さんの彼氏として、絶対にここで目を逸らすわけにはいかなかったんだ。

 西沢さんが僕に向けてくれる真摯な思いを踏みにじるようなダサい真似だけは、絶対にしたくなかったから――!
 僕は冴えない底辺男子だ。
 背も低いし特技もない、勉強も運動もできやしない。

 だから僕は、僕という人間をどうしても誇れない。
 他人と比べるたびに劣等感を抱いてしまう。

 だけどそんな僕でも、西沢さんが好きになってくれたことだけは誇れるから!

 だから僕は、僕を好きになってくれた西沢さんのためにも。
 西沢さんの彼氏だってことだけは堂々と胸を張って、ちゃんと言葉にして言うんだ!

「僕と西沢さんはお互いに好き合ってる正真正銘のカップルです。なんと言われようと、それが事実です」

 僕はその一念をよりどころに、胸倉を掴んでくるサッカー部キャプテンと至近距離でにらみ合う。
 心臓が口からとび出そうなくらいにバクバク言っていた。

 サッカー部キャプテンの後ろにはバスケ部のキャプテンと柔道部の主将もいるし、3対1で実力行使されると勝ち目はない。

 それでも僕は決して目を逸らしはしなかった。

 どれだけ睨まれても、視線を外さないでいることが。
 それがなんの取り柄もない僕ができる、たった一つの西沢さんへの愛の証明方法だから――!

 そのまましばらくサッカー部キャプテンと真正面からにらみ合っていると、突然ふっと胸倉を掴んでいた手から力が抜けた。

「いい眼をしているね」

「え?」

「ごめんね、君の覚悟を試したかったんだ」

「は、はぁ……」

「どうやら君はいっぱしの男みたいだね。怖い目にあわせて悪かった。この通りだ、どうか許してくれないだろうか」

 サッカー部キャプテンは突然、穏やかな口調でそう言うと、その場で見事な土下座した。
 後ろの2人もそれに続いて土下座をする。

「えっと、あの、いったいなにが……? でもまずはとりあえず立ってもらっていいですか?」

 3年生の先輩がたを土下座させたまま話すのはなんとも心苦しかったので、僕は取り急ぎ3人に立ってもらった。

「君が西沢の彼女に相応しい男かどうか見定めさせてもらったんだ」

 そう言ったサッカー部のキャプテンは、さっきまでの怖い顔から一転、女の子が見たら胸を高鳴らせること間違いなしの、柔和なイケメンスマイルを浮かべていた。

「は、はぁ……見定める、ですか?」

「そうだ。僕にすごまれても君はわずかも目を逸らしはしなかった。聞いていた話と違って、ずいぶんと男らしいじゃないか」

「そ、それはどうも……」

 先輩は僕に関するどんな話を聞いてたのかな?
 もし根暗なぼっち陰キャってことなら、合ってると思いますよ?

「まったく、ヘタレな陰キャに西沢が脅されてるかも、なんて聞かされたからちょっと強引な手を使ったんだけど。なかなかどうしていい根性してるじゃないか」

「あ、ありがとうございます」

「君みたいなタイプは磨けば伸びると思うんだ、よかったらサッカー部に入らないかい?」

「えっと、僕は運動はあまり得意じゃなくて……」

「人間の身体ってのはね、理論に従って動かす訓練さえすれば誰でも正しく動くようになるものなんだよ」

「あ、そうなんですね」

「で、どうかな?」

「えっと、その……やっぱり遠慮しておきます」

「そうか、残念だな」

 サッカー部キャプテンは本当に残念そうに言った。
 なんかすごくいい人っぽいよね?

(ってことはさっきのは全部演技だったのか)

「それで僕は皆さんのお眼鏡にかなったということでしょうか?」

「もちろんさ。西沢が君を選んだのにも納得できたよ。彼女は男を見る目もあるみたいだね」

「そう……なんですかね?」

 スクールカースト最上位の一人であるサッカー部キャプテンからやたらと高評価を受けた僕は、なんとも居心地が悪くて苦笑いをしたのだった。

「もし何か困ったことがあったら言ってくれ、俺たちが力になるから。だから絶対に西沢を幸せにしてやってくれよ」

「応援ありがとうございます。そうなるように全力を尽くします」

 こうして先輩方から屋上に呼び出された一件は、途中で思っていた展開とは全然違って、とても平和に解決したのだった。