「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」

 Tシャツにデニム、肩からショルダーバッグを下げた絵の具くんは、真依が夕方から入る日の夕方にいつも店にやって来た。来るたびに、初めて来店したようなはにかんだ笑顔を見せてくれ、それが妙に初々しく感じる。

「あのっ……アイスのカフェラテを一つ、テイクアウトでお願いします」

 今日は左手の親指に青い絵の具の跡を見つけ、つい頬が緩んでしまった。

「かしこまりました。サイズはいつもと同じ、Lでよろしいでしょうか?」

 真依が尋ねると、彼は驚いた様子で目を見開き、それから嬉しそうに微笑んだ。

「は、はいっ! お願いします!」

 オープニングスタッフとして真依がバイトに入ってから一年。同じようにオープンと同時に彼がこの店に来店するようになった。そして頼むのは必ずカフェラテのLサイズ。名前も知らない人だけど、真依の中では印象深いお客のうちの一人として心に残っていた。

 商品を受け取った絵の具くんが、しばらく店内で過ごしている姿は目に入るものの、夕方の忙しさのピークを迎え、気がつくと彼の姿は店になかった。

 客足が途切れたのは閉店間際になってからで、店内では少しずつ閉店準備が始まる。真依は最後の客を見送ってから店内へ戻ると、何故か従業員たちが水木の元へ集まっていた。不思議に思いながら、真依もなんとなくその輪の中へと入っていく。

「ねぇねぇ、何かあったの?」

 隣にいたバイト仲間の史絵(しえ)に尋ねた時だった。

「みんな、お疲れ様! あの……大したことじゃないんだけど、手嶋(てしま)さんが報告した方がいいって言うから、一応みんなには伝えておこうかなと思って」

 水木は幸せそうな笑顔を浮かべると、頬を染めて頭を掻く。その様子を見ていた真依は、突然嫌な予感に襲われる。しかし耳を塞ごうとした時には遅かった。

「実は今朝、婚姻届を出してきて……その……結婚しました!」

 水木が大きな声で言った瞬間、黄色い声と悲鳴、野太い雄叫びが店内に響き渡る。皆が歓喜に包まれる中、真依は受け入れ難い現実を目の当たりにして、開いた口が塞がらなかった。