彼はコンクリートの階段に腰を下ろすと、膝の上に真依を載せて背中を優しく撫で始めた。それが心地よくて、まるで猫のように喉が鳴ってしまう。

「こんな時間にこんなところにいるってことは、猫ちゃんも帰る場所がないの?」
にゃーんにゃん(猫ちゃんも、って)?」

 ふと見上げてみると、彼は寂しげな笑みを浮かべていた。それが真依の心をギュッと締め付ける。

 当たり前のことだけど、彼がカフェに来て、しかも商品を買うまでの短時間でしか話したことはなく、彼がどんな人物かなんて知る由がなかった。それに彼はたくさんやって来る客のうちの一人であり、常連として好感は持てても、それ以上に彼を知ろうとは思わなかった。

 自分の安否がわからない状況で、偶然にも彼が私を見つけ、"客"としてではない彼の一面を知ることになるなんてーーそして真依はそんな彼の優しく儚げな人間性に惹かれ、気になり始めていた。

「居場所がないわけじゃないんだけどね……僕が小さい時に両親が離婚して、僕は父親に引き取られたんだ。その父親が三年前に再婚してさ、新しい母と姉が出来たんだけど……なんか互いに人見知りが強くて、未だにうまく話せないんだ」

 真依はただ耳を傾ける。初々しくて可愛いだなんて思っていた自分を消してしまいたい。だって彼は自分なんかよりもずっと大変な思いをして、しっかりとした考えを持っているのだから。

「もちろん二人ともいい人たちだっていうのはわかってる。母はなるべく寄り添おうとしてくれてるし、姉は……いや、姉も僕との関係を模索しているような気がする。だから二人で話す時はどこかよそよそしくなっちゃうんだけどね」

 真依が絵の具くんの家の方を見ながら鳴いてみると、彼は振り返って苦笑いをした。

「帰らないのかって? 大丈夫、もう少ししたら帰るよ。でも猫ちゃんともう少し一緒にいたいな……」

 彼は真依をきつく抱きしめると、気持ちよさそうに頬擦りをする。しかし真依は恥ずかしすぎてバタバタと暴れ出した。

にゃっ、にゃーっ(やだっ、くすぐったい)!」
「えーっ、もっと抱きしめさせてよー」
にゃっ(だめっ)!」
「猫ちゃんってば、案外照れ屋さんだったりするの? じゃあ優しくするから、抱っこしててもいい?」
「……にゃにゃーん(それくらいなら)……」

 大人しく彼に抱かれてみれば、想像以上に居心地が良く、今すぐに眠りについてしまいそうだった。