「とにかく可愛い西沢さん!」 勇気を出してお婆さんを助けたら、学園のアイドルが陰キャなボクの彼女になりました。 ~ドラマみたいなカッコいい恋じゃない。だけど僕は目の前の君に必死に手を伸ばす~

「佐々木くんってお昼はいつもパンか学食だよね? お弁当作ってきたんだ。一緒に食べようよ」

 スクールカーストの底辺を生きる僕の席までやってきた学園のアイドル西沢さんが、女の子が食べるには明らかに大きすぎるお弁当袋を見せながら微笑んできた。

「えっ、お弁当を作ってきてくれたの? 僕のために?」

「昨日ほら、好きな食べ物と嫌いな食べ物を聞いたでしょ?」

「そう言えば聞かれたね。もしかしなくてもお弁当のためだったんだね! ありがとう」

「えへへ、そうだったんだ」

 西沢さんがふんわり柔らかくはにかんだ。

「早起きしたって言ってたけどもしかして――」

「男の子にお弁当を作るのは初めてだったので、それなりに気合を入れましたから」

 あ、西沢さんがちょっと得意げな顔をしてる。
 ふふん、って感じだ。

 そんな少し子供っぽい顔もまたすごく魅力的で可愛くて、お弁当を作ってきてくれたってことも相まって、僕はもう心が幸せの2文字で溢れてしまいそうだった。

「でも2人分なんて大変だったでしょ?」

「量が増えるだけだから実はそうでもなかったんだけどね。どちらかって言うと味付けを失敗しないように微調整するのに時間がかかった感じかなぁ」

「やっぱり時間がかかってるよね。ありがとう、本当に嬉しいよ」

「わたしも佐々木くんが喜んでくれて嬉しいな。頑張って早起きした甲斐がありました」

 そんな風に、早起きしてお弁当を作ってくれた西沢さんに、僕は感謝の気持ちを伝えていたんだけど――。

 そこでクラスメイトのほとんど全員の視線が、僕と西沢さんに向けられていることに気が付いた。
 誰も彼もが驚いたように僕たちのことを見つめている。

 うっ、そりゃあそうだよね。

 学園のアイドルと呼ばれ、知らない生徒はいないであろう西沢彩菜が、スクールカースト底辺の冴えない男子と朝から仲良さそうに話しているだけでなく、なんとお弁当まで作ってきて一緒に食べようと言ったのだから。
 
「えっと、今日は天気もいいし、中庭にでも行かない?」

 そんな微妙な空気だったので、このまま教室で一緒に西沢さんの手作り弁当を食べるのは恥ずかしすぎて精神が持たなさそうで、だから僕はやや小声で場所の移動を提案する。

 それで西沢さんもやっと周囲の視線を集めていることに気が付いたのか、

「はうっ、みんな見てる……い、行こっ?」

 一気に顔を真っ赤にすると、僕の手を取って教室を出ていこうとする。

 手を繋いだことでよりいっそう周囲の視線を集めてしまってるんだけど、今の西沢さんはそこまでは思い至っていないみたいだった。

 スクールカースト底辺に位置する冴えないモブ男子。

 そんな冴えない僕にどうして、西沢さんのような学園のアイドルとまで呼ばれる可愛い女の子が、手作りのお弁当を作ってきてくれるようになったのか。

 話は少しだけ(さかのぼ)る――
「じゃあ問3の訳を――佐々木」

「あ、はい。えっとこれは、えー、If I were a bird……」

 英語の先生に当てられた僕は緊張しながら立ち上がると、昨日の夜に英訳した宿題の文章を言葉を詰まらせながらたどたどしく読み上げた。

「うん、上手に訳したな。でももう少しハキハキと読むともっと良かったぞ。英語は強いブレスで発音する言語だからな」

「が、がんばります」

 やや微妙な褒められ方をして、僕――佐々木直人はホッと一安心して席に着いた。


 僕は佐々木直人という名前も平凡なら、頭も平凡。
 身長は165センチと平均よりやや低く、運動能力は並以下。
 特技と呼べるものはなく中学からずっと帰宅部に所属している。

 つまりこの春1年生になったばかりの、どこにでもいる普通の男子高校生だった。

 人付き合いや人前で話すことがあまり得意ではなく、入学から半月以上が経過した今でもまだ、遊びに行くような仲のいい友達はできていない。

 かろうじて隣の席の柴田君とは学校で会話をする程度で、そろそろ出来上がりつつあるいわゆる「学校カースト」の下層に位置する冴えないモブ系の男子だった。

 授業で当てられてスマートに答えられないのもいつものことだ。

 だから彼女なんてもってのほか、それどころか仲のいい女友達すらいはしなかった。

 今日も僕は一日の授業を終えるとすぐに文芸部に執筆に向かおうとするライトノベル作家志望の柴田君に、

「柴田君、バイバイ」
「バイバイ、また明日な」

 挨拶をすると一人で教室を出る。

 教室を出る時に入り口近くで控えめにおしゃべりしている女の子グループの脇を通り抜けた。

「あ、そうなんだ~。ちょっと意外かも」
「でしょ、アヤナもそう思うよね! それでね――」

 入学早々クラスのアイドル――どころか学園のアイドルとして話題をさらった美少女、西沢彩菜さんを中心とする女の子だけのグループだ。

 もちろん僕が彼女たちにあいさつをすることはない。
 そもそも僕はこのクラスの女子とは、まだ誰とも話したことがないからね。

 きっとこの先も話すことはほとんどないだろう。
 せいぜい、
「佐々木くん、先生が呼んでたよ」
 といった伝達をされるくらいで。

 それがカースト下位にいる冴えない男子の日常だった。
 中学時代もずっとそんな感じだったから、今さら何をどうこう思うこともない。

 だから僕は、友達と楽しそうに笑い合う西沢さんの柔らかい笑顔をちらっと見て小さな幸せをお裾分けしてもらいながら、特に何事もなくその横を通り過ぎた。

 ちなみに西沢さんの女の子グループは、クラス内カーストの1軍ではなかったりする。

 カースト1軍はサッカー部の入部テストで先輩チーム相手にいきなり5人抜きしてハットトリックを決め、即レギュラーになったイケメン君を中心とした陽キャの男女グループだ。

 なんと彼らカースト1軍メンバーは、入学式の帰りにみんなでカラオケに行ったらしい。
 なにそれすごすぎでしょ!?

 初めて会ったその日にほとんど知らない相手とみんなで連れだってカラオケに行くとか、そんなの僕にはとても真似できないもん。

 それでどうして学園のアイドルと呼ばれる西沢さんがカースト1軍じゃないかというと。
 西沢さんは男子が苦手で、だから男子のいるグループとは少し距離をとっているのだそうだ。

 陽キャ1軍グループは入学式の日に当然のように西沢さんをメンバーに誘ったんだけど、

「ごめんなさい、男子と話すのはあまり得意じゃないんです」

 そう申し訳なさそうに断っていたのをクラスの皆が耳にしていた。

 ふんわりと内カールした肩口で切りそろえた柔らかそうな髪。
 アイドル顔負けに可愛い容姿。
 さらにはそういう控えめな性格もあって、だから西沢さんは男子だけでなく女子からの人気も極めて高かった。

 優しくて、可愛くて、明るい、まるで理想の女の子を体現したような西沢さん。

 もちろん僕もそんな西沢さんに好意を持っていた。
 告白したりは絶対にしないけどね。

 なにせサッカー部のイケメンレギュラー君ですら丁重にお断りされてしまうのだ。
 そんな西沢さんに向かっていくほど僕は無謀な勇気を持ち合わせてはいなかったし、自己評価も高くはなかった。

 同じクラスという以外に接点は皆無だし、時々チラ見するくらいが関の山だ。

 そんな彼女は女の子グループ内では名前そのままに「アヤナ」と呼ばれている。

 とまぁ西沢さんがいかに高嶺の花かと言う話はさておき。
 高校から3駅離れた地元の駅でJRを降りた僕は、今日はいつもと違うルートで家に向かっていた。

 というのも昨日の回覧板で、通学路の途中の道で水道工事をするから一部通行止めになると書いてあったからだ。

 そんないきさつがあって、普段は通らない迂回路をてくてく歩いていると、

 バタン!

「あ……」

 大きな音がして、僕のちょっと前でおばあちゃんが派手に転倒したのが目に入った。

 さらにはエコバッグから、キュウリやらトマトやら食パンやら薄切りベーコンんやらがズザーッと散乱する。

 周りには何人か僕と同じ電車で駅を降りた人たちが歩いていたけれど、みんな我関せずで目をそらして知らんぷりをして離れていく。

(酷いなぁ……)

 おばあさんは転倒した時に腰でも打ったのか、顔をしかめて背中のあたりを手で抑えていた。

「ど、どうしよう……?」

 僕はすぐに周りを確認した。

(うん、知り合いは誰もいないよね)

 なんなら人はもう僕とおばあさん以外に一人もいなかった。
 みんな足早に逃げ去るように離れていったからだ。

 うん、だったら大丈夫。
 僕は一度大きく深呼吸をすると、おばあさんに近づいていって勇気を出して声をかけた。

「あ、あの、大丈夫ですか? 立てますか?」

 最初がちょっと裏声になっちゃったのはご愛敬だ。

 自慢じゃないけど、僕はさらっと人助けするような素敵な王子様キャラじゃない。
 こういうことをすると当然、恥ずかしいし緊張しちゃうのだから。

 しかも実のところ、特に助けたいという強い動機があるわけではなかったりする。

 助けたい気持ちがないわけじゃない。
 だけど主たる理由としては、このまま見過ごすのはちょっと気分が悪いよね、というどうしようもなく後ろ向きなものだった。

 何度も言うけど、僕は決して人助けを率先してやる聖人君子じゃない。
 どこにでもいる「人助けをするとか恥ずかしいし、人目があるとぶっちゃけ躊躇する」と思うような、ごくごく平凡な高校1年生なのだから。
「少し腰を打ったようじゃが、大事はなさそうじゃ。痛みも引いてきたしの」

 おばあさんは僕の呼びかけに元気な様子で答えると、差し出した手を握って立ち上がった。

 おばあさんは反対の手で大事そうに、袋に入った大きななにかを抱き抱えている。
 上の隙間から緑と黒の特徴的な縞模様がチラチラと見える。
 あ、これはスイカだね。

 おばあさんを引き上げた僕はついでに落ちた荷物も拾ってあげる。

 駅前のスーパーで買ってきたんだろう。
 食パン、トマト、キュウリ、薄切りベーコン。
 明日の朝はサンドイッチでも作るのかな?

「はいどうぞ」

「わざわざありがとうのぅ。こんな風に気遣ってくれるなんて最近の若者は偉いもんじゃ」

「あ、いえ、たまたま目の前だったんで物のついでです。ところで、それってスイカですよね?」

「そうじゃよ。こけた時にスイカが割れんようにとかばったら、自分が腰を打ってしまったんじゃよ」

「だめですよ、スイカは買い直せばいいですけど、おばあちゃんが骨折でもしたら寝たきりなっちゃうかもですし」

「今日は孫が遊びに来るから、昔から好物だったスイカを食べさせてやりたくての。今日は春とは思えない暑さじゃったから」

「純粋な疑問なんですけど、スイカって春でも食べられるんですね。ちょっと意外なような……」

「春スイカと言っての、熊本やら九州南部の早生(わせ)スイカはもう今頃から出だすんじゃよ」

「そうなんですね。あ、なんならそのスイカは僕が持ちますよ。またこけちゃったら大変ですし。どのあたりに住んでるんですか? 家まで荷物持ちします」

「うちは西町の入り口あたりじゃが、良いのかの? スイカは結構重いんじゃぞ? えっと、そう言えば名前はなんと言ったかの?」

「僕は佐々木と言います」

「佐々木くんはこの辺りに住んでおるのか?」

「僕は東町なんで途中からは逆方向ですけど、西町の入り口あたりならそこまで大した距離でもないんで、まぁ大丈夫です。乗り掛かった船ですから」

 僕はそう言うと、おばあちゃんの持っていたスイカを両手で抱えると歩き出した――んだけれど。

(ぶっちゃけめちゃくちゃ重い! なんだこれ!?)

 完全にスイカ一玉の重さを舐めていた。
 圧倒的な重量感だった。
 数秒前のカッコつけた自分を速攻で後悔した。

 しかもこいつね。丸くてとっかかりがなくてすっごく持ちにくいんだよ。
 滑らないようにかなり腕力がいるんだ。

 中学からずっと帰宅部で皆勤賞のエースを務めている僕は、情けないくらいに腕の筋力がない。
 そのためおばあちゃんの家に着いたころには腕がパンパンになってしまっていた。

 おばあちゃん、よくこんな重いの持って歩いてたね?
 またこけたら危ないし、次からは1/8とかのカットスイカを買った方がいいんじゃないかな?

 それでも持つと言った手前、僕はおばあちゃんの家までなんとかスイカ一玉を持ちきったのだ。
 最後は腕がプルプルしてたけど、こんなへなちょこ陰キャであっても僕も歴とした男の子。
 プライドがある――えっと、なくはないんだよ。

 やればできるは魔法の合言葉。
 僕は今日、絶対に諦めない気持ちを学ぶことができました。
 でももう2度とスイカ一玉は持たないよ……。

「今日は本当にありがとうの。そうじゃ、良かったらお礼にスイカを食べていくかえ?」

「いえいえどうぞお気遣いなく。僕は家に帰りますんで」

「そうか、孫と同い年くらいじゃから孫が来たら話が弾むと思ったんじゃが」

「すみません。知らない人と話すのは正直あまり得意じゃないんですよ」

 見ず知らずの、特に同い年くらいの相手と会話を弾ませるスキルを、僕は絶対に持ってはいない。

 カースト1軍の陽キャの人たちなら余裕のよっちゃんなんだろうけど、少なくとも僕には逆立したって不可能な芸当だった。

「そう言えば孫もそんなことを言っておったの。最近の若者はシャイなんじゃのぅ」

「あはは、かもですね」

 どうやらおばあちゃんのお孫さんも、僕と同じで人付き合いが苦手な陰キャタイプみたいだった。

 この時間に来れるってことは多分その子も帰宅部だろうしね。
 僕と結構似てるのかも。

 会ったこともないというのに、僕はおばあちゃんのお孫さんに勝手に親近感みたいなものを抱いてしまったのだった。

 だからと言って会おうとまでは思わないんだけど。
 そこが陰キャの陰キャたる所以(ゆえん)である。

 僕はお別れの挨拶をするとおばあちゃんの家を後にした。
 「佐藤」と書かれた表札のかかった庭付きの古い一軒家だった。


 その帰り道。
 なぜか僕は西沢さんとすれ違った。

(あれ? 西沢さんってこの辺りに住んでたの?)

 でもそれなら学区が同じだから中学が僕と一緒のはずだよね。
 ってことは友達がこの辺りに住んでるのかな?

 僕はおおよその見当をつけた。

 もちろん挨拶するなんて大それたことは勇気がなくてできはしない。
 だけどさすがに無視するのもそれはそれでかなり感じが悪いので、ありったけの勇気を出して小さくぺこりと会釈をした。

 それで西沢さんもここにいるのがクラスメイトのモブ男子だと気が付いたのか、小さく会釈を返してくれて――。
 もちろん特に何があるわけでもなく、僕と西沢さんはそのまますれ違った。

「西沢さんと僕とじゃクラスが同じってだけで住む世界が違うもんなぁ」

 それが放課後になっても西沢さんに会えて、会釈までしてもらえるだなんて。

「今日の僕はなんて幸運なんだろうか」

 おばあちゃんを助けて大正解だったね。
 僕はとてもハッピーな気分で帰宅したのだった。

 けれどこの時の僕はまだ知らなかった。
 これが本当の幸運の始まりにしかすぎないということを――
 翌朝、僕はいつものように予鈴ギリギリに登校した。

 高校で唯一の友人である柴田君は朝は集中力が増して筆が乗るらしく、ずっと席に座ってスマホで執筆するのが日課だ。
 だから彼以外に友だちがいない僕は、教室についても何もすることがなく一人で惨めに座っているしかない。

 その時間を限りなくゼロにするために、僕は予鈴ギリギリに登校するのがデフォになっていた。

 ちょうどおあつらえ向きに、予鈴が鳴るギリギリに教室に入れるいい電車があるんだよね。
 その電車に乗るとギリギリに登校できるから、代々うちの高校の生徒の間では「ギリ電」と呼ばれている。

 ちなみに1つ前の電車は普通の時間につくから「フツ電」、さらにその前は早く着くから「ハヤ電」だ。
 ついでにギリ電の1個後は遅刻確定なので「チコ電」と呼ばれていた。

 ハヤ電→フツ電→ギリ電→チコ電の順番ね。

 それはそうとして。

 今日もギリ電に乗って予鈴ギリギリに登校した僕は、教室に入る時に蚊の鳴くような小さな声で申し訳程度に、

「おはよ~」
 と挨拶をした。

 そしていつものように誰からも返事がない中を、自分の席に向かって歩いていったんだけど――、

「おはよう、佐々木くん」

 どうしてだか、西沢さんが僕に近づいてきて挨拶をしてきたのだ。

(え? 僕?)

 あまりに唐突な西沢さんからの朝の声掛け。
 このクラスに「佐々木くん」は僕しかいないので、聞き間違いじゃなければ僕に挨拶したのは間違いない。

「あ、えと、西沢さん、お、おはよう……」

 しかし、である。

 なんの気まぐれか、それともたまたまなのか。
 はたまた西沢さんの今日のラッキーアイテムが「佐々木くん」だったのか。

 理由は分からないけど、せっかく学園のアイドルである西沢さんが下層カースト民の僕なんかにお声がけしてくださったというのに、僕ときたら緊張しちゃって小さな消え入りそうな声で絞り出すようにぼそぼそっと返事をするしかできなかったのだ。

 だってこんなの全然想像してなかったんだもん。

 学園のアイドルの西沢さんがだよ?
 毎朝の日課のお友達グループでのおしゃべりを中断して、わざわざ僕の近くまで来て挨拶をしてくれたんだよ?

 こんなことが起きるなんて、想像も想定もしてるわけないじゃん!?

 突発イベントの発生に全く対応できず、超がつくほどダサダサすぎて内心辛かったんだけど、それがまたダメな僕らしいと自分で納得できるのがまた辛かった。
 自分で言うのもなんだけどさ……。

「あの、佐々木くん。昨日は――」

 キーンコーンカーンコーン。

 西沢さんが挨拶の後になにか言いかけたところで予鈴が鳴った。
 僕は今日もギリギリで登校しているので、これはまぁ当然と言えば当然だ。

「えっとごめん、予鈴でよく聞こえなくて――」

「ううん、なんでもないの。ごめんね、朝の忙しい時に貴重な時間を取らせちゃって」

 そう言うと、西沢さんはぺこりと頭を下げてから自分の席へと戻っていった。

「えっと、いったい何だったんだろう……?」

 疑問に思いながら席に座ると――ふと、教室中の視線が僕に向いていることに気が付いた。

「ねぇねぇなに今の?」
「西沢さんから佐々木に声かけてなかった?」
「え、佐々木と西沢さんって仲いいの?」
「ははっ、まさか。ないない」
「てかあいつ佐々木っていうんだ」
「おいおいクラスメイトの名前くらい知っとけよ。俺も知らんかったけどw」

 ざわざわとそんな会話が聞こえてくる。

 だよね。
 そうだよね。

 男子は苦手と公言している西沢さんが、下層カースト男子の僕なんかにグループのおしゃべりを中断してまで声をかけに言ったんだもん。

 そりゃあ何事かとみんな気になるよね。
 もはやクラスの一大事だよね。

 だから僕は肩をすぼませて小さくなり、視線を落としてひたすら自分の机とにらめっこしながら、担任の先生が来るまでの針のむしろのような時間を耐え忍んだのだった。

 ちなみに僕の唯一の友人たる柴田君はというと、

「やっべ、今のやっべ! きちゃったよ、マジ降りてきちゃったよ! インスピレーションがもりもり湧いてきたぁ!」

 とスマホに向かってなにやらガリガリと猛スピードで打ち込んでいた。

 突然のイベント発生にWeb小説の着想でも得たんだろうけど、とりあえず彼に言いたいことは一つ。
 西沢さんはザ・ヒロインだからいいとして、僕をモデルにするのだけは絶対にやめた方がいいと思う。

 確かこの前、WEB小説に投稿した新作がランキング上位に載って読者が一気に増えたって喜んでたよね?
 せっかく増えた読者が逃げちゃっても僕に責任はないからね?
 とまぁ朝一でそんなことがあり。
 それから朝のホームルームが終わって、授業が始まったんだけど――。

(な、なんとなく西沢さんが僕を見ている気がする……)

 休み時間とか特にそうで、目が合ったりまでしちゃった気がするのだ。

 もちろん気がするだけだ。
 僕ももう高校生になって自分の容姿や人付き合いの下手さ、学校内での立ち位置やらをそれなりに理解できてしまっている。

 なので西沢さんが僕のことを見ているなどと考えるほど、自意識過剰ではなかった。

 さっきも目が合ってふんわり優しく微笑まれた気がしたけど、多分僕の斜め後ろのあたりで集まって昨日のドラマについて「エモい」「ヤバイ」「勝たん」ととても楽しそうに盛り上がっている、カースト1軍のイケメン君でも見ていたんだろう。

 抜群のイケメンっぷりに加えて入部早々いきなりサッカー部のレギュラーを獲ってみせた彼は有無を言わさぬカースト1軍のリーダーであり、なので女子からの人気も極めて高い。

 だから男子が苦手という西沢さんであっても、そんな彼にはついつい視線を向けてしまうのも納得できる話だった。

 逆にここで僕がにっこり微笑み返しちゃったりすると、「勘違い君」として卒業まで延々とネタにされて笑われかねない。
 実際には心優しい天使のような西沢さんはそんなことはしないんだろうけど、だからこそそんな西沢さんに勘違い系のイタイ男子と思われるのは遠慮したい僕だった。

 せめて普通の底辺男子として認識してもらいたい。

 あと目が合うってことは僕が西沢さんを時々チラ見していることが西沢さん本人にバレてしまっているわけで、これは大変よろしくないことだよね。

 時々チラ見するくらいとはいえ、僕なんかに見られているとわかったら西沢さんもいい気はしないだろう。
 女子は視線に敏感だって深夜アニメのヒロインもよく言ってるし。

 しばらくは西沢さんを見ないように気を付けるようにしよう。

 僕は同じクラスということもあって自然と目が向いてしまう時以外は、極力西沢さんを見ないように心がけることにした。

 そして今日の授業を全部終えた帰り際。

「佐々木くん、また明日ね。バイバイ」

 僕は朝と同じように、西沢さんから声をかけられたのだ。

 そして軽く手まで振りながらふんわり優しい笑顔で言ってくれた西沢さんに、僕は緊張で完全にテンパってしまって、

「ば、バイバイ西沢さん」

 とぼそぼそ情けなく答えたのだった。

(なんかもう死んじゃいそう……声をかけてもらえて嬉しくて死にそうなのと、せっかくの機会にボソボソとしか返せない陰キャな自分が辛すぎて死んじゃいそう……)

 それにしても、だ。
 まさか朝だけでなく帰りまで西沢さんから挨拶してもらえるだなんて、今日の僕は人生の運気というものを全部費やしてしまってるんじゃないだろうか?

 明日から一気に反動が来そうでちょっと怖いかも。
 事件や事故に巻き込まれないように少し注意をしておこう。

「でもどうして西沢さんが僕なんかに挨拶してくれたんだろう?」

 帰り道やお風呂の中でずっとその理由を考えていたんだけれど。
 残念ながら全く思い当たる節があるどころか、あの時偶然すれ違った以外に僕と西沢さんにはまともな接点すらなく。

 いくら考えてもこの問いに答えが出ることはなかった。
 そしてその次の日も、

「佐々木くんおはよう。今日は朝からあったかいね」

 僕が登校すると西沢さんが笑顔で挨拶をしてくれた。
 どころかあの日以来、西沢さんは毎日僕に挨拶をしてくれるようになったのだ。

 突然始まった朝夕2回の挨拶タイム。

「西沢さんおはよう。だよね、暖かいよね」

 何度も失敗を繰り返して、ようやく僕も普通に挨拶を返せるようになった――と思う、多分、気がする、きっと。
 いやまぁ挨拶を返すだけなんだけどね?

「佐々木くんおはよう」
 って言われたら、

「おはよう西沢さん」
 って返して。

「佐々木くんまた明日ね」
 って言われたら、

「ばいばい西沢さん」
 って言って。

「あったかいよね」
 って微笑まれたら、

「だよね、暖かいよね」
 っておうむ返しに答えるだけなんだけどね?

 もしクラスカースト1軍メンバーが聞いたら大爆笑すること間違いなしだろう。
 それでも僕にとってはこれだけでも、ものすごい勇気のいることだったんだ。

 そして挨拶以外にも、やっぱり西沢さんが最近よく僕を見ている気がした。
 いらぬ誤解を招かないようになるべく視線を合わせないようにしているから、そんな気がするだけなんだけど。

 それでも時々ふと視線が合っちゃうんだよね。
 西沢さんはそのたびに、優しい笑顔で僕なんかにこっと笑いかけてくれるのだった。

「こ、これってもしかして――!?」

 そして僕はとある結論に思い至った。
 この推理はかなりいい線行ってると思う。

「もしかして西沢さんは僕が通っていた中学に、好きな人がいるんじゃないかな?」

 中学時代の僕のクラスメイトに一目ぼれして、だから僕に仲を取り持って欲しいとか?
 それってすごくありそうじゃない?

 この前西沢さんと偶然出会ったのは僕の地元、中学校の学区内だ。
 だから西沢さんが、一目ぼれした相手がもしかしたら僕の知り合いかもしれないと思って、そうだったら紹介して欲しいと思ってる――とかあっても全然不思議じゃないもんね。

 え?
 西沢さんが僕に好意があるかもって?

 あはは、ないない、それはないから。

 西沢さんが底辺陰キャの僕なんかを好きになる理由はゼロ、どころかマイナスだもん。
 絶対零度-273.15℃って感じ。

 何度も言うけど僕と西沢さんは、そもそもからして接点すらないんだ。

 もし仮に、万が一天文学的な確率でそんな地球外知的生命体が地球にやってくるレベルの奇跡が起こったとしたら。
 僕は全裸で逆立ちしてグラウンド一周してあげてもいいよ。

 賭けてもいい、絶対にそれだけはないから。
 まぁ、そもそも逆立ちからしてできないんだけどね。


 そう言えばこんなこともあったっけか。

「ねぇ佐々木くん、5時間目の社会は移動教室で視聴覚室に行くでしょ? さっき社会の小島先生に次の授業で使うプリントを視聴覚室まで持って行って欲しいって言われたんだけど、手伝ってもらえないかな?」

「え、僕? えっと……」

 大好物のヤマザキの「大きなハム&たまご」と「アップルパイ」を食べ終えて、お昼休みに静かに一人でスマホを弄っていた(唯一の友人である柴田くんは昼休みはいつも文芸部に行っている)時に突然言われたこともあって、僕はあからさまにきょどってしまう。

「誰か男子に手伝ってもらうようにって言われたんだけど、わたしあまり仲のいい男子がいなかったから困ってたの。ダメかな?」

 そんなビクついてしまった情けない僕に、だけど西沢さんは優しく笑いかけてくれるのだ。

「そ、そうなんだ」

「ごめんなさい、もしかして今って忙しかった? 誰かと連絡中だったり?」

「ううん全然、暇だから大丈夫。任せて」

 西沢さんに頼まれごとをされて嫌と答える男子がいるだろうか?
 いいや、そんな男子は存在しない。
 そして僕は男子だった。

 僕はすぐに立ち上がると、授業の用意をもって西沢さんと一緒に職員室に向かった。

 職員室に向かったボクと西沢さんは、

「佐々木が手伝ってくれるのか。悪いけど2人で頼んだぞ」
 すぐに大量のプリントを手渡された。

 両手でプリントを抱えながら西沢さんと一緒に視聴覚室に運ぶ途中、なんとなく2人で会話をする。

「ごめんね佐々木くん、急に手伝ってもらって」

「ううん、そもそも西沢さんだって先生に頼まれたんだし。それに僕の方こそ男なのにあまりたくさん持てなくて申し訳ないっていうか……」

「全然そんなことないし。わたしよりいっぱい持ってるし」

「まぁ、ちょっとだけね」

 悲しいかな、中学からずっと帰宅部で貧弱極まりない僕は、腕力も同年代男子の平均に大きく劣っている。
 そのため西沢さんより気持ち多めに持つくらいしかできなかったのだ。

(西沢さんと二人きりっていう滅多にない機会に、少しはいいところを見せたかったんだけどなぁ)

 いかんせん視聴覚室は別棟の3階にあって職員室から結構遠かったので、無理はできなかった。
 ほんと自分で自分が情けない。

(でもこの前スイカを無理して持って大変だったからなぁ……経験は生かさないと……)

 内心そんなことを考えていた僕に、西沢さんは相変わらずの柔らかそうな笑顔で会話を続けてくる。
 心なし、並んで歩く距離がさっきより近いような?

「そう言えばこうやって佐々木くんと話すのって初めてだよね」

「あ、うん。そうだね」

「佐々木くんって物静かで一人でいることが多いもんね、孤高って言うのかな。でも話してみたら結構普通で安心したかも。えへへ」

「そ、そう?」

 物は言いようってやつだね。
 ぼっちも裏を返せば孤高ってことになるのかな?

 って、なるわけないよね、うん。
 さすが天使と呼ばれる西沢さんだ、僕を傷つけないための優しい配慮が随所に感じられるよ。

「あ、そうだ。なにか困ったことがあったら言ってね。今日のお礼に今度はわたしが佐々木くんのお手伝いするから」

「ありがとう西沢さん、なにかあったらその時は西沢さんに頼みに行くね」

 もちろんそうは言っても僕ももう高校生なので、西沢さんの社交辞令を真に受けたりはしない。
 そもそもの話、西沢さんだって先生にお手伝いを頼まれただけなのだ。

 先生に頼まれたことをクラスメイトの僕が手伝っただけなのに、それでお礼もなにもないだろう。

 というかもし真に受けて下手に西沢さんになにか手伝わせようものなら、僕は間違いなくクラス中のヘイトを一身に集めることになる。
 底辺男子が何様のつもりだ、身の程を知れってね。
 僕にそんな無謀な勇気があるはずもなかった。
 

 そうして、なんとなく西沢さんに認知されてきた感がある日々が1週間ほど続いたお昼休み。

 今日のお昼は学食でわかめうどんを食べた僕が教室に戻ってくると、

(あれ? なんだろ? 手紙?)

 僕は自分の机の中に一通の手紙が入っていることに気が付いた。
 なにげなく手紙を取り出しかけて、だけど僕は即座に机の中に突っ込み返した。

 だって、だって――!
 ピンク色の可愛らしい封筒は、どこからどう見ても女の子からのラ、ラ、ラ、ラブレターだったんだもん!!

(だ、誰にも見られてないよね!?)

 僕はそれとなく周囲に視線を送ったんだけど、そもそも好んで僕を見ている人間はいないということにすぐに思い至る。

 あ、でもなぜか西沢さんと目が合ったような?
 しかもにこっと微笑まれたような?

 えっ!?
 まさか西沢さんが僕にラブレターを!?

 うん、ないね。
 100%ないね。
 ありえない妄想はやめよう。
 さすがにこの妄想は痛々しいを通り越して、もはや西沢さんに失礼まである。

 僕と西沢さんに挨拶以外の接点はほぼない。
 しいて言うならこの前の移動教室の時にプリントを運ぶ手伝いをしたくらいだ。

 ってことはだ。

 僕が挙動不審だったのをたまたま偶然見てしまった西沢さんが、なんとなく視線を向けてきたのだろう。

 あ、もしかしてラブレターを取り出しかけた瞬間を西沢さんに見られてたのかな?
 僕がラブレターを貰ってたことをイチイチ言いふらしはしないだろうけど、ちょっと恥ずかしいかも。

 すぐに確認したかったんだけど、そろそろチャイムが鳴る時間だった。

 教室は人の目があるのでラブレター――かもしれない手紙はひとまずこのまま机の中に隠しておいて。5時間目の後の休み時間に、誰もいない場所でこっそり確認することにする。

(お、落ち着け、落ち着くんだ僕……とりあえず今は考えても仕方がない。授業に集中しよう)

 そう思ったものの。

 差出人が誰なのかとか、本当にラブレターなのかとか、なんで僕なんだろうとか。
 そういったことをあれこれ考えてしまったせいで、5時間目の古文の授業で何をやったかは全く覚えていなかった。