翌朝、僕はいつものように予鈴ギリギリに登校した。

 高校で唯一の友人である柴田君は朝は集中力が増して筆が乗るらしく、ずっと席に座ってスマホで執筆するのが日課だ。
 だから彼以外に友だちがいない僕は、教室についても何もすることがなく一人で惨めに座っているしかない。

 その時間を限りなくゼロにするために、僕は予鈴ギリギリに登校するのがデフォになっていた。

 ちょうどおあつらえ向きに、予鈴が鳴るギリギリに教室に入れるいい電車があるんだよね。
 その電車に乗るとギリギリに登校できるから、代々うちの高校の生徒の間では「ギリ電」と呼ばれている。

 ちなみに1つ前の電車は普通の時間につくから「フツ電」、さらにその前は早く着くから「ハヤ電」だ。
 ついでにギリ電の1個後は遅刻確定なので「チコ電」と呼ばれていた。

 ハヤ電→フツ電→ギリ電→チコ電の順番ね。

 それはそうとして。

 今日もギリ電に乗って予鈴ギリギリに登校した僕は、教室に入る時に蚊の鳴くような小さな声で申し訳程度に、

「おはよ~」
 と挨拶をした。

 そしていつものように誰からも返事がない中を、自分の席に向かって歩いていったんだけど――、

「おはよう、佐々木くん」

 どうしてだか、西沢さんが僕に近づいてきて挨拶をしてきたのだ。

(え? 僕?)

 あまりに唐突な西沢さんからの朝の声掛け。
 このクラスに「佐々木くん」は僕しかいないので、聞き間違いじゃなければ僕に挨拶したのは間違いない。

「あ、えと、西沢さん、お、おはよう……」

 しかし、である。

 なんの気まぐれか、それともたまたまなのか。
 はたまた西沢さんの今日のラッキーアイテムが「佐々木くん」だったのか。

 理由は分からないけど、せっかく学園のアイドルである西沢さんが下層カースト民の僕なんかにお声がけしてくださったというのに、僕ときたら緊張しちゃって小さな消え入りそうな声で絞り出すようにぼそぼそっと返事をするしかできなかったのだ。

 だってこんなの全然想像してなかったんだもん。

 学園のアイドルの西沢さんがだよ?
 毎朝の日課のお友達グループでのおしゃべりを中断して、わざわざ僕の近くまで来て挨拶をしてくれたんだよ?

 こんなことが起きるなんて、想像も想定もしてるわけないじゃん!?

 突発イベントの発生に全く対応できず、超がつくほどダサダサすぎて内心辛かったんだけど、それがまたダメな僕らしいと自分で納得できるのがまた辛かった。
 自分で言うのもなんだけどさ……。

「あの、佐々木くん。昨日は――」

 キーンコーンカーンコーン。

 西沢さんが挨拶の後になにか言いかけたところで予鈴が鳴った。
 僕は今日もギリギリで登校しているので、これはまぁ当然と言えば当然だ。

「えっとごめん、予鈴でよく聞こえなくて――」

「ううん、なんでもないの。ごめんね、朝の忙しい時に貴重な時間を取らせちゃって」

 そう言うと、西沢さんはぺこりと頭を下げてから自分の席へと戻っていった。

「えっと、いったい何だったんだろう……?」

 疑問に思いながら席に座ると――ふと、教室中の視線が僕に向いていることに気が付いた。

「ねぇねぇなに今の?」
「西沢さんから佐々木に声かけてなかった?」
「え、佐々木と西沢さんって仲いいの?」
「ははっ、まさか。ないない」
「てかあいつ佐々木っていうんだ」
「おいおいクラスメイトの名前くらい知っとけよ。俺も知らんかったけどw」

 ざわざわとそんな会話が聞こえてくる。

 だよね。
 そうだよね。

 男子は苦手と公言している西沢さんが、下層カースト男子の僕なんかにグループのおしゃべりを中断してまで声をかけに言ったんだもん。

 そりゃあ何事かとみんな気になるよね。
 もはやクラスの一大事だよね。

 だから僕は肩をすぼませて小さくなり、視線を落としてひたすら自分の机とにらめっこしながら、担任の先生が来るまでの針のむしろのような時間を耐え忍んだのだった。

 ちなみに僕の唯一の友人たる柴田君はというと、

「やっべ、今のやっべ! きちゃったよ、マジ降りてきちゃったよ! インスピレーションがもりもり湧いてきたぁ!」

 とスマホに向かってなにやらガリガリと猛スピードで打ち込んでいた。

 突然のイベント発生にWeb小説の着想でも得たんだろうけど、とりあえず彼に言いたいことは一つ。
 西沢さんはザ・ヒロインだからいいとして、僕をモデルにするのだけは絶対にやめた方がいいと思う。

 確かこの前、WEB小説に投稿した新作がランキング上位に載って読者が一気に増えたって喜んでたよね?
 せっかく増えた読者が逃げちゃっても僕に責任はないからね?