…………
……
結局、最初のショップで白シャツとネイビーのスキニーパンツを買った僕は、タグを切ってもらってその場でそれに着替えた。
他にもいくつか買った服は、また後日のデートの時に着る予定だ。
それなりにお金もかかったけど、高校入学祝に手を付けてなかったので金銭的にはまだまだ十分余裕がある。
(趣味なし特技なし物欲低めのないない尽くしが、珍しく幸いしたかな)
それに僕ももう高校生だ。
通学だって電車になったし行動範囲も格段に広がった。
この先のことを考えれば、とりあえずお出かけ用の服を何着か持っておいて損はないはずだ……と思う。
それにほら?
少なくとも西沢さんとデートに行く機会はこれからもあるはずだもんね。
そして西沢さんが見繕ってくれたこともあって、鏡に映った新しい服に包まれた自分の姿を見ると、まるで生まれ変わったみたいな気がする僕だった。
もちろん実際はそう大きくは変わってはいない。
それでも、今までファッションに疎くて常にマイナス要素だった服装に自信が持てるようになったっていう、気持ちの面での影響がものすごく大きいっていうか。
「うん、すごくカッコいいよ! 佐々木くんって物静かでちょっと大人びて見えるから、大学生みたいだよ? ちょっと年上の男性って感じで、わたしこの格好すごく好きかも」
「そ、そう? ありがとう、そう言ってもらえると僕も嬉しいよ。でもそれもこれも西沢さんが一緒に選んでくれたおかげだからね」
西沢さんから尋常じゃなく褒められてしまった僕は、照れながらも、真剣に服を選んでくれたことへの感謝の気持ちを伝えたのだった。
(でも、嬉しさと気恥ずかしさのダブルパンチで、なんだか顔が熱くなってきた……)
とまぁそんな感じで。
服を買って着替えた後は、西沢さんとショッピングモールをいろいろと見て回った。
主に話し上手な西沢さんの話を僕が聞き、時々僕の話もする。
というか深夜アニメと格ゲー以外にこれといった趣味もなく、友人関係も極めて薄い僕にはあまり話せる話題がない。
なので自然と西沢さんの話す割合が増えたっていうか。
そんな感じでショッピングモールを回っていた僕たちは、流れでゲームセンターに入ることにした。
いや、誓って僕は入りたくなかったんだ。
だって昨日の夜にネットでデートや交際について少し調べていたら、「女の子は男子がゲームをやってると暇で暇でしょうがない」って書いてあったから。
格ゲーとか論外。
UFOキャッチャーも取れないことが多くてカッコ悪いからダメ。
音ゲーだけは割とありだけど、それでもせいぜいプリクラを一緒に撮るくらいにして、さっさとゲーセンを出て別のことをしましょうって書いてあったのだ。
だからデートをするにあたっては、最初から絶対にゲーセンにだけは行かないでおこうって思っていたんだけど――。
「へぇ、佐々木くんはゲームするんだ。ふんふん、格闘ゲーム? わたしゲームしないからそういうの全然わからないんだよね。だから佐々木くんがどんなのしてるか見てみたいかも。あ、そう言えばここって3階にゲームセンターあったよね、せっかくだから行ってみない? ね? ね?」
こんな感じで、話の流れで格闘ゲームをするって言っちゃったら、やってるところを見せて欲しいって西沢さんにせがまれてしまったのだ。
ネットに書いてある情報を鵜呑みにしてしまい、こんなにもわくわくしている西沢さんの提案を断るのはそれはそれでどうかと思った僕は。
あまり熱中し過ぎないようにと心の中で強く自戒しながら、西沢さんとゲームセンターに入った。
ゲームセンターに入ってすぐに、家庭用で今も時々プレイしている一番得意な格ゲーを見つけて100円を入れる。
すぐにCPU戦が始まって、僕はガンガンとステージをクリアしていった。
CPUの設定はハードモードかな?
でもこのゲームは結構やり込んだから、ハードモードでも特に苦労することはないんだよね。
「わわっ、すごい! 上手! 手の動きがすごく速いし! っていうか手元見てないよね!?」
西沢さんが中腰で画面をのぞき込みながら、驚いたように言った。
「手はもう慣れてるからね。見る必要はないし、意識しないでも動くからお箸でご飯食べるのと変わらないし」
「ええっ、うっそだぁ!?」
「ほら、ピアノとか楽器がそうじゃない? 楽器の演奏も慣れてくると、意識しなくても弾けるんでしょ?」
「あ、なるほどね。ちょっと納得したかも」
「それに相手は決まった思考ルーチンで動くCPUだからね。慣れてればこれくらいは割と誰でもできるんじゃないかな?」
そんな西沢さんに、僕は時々画面から顔をあげて西沢さんの方を向きながら、会話しながらゲームを進めていく。
それなりにやり込んでいる格ゲーだと、異常な攻撃力で超反応してくるどうしようもないボス戦以外では、よそ見しながら誰かと話しながらであってもCPUに負けることは基本的にはない。
というかコンボを決めてる間は、画面すら見る必要がないし。
「そんなことないよ。わたしこんな速いの絶対無理だし。目で追いかけるのがやっとだもん。ほんと、佐々木くんの意外なすごい一面を見れた感じ。ゲームセンターに来てよかった」
「ありがとう西沢さん。そうだ、せっかくだし西沢さんもちょっとやってみる?」
「わたし!? 無理無理、無理だし! 見てるだけでいいよ。わたしはここで佐々木くんを応援する応援団長の責務を全うしてるから」
「あはは、なにそれ。一度やってみたらいいのに、結構簡単だよ?」
「そんなこと言うけど、全然簡単そうに見えないんだもん」
「だから実際はそうでもないってば」
なんてやり取りを西沢さんとしていると突然、画面にカットインが入った。
乱入だ。
画面が対人戦モードに切り替わって、乱入相手が使用キャラを選び始める。
「な、なに!? なにか急に始まったんだけど!?」
ゲームは詳しくないと言うだけあって、突然の乱入発生に驚いた西沢さんは目をぱちくりさせている。
「乱入されたんだよ」
「練乳?」
「違う違う、『ら』ん入」
僕は最初の一文字をわかりやすく大きな声で言ってあげた。
「あ、乱入ね!」
ゲーセンは音が大きいので、こういうなんでもない聞き間違いがちょこちょこ起こる。
こんな何気ないことでも、付き合っている女の子との間で起こるとちょっと幸せを感じてしまう僕がいた。
「今まではCPU戦をしてたんだけど、反対側にもう一台あってそこで始めた人がいて、今から僕と対戦するんだ」
「あ、ゲームって人とも戦うんだね」
「まぁ対戦ゲームだからね」
そう、格ゲーは対戦ゲーだから乱入は普通なんだけど。
でもわざわざ彼女と一緒にいる人に乱入しなくてもいいと思うんだけどな……。
(もしかしたら冴えない僕と西沢さんみたいな可愛い女の子が一緒にいたから、僕を負かして恥をかかせてやろうとか思って敢えて入ってきたのかも……やだなぁ……)
しかもだ。
「……上手いなこの人、完全にガチ勢だ」
わざわざ乱入してきたのに、安定強キャラを使わずにテクニカルな高機動キャラを使ってきた時点で、ガチ勢っぽい気はしたんだけど。
なにせこの乱入相手ときたら、間合い管理が上手くて小技の差し合いでは負けるし。
その小技がヒットすると、当たり前のように精度の高いコンボで確実にダメージを取ってくるのだ。
(うわっ、これ全部ヒット見てからコンボ入れてきてるじゃん……)
さらには起き攻めも上手い。
ジャンプからのめくりギリギリでの表裏2択から、投げを絡めた地上への連携は単純だけどとても脅威だった。
僕は背筋を伸ばしてやや前のめりの姿勢になると、鋭い視線でゲーム画面に集中する。
(焦っちゃだめだ。めちゃくちゃ上手いけど、全国トップランカーの動画ほどじゃない。格上は格上だけど、やってやれない相手じゃない)
僕は相手の動きを注意深く観察して、大まかな癖みたいなものを把握する。
そしてある程度ガードを固めつつも、要所要所でいろんな動きや牽制を駆使して反撃を始めた。
積極的に攻撃をしかけてくる乱入相手と、受けからの反撃で勝機を狙う僕。
戦いは一進一退で進んでいった。
1本目を大差で取られて、だけど2本目はギリギリで取り返す。
でも3本目をギリギリで取られて、返しの4本目はまたギリギリで僕が取り返した。
そして2-2で迎えた最終5本目。
乱入相手は僕の動きに慣れて、牽制で誘っても全然反応してこなくなっていた。
対応力の高さもすごい。
そして残り時間が10秒を切ったころには、僕の体力ゲージは目では見えない1ドットまで追い込まれてしまっていた。
もう必殺技をガードした瞬間に削られて負けるどうしようもない状況だ。
乱入者が発生の速い超必殺技で削りに来る。
だけど――!
(それを待ってたんだ!)
僕は相手の超必殺技を16連続ジャストブロッキングすると、逆に最大ダメージコンボを入れて大逆転!
どうにかギリギリ乱入者を撃退することに成功したのだった。
「ふぅ……」
手に汗握る大激戦を僅差で制した僕は、高揚感と疲労感からホッと一息ついたんだけど――、
「…………」
そこに至って僕はやっと、横にいた西沢さんがすっかり静かになってしまっていることに気が付いたのだった。
「ごめん西沢さん! つい集中しすぎちゃって全然周りを見れてなくて!」
僕は慌てて西沢さんの方に向き直るとごめんなさいをした。
CPU戦が再開してるけど、そんなことはもうどうでもよかった。
(や、やってしまった……! ゲーセンでゲームに熱中し過ぎてデート中の彼女をほったらかすなんていう、最低最悪ムーブをかましてしまった……!)
デートはお互いに楽しむもの、自分だけが楽しむのはデートじゃないってネットに書いてあった、まさにその通りのダメな行動をとってしまうなんて!
「――――」
僕は必死に謝ったんだけど、西沢さんは返事すらしてはくれなかった。
彼女そっちのけでゲームに熱中していた僕に、心底呆れているのかもしれない。
今わかった。
デートでゲーセンに行くなとは、こういうことだったのだ。
得意かつ好きな分野では負けたくないという人間心理が働いてしまい、優先順位を間違えてしまうから。
だから絶対ゲーセンには行くなと書いてあったのだ。
僕は今さらながらにそのことを理解した。
後から悔いるから後悔と言うのだとはいえ。
よりにもよってデートをしている西沢さんをそっちのけにして、格ゲーの対人戦に熱中してしまうなんて。
あまりのやらかしの大きさに僕は完全に涙目になる。
熱戦の末に格上の強敵に勝利した高揚感は、もはや完全に地平線の彼方に吹っ飛んでしまっていた。
「本当にごめん、西沢さんのことを無視するつもりはなかったんだ。相手が強かったから、つい対戦に集中しちゃって。それで――」
僕は必死に理由を説明する。
でもどこからどう見てもそれは無様な言い訳だ。
言い訳をすると余計にみっともないとも思ったんだけど、それでも言葉を尽くさずにはいられなくて。
ずっと無言のままの西沢さんに、僕は必死の謝罪と言い訳を重ねてなんとか機嫌を直してもらおうとしてたんだけど――、
「佐々木くんすごいっ!」
突然、西沢さんが両手の平を胸の前でポンと合わせて興奮したように言った。
「え? な、なにが?」
ずっと黙り込んでいた西沢さんが突然何を言い出したのか理解できなかった僕は、必死に言葉の意味を考える。
(もしかして彼女をほったらかしてゲームに熱中するなんてすごいね、っていう皮肉なんだろうか?)
心優しい西沢さんですら、そんな皮肉も言いたくなるほどの酷い放置プレイを、僕はやらかしてしまったんだ――、
「最後、大ピンチだったのに大逆転だったよね!」
だけど西沢さんの口から出たのは、思いもよらない言葉だった。
「え? ああうん。そうだったんだけど、そんなことより――」
「わたし最後はもう、ああ負けちゃうって、ハラハラしながら見てたんだから。でも勝ってくれて嬉しかったぁ。応援してた甲斐があったよ」
さっきの勝利を、まるで自分のことのように嬉しそうに喜んでくれる西沢さん。
「ありがとう西沢さん。でも熱中しすぎてごめんね、次からは気を付けるから」
というかもうゲーセンには来ないから。
来てもプリクラだけして帰るから。
「気を付ける? なんで? 集中する佐々木くんの横顔、すごくカッコよかったよ? 惚れなおしちゃったし――なんちゃって、このこのぉっ!」
「そ、そう? だったらいいんだけど」
「もう、せっかく勝ったのに変な佐々木くん――って、ゲームを放置してていいの? 負けちゃうよ?」
言いながら、西沢さんは棒立ちのままCPUに1本目をパーフェクトゲームされた画面を指差した。
「そうだね、うん、じゃあ続きをやろうかな」
僕は西沢さんがちっとも怒ってないことに胸をなでおろすと、CPU戦を再開する。
幸運にも西沢さんは、放っておかれたとは思わずにいてくれたみたいだった。
でも僕は今回はラッキーだったと思うことにする。
こんなのはそう何度もあることじゃない。
だからこれからはちゃんとお互いが楽しめるようなデートをするんだと、改めて心に誓ったのだった。
西沢さんの優しさにいいように甘えるだけの、そんなダサい男のままではいたくなかったから。
「ごめん佐々木くん、ちょっと待っててくれる?」
ゲーセンを出てウインドウショッピングを再開した僕と西沢さん。
するとちょっとしてから西沢さんが急にそんなことを言ってきたのだ。
ずっとつないでいた手もパッと離されてしまう。
もうすっかり手を繋ぐのが当たり前みたいになっていて、西沢さんの温もりを失った空っぽの手がなんともいえない寂寥感を伝えてくる。
「なにか用事でも思い出したの? 買い物なら僕もついていくけど。一緒に行こうよ、どこだってついていくから」
西沢さんともっと一緒にいたいと強く思った僕は、だからそう提案したんだけれど、
「そ、それはダメだもん……」
西沢さんはふっと僕から視線を逸らすと、蚊の鳴くような小さな声でそう言ったのだ。
「遠慮なんてしなくていいってば。服を選ぶのにいろいろとアドバイスもらったお礼、に今日はどこにだって付き合うからさ」
「ううん、ほんとそういうのじゃなくて……」
「西沢さんがいて僕、本当に助かったんだもん。僕だけじゃこんないい買い物するのは絶対に無理だったから」
だからそれくらいしないと感謝にもお礼にもならないよね。
さっきゲーセンで対戦に熱中しすぎて西沢さんをほったらかしにしてしまった負い目もある。
今日はとことん西沢さんに付き合うよっていう並々ならぬ決意を、だから僕は西沢さんにこれでもかと伝えたんだけど、
「だって、その、付き合われたら逆に困るんだもん……」
西沢さんは遠慮しっばなしなのだ。
「ほんと遠慮はいらないから、ね?」
「佐々木くんの気持ちはすごく嬉しいんだけど、今はそういうことじゃなくて……」
西沢さんは週刊誌にすっぱ抜かれて国会で野党から疑惑を追及される閣僚みたいなあいまいな答弁に終始するのだ。
「と言うと? どういうこと? ほんと全然気にしなくていいんだよ?」
「ィレだし……」
西沢さんがものすごい小声でぼそっと言った。
あまりに小さい声だったから、西沢さんの口元を見ていなかったらしゃべったと認識できなかったと思う。
でも僕は感謝の気持ちを伝えたい気持ちもあってしっかりと西沢さんの顔を見ていたから、何かしゃべったんだということを見逃すことはなかったのだ。
「ごめん、ちょっと周りがうるさくてよく聞こえなかったからもう一回言ってもらっていい?」
「だからトイレなの! わたしはトイレに行きたいの! 恥ずかしいから佐々木くんはついてこないで~」
目をつぶった真っ赤な顔で、えいや!って感じで叫ぶように言う西沢さん。
「ご、ごめん! ついていかないから! ちゃんと前で待ってるから!」
ようやっと全てを察した僕は、慌ててそう言ったのだった。
周りを見渡すと、すぐ目の前に女子トイレの表示があることに気付く。
「こんな話しちゃったら、前で待たれてると思うとそれだけで恥ずかしいから、できれば離れたところで待っててほしいかな……」
「何から何までまったく配慮が足りなくてごめんなさい! エスカレーター前のミニ広場で待ってるから!」
ほとんど涙目になってしまっていた西沢さんに僕は全力でごめんなさいをすると、すぐに背中を向けてエスカレーター前の広場へと急いだ。
「またやっちゃった……」
デート初心者丸出し、いろいろと察してないだけでなく、乙女心がまったくわかっていないダメンズな僕だった。
ゲーセンでの失態をなんとか取り返そうと、気合いが変に空回りしたのも痛かった。
それにしたって女の子にトイレについていこうとするだなんて、ダメすぎるでしょ僕……。
「遅いな西沢さん……」
西沢さんと別れてエスカレーター前のミニ広場にやってきてから、もう15分が過ぎていた。
男子と違って女の子はいろいろとあって、それに女子トイレは数が少なくて混むから時間がかかるらしいけど。
それにしても遅い気がするような。
「ちょっと見に行ってみようかな? でも『待っててって言ったよね?』とか言われたらマズイもんなぁ。今日はいつにも増して失敗続きだし、また失敗したら今度こそ西沢さんに愛想をつかされるかもしれないし……」
僕は西沢さんを待ちながら、ミニ広場のベンチに腰かけたままうだうだとそんなことを考え続ていた。
誰もが憧れる学園のアイドル西沢さんと、カースト下位の十把一絡げのモブ男子。
絶対上位者になぜか気まぐれで選ばれた幸運な下層民。
きっと周りのみんながみんなそんな風に思っている――ううん、他でもない僕が一番そうだって理解している。
西沢さんとのあまりにアンバランスなステータス差を、僕はどうしても意識せざるを得なかった。
西沢さんの心変わり一つで簡単に終わってしまう、砂上の楼閣にようなもろい関係だ。
そのとてつもない恐怖心は、西沢さんの隣にいられるという幸福感とともに、僕の心に鋭い楔のように深く深く打ち込まれていたのだった。
「でももしも西沢さんがトラブルに巻き込まれていたとしたら、なのにここでボケっと座って何もしないでいたとしたら、絶対に後悔するよね」
そうだ。
待たなかったことを西沢さんから咎められることよりも、西沢さんに何かあったほうがよっぽど大変だ。
そう考えた僕はすぐに行動することにした。
だってそうでしょ?
それが原因で僕が西沢さんに振られても、西沢さんに何もなければそれで全然いいじゃないか。
西沢さんに見合うような男になりたいって、僕が本気でそう思っているのなら。
同じ後悔をするにしても、やるべきだと思ったことをしなくて後悔するのだけは、絶対にしちゃいけないと思うから――!
なによりもし早とちりで失敗に終わったとしても。
今までの失敗と違って西沢さんのためを思って行動した上での失敗なんだから、どんな結果が待っていても僕は納得できると思ったのだ。
そりゃその、それが原因で振られてしまったら、僕は涙が枯れるまで泣き尽くしちゃうとは思うんだけどさ。
それはまた別の話だから。
「よし!」
僕はすぐに立ち上がると、西沢さんと別れた女子トイレへと向かった。
こういう施設の常として、少し奥まったところにある女子トイレの近くまで戻ってくると──、
「ちょっと、手を離してください! わたしはあなたたちに用はありませんから!」
今まで一度も聞いたことがない、西沢さんの険のある大きな声が聞こえてきたんだ――!
「西沢さん!? 今行くから!」
それを聞いた僕は弾かれたように女子トイレに向かって走り出した。
すると、
「おい聞いたか? 話してくださいだってよぉ」
「ういっす、聞いたっすよアニキ」
「じゃあ頼まれた通りに一緒にお話してあげないとだめだよなぁ」
「っすよね」
「そういう意味じゃありません! ほんとに手を離してください、人が待ってるんです」
「だから話してやるって。おい、カラオケの予約とれよ」
「了解っすアニキ」
そこには背の高いガラの悪そうな金髪チャラ男と、背の低い子分みたいな茶髪の二人組に絡まれている西沢さんがいたんだ!
(西沢さんが戻ってくるのが遅かったのは、こいつらに絡まれていたからだ――!)
絶対に西沢さんを助けなきゃという気持ちで頭がいっぱいだった僕は、
「その子から手を離してください!」
自分でも信じられないくらいに大きな声で叫ぶように言った。
「ぁ、佐々木くん……」
僕の顔を見た西沢さんが、怯えから一転ホッとした顔を見せる。
すごく怖かったんだろう、その目は少し赤くなっていた。
「あ? なんだてめぇは? 見てわかんだろ、俺ら取り込み中なんだよ、とっととどっか行けよオラ、ケンカ売ってんのか?」
背の高い金髪チャラ男が脅すような低い声で、顔を歪めてすごんでくる。
はっきり言ってめちゃくちゃ怖かった。
控えめに言ってチンピラ丸出しなその振る舞いは、世界第三位の経済大国に生まれ、他国がうらやむ高等教育を権利かつ義務として幼いころから享受してきたはずの文明的な人間とは到底思えない。
だけどそんな風にドスの効いた声ですごまれても、僕は一歩も引かなかった。
本能的な恐怖を懸命に飲み込み、震えそうな足でしっかり床を踏みしめ、完全に震えてる手でグッとこぶしを握って金髪チャラ男に正対すると、僕は腹の底から大きな声を出す!
「僕の彼女に乱暴はやめてください!」
「あ? 彼女だと?」
金髪チャラ男が不快そうに目を細めながら、僕と西沢さんを交互に見る。
「そうです、その子は――西沢さんは僕の彼女です。だからその手を今すぐ離して下さい」
「なに、お前がこのきれいこちゃんのカレシなの?」
「はい、僕は――僕がその子の彼氏です」
「佐々木くん……!」
彼氏だと言い切った僕を、チンピラがさらに目を細めてにらみつけてくる。
お前が彼氏とか釣り合ってねぇだろ、嘘つくんじゃねぇよバカ――みたいなことを言って笑われるのかと覚悟していたら、
「チッ、男持ちかよ。行くぞ!」
「うぃっすアニキ」
しかし金髪チャラ男は意外とすぐに諦めてくれた。
そのまま僕たちに背中を向けると、二人連れだってこの場を立ち去っていく。
「ああもう、また空振りかよ」
「だから俺最初から言ったじゃないっすか、あんな綺麗な子が男と一緒じゃないわけないって」
「あ? お前んなこと言ったか? 適当言ってんじゃねぇよ」
「言いましたって。ちょ、いちいち殴んないでくださいよ! まったくアニキはすぐ手を出すんだから。この前もリーマン小突いてサツにパクられたっしょ? 相手が大事にしないでくれたから、一晩しぼられただけで済んだんすからね?」
「うっせーよ、昔のことイチイチ蒸し返すんじゃねえ」
「昔じゃなくてつい先週のことっすよ。少しは懲りてくださいよ、日光の猿じゃないんすから。こんなことしてたら、いつかヤバいのに当たっちまいますよ?」
「うっせぇな黙れ」
「すんませんっしたぁ!」
そんなやりとりをしながら――もう僕らには興味がなくなったのか――金髪チャラ男たちは一度も振り返ることなくモールの奥の方へと消えていったのだった。
「い、行ったかな? 行ったよね? うん、行った! はぁ、緊張した……」
チンピラたちが見えなくなってやっと極度の緊張感から解き放たれた僕は、両ひざに手をついて大きく息を吐いた。
足がガクガクでもうへたり込んじゃいそう。
そんなへなちょこ過ぎる僕に、西沢さんがすぐに駆け寄ってきた。
「佐々木くん、大丈夫だった!?」
「それはこっちのセリフだってば。西沢さんこそ腕を掴まれてたでしょ? 大丈夫だった? あ、ちょっと赤くなってるよ」
西沢さんの手首は掴まれていたところが少し赤くなっていた。
肌が白いぶんだけとても目立つ。
相当痛くて怖かったに違いない。
「こんなの全然平気だもん。それよりごめんね佐々木くん、待たせちゃって。あの人たち何を言っても聞いてくれなくて。手も離してくれないし、わたしどうしたらいいかわからなくて──」
「ううん、西沢さんは被害者なんだから謝る必要なんてこれっぽちもないから。ほんと無事でよかった、遅いなって思って見に来て正解だったよ」
「本当にありがとうございました、佐々木くん」
「だからいいってば。それに僕は西沢さんのか、彼氏なんだから、だから彼女を守るのは当然だし」
僕はもう一度勇気を出して、そんなセリフを言った。
「ふふっ、そうだよね、彼氏だもんね、彼女を守るのは当然だよね。手を離せ、僕がその子の彼氏だぞって言った時の佐々木くん、とってもカッコよかったよ?」
「もう、茶化さないでよね西沢さん、すごく必死だったんだから。あとそんなワイルドな言い方は絶対してないからね?」
万が一ケンカになったら勝つ自信は皆無だったから、なるべく相手を怒らせないようにもっとマイルドに言ったはずだ。
でも、さっきは西沢さんを助けなくちゃって思って必死だったけど、すっかり落ち着いた今になって思い出すと、なに言っちゃってんの僕!と、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかった。
「茶化してないもーん、ほんとにカッコ良かったんだもーん。自慢の彼氏なんだもーん」
「もう西沢さんってば……」
でも頑張ったかいはあった。
行動して良かった。
だって西沢さんのこの笑顔を取り戻せたんだから──なんてさっきの自分の選択をちょっとだけ誇らしく思っていると、
「だからこれは感謝の気持ちです」
西沢さんがそう言いながらギュっと僕に抱きついたきたのだ――!
「西沢さん!? えっとあの!」
突然の出来事に、僕は緊張と困惑で頭が大混乱してしまっていた。
だ、だって西沢さんが抱きついてきたんだよ!?
しかも僕の両腕ときたら、つい反射的に西沢さんを抱き返してしまっていて──!?
つまり今、僕と西沢さんは抱き合っちゃってるってわけなんだけど!
(西沢さんの身体が僕の腕の中にある……!)
じんわりと優しい温もりと、甘くていい匂いと。
そして男子とは決定的に違っている女の子特有の柔らかさがこれでもかと伝わってきて。
僕は緊張のあまり、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなくなってしまっていた。
頭の中が完全にテンパってしまっている。
しかも僕たちは背が同じくらいの高さなので、だから西沢さんの柔らかい頬が僕の頬に直に触れてしまったりとかしちゃっているのだ。
そんな状況でテンパるなっていう方が、無理な話でしょ!?
僕は西沢さんと抱き合ったままで。
その温もりに包まれたまま、ただただ心臓の鼓動をドキドキと高鳴らせていた。
その音が自分でもわかるくらいにあまりに大きく激しかったので、もしかしたら西沢さんに聞こえちゃってるかも――。
でもそれはきっと僕だけじゃなくて、西沢さんも同じだったと思う。
だって西沢さんも僕と同じように無言のままでいて。
しかも僕の顔のすぐ横にあるその顔は、耳までまっ赤っ赤に染まっていたんだから。
お互い正面から顔を見れない状況だったのは、恥ずかしさがほんの少しだけ軽減されてある意味良かったのかもしれなかった。
「佐々木くんが来てくれてすごく嬉しかったの。だから茶化してなんかちっともないの。助けに来てくれた佐々木くんが、わたしには白馬の王子様に見えたんだから」
僕の耳元で西沢さんがしっとりとした声でささやく。
吐息のようなその声が僕の耳やうなじにかかって、僕はゾクゾクと背筋を震わせた。
「そう言われると、僕も頑張ったってよかったなって思うな」
この状況にものすごく緊張してテンパりながらも、僕はなんとか会話を続ける。
「ねぇ佐々木くん。わたしは佐々木くんが好き。困ったときに助けてくれる勇気がある佐々木くんが好き。普段は優しくて控えめで、隣にいると安心できる佐々木くんが好き。佐々木くんは、わたしのこと……好き?」
「もちろん僕も西沢さんが……す、好きだよ。可愛くて優しくて、みんなの人気者で。そんな西沢さんが僕を好きになってくれたことが奇跡に思えるくらいに、僕も西沢さんのことが好きだよ」
人とのコミュニケーションがあまり得意じゃない僕は、西沢さんみたいな可愛い女の子に好きだって言うことに、恥ずかしさで顔から火が出そうになったんだけど。
それでも僕はちゃんと最後まで言い切った。
途中ちょっと詰まっちゃったけど、言葉にしてちゃんと西沢さんに自分の想いを伝える。
だってせめてそれくらいはできないと、平凡以下の僕じゃ学園のアイドル西沢さんには絶対に見合わないから。
僕は今の自分にできる唯一のことを――気持ちをちゃんと伝えることを必死に頑張るんだ。
「佐々木くんがそう言ってくれるとわたしも嬉しいな。ねぇ、もう一回好きって言ってよ? ね? お願い?」
「う……す、好きだよ」
「もう一回♪」
「に、西沢さんのことが……大好きだよ」
「もう一回♪」
「ええっ、まだ!?」
「もう1回だけお願い、これで最後にするから、ね? ね?」
「じゃあうん……僕は西沢さんが好きだ、とても好き、大好きだよ」
「えへへ、ありがとう佐々木くん。わたし今、とても幸せだから――」
そのまま無言になった西沢さんとしばらく抱き合ったままでいてから――。
僕たちはどちらからともなく身体を離した。
そこで改めて正面から見た西沢さんの顔は、やっぱり真っ赤っ赤に染まっていたのだった。
こうして。
西沢さんとの生まれて初めての突発デートは、途中で色んなトラブルがありながらも無事に幕を閉じたのだった。
ちなみにその日の夜は抱き合った時の柔らかい感触を思いだしてしまって、勉強は手につかないし、ベッドに入っても明け方近くまで眠ることができないしで、なんかもうどうしようもないほどにハイテンションになってしまった僕だった。
佐々木くんとの初めてのデートを終えて家に帰ったわたしは、帰るなり部屋に直行して着替えもせずにベッドに飛び込んだ。
そのままベッドの上でゴロゴロバタバタとはしたなく左右に転がる。
顔からはにやにやと笑みがこぼれてしまって、自分ではもう抑えようがなかった。
『その子から手を離してください!』
『僕の彼女に乱暴はやめてください!』
『西沢さんは僕の彼女です。だからその手を今すぐ離して下さい』
『はい、僕は――僕がその子の彼氏です』
佐々木くんの言葉を思い出すだけで、嬉しさと気恥ずかしさが胸いっぱいに込み上げてくる。
胸がキュンと高鳴ってくる。
「すっごくかっこ良かったなぁ……」
チンピラみたいな不良たちに睨みつけられても目を逸らさずに、普段の物静かな口調とは全然違った大きな声で、わたしを彼女だと言って守ってくれた佐々木くん。
「やっぱり佐々木くんは優しいよね。おばあちゃんも助けてくれたし、今日はわたしのことも助けてくれたもん」
佐々木くんなら、きっと何があってもわたしを見捨てないはず。
佐々木くんなら、どんな状況でもわたしを裏切らないはず。
佐々木くんなら、あの時みたいにわたしを一人ぼっちにしないはず――。
「――ってやめやめっ! せっかくこんなに幸せな気持ちになってるのに、昔のことを思い出して暗い気持ちになったら馬鹿らしいもん」
わたしはもう一度、デートの時のかっこいい佐々木くんの姿を思い出す。
「佐々木くん、好き。大好き。わたしを守ってくれる優しい佐々木くんが、わたしは大好きなんだから……」
佐々木くんのことを考えるだけで、好きって気持ちが無限に溢れてくる。
溢れすぎて止まらない。
だからわたしはベッドの上でしばらく、ゴロゴロジタバタし続けたのだった。