そういうわけで。
学園のアイドル西沢さんにティッシュを鼻に詰めてもらった冴えない僕は、その冴えない姿のままで2人でお話することにした。
もうこの時点で間違いなく悲しい絵面になっているんだけど、鼻血ってしまったことはいまさら取り返しがつかないので諦めるしかなかった。
幸いなことに、ここには僕と西沢さんの2人だけしかしないから他人の視線を気にする必要はないしね、うん……。
気を取り直して2人で手を繋いだまま、屋上の給水タンクの下にある段差に腰かけたんだけど――、
「……」
「……」
いざ女の子と会話をしろと言われてすぐに会話ができるなら、僕は陰キャなんぞしていないわけで。
初対面の相手とカラオケに行くことすら尻込みしてしまう僕にとって、このシチュエーションは難易度が高すぎるなんてものじゃなかった。
ガチ弾幕ゲーでお馴染み東方シリーズを全て難易度ルナティックで攻略でしろって言われる方がまだましだ。
「……」
「……」
女の子に告白されたあとって、何を話せばいいのかな?
誰か教えて(泣)
まずなにより楽しい話じゃないとだめだよね。
それはわかるんだよ?
でも女の子が楽しく感じる話題って何なのって話なわけでね?
だめだ、話題か出てこなくて焦ってたら手がじんわり汗ばんできた。
ううっ、西沢さんに手汗が気持ち悪い汗かきの汁男とか思われたらどうしよう?
そうこうしている間にも沈黙はどんどんと長くなっていく。
何でもいいから、せめてなにか言葉を発しないと──、
「きょ、今日はいい天気だね」
手汗をかきながら黙ったままでいるわけには絶対にいかなかった僕は、完全にせっぱつまってしまっていて。
だから誰でも使える最終手段、天気の話をしたのだった。
「暖かくて風もあって気持いいよね。春は好きなんだ」
だけど西沢さんはそんなダメダメな僕に優しく言葉を返してくれる。
「あ、うん。過ごしやすいから僕も春が好きかな」
「それにいろんな花が咲くしね、歩いていても色とりどりだから見ているだけで楽しくなっちゃうもん」
「あ、わかる。桜とか綺麗だからついつい見上げちゃうよね」
「わたしも桜は好きだよ。桜が満開になるだけで日本に生まれて良かったって思えちゃうよね」
「それもわかる気がするなぁ」
「それに夏は暑くて汗かいちゃうし。冬は寒いし、秋はちょっと物悲しい感じで切なくなるし。その点春は未来に向かってる感じがして、毎日元気が出てくるっていうか」
「ちょっと意外かも、西沢さんも夏は汗をかいたり暑かったりするんだね」
「そりゃあそうですよ? 夏は暑くて蒸し蒸しして大変だもん。日焼けはするし汗もかいちゃうし。っていうか佐々木くんはわたしのことをなんだと思ってたの?」
「えっと、西沢さんは僕らと違って夏でもふんわり優しい笑顔でクリアしちゃうんだろうなって、なんとなく思ってた」
「ふふっ、じゃあ残念でした。わたしも暑い時はへばっちゃうし、スカートをパタパタしちゃうし、髪を短くしようかなとか思っちゃうんです。冬の朝にはあったかいベッドから抜け出すのが辛いし、二度寝の誘惑と毎日戦ってるんですから」
「全部僕の勝手な思い込みだったってことかぁ」
実のところ僕は、西沢さんやカースト1軍のメンバーたちはなんでもさらっとクリアしていく完璧人間、ってイメージを勝手に持ってしまっていた。
でもそうだよね、西沢さんだって僕と同じ人間なんだもん。
暑い時は暑くてへばっちゃうし、汗だってかくし。
冬の朝はベッドからなかなか出られなかったりするよね。
つまり僕が勝手にそういうイメージをもって壁を作っていただけなんだ。
ちゃんと同じ人間なんだ。
だったら僕だって、今の自分を変えていけるはず――!
「……」
「……」
とそう前向きに思ったのも束の間。
そこでまた会話が途切れてしまいお互い無言になってしまった。
何度も言うけど、そんな簡単に女の子と会話ができたら僕は陰キャにはなってないんだよ。
だめだ、やっぱり僕の会話能力は低すぎる。
さっきの会話でも西沢さんが話を膨らませようとしてくれてるのは伝わってくるのに、それに上手く乗っかれずに会話を終わらせてしまった自分に泣きそうだった。
冬の朝に起きられない話や髪型の話題を振られたのだと理解したのは、ようやっと今になってからだし。
肩の高さで揃えたふんわり内向きカールの今の髪型がすごく大人っぽくて似合ってるとか。
でも違う髪型の西沢さんもそれはそれで見てみたいとか。
昔はどんな髪形をしていたのかとか。
ちょっと話慣れたイケてる男子だったら、あんな風に聞いてもらえたら何とでも話を弾ませることができたはずなのに。
僕ときたら、話を膨らませる話題の種をまったく拾うことができなかったのだ。
間違いなく西沢さんは話し下手な僕に気を使ってくれている。
だから上手いこと僕が話題に乗っかりやすいようにと、いろいろ話題をちりばめてくれてるっていうのに……。
そしてこうやって一度会話が途切れてしまうと、次の話題がさっぱり出てこなくなってしまう。
(ど、どうしよう……)
天気の話はもうしちゃったし、唯一の共通話題である西沢さんのおばあちゃんの話は一番最初に使い切ってしまった。
他に僕と西沢さんの共通の話題と言えば、やっぱり高校の話かな?
でも僕の高校生活は授業以外にほとんどこれといって何もないから、そもそも話題がないんだよね。
じゃあ勉強の話でもしようか?
いやいやそれはないよ、うん。
どうして付き合って早々勉強の話をしないといけないんだ。
大学受験を控えた3年生じゃあるまいし。
だったらと共通じゃない話題を振ろうとしても、はてさて女の子相手に一体なにを話せばいいのか僕には皆目見当がつかなかった。
ありがちだけど趣味や特技の話?
でも残念ながら僕にそんなものはないんだよね。
しいて言うなら格闘ゲームが得意――ってことはむしろ黙っておいた方がいいはずだし。
格ゲー好きとか、ただただ西沢さんに冴えない陰キャ男子であることをアピールしてしまうだけだ。
ってことは無難にテレビやネット動画の話とか?
うん、それはもっとだめなんだよね。
僕は深夜アニメを録画視聴したりアニメ動画の配信を見ています、なんて口が裂けても言えるわけがない。
冴えない男子が子犬を助けたことで美少女クラスメイトに好意を持たれる青春ラブコメとか。
冴えない男子が召喚された異世界を救ってから日本に帰還し、高校生活で無双リスクールする話とか。
そんな冴えない主人公が可愛い女の子に好かれる話が好きとか聞いたら、女の子はドン引きすること間違いなしだもの。
この話が絶対厳禁だっていうのは、女心に疎い僕でもさすがにわかった。
(な、なにか話題を……なにか、なにか……)
僕が話題を探せずに完全にテンパってしまっていると――そんな僕を気遣ったのだろう――西沢さんがまたしても助け舟を出してくれる。
「ねぇねえ、佐々木くんってどんな女の子がタイプなの? 教えて欲しいな」
「僕の好みのタイプ?」
「ほら、さっきわたしが佐々木くんのどういうところを好きかって伝えたでしょ? だから今度は佐々木くんの好みを聞きたいかなって思ったんだ」
「あ、えっと、うんと……そうだね。どんなって言われると困るんだけど……僕を好きになってくれる人かな?」
「ぶぅ、そんなの当たり前じゃん。そういうのじゃなくて、具体的にこういう人っいうのはないかな? わたしも直せるところは直したいし」
「西沢さんは理想の女の子だから直すところなんてないと思うけど」
「だからわたしだって普通の女の子なんだってば。付き合ってる男子の気持ちとか気になるし、どんな女の子が好きなのかなって聞いてみたくなるもん。だからどんなことでもいいから、佐々木くんがどういう女の子が好みなのか教えて欲しいな」
繋いでいた西沢さんの手にきゅっと力が入った。
それだけ真剣にこの質問をしているんだってことがこれでもかと伝わってくる。
だから僕は自分の中にある気持ちを素直に言葉にすることにした。
こんな風にストレートに思いをぶつけられているのだ。
だったら誤魔化したり気取ったり見栄を張ったりはしちゃいけないって思ったから。
「可愛い女の子が好き」
「もう、可愛かったら誰でもいいの?」
ちょっとむくれたように言う西沢さん。
「あとは優しくて明るい女の子かな。一緒に居て楽しい人がいい。それと他人の陰口を言わない人とか? 愚痴ならいくらでも聞けるけど、悪口はあまり聞きたくないかなって思う」
外見や容姿について一番最初に言ったのは、間違いなく好感度が下がる要因だろう。
「可愛いから好き」なんてのは、女の子にとってみればあまり良くない評価なんだってことは、僕にだってわかる。
内面を見ずに外見しか見てないってことだから。
でも、それでも僕は。
可愛いって言葉をあえて一番最初に持ってきたんだ。
「人を評価するときに外見で判断するのは良くない、内面を見るべきだってよく言われるけどさ」
「けど?」
「でも西沢さんが自分を普通の女の子だって言うように、僕だって普通の男子だから可愛い女の子が好きなんだ。西沢さんみたいな可愛い女子から好きですって告白されたら、嬉しくて舞い上がっちゃうんだ」
「も、もうそんな可愛い可愛いって言われたら照れちゃうし……」
「僕もその、面と向かって言うのはすごく恥ずかしいんだけど……でも西沢さんが真剣に質問してるんだって思ったから、だから僕も正直に答えようと思ったんだ」
西沢さんの真摯な問いかけに誠実に答えるためにも。
西沢さんという女の子に僕を知ってもらうためにも。
(僕は君の前で、見栄を張って自分の気持ちを偽りたくなかったんだ)
だから僕は一番最初に「可愛い」という言葉をもってきた。
呆れられてもいい、不満に思われてもいい。
いやあの、できれば思われたくはないんだけど。
それでも正直に気持ちを伝えることが、僕にできる最大の誠意だって思うから。
「なんか」を封印して変わるための第一歩だって思うから。
「佐々木くんってさ……」
「う、うん」
僕は西沢さんに落胆されるのを覚悟して息をのんだ。
ため息をつかれちゃうかも。
最悪、愛想をつかされて告白をなかったことにされるまであるかもしれない。
「佐々木くん、わざとそれやってない? 一生懸命な気持ちが伝わってきて、わたし胸がキュンってなっちゃったし……この天然女たらしめ。他の女の子にも言ってたら怒るんだからね?」
だけど西沢さんはそう言うと、ほっぺを膨らませてわざとらしくむくれた顔をして見せたのだ。
「ええっ!? こんなこと間違っても他の女子には言わないから!」
「ほんとかなぁ」
「っていうかそもそも僕には女子の友達が1人もいないから。だから女たらしなんて言われる可能性は絶対にゼロなんだ。そこは安心してくれて大丈夫だよ」
(女たらしなんて、僕から一番遠い言葉なんだから)
「あ、さすがに今のは嘘でしょ? 1人くらいは女の子の友達がいるでしょ?」
「ううん、いないよ。女の子と話す機会すらなかったのが僕だったからね」
「えー、ほんとぉ?」
「誓ってほんとだよ。僕にとっては西沢さんが初めての彼女だし、これだけ女の子と話したのも西沢さんが初めてだったから」
僕はしっかりと西沢さんの目を見て言った。
これに関しては胸を張ってそうだと言える。
「うん、信じる。そう言えば、学校でも佐々木くんが女子と話してるの全然見たことなかったかもだし」
「でしょ! あ、えっと、威張って言うことでは全然ないんだけどさ……」
むしろどう考えてもダサダサなことに思い至った僕は、恥ずかしさのあまり語尾がかすれるような小声になってしまう。
「もう、佐々木くんってば。おかげでますます佐々木くんのこと好きになっちゃったじゃん……ばか」
だけど西沢さんは、顔を真っ赤にして上目づかいで照れたように言ってきて。
そしてそんな西沢さんを、僕はどうしようもなく愛おしく感じてしまうのだ。
「あ、ありがとう」
答えた僕もカアっと頬が熱くなっているのを感じていた。
西沢さんに負けず劣らず真っ赤っ赤だったと思う。
「佐々木くんの顔、真っ赤だよ?」
「それを言うなら西沢さんだって真っ赤だからね?」
「えへへ、わたしたち一緒だね」
「だ、だね」
「佐々木くん……好き」
「ぅ――」
かなりいい感じのムードになったところから、いきなり不意打ちで好きだと言われた僕は、思わず言葉を詰まらせる。
西沢さんのまっすぐな視線が僕の目を捉えて離さない。
鼻の奥にヌルッという感触があって、止まりかけていた鼻血が少しぶり返した気がした。
「佐々木くんは、どう?」
「もちろん僕も……好きだよ」
今日話してみて本当に思った。
学園のアイドルと呼ばれる外見的な可愛さだけじゃなく、明るくて優しい西沢さんは本当に素敵な女の子なんだって、改めて理解した。
そしてこんな素敵な女の子に好きだと言ってもらえた僕は、本当に幸せ者なんだってことも。
だからこの「好き」は嘘偽りない心からの「好き」だった。
「『もちろん僕も』と『好き』の間に、なんか微妙な間があったんだけど……」
「それはその、ごめん……好きって言うのにすごく緊張して、言うのにものすごく
勇気がいって……」
「ふふっ、なんとなくわかってたけどね。佐々木くんのそういう奥手なところもわたし大好きだし」
そう言うと西沢さんはそっと身体を寄せてきた。
お互いの肩やひじが密着して、制服越しに西沢さんの温もりや柔らかさがじんわりと伝わってくる。
さらに西沢さんは僕の肩に頭を預けると、飼い主を信頼しきった子猫のように目をつむった。
長いまつげ、白くて綺麗なほっぺ、プルプルの唇。
目をつむっていても変わらずふんわり可愛い西沢さんの顔を間近に見せられて、僕の心臓はドキドキと早鐘を打ちはじめる。
初夏の柔らかい風に頬をくすぐられながら、僕たちはしばらくそのまま無言で肩を寄せ合っていた。
それはさっき必死に話題を探して黙り込んでしまった時とは打って変わって。
とても心地よい沈黙だと僕には感じられたのだった。
2人きりの屋上にゆったりとした時間が流れていく。
「すぅ……すぅ……すぅ…………はわっ!? 佐々木くん……? ふぇっ!? もしかしてわたし寝ちゃってた!?」
「おはよう西沢さん」
「ご、ごめんなさい佐々木くん! 告白が終わってホッと安心したら寝ちゃったみたいで……」
肩を寄せ合っているうちにすやすやと寝落ちしてしまった西沢さんが、起きた途端にやらかした!って感じで恥ずかしそうに肩をすぼませながら呟いた。
ちょっと涙目になっているんだけど、それがまたすごく可愛くて困る。
いや困らないんだけど困る。
「全然いいよ。それだけ僕に心を許してくれたってことでしょ? それに西沢さんの気持ちよさそうな寝顔も見れて、僕も役得だったしね」
「はぅ……変な寝言とか言ってなかった? もしかして、い、いびきとか……」
「まさか。すごく静かだったよ。すやすやって感じで気持ちよさそうに寝てて、見ているだけ僕も幸せな気分になれたから」
「もしかしてずっと見てたの……?」
「え? ああうん見てたけど? 幸せそうな寝顔だなって」
「うう、恥ずかしよぉ……」
まっ赤な顔を両手で隠す西沢さん。
「ねぇ西沢さん、もしかしてなんだけど、最近あまり寝れてなかったりする?」
そんな西沢さんが僕はちょっとだけ心配になって尋ねてみた。
不眠症に年齢はあんまり関係ないって記事をこの前ネット広告で見かけたから。
「ううん、わたしは夜はぐっすり寝ちゃえるタイプだよ。でも昨日の夜は佐々木くんに告白するんだって思ってあれこれ考えてたら、緊張して朝方まで寝れなかったの」
「あ、そういうことね」
「ラブレターもね、何回も書き直したの。それで途中で便箋がなくなっちゃって、深夜に家を抜け出して近所のコンビニ買いに行ったりもしたし」
「その過程で差出人の名前がなくなっちゃったんだね」
「ううっ、はい……」
「あるよねそういうこと。あれこれ手直しする間にさ、どうしてだか一番大事な箇所に限ってするっと抜け落ちちゃうんだよね」
「ぶぅ、蒸し返さないでよね。いじわるなんだから佐々木くんは」
と言いつつも、西沢さんにはちっとも怒った感じはない。
むしろ恥ずかしがりながらも子猫がじゃれて甘えてくるような感じで、僕にもっと身体をくっつけようとぐいぐいとくっついてくる西沢さん。
(西沢さんの身体、柔らかいなぁ……おっと不埒なことは考えちゃダメだぞ佐々木直人)
「それでホッとしてつい寝ちゃったわけだね」
「佐々木くんとくっついてたら胸がぽかぽかしてきて、すごくリラックスできて。それであーこれはやばいなーって思った時には、もうほとんど意識がありませんでした」
「ちなみになんだけどまだ眠かったりする? もうちょっとくらいなら寝てても大丈夫だよ?」
「ありがとう佐々木くん。でももう大丈夫だから。仮眠してすっかり目は覚めましたのでそこはご安心を」
そういうと西沢さんはうんしょと可愛らしく立ち上がった。
つられて僕も立ち上がる。
スカートを軽くはたいてほこりを取るなにげない姿も、西沢さんがするとすごく可愛かった。
一挙手一投足がまるでドラマの中から抜け出したみたいな西沢さんに、僕はついつい見とれてしまう。
「な、なに?」
思わず見とれてしまった僕の視線に気づいた西沢さんが、上目遣いで尋ねてくる。
「ううん、なんでもないから」
「でもじっと見てたよね?」
「えっと、それはその……つい西沢さんに見とれちゃって」
「もう、またそんなこと言って……スカートをはたいてただけだよ?」
「それがまたすごく絵になってたんだよ。ドラマの1シーンみたいでさ。それでつい、ね」
「……佐々木くんって奥手に見えてそういうことかなり素直に言ってくるよね」
「それはその、西沢さんに変な誤解をされたくなくて……」
「わたしは誤解なんてしないよ? 佐々木くんは優しくていい人で、誰かのために行動できちゃう素敵な人だって思っているから」
「西沢さんも結構はっきり言うよね? しかもちょっと荷が重い気がしなくもないというか……」
「だってほんとにそう思ってるんだもーん。そう思わせちゃう佐々木くんが悪いんだもーん」
夕焼け色に染まった校舎の屋上で、西沢さんが子供っぽく言いながらにっこり頬む。
そんな風に話しているうちに、いつの間にか西沢さんと自然に話せるようになっていることに僕は気が付いていた。
緊張して名前を書き忘れたり、ホッとして寝落ちしちゃったりする西沢さんの意外な一面を見れたこと。
それだけでなく、西沢さんがとても話しやすい空気を作ってくれるからだろう。
(こんなに自然に女の子と話せるなんて、自分で自分が信じられない)
西沢さんの優しい気づかいに、僕は改めて心の中で大きく感謝をしたのだった。
「じゃあいい時間だし、そろそろ帰ろっか」
僕がそう提案すると、
「屋上にいるとちょっと風が肌寒くなってきたもんね。でもその前に佐々木くんの連絡先を教えてくれないかな? ラインやってる?」
西沢さんがスカートのポケットからスマホを取り出しながら聞いてくる。
あまり派手派手デコっていない落ち着いたピンクのスマホケースが、すごく西沢さんらしい。
「一応やってるよ」
「一応? なに、一応って? ラインに一応とかってあるの?」
「一応はその、一応で……」
西沢さんにとっては何気ないその質問に──だけどボクにとってはとても重い質問だ――ボクは思わず言葉を詰まらせてしまう。
すると西沢さんはポンと手を叩いてから言った。
「あ、わかった! 有料スタンプは取らないとかそういう感じでしょ?」
「えっと、そういうんじゃなくて……」
「あれ、違った? うーん、じゃあなんだろ?」
首をかしげる西沢さん。
「一応やってはいるけどほとんど使ってないんだ」
「ふむふむ、佐々木くんはラインしない派なんだね。ってことは、あんまり頻繁には連絡とかはしない方がよかったりする?」
「しない派っていうかその……」
西沢さんの言葉に、僕はなんともあいまいに言葉を濁す。
「そういうわたしも言うほど頻繁じゃないんだけどね。ごはんの時は使うの禁止だし、成績が落ちたらスマホ取り上げって言われてるから、ちゃんと勉強はしないとだから」
「あ、その辺は僕も一緒かな。赤点をとったら次のテストまでスマホ禁止って言われてるんだ」
学園のアイドルも陰キャ男子も、どこの家も子供のスマホ事情は似たり寄ったりみたいだね。
「でもでもやっぱり、連絡しすぎて佐々木くんにウザいって思われたくないから。できればあらかじめ佐々木くんのスタイルを聞いておきたいかなって思うんだけど」
どうも西沢さんにとってこの件は、お付き合いする上でとても重要なことみたいだね。
そもそもの大前提として、僕が西沢さんから連絡をもらってウザいと思うことは皆無だと思うんだけどなぁ。
むしろ頻繁に連絡してもらえたら、それだけで好意を実感できて嬉しくなるはずだ。
でも西沢さんにとってはとても大事なことみたいだし、仕方ない。ここは素直に白状しよう。
「連絡する相手がいないから、あまり使うことがなかったんだよ」
僕はラインの「友だちリスト」を開くと、すっからかんのリストを西沢さんに見せてあげた。
「シバターってのは多分これは同じクラスの柴田君だよね? 教室でもよく2人で話してるもんね。それとこれはご両親? でも気のせいかな? これ3人しか連絡先なくない? クラスのライングループも入ってないみたいだけど」
覗き込んだ西沢さんが確認するように僕を見た。
まるで宇宙人でも見たかのような不思議そうな顔をしている。
「ライングループには入ってないんだ。こういうわけだから、ラインを使う機会はほとんどなかったんだ。『一応』って言ったのはそういうこと」
毎朝予鈴ギリギリに登校し、放課後もすぐに学校を出てまっすぐ家に帰る僕に、家族から連絡があることはほぼほぼない。
そして柴田君とは家に帰ってまで頻繁にやり取りするほどの大親友というわけでもない。
ちなみに柴田君は休みの日とかはずっと家にこもってWeb小説の執筆をしているらしい。
ガンガン書いて上手くなってプロの作家になるんだって堂々と言っている。
同い年なのにもう将来の夢を持っていて、それに向かって努力しているのは本当に凄いと思う。
(学校カーストでは同じように友達がいない陰キャ扱いでも、柴田君の本質は決して陰キャじゃないんだよな)
で、僕の話に戻るんだけど。
高校に入る時に初めてスマホを買ってもらえたので、登録されている友達はその後友達になった柴田君だけしかいないんだよね。
そういう僕だったから、実質的にラインを使う機会は今までほとんどなかったのだ。
実にぼっち底辺男子らしいライン事情だね。
え、クラスのライングループ?
そんなの友達が1人だけで、連絡先がわずか3件しかない僕が参加させてもらえるわけないでしょ?
あるっぽいのは知ってたけど、それだけ。
もちろんライングループに入れて貰いに行く勇気なんてものは、僕にはありはしなかった。
僕はとても悲しい告白をしたんだけど、
「佐々木くんに女の子の友達がいないってほんとだったんだね」
西沢さんが少し驚いたように言った。
「はからずも証明されちゃったでしょ?」
「ふーん、佐々木くんって優しそうだし人気ありそうなのになぁ」
「それは西沢さんの目が曇ってると思う」
僕は速攻で断言する。
「あの、そこまではっきり言わなくても……でもでも、つまりわたしが佐々木くんの初めての女の子の友達で、初めての彼女で。初めてライン交換する女の子ってことだよね?」
西沢さんが言葉を弾ませながら妙に嬉しそうに言ってくる。
「そうなるね」
「じゃあ早く連絡先交換しようよ、わたしが佐々木くんの初めての女の子になるんだから」
「初めての女の子って、その言い方はなんていうかその……」
「え……? 初めての女の子――って、ふあっ!? もう、佐々木くんのえっち!」
「ち、違うから! 誤解だよ!」
「もう全然そう言う意味じゃなかったのに、ほんと男の子ってえっちなんだもん」
「だからほんとに違うんだってば!? それよりほら、はやく連絡先交換しようよ、ね?」
僕は急いでスマホを操作するとQRコードを表示させた。
「もう、しょうがないなぁ。今のは特別に聞かなかったことにしてあげます」
とかなんとか言いながらの西沢さんがスマホを重ねて読み取ってくれて、すぐに連絡先の登録は完了した。
(今、僕は西沢さんとラインIDを交換したんだよね)
あの西沢さんと僕がだよ?
教室でチラッと見るだけでも幸せだった学園のアイドル西沢さんに告白されて、連絡先まで交換してしまったのだ。
もちろん女の子と連絡先を交換するのは正真正銘嘘偽りなく初めての経験だ。
こうして僕は生まれて初めて、女の子の連絡先を手に入れたのだった。
友だちリストに登録された、白黒のツートンカラーの猫のプロフィール画像と『彩菜』という名前。
それを見ていると、なんだかむずむずと背中が痒くなってくる。
今の僕は間違いなくにやついている。
表情筋がだらしなくなっているのが自分でもわかるから。
でも気持ちだけじゃなくて、こうやって実際にデータとして目に見える形で繋がったことで、西沢さんが彼女になったんだと改めて認識できた気がしたのだ。
しかもそれが本来ならクラスメイトという以外に全く接点すらない学園のアイドルと呼ばれるほどに可愛い西沢さんのものだと思うと、僕の心には幸せが堰を切ったように湧き上がってくるのだった。
こうして屋上で学園のアイドル西沢さんからまさかの告白を受けて付き合うことになった僕は、西沢さんと手を繋いで学校を出た。
そんなボクらに、帰宅中の生徒たちや部活中の運動部員たちが一様に驚いた視線を向けてくる。
そりゃあそうだろう。
アイドル顔負けの美少女と言われ学校内で知らない生徒はいない西沢彩菜が、冴えないモブ男子と手を繋いで下校しているんだから。
当事者じゃなければ僕だって何事かと二度見三度見するのは間違いない。
「えへへ、ちょっと恥ずかしいね」
少しうつむき気味の西沢さんが赤い顔でつぶやく。
でも僕の顔も多分、西沢さんに負けないくらいに真っ赤なことだろう。
「みんな見てるし手を離したほうがいい?」
西沢さんが嫌がっていたらまずいと思って、僕は小さな声で提案する。
「ううん、大丈夫。恥ずかしいけど、手が繋がってるほうが佐々木くんを感じられて安心するし」
「う……な、ならいいんだけど」
西沢さんに上目遣いではにかみながら言われた僕は、圧倒的な可愛さの前にドキッとして言葉に詰まりかけて、それでもなんとか返す言葉を紡いだ。
「でももし佐々木くんが嫌だったら離すよ? 隣にいてくれるだけでもわたしは十分嬉しいし」
「ううん、僕も西沢さんと手を繋ぎたいから。じろじろ見られるのは恥ずかしいけど、それでも手を繋いでいたいんだ」
「佐々木くんは優しいね」
西沢さんが少しだけ強く手を握ってきて、僕もそれをちょっとだけ強く握り返す。
手を繋いだまま自己紹介をするように、好きな物とか苦手な物を聞き合いっこしながら僕たちは暗くなった通学路を歩いていった。
「犬も好きだけど、わたしはどっちかって言われたら猫のほうが好きかな。小さいころに拾った子を今も飼ってるの。ちょっと待ってね……はいこれ、ちび太って言うんだ、可愛いでしょ」
西沢さんがスマホの画面を見せてくれる。
そこには年老いて穏やかな顔つきをした可愛らしい白黒の猫が映っていた。
「うわ、可愛いね」
「でしょ!?」
得意げな顔になる西沢さん。
愛猫を褒められてご満悦みたいだ。
「そう言えば西沢さんのプロフィール画像って――」
さっき見た西沢さんのラインのプロフィール画像は白黒猫だった。
「うん、ちび太なんだ。あれは子供の頃の写真」
「小さいからちび太なの?」
「拾った時は子猫ですごく小さかったんだよね。当時はわたしもまだ小さかったから安易にちび太ってつけたみたい。今はもう大きくなったから全然ちび太じゃなくなっちゃったんだけど」
西沢さんが苦笑する。
「あはは、子供あるあるって感じだね。でも西沢さんの子供の頃かぁ。きっと昔から人気者だったんだろうなぁ」
僕は本当に何気なく、それが当然のことだろうと思って言ったんだけど――、
「え、あ、うん、そうでもなかったかな……」
急に西沢さんが下を向いて小声になった。
「ええっ、そんなことないでしょ?」
美人で可愛い西沢さんはなにせモテるし人気者だ。
カースト1軍のメンバーたちですら一目置く別格の存在なのだ。
小さいころも当然可愛くてみんなの人気者だったはずだと、僕はそう思ったんだけど――、
「も、もうこの話はいいじゃん。それよりももっと佐々木くんのこと知りたいな? ねぇねぇ好きな食べ物は? できれば嫌いな食べ物も一緒に。これは極めて重要な案件なので正直に答えてくださいね」
西沢さんは妙に強引に話を変えたのだった。
今までずっと話し下手な僕が話しやすいようにふんわり優しく会話をリードしてくれてたから、なんだか急で不自然だなと思ったけれど。
いちいち指摘するのもどうかと思って、僕は突っこんでは聞かないことにした。
「好きな食べ物は、昔から玉子焼きが好きなんだ。しょっぱいのじゃなくて甘いやつ。甘すぎるのは苦手だけど」
「ふんふん、佐々木くんは甘い玉子焼きが好きと。でも甘すぎるのは苦手と。結構甘党だったりする?」
「実はね」
「えへへ、わたしと一緒だね。他には何かある?」
「あとはウィンナーとか唐揚げとかハンバーグかな――ってこれは誰でも好きだろうけど」
「どれも人気のおかずランキングの定番だもんね」
「逆に嫌いなものは特にないかな。それなりに何でも食べられる感じ。あ、ごめん1つだけ。レバーは嫌いだった、それも大嫌いなレベル。レバニラ炒めとかまったく食べられないんだ」
「レバーかぁ……実はわたしもすごく苦手なんだよね。口に入れた瞬間にウッてなっちゃうの」
苦笑いしながら同意してくれる西沢さん。
「西沢さんも? じゃあ小学校の給食で出た時とか食べるのがすごく大変じゃなかった?」
「うん、すっごく大変。わたしもう必死に鼻をつまんで食べてたもん。それでも無理なら、牛乳で無理やり流し込んだりとかしちゃってた。こんな感じで」
鼻をつまみながら、目をぎゅっとつぶって我慢する演技を見せる西沢さん。
ちょっとコミカルな姿もとても可愛いなぁ。
「あははは、すごくわかる。あれってさ、なんであんなに臭くて美味しくないもの食べさせるんだろうね? せめてもうちょっと料理の仕方をどうにかしてくれたらいいのに」
「ほんと不思議だよね。臭いのは下処理で臭い消しをちゃんとしてないからだろうし、あれじゃあレバーを嫌いな子供が増えるだけだよ。わたしとか佐々木くんとかみたいに」
「だよね、謎だよね」
教育委員会の偉い人に言いたい。
一度でいいから給食のレバーを食べてみて?
2度と食べたくなくなるから。
「でもでも、これでおおむね佐々木くんの好き嫌いはわかりました」
なにがそんなに重要なのかはわからないけど、西沢さんはふんふんとなにやらとても納得のご様子だった。
もしかしてあれかな、占いに使うのかな?
好きな男子の好物で相性を占うとかありそうだもんね。
女の子は占い好きだってよく聞くし。
ちなみに僕のこの推測はどうしようもないくらいに完全無欠に外れていて。
本当のところは西沢さんが明日お弁当を作ってきてくれるからだったんだけど。
悲しいかな、恋愛スキル皆無の僕はそんな発想にはまったく至らなかった。
まさか女の子が僕のためにお弁当を作ってきてくれるだなんて、そんなこと非モテ底辺男子には思いもよらないわけである。
それはそうとして。
「西沢さんは? レバー以外に好き嫌いはあるの?」
好き嫌いの話題の流れで、今度は僕が西沢さんに聞き返した。
聞かれたことと同じ内容を相手に聞き返す。
話し上手な西沢さんと話しながら、西沢さんがどんな話題の振り方をしているかを必死に観察して、ようやっと僕が獲得した会話スキル(レベル1)だった。
おかげで屋上にいた頃よりも少しだけ会話が弾んでいる気がする――ようなしないような?
「わたしは肉じゃがが好きかな。味の染みたじゃがいもや糸こんにゃくが、昔から大好きなんだぁ」
「うんうん、味の染みた肉じゃがとかおでんって、すごく美味しいよね」
「あとは嫌いってほどでもないんだけど、脂身は苦手かな。脂っこいものは全般的にあんまり得意じゃないの」
「それはそれでヘルシーで健康的でいいんじゃないかな」
「どっちかっていうと単に好き嫌いかなって思うんだけど、結果的にはヘルシーだからラッキーだよね。ダイエットで油っぽいものも無理して我慢しなくていいし」
「あ、西沢さんもダイエットとかしてるんだ?」
「え、あ、えっと、うんと、それなりには……?」
ダイエットしていることを僕に知られたのが恥ずかしかったのか、顔を赤らめる西沢さん。
「そうなんだね」
この話はここで終わりにした方がいいということは、恋愛経験値が限りなくゼロの僕でも分かった。
だから今までとは逆にこの話題を膨らませないように口をつぐんだんだけど、
「佐々木くんはもっと痩せてるほうが好み? 学校にもモデルみたいに細くて綺麗な子いるもんね、バレー部の子とかすごくスラッとしてるし」
西沢さんはとても不安そうな表情で聞いてくるのだ。
「健康的な今の――今が……い、今の西沢さんがいいと思う!」
だから僕は思っていることを言葉にした。
こんなことを言うのはすごく恥ずかしかったんだけど頑張った。
すごく頑張った。
「じゃあ絶対に今の体形キープするね」
「あ、えっと、そんな厳しくダイエットしなくても、少しくらいぽっちゃりしても僕は全然いいと思うんだけど……」
「それはだめ、油断は大敵だもん。ダイエットは常在戦場なんだから」
「そ、そこまでなの?」
僕はもやし体形でダイエットとは縁がないため、その辛さを実際に経験したことはない。
逆にもっとたくさん食べろと言われることの方が多かったりする。
「そこまでなの。それに一度逃げたら癖になっちゃうと思うから。甘いものの誘惑ってすごいんだもん」
僕のために並々ならぬやる気を見せる西沢さん。
そんな西沢さんを見て、少しでも釣り合う男になれるように僕も今日から少しずつ筋トレをしようかなと――そんなことを僕は思ったのだった。
そんな西沢さんとの楽しい楽しい帰り道はしかし、駅前でお開きとなる。
西沢さんの家は駅の向こう側の住宅街にあって、高校までは徒歩通学なのだそうだ。
僕はここからJRで3駅向こうなので、だからここでお別れなのだった。
「佐々木くん、今日は放課後付き合ってくれてありがとうございました。それと不束者ですが、これからよろしくお願いします」
「あ、えっと、こちらこそよろしくお願いします」
僕たちはなんだかちょっと変な感じに、ぺこりぺこりと頭を下げあった。
そして、
「良かったら、その、家まで……お、送ろうか?」
僕は勇気を振り絞って言ってみた。
女の子を家まで送るのはやっぱり彼氏の務めじゃないかなって思ったから。
「気持ちは嬉しいけど、うちってここから結構遠いんだよね。もう暗くなってきてるし、行ってまた戻ってきたらかなり遅くなっちゃうから。だから気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう佐々木くん」
「ううん、全然。言ってみただけだから気にしないで」
勇気を出したのに断られてしまい、正直ちょっとだけ残念だった。
でも実を言うと、僕も晩ご飯までには家に帰らないといけなかったりする。
高校生になって自由度が格段に上がったとはいえ、まだまだ子供だ。
両親を心配させないためにもあまり夜遅くまでは遊び歩けなかった。
「あ、そうだ。後でラインしてもいいかな? 宿題終わってからだから10時過ぎくらいになるかもなんだけど」
だから西沢さんの提案を聞いて僕はとても嬉しくなった。
だって家に帰ってからも西沢さんと繋がっていられるのだから。
「もちろんだよ。じゃあ僕もそれまでに宿題終わらせて連絡待ってるね」
「うん! それじゃあ佐々木くん、また明日学校でね、ばいばい」
「ばいばい西沢さん」
すっかり日が暮れてしまい、太陽に代わって人工の光で彩られた駅前で。
ぼくたちは小さく手を振り合ってから別れた。
さっきまでの素敵すぎる時間に名残惜しさを感じて、改札を抜ける時に振り返ってみると、同じように振り返ってこっちを見ている西沢さんと目が合って。
だから僕たちはもう一度手を振り合ったのだった。
差出人不明の手紙から始まった放課後の一大イベントは、こうして幕を閉じたのだった。
帰宅後、思い立ったが吉日で早速僕は筋トレに挑戦してみた。
といっても、帰宅部歴が長い僕の筋力は高校生男子の平均を大きく下回る。
そのため腕立て・腹筋・背筋・スクワットを20回ずつなんとかこなしただけだった。
しかもたったそれだけで、
「ぜぇ、ぜぇ……はぁ、はぁ……」
僕の貧弱な身体はへとへとになってしまっていた。
それでも、僕のためにダイエットを頑張るのだと言ってくれた西沢の素敵な笑顔を思い出すと、ものすごくやる気が湧いてきて。
筋トレに限らずどんなことでも少しでもいいからやれることをやって、西沢さんに相応しい男になれたらなと僕は思ったのだった。
その後、ご飯を食べてお風呂に入って宿題を終えて。
夜10時をちょっと過ぎたころにブーンとスマホが震えた。
約束通り西沢さんからのラインだ。
彩菜
『こんばんは』
『今日はありがとう』
『もう宿題終わってる?』
❓
『終わったけど』
『数学がちょっと難しかった』
彩菜
『わかる~』
『高校の数学って難しいよね』
『難易度が急上昇』
『だよね』
彩菜
『でも勉強の話はやめたいかも』
『楽しい話しよ!』
『ごめん(笑)』
彩菜
『ねぇねぇ』
『佐々木くんって』
『なに?』
彩菜
『いつも予鈴ギリギリだよね』
『明日もいつも通りに来るの?』
『なんで?』
彩菜
『朝佐々木くんとお話したいなって』
💖
『じゃあ明日からは』
『フツ電で行くよ』
彩菜
『仏伝って?』
『フツ電って?』
『教室に予鈴ギリギリにつくのがギリ電で』
『1本前の普通の時間につくのがフツ電』
彩菜
『そんな風に言うんだ!』
『知らなかった』
『わたし徒歩通学だから』
👟
『そっか』
『電車乗らないと知らないよね』
『だから明日は』
『予鈴15分前につくはず』
彩菜
『りょ!』
『待ってるね!』
『遅刻厳禁!』
😆
スマホを使って西沢さんとメッセージをやり取りする。
スマホの中での文字やスタンプだけのやり取りは、視線を合わせて面と向かって話すのと違って、かなりスムーズにできたんじゃないかと思う。
もちろん相手が西沢さんだってのはどうしても意識しちゃうから、あくまで比較の話ではあるんだけれど。
なにせ僕ときたら今日の今日まで、女の子とろくに話したことすらなかったぼっち底辺男子だったのだ。
「でも明日からは彼氏彼女として西沢さんと会うわけだよね。西沢さんが僕なんか――僕と付き合ってるってわかったらみんな驚くよね。ううっ、そう考えると今から緊張してきた……」
僕たちは間違いなく注目の的になる。
まだ明日にもなっていないというのに考えるだけでプレッシャーを感じてしまい、僕は思わず胃の辺りを抑えてしまった。
「いやでも。学校内ではそこまではカップルっぽい振る舞いはしないかな?
西沢さんっていつも女子グループで静かに話をしてるしね」
だから少し話すくらいで、そこまで彼氏彼女をアピールはしないんじゃないかな。
――などと思っていた時期が僕にもありました。